秘密持ち 神殿に行く 前編
なんとも居心地の悪いピリッとした空気のまま沈黙が続いたが、先に口を開いたのは場に割って入ってきた神官の方だった。二人を見比べ、なんとなく場の全体にさっと目を通してから、もう一度オルテハの方に顔を向けひたりと見据える。
「
相変わらず独特のしゃべり方をする人だった。ネドヴィクスとは別方向に何を言っているのか理解するのが難しい。唐突に話が始まってシュナはきょとんとしたが、亜人の方はますます顔を渋くしていた。
「姦通は罪です。我が信徒ならばとても看過できる行いではありませぬが、ここは我らが国ではなく、またあなたも我らの神の
「そりゃあんた流の挑発かい? けったいな言葉並べ立てやがって」
歯を向き出して唸る女に、ゆるゆると神官は頭を振る。真顔のまま、淡々と抑揚の少ない言葉で喋ると、人間味が薄く感じられて少々不気味だ。
「いえ。誤解があったら不幸ですので、確認させていただいているのです。一応言葉を交えることが可能な程度には、余裕のある状況のようですし。暴力は不徳の一つですから」
「どうせあたいが何言っても信じないんだろう」
「争い事の場において、まずは双方の言い分を聞き、確実な事実をもって判断するのが公平というものでしょう」
ここでカルディの顔が自分に向けられて、シュナはぴゃっと肩をすくめた。全く展開について行けず、震えて小さくなっている娘を瞬き数回分見守ってから、ふむ、とカルディは杖を持っていない方の手を顎に当てる。
「そうですね……どうやら弟子達等の言い分を聞いておりますに、臣の通常の言葉は慣れぬ人には解釈が難しいのだとか。ならば答えやすいよう、簡潔に問うてみましょうか。そこな無垢なる親しき人よ。臣に助けてほしいですか。それとも余計なことはせずに、今すぐ立ち去ってほしいですか」
まっすぐシュナのことを見つめて言っているのだから、間違いなく自分に向かって話しかけているのだろう。強い目に射すくめられると体がすくんでしまいそうになるが、シュナは必死に頭を働かせる。
(ここで置いていかれたら、きっとさっきの嫌なことの続きが始まる……それはだめよ。でも、デュランはこの人のことを警戒していたようだし、わたくしも一緒にいて穏やかな気持ちになれるわけではない。だけど――)
最終的に、明らかに危険な相手と、危険かもしれないが一応基本的には悪気なく安全そうな相手との相対比較になって、シュナはカルディにじっと潤んだ目を向けた。「置いていかないで、それは困るの!」という気持ちをふんだんに込めて。それで相手には通じたらしい。神官が頷くと、しゃらりと手にしている杖が音を立てた。
「承りました。その希望、果たしましょう。さてヴァイザー、臣のすることは決まりましたが、貴方はどうします」
「あたいらの業界じゃ、力尽くが正義って言葉もあるんだぜ?」
「一級冒険者の驕り……いえ、貴方としては誇りなのでしょうか。ただ、一応これは純粋な親切心で申し上げておきますが……臣の方が貴方より強いですよ」
淡々と。あくまで事務的に、ユディス=レフォリア=カルディは喋る人だ。けれど何気ない一言なのに、すさまじい圧が放たれたような気がして、シュナは自分で自分をぎゅっと抱きしめる。りん、とカルディの手にしている杖が、動いていないのに鳴った。まるで心臓の鼓動のように、規則的に音が鳴る。最初はゆっくりとしていたリズムが、徐々に、徐々に、何かの始まりを告げるように、間隔が短くなっていき――。
ケッ! とオルテハが盛大に舌打ちした。と同時に、カルディの杖も止まったようだ。構えるように前掲していた体を起こすと、亜人の女はイライラ首と手を振った。
「あーあー、白けた、萎えた! やめだ、やめ! なんだよクソつまんねえ、これから盛り上がるって所だったのによ」
「懸命な判断です。神はあなたの行いを祝福するでしょう」
「……ほんっと胸くそ悪い。あたいは本来全ての女を愛する求道師だが、例外ってものもあるのさ。あんたがそれだよ、カルディ」
「賞賛と解釈しておきましょうか。お行きなさい。去るなら深追いはしません」
シュナにはわからなったが、今の一瞬でもしかしたら何かの仕掛け合いがあって、カルディが勝利した――と、いうことなのだろうか。
神官は宣言通り、自分の肩を怒らせて横を通り過ぎようとする冒険者を邪魔することはない。むしろ体を捻って道を譲った。
そのまま姿を消すかに見えたオルテハだったが、一度だけ足を止め、シュナの方に顔を向けた。
「今日の所は引くよ。でも顔はしっかり覚えたからね。借りは必ず返してもらう……楽しみに待ってな、かわいいお嬢ちゃん」
「その機会はありませんよ、ヴァイザー。臣が作らせない」
再び背筋を駆け抜けた悪寒に顔色をなくしたシュナだが、凜とした声が上がるとオルテハはそちらに憎しみの目を向けた。
「競争かい? いいとも、慣れてるんだ。大体、あんたのものってわけでもないんだからね!」
吐き捨てるように言い捨てて、ようやく破廉恥のな見た目の冒険者は消えていった。ひとまず目前最大の脅威が去ってほっと息を吐き出したシュナは、がさがさと物音がするとまたびくっと体を緊張させる。
「カルディ、カルディ――どちらにいらっしゃいますか、お返事を!」
