竜騎士 秩序と話す 後編

 肩を落とし、うなだれていると不意に胸元が震えた。


(……あれ?)


 首から提げている笛がまた震えているような気がする。

 そこから感じる何とも言えない響きにデュランは困惑した。


(これは……助けを求められている……ような……?)


 伝わってくるのは、不安と困惑と驚き……だろうか。しかし全体的に響きが弱く、切迫している雰囲気はそこまでないような……。


 なんだろう、と思っているうちに震えは止まった。

 と同時に頭上から笑い声が降ってきて、思わずまた崖上を見上げる。

 喉の奥で音を鳴らしていたらしい黒竜は、手の上に乗せていた顔を上げ、空に目を向けて目を細めた。


《ふむ。どうやら悪夢でも見てうなされているらしい》

《……そうなの? というか、わかるの?》

《我は秩序と正統。他の竜の声も多少聞き取りやすくできている。大体の鳴き声は判別可能だ》


 ……ということは、今まで時折胸が震える感覚を覚えたのは、夢うつつのシュナと共鳴していたのだろうか、とデュランは考える。


 しかしその説明で概ね納得できるが、一つだけ腑に落ちないのは嵐の夜だ。

 あれは確かに警告音だった。それなのに駆けつけてみればシュナの姿はなく、竜達には苛立った様子で追い返された。

 その後すぐ、野ざらしのトゥラを発見できたのだから、悪いことばかりではないと思うが……。


《アグアリクス。俺は貴方に……その、竜騎士として言っておかねばならいことと、それと個人的に質問したいことが、割とたくさんあるような気がするんだが……》

《で、あろうな》


 てっきり駄目と言われるかと思いながら声を上げたら、あっさりした返答があった。

 デュランがぽかんと目を丸くしていると、竜は再びこちらを見下ろしてふん、と鼻を鳴らした。


《無論、直接顔を見て文句を言ってやりたかったのもあるがな。結論を早期に出せずに後手に回り、シュナに負担を強いてしまったのは我々とて同じこと。そちらにばかり責を求めるのも意味がなかろう。女神の呪いを与えれたお前に今の我が背を許すことはないが、お前個人に恨みがあるわけでなし。……ゆえに、竜の総意として。可能な範囲でお前の要望や疑問に答えよう》


 思った以上に友好的かつ協力的な相手の態度に、デュランは安堵を一息漏らしてから、気を引き締める。


《ええと……それじゃ、まず。ここに竜達が集合しているの、なんとかならないか? 今は俺が来たから皆逃げたみたいだけど、冒険者の中にはちょっかいをかけられた者もいるらしい。逆に特別な理由があって集まっているのなら、それを聞いておきたい》

《ふむ。待合所は比較的安全ではあるが、迷宮に入って来て装備品を持っていかれる人間の心構えの方がたるんでおろう。精進せよ、我々に弄ばれているようではまだまだ二流冒険者よ。まあ、とは言え、たむろしていては邪魔になることもあろうな、言い聞かせておく。それから理由については……ま、強いて人が気にするようなことではない。少々浮かれているだけだ、たまにはそういうこともある。一時的なものゆえ、そのうち落ち着くとだけ答えておこう。そうさな、我の予想では数日以内であろう》


 心構え云々についてはごもっともなお答えかつ自分にも身に覚えのあることだったので、そっと目を泳がせる。

 後半の答えについては、どことなく濁されたような気もするが、追求してもそれ以上追加の情報が出てくるとも思えない。特に危険はないこと、一時的なものですぐに解除されるということがわかれば、ひとまず安心していいかと騎士はほっと胸をなで下ろした。


《……個人的な質問の方、少し考えても?》

《待とう》


 竜騎士は一度視線を下ろし、少しの間顎に手を当てて思考を整理する。アグアリクスは結構高い位置に陣取っているから、頑張って見上げた姿勢のままだとなんとなく考え事をしにくいのだ。概ね整理してから、再び頭上を振り仰ぐ。


