竜騎士 迷宮行きたい(中度発作)

 イシュリタスの迷宮と呼ばれる、一つの穴から通じる無限の異世界の外、人間達の住む世界には、大まかに分けて三つの国が広がっていた。

 西にヴェルセルヌ王国。東に神聖ラグマ法国。そして南にギルディア領。


 俗に迷宮領とも称されるファフニルカ侯爵の治める地域は、ヴェルセルヌ王国の南東端に位置している。

 ファフニルカ侯爵はヴェルセルヌ王国から辺境の防衛のために派遣された、一貴族の末裔だ。侯爵と言えどなかなか面倒な場所の防衛を任された一族は、遡れば王家の傍系にあたる血縁でもある。

 ファフニルカ侯爵が本国、と指すのはヴェルセルヌ王国となり、更に限定するならその王家とその取り巻きのことを意味している。


 迷宮領は山を隔てて東の神聖ラグマ法国と接しており、さらに南に広がる海の対岸にはギルディア領が存在する。俯瞰してみれば、ちょうど三国の真ん中にあると言っていい。かつて三国が一つの国であったときは、首都でもあった場所だ。


 ソラブシリカ帝国と呼ばれた広大な国は、迷宮の恩恵を得て絶大な栄華を誇っていたとされている。首都は金銀その他の財宝で埋め尽くされ、人々は宝器を当たり前のように生活に利用し、永遠に繁栄が続くことを誰も疑っていなかった。


 ところが百年前、事件は起きた。

 時の支配者が余計なことをしたとか、迷宮で冒険者が禁忌を犯したとか、あるいは持ち出されてはいけない物を持ち出してしまったとか……原因には諸説ある。


 はっきりしていることは一つ。当時世界の中心、文明の最先端と謳われていた帝都が一晩で壊滅したという事実だ。


 そしてその後、外部の侵入を拒むように、あるいはあふれ出した災厄をそれ以上外に逃すまいと言うように、迷宮の周りの土地が隆起し、陥没し、山と海を作って容易に外から侵入できない環境が作られた。


 帝国崩壊直後の混乱期にいち早く身内を送り込むことに成功したのがヴェルセルヌ王国であり、この国はかつてのソラブシリカ帝国のように迷宮の力を用いて人の発展を続けていく事を望んでいる。

 というより、特に当代の王家が求めているものとは、かつてのソラブシリカ帝国の復活であり、自らがその頂点と立つことのようなのだ。

 そこで、現状いまいち迷宮の利用に可もなく不可もない侯爵に対し、「ええいもっと気合い入れて宝器とかたくさん発掘して余に進呈せんかっ!」と、書が送られたり人が送られたりする。迷宮で事故が起きたり損害が発生したりといった場合に、「現場の監督責任は全部そっちにあるんだからね? バーカバーカ!」と煽りつつあちらの要求を更に追加してこようとするのも忘れない。

 これがいわゆる侯爵にとって“本国がうるさい”状態であり、頭痛のタネとなる恒例行事である。


 そして迷宮領の面倒なところは、このように外部からうるさくしてくる国が本国のみにとどまらないということだ。


 東で睨みを利かせている神聖ラグマ法国は、迷宮利用に関してヴェルセルヌ王国とは真逆の思想の持ち主。そもそも法国にいる人間達は、迷宮の過剰利用によるかつての崩壊、という事実から、「そんな危ない物を使っていたのが悪いんだ! もっと昔、素朴な暮らしをしていた頃に立ち戻って原点回帰しよう!」という、重度の懐古主義が多い。そのため、迷宮の利用に消極的で、封印、最終的には消滅を望んでいる。

 王国にも迷宮領にも、度々書と人をよこしては、いかに彼らが信心不足で不道徳であるか、飽きもせず説き伏せようと繰り返す。

 元が厳しい環境であるせいか、武力行使してくる余裕はさほどなさそうなのが唯一の救いといったところだろうか。生きていくだけでもそれなりに労力のかかる土地故、清貧を良しとし耐えることを求める宗教に縋るほかなかったのかもしれない。

 これはこれで侯爵の頭痛のタネである。


 そして南のギルディア領。ある意味最もたちの悪い相手である。

 ギルディア領は便宜上三国の一つにカウントされているが、その実態は小部族達が勝手に首長を名乗ってお互い小競り合いを繰り返す小都市の群れである。亜人の多いこの地域は、帝国時代はなんとか一応一地方としてまとめられていたが、押さえつける頭がなくなったら当然のごとく分裂した。

 貿易船が襲われるのはいつものこと。たまに港に上陸すれば、あっという間に制圧される。

 ……そう、まとまりなくそれぞれが小さな組織で活動しているおかげで、返り討ちにできる程度の脅威度ではあるのだ。が、一つ一つ潰しても懲りもせず新たな奴がやってくるから回数を重ねればそれなりの負担になってくるし、何かと余裕のないときに「暇だからちょっかいかけに来たんだぜ☆」という顔で船上から手を振られれば、本気で殺意が湧くのは至極当然と言えよう。


