秘密持ち 再び外に出る

 エゼレクスとの長い押し問答の末、最終的には安定のアグアリクスによる仲介という過程を経てから、シュナは念願の外出許可を勝ち取った。混沌の頂点と異なり、秩序の竜はシュナの外出に好意的だ。ただし彼もまたお小言はしっかり忘れなかった。

 アグアリクス相手ならば神妙に頷いていたシュナだったのだが、


《すぐに戻ってくるんだよ!》

《危ないと思ったら容赦しちゃだめだよ!》

《デュランを許すな!》


 なんて見送りの竜達が次々もみくちゃにしながら、アドバイスなんだか言いたいだけなんだかよくわからない言葉を散々ピイピイ喚くものだから、無事ファリオンの衣装も手に入れて後はさあまた出かけるだけ! という段階になった時、外への期待よりもずっと現実の疲労感でぐったりしていた。

 最終的には、


《ほらやっぱりよくないんだって》


 と隙あらば引き留めようとするお目付役を半ば振り払うように、またちょっと勢いで飛び出してきてしまった。

 前回よりは大分穏やかな出立とは言え、基本的には出て行ってほしくない声が多数派の中を抜け出してくるのはなかなかに骨が折れる。


 足早に外の建物まで駆け抜けて森の中に駆け込み、キョロキョロ周囲を見回して人の気配がないとひとまずほっとした。

 今度も時刻は夜だ――昼間より冒険者の出入りが少ないからだ、帰路につく時ならともかく入る時は皆よっぽどのことがなければ明るい間に来る――ざわめく木々の作り出す雰囲気とは、どうしてこうも不気味なのだろう。未だ竜の姿のままのシュナは、父のローブを頭に被ったままきゅっと身体を縮こまらせた。ガサリ、と上の方から音が鳴って、恐る恐る見上げる。


 途端、遙か頭上に広がる無数の光の群れが視界に入ってきた。


(……星空)


 迷宮を取り囲む森は鬱蒼としているが、空が見えない程ではない。遙か遠くの瞬きを見上げて、シュナはぽかんとしばらく口を開いていた。


(そうか……デュランと会った後のトゥラは、夜暗い所になんか行かなかった。室内はいつもどこか明るかったし、町も……)


 指さす手を幻視して、一瞬驚き、目をこする。再び星に視線を戻すと、幻はなかった。代わりにうっかり視界がにじみ、彼女はまたすぐに顔を下げなければいけないことになった。


(星……二人は見られなかったけれど、わたくしは見られた。……見られるんだ。お母様……)


 ――シュナがもう一度外に出ると言い出して、渋るエゼレクスがアグアリクスを呼びに行ったとき、ほんの少し期待したのだ。

 やってきたのは黒い竜だけだった。父の服を取りに行ったときも、驚くほど何もなかった。

 外出について、竜以外の妨害がないことに酷くがっかりした後、シュナはようやく自分が何に期待していたのか知った。


(……馬鹿ね。ずっと言われていたことでしょう。お母様は具合が悪いのよ。もしかしたら、心配して少しでも見に来てくださるかもなんて、お会いできるかもなんて……悪い考えだわ)


 邪魔をされるのは嫌だと思っていたはずなのに、何も言われないと悲しくなる。浅ましいことだ。


(しっかりしなくちゃ。何度も言われたこと。地上では、わたくしは一人。こんな、お母様と話せたからって……急に子供気分に戻りたいように感じるのは、いけないことだわ)


 ごしごし、と腕で目をこすったところではっとした。外気が酷く肌に冷たい。顔の前に出した両手には鱗も鋭い爪もなく、ペタペタ顔を触っている間に揺れる髪は相変わらずの黒色。どうやらまた、トゥラの姿に戻ったようだ。


(……二度目は慣れる、前よりは驚かないはずとは思っていたけど、こうもあっさりしているなんて)


 なんだかこれはこれで感動がない気もするが……問題なく人の姿に変われたのだからぐちぐち言っていないで行動しよう、と頬を叩いて気を取り直す。


(エゼレクスにも言われたけれど、竜のわたくしが色々とできるようになったからって、人間のわたくしは相変わらず無力なまま。うっかり水中や火の中にに飛び込んだりとかしないように、気をつけないと……!)