《迷宮で今、何が起こっている?》

《禁則事項だ》

《俺がシュナを起こしたことと関係があるのか?》

《禁則事項だ》

《……シュナを追っていたあの黒い影はなんだ?》

《禁則事項だ》

《…………最近、おかしなタイミングで逆鱗が鳴っている気がするんだけど。これはどういうことなんだ? さっき貴方が言っていた通り、シュナがこう、寝ている間に夢を見ていてうなされている、的な……?》

《それを我の口から語らせるのは無粋というものよ。考えるでない。感じるのだ。焦らずとも求められればすぐわかる、その時応じてやれば全て満たされる》

《……………………》


 思わず無言で半眼になったデュランに、黒竜は遙かな高見から見下ろしたままブフッと大きく鼻を鳴らす。


《これ。恨めしそうな顔をするでない》

《いやだって、何でも聞いていいよみたいな雰囲気出しておいて、何一つまともに返してないじゃないか! 最後のなんかなんだよ、恋の相談を持ちかけられた占い師か!》

《可能な範囲でと最初に断ったではないか。ふむ、しかし、それでは迷える若造の心を慮って、もう一声付け加えておこう。お前が一度でも不適切な行動を取っておれば、我々は総意としてお前を仇敵と判断し、二度と我々と我々の守護する対象に近づくことを許さぬ。しかし今は友好的に会話を試みておろう? 安心するが良い》


 さらりと何でもないことのように言われた内容に、


(いや、それってこの先シュナへの対応を間違えたら迷宮中の竜が襲いかかってくるって予告になっているのでは……? しかも具体的に何をしたらそうなるのかって肝心な部分は教えられていないって、安心できるどころか不安の元が増えてないか……?)


 と青ざめて黙り込んだ竜騎士を、アグアリクスはすっと両目を細め、見据えている。


《過剰な悲嘆主義は臆病であるが、臆病とはすなわち可能性であり、過剰な楽天主義よりはまだしも救われよう。もどかしく感じる部分もあるかもしれぬが、それは我々とて同じこと。迷宮で生きるものは皆呪いに蝕まれている。制限は我々の判断のみによってかかるものではない。たとえ我々がお前に希望を託したくとも、直接は伝えられぬこともある》


(……要するに、答えられることにはちゃんと答えてやるからそういう質問をしろってことか?)


 再びデュランは下を向いて唸った。幸いにもと言うべきか、アグアリクスは急かすこともなく悠然と崖の上で待ち続けている。


(禁則事項……竜は女神の一部であり、迷宮の守護者であり管理人でもあると言われている。迷宮や女神について直接聞こうとしても、教えてくれないことが多い。……だけど、危険な場所や自分自身のことについてなら案外あっさりと答えてくれる。嘘をつくこともない。それなら……)


 騎士が顔を上げると、いつの間にか寝そべるような格好で完全にリラックスの構えに入っていたアグアリクスも顔を上げ、応じる構えになる。


《それじゃ……確認したい。シュナが眠りから覚めて起きてくれたら、俺を乗せて冒険をすることは可能か?》

《可能だ。シュナが望む限り》


 簡潔であり短い答えに、騎士は心の中でよし、とガッツポーズを取っている。少しだけ質問のコツを掴んだようだ。


《今後迷宮でシュナと探索を進めたら、また黒い影に襲われたり、魔物のターゲットにされることはあるか?》

《あり得る。襲撃を想定して進むがよかろう》

《その際、竜の協力を求めることは?》

《お前の笛には応じぬが、シュナの声には応えよう。ただし魔物相手の場合だ。影に襲われた際は保証できぬ。状況による。あれと対峙した際、我々の助力を計算して策を講じるのは悪手ということだな》

