竜騎士 猛反省する

 令嬢が出て行った後、しばしの沈黙が落ちる。

 普段は賑やかすぎるほどのメイドが、今はこの場の雰囲気を察して黙り込んでいるようだった。


 見つめ合う……いや、向かい合ってはいても、互いの手元の辺りに視線を落としている二人をそわそわ見比べているが、ぐっと堪えるように両手を口元に当て、プルプル震えている。


「トゥラ……その。部屋に戻らないと」


 ファフニルカ侯爵家の令息は周囲の期待に応える男だ。

 無言の誘導に促されるように、ぽつりと言う。


 しかし最大限の拒絶よりは大分薄れたものの、未だ酔いが抜けきっていない娘の機嫌は斜めのままのようだった。


 サフィーリアがいなくなるとデュランの袖から手を離して数歩下がり、そこできゅっと唇を噛みしめている。


 睨み付ける視線にそこまで迫力はないのだが、充血させた目を潤ませている様は何というか、痛々しい。


 アルコールのせいもあろうが、たぶん本当に悲しがっているのも多分に含まれているのではないか。


 すん、と鼻をすする音がすると、デュランはピクリとわずかに反応した。

 一瞬だけ彼女の方に伸びかける、その手が止まり、迷うように彷徨ってから落ちる。


(彼女の言葉がわからないことが――こんなにも、もどかしい)


 トゥラは素直だし、内気だが前向きな娘だ。

 目を合わせて問いかければ、彼女なりに一生懸命自分の事を伝えようと努力してくれている。


 それなのに、先に目を離したのは自分だ。

 こちらが見てやらねば、言いたいことは伝わらない。

 わかっていたはずなのに、自分の事を優先して無視をした。


 その結果が今、この瞬間なのだとまずは受け止めようとしている。


(ああ、クソ……忙しいを言い訳にして、いつもと同じじゃないか。そういうのはやめようって、思ったはずだろ……)


 深呼吸してから、再び腰を曲げ、視線を合わせた。


「……ごめん。俺の今までの態度は……ないよな。本当……嫌いになって当然だと思う」


 カラカラと乾いている喉のせいで少し言葉がかすれる。


 黒い瞳がパチパチと瞬き、じっと赤毛の男を映していた。ふと、それで気がく。彼が彼女と同じ視線で話そうとすると、彼女は必ずじっと見つめ返してくるということに。


(なあに? デュラン)


 そう言っているように、こちらが話したいサインを出せば受け止めてくれるのだ。

 逆だったのかもしれない。合わせていたつもりが、いつも合わされていたのではなかったか。自らの驕り高ぶりに恥じ入るばかりである。


 今日の舞踏会だって、考えてみればこちら側の都合でしかないのに、大人しく従って……たぶん、我慢を続けてくれていたはず。


 責めるような眼差しに晒されるとついいくつかの言い訳が頭によぎるが、ぐっと飲み込んで堪えた。

 つい先ほど、年上の怖いご令嬢に色々グサグサこれでもかと釘を刺されまくったばかりだ。


(というか、今この状況で、つれなくてしてたのは君が魅力的すぎたから系の事を言うの――客観的にダサすぎる。ナイ)


 そんなことしたら自分で自分の駄目っぷりに立ち直れなくなるから絶対無理――と、思いつつ、でも黙り込むのもダメだろう、と必死に言葉を探す。


 彼が黙れば彼女は何も言えない。考える、考える。次の言葉を。


「ただ……君を守るって言った。その気持ちは……今でも変わらないんだ。信じてほしい……って言うのは。ちょっと、あまりに都合が良すぎるかもしれないけど」


 随分と悩んでひねり出した割に、出てきたのはあまりに凡庸かつ月並みで、しかも言うまいと思っていた台詞に抵触しているような気すらした。


 トゥラはじっと聞いていた。いつものように、じっと、ずっと。


「――会場で。姿が見えなくなって、本当に心配した。考えて、探して、できる限り急いで来たつもりだけど……結局お酒は飲んじゃってるし、サフィーリアとも会っちゃったし……何してるんだろうな、俺。なんか……ごめんな。本当に……」


 うなだれると、指先に何かが触れた。はっと目を向ければ、小さな両の手が彼の片手を包み込んでいる。


 娘は目が合うと、「ピー!」とまるで竜のような音を出しながら、デュランに向かって飛びかかってこようとして……抱きついたところで、動きが止まった。


(…………?)