 父のローブをすっぽり頭から被りながら、シュナは考える。……小さすぎて着られないよりはいいのだが、やはりちょっと大きい。一応腰で結ぶ紐はあるのだが、襟は広いし袖は長く、裾も歩くとき引きずって、うっかりふんずけてしまいそうなのがちょっと怖い。


(お父様ってこんなに大きかったかしら? それともわたくしが小さいのかしら?)


 ……両方あり得る気がする。竜の時も人の時もシュナは小さい小さいと言われ続けているし、確かに自分に比べると周りの方が大体大きい。

 すっぽりと包まれていると、父が守ってくれているような安心感もあるが……やっぱり下着がない上にだぼだぼだから、全体的にスースーする。


 ローブを被り終えると、シュナがもらったピンクのリボンをエゼレクスのアドバイス通りに太ももに巻くことに挑戦する。ローブのポケットに入れるか迷ったが、やっぱりこう、どうしても身につけておきたい気持ちの方が先行したらしい。……それにしても、他の人間達はどうしてあんなに綺麗にリボンを結ぶことができるのだろうか。シュナがやったらぐちゃぐちゃになった上、どうも取れなくなってしまったようだ。せっかく綺麗なおリボンなのに、と夜の森に悲しみの声が響く。


(……最悪、足の先からすっぽり抜けばいいのだわ、きっと。不格好だけど、一応結べはしたのだもの。いいことにしましょう)


 竜に戻ったらまたデュランに結んでもらえばいいのだ、と自分を納得させる。


 腕まくりしたり裾を手で持ったりと四苦八苦してなんとなく動き方を習得したシュナは、けれどしかし足が進まず立ち尽くしてしまった。


(……でも、どうしよう。ここからどうやってデュランの前に出て行くのが、一番不自然じゃないかしら)


 いやもう、消え方が消え方だったから、出現した時点で怪しさが天元突破している自覚はある。そこはもう仕方ないとしても、これ以上印象を下げないためにはどうするのがいいのか。エゼレクスとも少しは議論してみたが、結論は全く出そうになかった。


(部屋に何食わぬ顔で現れる? 途中で見つかりそう……正面玄関から入っていく? 勇気がいるわ……! でも、裏口から下手にこそこそして、そういう所を見られるのが一番きっとよろしくないわよね)


 だったらやっぱり正直者は正攻法特価、表玄関から「ごめんなさい帰ってきました」と行くのが、最悪の選択肢の中では比較的マシな決断と言えるのではなかろうか。エゼレクスも、《下手にできもしない小細工を施そうとして、いらない疑いをかけられるよりは、大人しく正面から頭下げて出て行った方が、普通に許してもらえるのでは》と言っていた。


(……今更だけど、ちょっぴり足が震えてきたわ……)


 出てくるときは勇ましかったのに、いざ現実に直面すると、自分の無謀っぷりが実感を伴うようになってきた、というところだろうか。寒さと怖じ気でぶるりと震えたシュナは、自分で自分を抱くように両手にぎゅっと力を込める。


(今日はやめておこうかしら……いえ、そんな、情けないわよ! 大体今戻ったらエゼレクスになんて言われるか……デュランに会いに行くって決めたのでしょう、人間の姿で!)


 トゥラがいなくなったことで、責任を問われた人たちもいるはずだ。コレットとか、護衛についてくれた騎士とか。まずはその人達を安心させるだけでも……と考えたところで、でも結局また消えるのならさらに迷惑を増やすだけなのでは……なんて発想がふと浮かび、歩き出そうとしては引っ込めて、を繰り返していたシュナはついに頭を抱えて座り込んだ。


(わ、わたくしとしたことが、なんて弱気なの……! しっかりなさい、人間の姿でしかできないことだってたくさんあるのよ!)


 と涙目で自分を責めるが、一度目に迷宮を飛び出してきたときはほとんど後がない状態だったと言って良く、優しい上に望ましい退路がある現状で踏み出そうとする一歩は、また格別の難易度を誇っていた。


 ううう、とうなり声を上げ、


(こうなったら絵本で読んだことのある花占いよ! その辺りのお花の力を借りて、戻る、戻らない、戻る、戻らないって、花びらの数で……)


 なんてことすら考え始めた娘は、ふときょとんと目を見張った。


 夜の森の中に、ちらりと何かが光ったのが見えた――そんな気がしたのである。

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