姫 外出について話し合う

《そもそも君、今すぐ奴に会いに行きたいとか言い出すおつもり?》

《ええ。いけないかしら?》


 リーデレットとネドヴィクスを見ていたら、だんだんと自分の逆鱗が恋しくなってきたのだ。ネドヴィクスは待つしかできないが、シュナは自分で会いに行ける足がある。


 ……という、本人からすると至極単純かつ割と自然な思考の元の発言だったのだが、教育係には不満しかないようだった。


《僕たちとデュラン、どっちが大事なのさ!》

《どうしてそうあなたたちはすぐ好きに順位をつけたがるの……!?》


 エゼレクスがデュランに対して個人的な恨みを募らせているらしいことはなんとなくシュナも把握しているが、話が始まったと思ったら早速盛り上がりだして困惑の方が勝る。

 そしてデュランと言い彼と言いなぜシュナの好きに優劣をつけたがるのか。一番と言われないと涙を流して悔しがるのか。これが全く理解できない。知恵も経験も随分とついてきた方だと思うが、まだまだ度しがたいことは世にあふれているようだ。


《うっうっ、たかがインプリンティング、されど刷り込み、うちの姫の初めてがあんなチャラ男に……どうせいずれもっと大事な初めてまで持って行く気なんだろう、僕にはわかるんだ煩悩方面に明るいし。あんの美男子やっぱり存在から許さない、うっうっ、許さないいいいいい……》

《エゼレクス、落ち着いて……?》

《そんなにあいつがいいのか、あいつのどこがそんなに好きだって言うんだ、顔か、やっぱり顔なのか、シュナァ……!》

《けしてそれだけではないのだけど……》


 気のせいだろうか、いつにも増して憎悪が激しい。逆になぜエゼレクスはそこまで彼のことを嫌っているのか聞いてみたいぐらいだ。

 あと、確かに町に出てみていろいろな人と会ってみた後では、デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカという男がどれほど顔立ちの整った男なのか、改めて理解することとなった。が、別にシュナは顔で彼を選んだわけではない。何なら出会った時、シュナがまともに顔を見たことがあったのはそれこそ鏡に映った自分と父程度、第三者の美醜なぞ判定できるはずもないではないか。


 ……とか、ちょっと色々思うところはあったのだが、話が逸れるので頭の中にふわりと浮かべる程度にし、シュナは考え考え、外に行きたいと主張する自分自身に集中する。


《あのね、エゼレクス。竜の皆のことも、お母様のことも、好きよ。大事にしてくれているのもわかるの。でも、やっぱりわたくし……元々は、人間だったから。人間のはずだから。あちらの姿の方が……落ち着くの》


 今の姿にも慣れてきて、不満に感じることは少ない。

 ただ、ふとした瞬間、「違う、本当はこうじゃない」と感じてしまう――その心を失うことはできない。


 ――いや、逆なのだろうか。

 竜としての自分に慣れてくると、それが怖い。人としての自分を、忘れて、なくしてしまいそうで。


《わたくしはシュナ。塔の中のシュナ。竜のシュナ。……でも、トゥラでもある。欲張りなのかしら? なかったことにしたくないの。どの自分のことも》


 いっそ演技かと思うほど大げさに嘆いていた緑の竜は、シュナの静かな言葉にピタリと止まる。


《確かに、君は生まれたとき、元々人間の形をしていたけど。でも、前の君だって適合体セレクション――普通の人間とは違っていた。本物の人間になった時、色々と不便も感じたはずじゃない? それなのに、それがいいって?》

《……楽しかったわ。とても。わたくしだって、苦しいのとか、辛いのは嫌よ。だけど……何もかも、初めてのこと、怖いこともたくさんあるのだけれど。全てが輝いていたの。外の世界は》


