恋乙女 寝支度をする

 抱え上げられたことに最初こそ驚いていたらしい娘だが、依然として酔っ払いであることには変わりなく、また初めての大舞台での疲労が相当溜まっていたのだろう。


 部屋まで運んでいこうとする意思が断固として揺るぎない事を悟ると、大人しく運搬されるようになる。


 途中で彼が「それにしても相変わらず軽い……」とかぼやいているのが聞こえたような気もするが、何度かこっくりこっくりと頭が揺れていたのでいまいち記憶がはっきりしない。


 ようやく自室まで戻ってくると、そっとベッドに下ろされた。


「お化粧を落として、服を着替えて……後歯磨きはして。お風呂はまあ、眠いなら明日でいいと思うけど……」


 言われた言葉にこくこく頷いていると、彼は「じゃあ」なんて言って離れて行ってしまおうとするではないか。


 大きく目を見開いた後、急速に表情を険しくさせ、シュナはデュランの手を捕まえることに成功する。


(置いていくの? ひどいわ!)


 今着替えろなんだのという事に同意していたのだから、むしろその通りにするなら、彼が出て行くのは至極当然のことと言える。


 しかし酔っ払いに理屈は通用しないのだ。

 一緒にいてくれると嬉しい。放っておかれるのはイヤ。実にシンプルである。


 それにそこまではっきり考えられていたわけではないが、他にも行ってほしくない理由はあった。


 たぶん、この後デュランは例えば着替えが待つまで部屋の前で待ってくれるような事はなく、会場にまた戻るつもりなのだろう。


 離れた後、再びあのキラキラしたドレスの群れに囲まれるのかと思うと、絶対に大人しく見送るなんてできるはずがない。


 引っ張られて足を止めたデュランが、振り返って困ったように眉を下げた。


「トゥラ。ごめん、一応最後に顔を見せてこないと。これは……まあなんとかなるからさ」


 彼女が気にしているのが服の汚れと思ったのだろうか、自分の胸元を引っ張られていない方の手で指さす。


 それを見ると申し訳ない気持ちで一瞬怯むが、大丈夫と言われたせいもあるのか、手は離さない。


(いや! 他の人と仲良くしないで! ここにいて!)


 両手でぎゅっと手首を握りしめたまま、ぶんぶん頭を横に振る。


 酔いの回った状態の彼女はとても素直だった。普段なら「はしたない」とか「自分が言っていいことではない」とこの辺りで考え、遠慮しだすところで引こうとしない。


「何? 何が嫌なんだろう。ごめん、わからなくて……」


 涙目で睨み付けられたままのデュランは途方に暮れている。


 部屋の中をぐるりと見渡して、一応この瞬間も脇に控えているコレットを見つけたようだ。

 メイドは今の今まで瞳孔まで広げる勢いで二人の攻防を見守っていたが、助けを求めるような目を向けられると途端に後ろを向いてしまう。


 第三者の取りなしは不可能と理解したデュランは、唸った後膝をつき、シュナの手を握り返して優しい声をかける。


「なるべく早く帰ってくるから……それじゃ駄目かな?」


 酒とは時に本人の建前を奪う凶器である。

 普段したいと思っていないことをさせることまではできない。


 幾分自分の主張が前に出てきている状態のシュナだが、基本的にはお人好しの極みのような性格である。


 相手が本気で困っているような気配を察すると、瞳を潤ませたままだが、若干勢いが削がれた。


(本当に? 約束よ? 早く戻ってきてくれる?)


「終わったら、すぐ来るから……」


 なおもなだめられると、ついに彼女はぎゅっと入れていた力を抜く。

 ぱっとではなく、様子を見ながらゆっくりと引き抜いたデュランは立ち上がり、何度か振り返りながら部屋を出て行く。


(早く帰ってきてね! 待っているのよ!)


 最後に扉から出て行く直前、堪えきれなくなったシュナが立ち上がって訴えかけると、目が合った彼が心得ているとでも言うように微笑んだ。


 パタン、と静かな音を立てて閉まった所を食い入るように見つめているシュナに、えへん、と咳払いをしたメイドが近づいてくる。


「あのー……ま、若様の言う通り、このままじゃ眠れませんから。ね……?」


 コレットと、いなくなった次代侯爵と入れ替わるように入ってきた他のメイド達が周りでせっせと化粧を落としたりドレスをほどいている間もずっと、娘の目は男がいなくなった方を見つめて動かなかった。



 しかし、きつい衣装を取り払い、肌も解放されると途端に訪れるのが眠気である。


 元々酒でちらほら意識を飛ばしていたぐらいだ。

 しかも室内の照明を落とされてしまうともう駄目押しである。


 夜に済ませておくことは全部終わらせ、寝間着になるとメイド達がお休みの挨拶を告げて部屋から出て行く。


 ベッドの上にぽつんと取り残されたシュナは、それでもそのまましばらくは頑張っていたのだが、いつの間にか揺れていた頭が落ち、身体が倒れ、上半身は寝台に、下半身はベッド端から投げ出されたままという不安定な体勢ですやすや寝息を立て始めている。



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