 このジェスチャーには見覚えがある。

 彼女がありがとうの感激を伝えるときの動きだ。


 今の流れだと、「できる限り急いで来た」の辺りをかなり好意的に解釈してくれたのかもしれない。


 それでも減点ポイントを加味すると到底こんなことをしてもらえる立場ではないのでは……と恐縮する気持ちと同時に、なぜ途中で止まったのだろうというシンプルな疑問が湧いてくる。


 なんだか困ったように顔だけのけぞらせている彼女を見ていて、ピンときた。


「……お化粧?」


 トゥラはかじりついたまま上向きになる。心臓が変な跳ね方をしたが、確信した。


 彼女の痣を隠すための化粧はかなり特殊だ。通常のものよりも遙かに濃い。たとえば、服なんかにうっかり触れてしまったら、べったり後が残るほど。


 ああ、本当は胸の辺りに突撃して頭をうりうりしたかったのに、直前でそれをやったらデュランのパーティー用の服が肌色に染まってしまう事を思い出し、踏みとどまった、というところだろう。


 竜騎士は握られていない方の手を彼女の頭にポン、と置いた。


「トゥラ」


 そしてそのまま、胸元に抱き寄せる。

 あちらはすぐ気がついて逃げようとしたようだが、それよりぎゅっと捕まえてしまう方が早い。


 ジタバタとしていた抵抗はすぐ止んだ。一度べっとりやってしまったらもう取り返しがつかない、と諦めがついたのかもしれない。


 今日のデュランの服は黒だから、こういう汚れはよく目立つ。けれど気にせずそのままでいると、やがて相手は甘えるように頭をこすりつけてきた。


(……シュナそっくり。酔っ払っているせいかな、なんだか今日は特に……)


 ふっと笑みが零れるのと同時、ほんのわずか、紙にインクが落ちるような疑念がぽつんと染みる。


(似ている。怒り方も、甘え方も。それから逆鱗の震えるタイミングも、偶然で片付けるにはあまりにできすぎている)


 デュランがいち早く控え室に駆け込んでこられたのは、広間を焦って見回した彼の胸にいつも下がる相棒の欠片が震えたためだ。


 似たような事があった竜騎士は、半ば確信を持って導く方向に進んできた。

 そして笛の呼ぶ終着点に、目的の人物を得た。


(シュナはトゥラを知っている。トゥラはシュナを知っている。二人は確かに何か強い結びつきがある――)


 ふと、ピンク色のリボンが脳裏によぎった。しゅるしゅると伸びるそれは、点と点をつなぎ、一つの線を結ぼうとする。


 その、あと一歩手前、刹那の瞬間。デュランの注意は別のものに削がれた。


(……すー。ぴー?)


 なんだこれ? と思い、情報の源に引き寄せられるように真下を見下ろす。


 なるほど、映像を見たら今のが音だったのだと気がついた。

 寝息だ。気持ち良さそうに船を漕いでいる、アレだ。


「……トゥラさん?」


 優しさ半分、わななき半分。

 小さく呼びかけてみると、ハッ! と娘の黒い頭が動いた。


 少し化粧の剥がれた顔を、ぐしぐしと手でこするものだからもうすっかり痣が見えてきている。


 ふん! と胸を張っているのはたぶん、「寝てないわよ!」という主張なのではないかと推測される。


 一気に優しい(というより生暖かい)顔になった竜騎士は、ふっ……となんとも言えない息を漏らしてから、彼女をひょいと抱え上げた。


「とりあえず、戻ろっか。ね。話はそれからだ。というよりあれだ。話すより寝よう、うん。君にはきっとそれが必要なんだよ」


 ぴゃっと驚きの声を上げてからジタバタし始めた娘だが、日頃鍛錬を重ね時には魔物と力比べをしている男には全く意味がなかった。


 加えて、


(ぜんぜんへいき! 自分で歩けるもの! わたくし子供じゃないもの、まだ起きていられるのよ!?)


 というようなことをわめき散らしているようなのだが、状況証拠的にこれもまた説得力に欠ける所の騒ぎではない。


 あ、しまった両手塞がったら扉が開けられない、と思い出したデュランの視線の先に、なんとも言いがたい表情のまま立ち尽くしているメイドの姿が映った。


「…………」


 目が合うと笑みで何かを取り繕おうとしたらしいが、失敗したようだ。ぎこちない半笑いで止まっている。


「……開けてくれる?」


 一瞬、「このことは内密に」とか「今見たことは全部忘れろ」とか言おうかとも考えたようだが、相手が相手だからそんな枕詞は無駄だと最終的に結論づける他なかったのだろう。


 おそらくそれなりにテンパっているだろう相手の状態も考慮し、余計な美辞麗句はなし、簡潔に顎で扉をしゃくって今一番必要としていることを口にする。


 いつになくぎこちない様子で「ひゃ、ひゃい!」と舌を噛みつつ、メイドは彼女にしてはかなり殊勝な態度で帰り道を用意した。

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