 このように迷宮領は、代々常に三つの勝手な隣人達に悩まされつつ、迷宮といういつまた起き出してきて爆発するともわからない休火山を抱えていた。


 それでもどうにかこうにかやってこられたのは、全方面に頭を下げてご機嫌をうかがいつつ、あっちに手を入れこっちに手を入れ、周囲が結託して襲いかかってこないように絶妙に調整を行い、時にはお互い邪魔な相手同士潰し合っていただき……そんな根気のいる暗躍を、歴代当主が血と汗と涙を流しつつ続けてきたことによる。



 そんなわけで、当代当主と次代当主候補は、なぜか急に起きた迷宮の変化、そして恒例の本国の圧力、今大きく分けて二つの問題に頭を抱えているのだった。


「ああー、嫌だなあ、なんでこんな時に本国の使いなんか来るんだろう……どうせまた来るのサフィーリアでしょ、また俺貴方のデュランですごっこしなきゃいけないんでしょ……」

「ああー、嫌ってわけではないけどタイミング悪いなー、なんでこんな時期に息子は逆鱗なんか見つけちゃって心ここにあらずなんだろうなー、侯爵さんはもうちょっと外部の問題だけに集中していたいなー……迷宮の変化については警戒しつつ様子を見守るしかないとして。サフィーリア嬢なんか、ちょっと優しくして頭撫でておけば満足して帰るんだから、可愛い方じゃないか」

「最近ちょっと、そろそろ私も適齢期アピールがこう。サフィーリアは綺麗だけど色々考えると気持ちには応えられないなって、こう、オブラートに包むのが、こう。はあ、全てを忘れて迷宮行きたい、俺は永遠にシュナのすべすべな鱗を撫でていたい……」


 ぼやきつつもランチをつつく所作はやたらと洗練されているのはさすが侯爵一家、というところなのだろうか。


 相棒の身体に触れている自分、「そんなにしたらくすぐったいからだめ!」とピイピイ鳴いている相棒、そんな姿を幻視してだらしない顔をした騎士に向かって、二人とまた別の方向から女性の声が上がる。


「侯爵閣下。お言葉ですが次代侯爵閣下は元から常に心ここにあらずですわ。暇があれば迷宮、竜、迷宮、竜、迷宮、竜、竜、竜……それがシュナ、シュナ、シュナ、に変わっただけ。母はもう二割ほど、この子のまっとうな人間としての幸福を諦めております」

「……いやそれ八割はまだ頑張るつもりあるってことじゃん、むしろ全然諦めてないじゃないか、母さん!」

「食器で音を立てるんじゃありません」

「申し訳ございません、母上」


 思わず握っていたフォークをチンッ、とやって即座に鋭い視線を飛ばされたデュランは、ピンと姿勢を正した。教育の刷り込みである。

 侯爵夫人はグレーの髪を上品に束ね、パッと見では地味な、見る人が見ればかなり細かい装飾がさりげなくあしらわれているドレスに身を包んだきりっとした感じの女性である。息子の端正な容姿はどちらかといえばこちらから継がれたのだろう。夫人本人はあまり華やかという雰囲気ではないが。


「大体、お前に甲斐性がないからいつまで経っても孫の気配がないのですよ。精進なさい」

「えええ……」

「いや甲斐性はともかくやることはやっておるじゃろ。儂の息子だし」

「黙れクソ親父」

「食器を鳴らさない」

「申し訳ございません、母上」


 食事の合間にちらほらやりとりをしていてグズグズしている二人に先んじて、夫人は優雅にナプキンで口元を拭っている。息子が行儀を悪くするとすぐにぴしゃりと言うが、夫がパンにナイフを突き立ててくるくる回していても眉一つ動かさない。


「そのうちどこかから隠し子が現れる方が先かもしれないのう」

「侯爵閣下。お言葉ですがうちの息子は一応これでも未来のファフニルカ侯爵、そんな事態が起こりうるような教育はしておりませんわ」

「でもこいつお調子者だからなあ、おだてられればいくらでも木に登りおるわ。キャーデュラン様のいいところ見てみたーい! なんてはしゃがれたらついうっかりの一つや二つやりかねんと思わんか、のう?」

「くっ……確かに否めないっ」

「いやそこは自信を持って否んで、息子を信じて、母さん! というかそもそも本人の目の前でする会話内容ではないよね、これ!?」


 夫人は夫の所業に、口こそ出さないが鋭い視線は飛ばし続けていた。

 ファフニルカ侯爵はそっと食べ物で遊ぶのをやめ、もくもくと残りを片付けてさっさと口を拭う。


「まあ次世代へ思いを馳せるのはもう少し待ってもいいとして、パパそろそろ本格的に疲れてきたから息子に爵位とか面倒な仕事とか全部譲りたいなー。引退してママとのんびりイチャイチャ余生を過ごしたいなー」

「閣下。あたくしの目の黒い内は肩書きがどう変わろうがきっかり働いていただきますわよ。貴方の方が七つも年下なんですからね」

「シシィ、もっと若い夫を労って!?」

「そろそろ四十二歳の貫禄と落ち着きを身につけてくださいませね」


 両親のいつも通りのやりとりを前に、食欲がなく一番進捗が遅れている息子は大きな大きなため息を吐き出した。


「はあ、俺もうこんな現実やだ……シュナに会いたい。シュナが足りない」


 残念ながら地上には、くりくりした黒い目を瞬かせながら「まあ、デュランって大変なのね!」とねぎらってくれる相棒はいないのだった。

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