秘密持ち 罠に捕まる

(……何かしら?)


 何度か瞬きすると、見えていた物は暗闇の中に紛れてしまったらしく、シュナの視界には再び夜の森が広がっている。


 きょとんとしていた彼女だが、少し迷った末、とりあえず何か見えた気がする場所まで行ってみることにした。


 シュナが今いる迷宮の入り口の周りに広がる森には、確か危険な動物の類いは存在しなかったはず。何か、というよりは誰かがいるとしたら、冒険前、あるいは後の冒険者、という可能性が一番高い。


 シュナが今のところ遭遇したことのある冒険者は、親切な人間もいれば危ない人間もいた。トゥラの時のデュランやリーデレットから得られる情報から察するに、総合的には、どちらかというと荒っぽいような人が集まりやすい職業と考えられているのだろう。つまり、あまり近づくのが好ましいとは言えない手合いだ。


 にも関わらずシュナが確かめる方を選んだのは、まだ迷宮から出てきたばかりで色々と心に余裕があったことや、迷宮の近くだからという安心感が働いていたこと、加えて人の気配が全くしなかったから、という辺りが理由である。


 話し声などが聞こえていれば、今すぐぎゅっと身体を小さくして行ってしまうのを待つだろう。無謀な世間知らずだが、人並みに警戒心は備えている……はずだ。けれど物一つ聞こえてこない、それが用心の気持ちを弱め、逆に大胆な好奇心をそそった。


 月明かりの中、注意深く森を踏み分けていくと、まもなく注意を誘った存在の場所にたどり着く。

 ひらひらと森の中、枝に引っかかって頼りなく揺れるそれに、シュナは目を丸くした。


(……リボン?)


 暗闇の中でも見つけることができたのは、色が白かったことと、なんとなく見覚えがある気がしたためだろうか。

 前、デュランがトゥラに贈った物に似ている気がする。


(そういえばわたくし……帰ってくる時、服はあの部屋に置いていったけれど、おリボンはどうしたかしら。棚にしまっておいたと思っていたのだけど……)


 ひょっとして身体につけたままか、あるいは手に持ったまま、気がつかずに迷宮に戻ってしまい、何らかの手違いで途中で落っこちて……というのはさすがに想像では泣く妄想の領域に行ってしまうイメージの飛躍だと頭を振った。


 しかし、おそらくは自分の物ではないにしろ、森の中に小綺麗な白いリボンが残されたままというのも気になる。


(誰か、忘れて行ってしまったか、風に飛ばされてしまったのかしら)


 枝は少し背伸びすれば届くだろうか。近づいていって、手を伸ばす。


(もう少し……やったわ! 取れた――)


 シュナの上げた喜びの声はすぐに悲鳴に変わった。


 大きくガサガサと何かが動いた音がしたかと思うと、突如足下をすくわれた。バランスを崩して倒れる身体を、何かつかむ物がある。


(なに――一体、何が起きたの!?)


 慌てて立ち上がろうとするが、足所か手も動かせないし、身体の向きも変えられない。動こうとすると、ガサガサ音と共に何か揺れる感じはある――地面から浮いているのだ、と気がついた。一通りもがいて暴れて、ようやく状況を理解する。


(……網? 網の中に、いるの?)


 どうやら仕掛けられていた網に、下から身体をすくい上げられて吊されているらしい。現状がわかるとますます混乱は募る。


(ど、どうして……リボンを取ろうとしただけなのに。いいえ……もしかして……罠……?)


 冷静になろうと努めてみれば、最終的にはその結論にたどり着くしかない。

 だが全くわからないのは、なぜそんなことをする必要があるのか、ということだ。何しろ、誰かがわざわざ森の中にリボンを残し、それを取ろうとする誰かを捕まえる装置をこれまたわざわざ設置していった……そんな、悪意によってしか成立しえないことを説明しようとするには、シュナはあまりに本人が優しい人間だし経験も今までなかったからである。


 加えてここからどうやって脱出しようか、その点が目下一番の難題となった。


(だめ……暴れても、びくともしない……人の姿でここから出るのは、きっと無理だわ。竜になる……?)


 すぐにちょっと荒っぽい解決案が思いつかれたが、躊躇した理由は二つ。

 一つ目は、変身したら父の服とデュランからもらったリボンのどちらも諦めなければいけない、という点だ。

 竜から人ならば問題ないのだが、人から竜の姿に変身すると、その体積の差のせいでだろうか、着ている物は破れてしまう。だが今満足に動けない状態では、ローブを脱ぐこともリボンを足から取ることも難しい。

 服はいくつかある中で「これがいい!」とわざわざ選んで持ってきたお気に入りかつ亡き人の遺品だし、リボンに至ってはなくすのが嫌だからこそ、多少の面倒をかけてでも身につけているのである。それを二つとも手放さなければならないという選択肢は、かなりシュナには勇気のいるものだった。


 加えて、果たして無事に変身ができるのかという懸念である。人から竜に変身すると身体の大きさが変わるのは今行った通り。それでうまいこと網が取れるなり破れるなりして抜け出せればいいのだが、たとえば空間は狭いまま、中にいるものだけ大きくなろうとしたら……ぶるっとシュナは自分の恐ろしい想像に身を震わせた。

 つまり変身するなら覚悟を決めなければいけないが、たとえしてみたところでこの状況を打破できると決まったわけではなく……最悪の場合、大事な服とリボンをなくした上、とても苦しい思いをして怪我まで負う、ということになってしまうのではないか。その想像をしてしまうと、とても今すぐ竜に戻る気にはなれそうになかった。


(網ごと迷宮に戻れば……でもやっぱり、お父様の服もおリボンも諦めたくない……第一、まだ出てきたばかりなのに、こんな有様で戻るなんて。エゼレクスになんて言われるか……)


 どうしよう、と困り切っていた彼女の耳が、異音を拾った。


(……誰か来る!)


 事態がさらに切迫した。目撃者のいる場所で竜に変わるのは、きっと最悪の選択だろう。それこそ命がかかっているような状況でもなければやるべきことではない。ましてトゥラもシュナもそれなりに目立つ特徴を持つ姿だ、二人が同一人物である決定的な瞬間を見られてしまうなんて絶対によくない、できる限り避けねばならないだろう。


 けれど今が既に、大分危うい状況なのではないかという危惧もある。傷の浅い間に最低限の事は死守せねばならないのではないか。ああだけど、確かに今身動きが取れないけれど、間違えて罠に引っかかってしまっただけで、今すぐ命の危険に晒されているわけではないのだし……。


(でも、でも……!)


 お目付係の懸念していた事が早速現実になってしまったようだった。どれを選んでも何か失わなければいけないという選択の中で、シュナは完全に途方に暮れてしまった。


 それに生来のお人好しだ。何かの手違いでこうなってしまったのだろうから、助けてもらえないだろうか。そんな考えが頭をよぎると、どうしてもそれを選びたくなる、人の善意を信じて頼りたくなる。


(そうよ……そもそも、間違えたのかもしれない。それで今、大急ぎで直しに来たのよ。だって、そうじゃないと、おかしいわ……変よ、こんな……)


 混乱してぐずぐず迷っている間に、タイムリミットの方が先に来た。

 照明をかざされて、シュナは急に訪れたまぶしさにぎゅっと目を閉じる。


「――おっどろいた。本当に……本当にかかるとはねえ!」


 ひゅうっと口笛を吹いた声は、見知らぬものだったが、女性のものだった。

 それがまた一つ、シュナの重要な決断を曇らせることになった。

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