《前にエゼレクスが来たけど。あれは混沌属性だったから? 秩序は来られない? でも状況によっては来られるようになる……》

《エゼレクスを頼りにすることを策とは呼ばぬ。無計画かつ無謀というのだ、それは》

《……ご忠告どうも》


 アグアリクスは不機嫌そうに硬い口調で言った。デュランは思わず苦笑する。確かに、真面目なアグアリクスなら来ると言えば必ず来るだろうが、エゼレクス相手なら来たら幸運ぐらいに思っておいた方が良さそうだ。


 それにしても、かなりの情報が落ちてきた。最初の塩対応っぷりには震えたが、本人の言っている通り、彼らの事情で話せないこともあるなりに、こちらに協力する意思はかなり強いらしい。


《シュナについて一つ確認したい。俺を乗せられて、逆鱗の契約を交わせると言うことは……貴方達の言う、“迷宮の呪い”が効いていないのか?》

だけのこと。シュナとて迷宮の規律の例外ではない。迷宮から連れ出せば絶命する》

《……そうか。そうだよな》


 デュランがアグアリクスの顔を窺うのをやめ、再び首を捻っている間、黒竜の目が一瞬きらりと光り、ほんのわずかに悪戯っぽく笑うように口が歪む。しかしデュランが見ると、取り澄ましたような表情で彼を見下ろす。


《それじゃ、念のためにもう一つ。三日ほど前――ちょうどシュナの音を聞いて、ここに最後に来た帰り道。嵐の中で身元不明の女の子を拾ったんだ。黒い髪に黒い目、顔の左側に先天性の痣がある。どうやら何かの呪いをかけられているらしく、意思の疎通がちょっと困難で……心当たりはないか? こう、迷宮にいたところを見たことがある、とか……》


 その瞬間、デュランは黒い竜の喉奥から確かに、笑い声のようなものが発せられたのを聞いた。予想外の反応に驚いていると、この竜にしてはやけに優しく聞こえる声音を出す。


《さて。、我々には未知の存在だな》

《……今、改めて特徴を挙げてみて。ちょっと君に似ているところがあるんじゃないかなって、思ったんだけど……》

《我々は女神のために作り出された存在である。迷宮の生物は女神が全て生み出す、ゆえに基本として生殖能力は不必要であり、竜族もまた雌雄も性器も生殖欲求も存在せぬ身。お喋りのアホあたりが、ペラペラと得意げに喋ったことがあるのではないか?》

《お、おう……?》


 確かに前にエゼレクスからそんな話を聞いたような気はするが、なぜ今わざわざその話題を、よりによってこの竜が話し始めたのか全くわからない。

 困惑する竜騎士に向かって、黒い竜は大きく翼を広げた。


《人のことを知りたければ、まずは人と関連付けるが自然であろうよ。そうさな、伝承でも漁ってみるとよいのではないか? 運が良ければきちんと伝わっていよう。経験ではなく歴史に学ぶのが賢者というもの》

《あっ、ちょっ――》


 相手が飛び立って行ってしまおうとしているのだとようやく気がついた竜騎士だが、元々距離がある上に、完全武装しても鎧では空を飛ぶことはできない。

 地を蹴り、身体の大きさの割りに軽やかに空に舞い上がった竜は、一度だけゆっくりと騎士の上を旋回し、謳うような響きで喉を震わせる。


《そうそう、我の外見についてだがな。秩序の頂点とはすなわち、女神の意思に近しい存在であり、同調が強く、そして一部の願望を具現化する。のではない。のだよ》

《――はあ!?》

《ではな、若造。用があればまた会おう》


 それだけ言い終えると、言うべき事は全て言ったとばかりに、アグアリクスは飛んで行ってしまった。


 後には呆然としている竜騎士のみが残される。


「なんなんだ、あいつ……質問に答えはしたけど、それ以上の謎を置いていきやがった気がするぞ……!?」


 親切なのか不親切なのか。

 やっぱりアグアリクスもまた、エゼレクスと同じ種族、類似する要素を持つ生物なのだということを噛みしめさせられた思いだ。


 一応もう少し待ってみて、誰もいないことを確認した竜騎士は一人、とぼとぼと帰路の道に足を進めた。

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