 嘘の下手くそな彼女の言葉は、きらきらと光と色を帯び、まっすぐにひねくれ者に向かって放たれる。


 無表情、無言のまま考え込んでいたらしい緑の竜は、再び荒い鼻息をブフッと漏らすと、前足を組んでどっかり顎を乗せる。


《冷静に僕の意見を述べるとだね。まず、外での君――特に人間形態の時は、あらゆる機能が大幅にグレードダウンされているはず、それがとても気がかりだ。ただでさえ竜の姿でだってできないことがいっぱいあるのに。現に経路パス開通も、結局未習得のままだしね》

《でも、迷宮に戻ってくる方法はわかるのよ。それはもう、平気! 外のどこにいても、いざとなったら帰ってこられるわ。人になるのも……二度目だから、大丈夫!》


 微々たる変化ではあるが、後ろ向き一辺倒から多少前進してくれた雰囲気を感じ取り、小さな竜は嬉しくなってパタパタと翼を動かす。しかし、悲観的なのか世間知らずより現実が見えているのか、教育係の顔は渋いままだった。


《例のアンカー問題ね。まあ、じゃあ、それはひとまずなんとかなることとしよう。次。秘密にしないといけないことがあるのに、協力者を得られることがほぼ絶望的な状況は、はっきり言って好ましくない。不利だ。そして現状改善案も特にない。わかってるかな? 状況が悪化することはあっても良くなることはないって意味だよ。外では僕らは何の支援もできないんだからね》

《それは……そうね》


 さすがにシュナの勢いも萎む。確かに解決の目処が全く立たない厄介な問題だった。


 シュナには――この場合トゥラには、だろうか。人には言えない秘密がある。

 好意的に接してくれる人、助けてくれようとする人なら既に十分恵まれていると言えようが、彼女の正体の事を教えられる人間は存在しないし――また、もし仮に、この人ならばと思う相手ができたとしても、打ち明けることが難しい。トゥラは言葉を封じられているのだから。


 迷宮に戻ってきたことで、事情を知る協力者の存在がどれほどありがたく、また逆にいないとどれほど苦労するのか、ようやく理解が追いついてきた部分もある。


 だからそのことを持ち出されてしまうと、迷宮の外に行く、という行為がいかに無謀であるかという事実が浮き彫りになり、シュナは言葉を失って俯く。

 しかし、もごもご口ごもった迷宮の姫に対して、案外とお目付役の口調は優しい方だった。


《僕が一番心配しているのはね。例えばもしもの事態があった時、君にちゃんと判断と決断ができるのかってこと。シュナが賢い子なのはわかってるよ。でも、世の中には想定外ってのがいくらでもある。シュリにだって見透かせないことは存在するんだ。そんなとき、外の君は僕らの助けを借りられない、全部自分で判断しないといけない。うまくいっている間はいいよ。でも何かあったら――あってからじゃ、遅い》

《……でも》

《でも、君は外に行きたい。リスクを理解していて、なお》


 若干半べそをかき始めた青い竜の頬をぺろりと舐め上げて、緑の竜は肩をすくめる。


《理屈で全て解決するなら人間は誰も苦労しない、はいはい、よーく知ってるよ。賢い行動が常に最適解を導くとは限らず、愚かにしか見えない行動が、感情が、時になぜかうっかりはまる、そんな時もある――。繰り返すが、僕個人は君の外出は嫌だよ。なんたって面倒が見られなくなるからね。でも、シュリが我慢したぐらいなんだ、今更僕がグチグチ野暮言ってどうにかなるようなことでもない……それも理解しているつもり》

《エゼレクス……!》


 じゃあいいのね……! ときらきら目を輝かせ始めたシュナだったが、ぎゅむ、と大きな手で顔を押されるときゅう、と足の下で間抜けな声が漏れる。ぺちぺち叩きながら、先輩竜は深く深く息を吐き出し、半眼を向けている。