「ここです、ヴィシ。臣はここにいます。明かりが見えませんか」
オルテハの消えていった方と少し異なる方から、誰か別の人がやってきたようだった。カルディは知り合いらしく、声を張り上げて自分の位置を教える。やってくる前に、自分はシュナの方に近づいて、地面に片膝をついた。
「足を捻りましたか? 立てない?」
近くに来られるとシュナは思わず身を引いてしまったが、大人しく頷いた。袖をまくり上げて手をかざそうとした神官は、シュナの不安いっぱい、という顔色を見て動きを止める。
「……臣と貴方とは以前にお会いしたことがあるのですが。忘れてしまいましたか?」
覚えているのでシュナは首を横に振る。するとなんと、カルディはぎこちない笑いを浮かべたようだった。……たぶんこれは、彼女なりの苦笑の表情なのだろう。
「なるほど。知っているからと言って気を許していいわけではない。聡明な方です。それに前回失態を見せてしまったのはこちらでした。その反応は当然のことでしたね。けれどそもそも、この刻限、このような場所を一人で彷徨っている点については、とても賢いとは言えません。何か事情がおありなのかもしれませんが、ああいった手合いに自ら付け入る隙を見せるのは自殺行為ですよ。今後は控えるように」
さすがに高位神官、お説教する様子が堂に入っている。返す言葉もない……としょんぼりしている間に、もう治療が済んだのだろうか。カルディが足首にかざしていた手を引っ込めると、じくじくしていた痛みが消えている。
「動かせますか? ゆっくりで構いません。……結構、何か違和感等はありませんか」
「ああ、カルディ。ようやく追いつけた。こちらでしたか」
ちょうど調子を確認している間に、カルディの知り合いが姿を現した。のっそりと大きな男の神官で、カルディの姿を目にするとくしゃっと破顔する。
「急に姿が見えなくなったから焦りました。どうかされましたか」
「ヴィシ、この方に手をお貸しなさい。上着もです。それと早々に見失うのは貴方の鍛錬不足です。レフォリオ=プルシなら息を荒げずついてこられますよ。精進なさい」
「うへえ、あの神童様と同じ質を凡庸な拙に求めないでくださいよ……」
「才能とは努力ですよ。階級は貴方の方が上でしょうに、情けない」
「カルディといいプルシといい、自分の中の普通が他人に比べて高すぎるんですぅ」
「間延びしたしゃべり方をしない」
カルディにぴしりぱしりと言われているが、男神官の動きはゆったりしたものだ。うるさく言われることにも慣れきっているという風情である。シュナのことを見て一瞬おや、というように眉を動かしたが、特に何か言おうとはしない。言われるがまま自分の上着を脱いで頭から被せた後、「さあ」と大きな手を出して促した。
おっかなびっくり立ち上がった後も、シュナはカルディに歩き方をチェックされて緊張が解けない。その間に、さらにガサガサと木々をかき分け、また新たな誰かが追いついてきたではないか。
「良かった……見つかった。どこに行ってしまったのかと」
「どうかなさいましたか、カルディ」
今度は冒険者のようだ。何人か集団で動いていたようで、バラバラとやってくる。風体から察するに、先ほど冒険を終えて出てきたばかり、という辺りなのだろうか。暗い中だから最初はわかりにくかったが、よく見ればレフォリア=カルディの服装もそれなりに汚れた形跡がある。
シュナが歩けるまで回復したことを確認したカルディが、くるりと振り返り、軽く会釈のような動きをする。
「チーフ・セルバ。申し訳ないのですが、今回はこちらでお別れしてもよろしいでしょうか。急用ができました」
「おや、ご多忙なのは重々承知しておりますが……また本当に急ですね」
「もしや先ほどオルテハとすれ違ったのは気のせいではなかった? 機嫌が悪そうだから深追いはしなかったが」
「ふむふむ、なるほど、そういうことかあ。しかしまあ、なんて場所でやるかねえ、奴も……」
チラリとシュナの姿を見て何やら下世話な表情になった冒険者達だが、高位神官が真顔のままなのを見ると、咳払いして自分のニヤニヤ笑いを引っ込める。
「失礼。了解しました、任務の終了手続きはこちらでさせていただきます。報酬も、いつも通りに?」
「ええ」
「何かあれば組合で、というわけですね」
「いやはや、今回も助かりました。やはりカルディがいらっしゃると安心感が違う。実に頼もしい」
「また是非、ご一緒できればと」
「奉仕は望むところですから。……では、迷える子羊たちの明日に、星の導きのあらんことを」
神官が以前、彼女の弟子がしていたのと同じ挨拶を済ませると、冒険者達もどこか慣れた様子でぞろぞろ散っていく。再び静かになったところで、さて、と大男は女神官に顔を向けた。
「それで? どうします、カルディ」
「このままという訳にもいかないでしょう。神殿にお連れします」
まあ、そうなると思っていた、と言うように男はため息を吐く。
一方、未だこの女神官という人物のことがいまいちよくわかっていないシュナは、被せられた上着の下で不安に目を瞬かせていた。
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