《でまあ、外に行くのはしゃーないとして、あと一つ。どうでもいいと言えばどうでもいいんだけど、僕気になってることがあるんですよ、おシュナや》

《何かしら?》

《君、人化した時真っ裸じゃん? それ、まずいんじゃないの》


 空気が凍った。元々青い身体のシュナだが、さらに血相を変えてガタガタ震え出す。


《……どうしようエゼレクス、本当だわ! 服は部屋に脱いできてしまったの、お外に出ても着る物がない……! わたくしこのままだと、裸でデュランの前に出て行かなければならなくなるの!?》

《そんなことがあったらお兄さんもお父さんもお母さんも皆許さないから安心しなさいおシュナ》


 真顔で言われても何一つ安心できる要素がないし全裸問題が解決するわけでもない。

 おろおろ涙目になっているシュナに、はあ、とため息を吐いて緑の竜は頭をひっかいている。


《外へのパスが好きな場所に開けるなら、部屋に戻って何食わぬ顔でとか、風呂場に現れてとか、荒業のごまかし方もできるんだけどねえ。まあ仕方ない。それならないよりはマシだ、ファリオンの服を持って行きなよ》

《――お父様の、服?》

《迷宮で暮らしてたときの装備。ばっちり男物の奴は無理だろうが、ローブみたいな形のもあったはずだから、それを紐とかで調整すればまあ裸よりは大分ましな見た目になるでしょ。シュリは必要そうな物を持たせた上でとは言え、かなり不意打ちでたたき出したからね。色々と残っているのさ》


 目を丸くしていたシュナは、喜びに顔を輝かせ、それからまたふと止まって心配そうに顔を曇らせたりと表情の変化に忙しい。


《そうだわ、エゼレクス。この、デュランからもらったおリボンだけど……人に戻るとき、どうすればいいかしら》

《捨てれば?》

《だめよ! わたくしがもらったんだから!》

《はいはい真面目に考えますよ……えーとねえ。一応ぼくらの待機所に置いていくという手もある。ただまあ、やっぱ万全を期すなら? 自分で持っているのが一番だと思うよ。なんかたぶん、あの部屋皆出入りするだろうし、置いてったら紛れてどっか行きそうだよね》


 なんとなくそんな気がしていたのだが、エゼレクスも同意見ということはやはりあのシュナの部屋(仮)にもらい物を置いていくのはよろしくない。シュナが難しい顔で首をかしげると、エゼレクスも浮かない顔のまま同じような仕草をしている。


《トゥラが持っていたら、怪しまれるわよね……》

《トゥラと君に関連があることぐらいはもう余裕でわかってたっぽいけど、さすがにねえ。確かローブには隠しポケットがあったし、そこに入れておくとか……ああ、あとはあれだ。肌身離さず持ち歩きたいなら、見られない所につけときゃいいんだよ。リボンだからその辺ちょっとは融通利くだろ》

《見られない所って?》

《太ももとかに巻いとけばいんじゃない? スカートで隠れるはずでしょ。紳士ならめくらないはず――》


 それはいい案だわ! と早速採用する気になっていたシュナだが、急に言葉を切ったエゼレクスを不審に思って見てみると、彼はやけに――気持ち悪いと感じるほど爽やかな笑顔を浮かべている。


《いいかい、シュナ。もしね、下半身を触ってくる人がいたらね。許すな。やれ。徹底的に屠れ。筋肉は鍛えられても関節や臓器は無理だから、そこを狙うんだよ。人体の急所って身体の真ん中にあるからね。真ん中の大事なところを片っ端から打つんだよ》

《何の話をしているの……?》

《シュッとやるんだ。シュッと。そして逃げるんだ。大丈夫、君は可愛いから股間を潰したぐらいでは有罪に問われない。もし問う奴がいたら僕らが総力を持って叩きのめすからここに連れてくるんだ。いいね?》

《だから何の話をしているの!?》

《ああやっぱりぼくは君が外に行くのは反対だよ、ずっとお家にいなさい!》

《どうして急にそんなこと言い出したの、エゼレクスの考えていることってわからないわ!》


 ピイピイピイピイ……。

 しばらく岩場には、二匹の竜の鳴き声がかしましく響き渡り続けていた。

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