若竜 迷宮の試練を受ける

 場慣れの差、という奴なのだろうか。シュナがぽかんと呆けている間に、騎士は素早く鮮やかに動いた。


「下がれ、シュナ!」


 顔を出している状態から、顔まで覆う状態に鎧の形を変形させるのとほぼ同時か直後、走り込んで彼女を庇うように前に出たかと思うと、背中に手を回す。

 ぐっと握りしめた棒のような部分が引き抜かれるのを見て、シュナは彼がどうやら背に何か担いでいたのだと理解した。

 デュランが背中の得物を引き抜き様振り下ろせば、崖下からやってきたらしい魔物が両断されぎゃっと声を上げた。

 次に彼は、横凪ぎに大きく払う。再び悲鳴と、それから何体かが素早く飛び退って距離を取るのが見えた。


 彼が片手で握りしめている物を見てシュナははっとする。見覚えのあるきらめきを放つのは、身の丈ほどもあろうかという大きな剣だ。デュランはそれを片手で振り回している。


 次に二人の前に現れた魔物を見て、ようやくシュナは悲鳴を上げることを思い出す。

 ぎちぎちと耳障りな音を立てて動き、根に葉に色鮮やかな花を持つそれを最も近いものに例えようとするなら植物だ。

 ただ、常識的な植物にあってはいけないものが一つ。口だ。本来花が慎ましやかに咲き誇る部分の中心にぽっかり空いた穴からは、牙とだらだら垂れる涎が見えて、おまけに耳を駄目にしそうな悲鳴なのか叫び声なのかわからない音を上げている。

 そしてもう一つ。常識的な植物は自走しない。彼らは根の部分を足のように動かし、うぞうぞと地の上を移動していた。しかも時々人の頭より高く跳ねた。

 大きさは葉を広げた部分まで含めて一抱えできようかというところ。


「マンドレイクの群れだ――ああもう、めんどくさいな!」


 デュランは悪態を吐きつつ、剣を縦横無尽に振り回しながら、次々と現れる植物の魔物達を切り捨てている。彼の大きな剣では大量に発生する小型の敵は倒しにくいのだろう。かといって素手で応戦しがたい理由もすぐにわかった。一度魔物植物の一体がデュランの腕に取りつくと、瞬く間に根が腕に蔦のように広がって絡みつき、がぱっと花の部分が口を開く。噛まれる前に素早くデュランは切り捨てていたが、複数体に襲われていくつもの根に絡め取られたら、それだけでひとたまりもないだろうことは容易に理解できる。


《シュナ、飛べるか!? 埒が明かない、上に逃げたい!》


 鋭い笛の音と共に脳内に名を呼ぶ声が聞こえてきて、シュナははっとした。

 凄まじい勢いで応戦している騎士だが、崖から出現する植物達にはきりがなく、むしろ増える一方だ。飛んで逃げるのは確かにこの場で一番いい手に思える。ちょうど少し離れた所にある天井部分に、ぽっかり開いたかなり大きめの穴が見えた。光も漏れ出ていていい感じだ。あそこに逃げ込もうということなのだろう。


《こっちは気にしなくていい、離陸準備を! 合わせる!》


 シュナの長所の一つはその純粋が過ぎるほどの素直さだ。おろおろしていても、言われればすぐにその場で翼を羽ばたかせる。

 と、一際大きく剣をなぎ払って風を起こし、風圧で植物の群れを多少退けたデュランがぱっと身を翻して走ってくる。

 鎧の効果か元から足が速いのか、あっという間にシュナに追いつき、彼女が浮遊するのと同時に背中に収まった。


《そのまま上へ!》


 乗り手の感触とかけ声を受けて、シュナは思いっきり翼に力を込める。

 羽ばたくと身体はあっという間に地から浮き、直後元いた場所に植物の群れ達が駆け寄ってぴょんぴょん跳ねている。


 天井の穴に入り、植物達に飛びかかられない十分な高さまで上昇してほっと一息つこうとしたシュナだったが、背中の騎士が未だ緊張状態にあることを感じると自然とこちらも厳しい顔つきになる。


《何か嫌な感じだ……知っているところに出られるといいんだけど》


 シュナが不安の声を上げると彼はなだめるように首を撫でてくれるが、周囲への警戒を続けている。


 間もなく穴から抜け出て明るく広い場所に出る。大きな木が何本もそびえ立ち、巨大なドームを形作っている。木々の枝葉の間からなのだろうか、上部のあちこちから光が漏れ出ていた。


《大木の間だ。良かった、ここからなら帰れる……と言いたいところなんだが。今日はどうもつくづく、こういう日らしい》


 竜の姿になった自分でも全体を見るのに苦労するような長さの木々がいくつも立ち並んでいる事に圧倒されていたシュナだが、デュランの声を聞いてこの場にあるのが木々だけでないことに気がつく。


 点々と遠くに見える塊は、近づくにつれて正体が明らかになる。形だけなら竜に似ている。翼があり、四つ足があり、いかにも強靱そうな顎がある。しかし決定的に違うのは、彼らがどう見ても石でできている、ということだろう。空飛ぶ石像達の数は三。明らかにこちらに向かってきている。


《ガーゴイルだ。珍しいな、ここに出てくるなんて》

《……どうするの? 逃げる?》

《友達を呼んでみようか》


 デュランはそう言ってから、笛に息を吹き込める。シュナと呼び合っていたときのあの高い音が、大木の間を伝っていく。ピイイ、ピイイ、と鳴り響く音に、しかし今度は返すものがいない。何度も繰り返してみるが、ガーゴイル三体が近づいて来るのみで他に動くものはない。


「……変だ。目視できる範囲に仲間がいるのに、なぜ応えない?」


 デュランの固い声を受けてシュナがキョロキョロ見回してみると、確かにそう遠くない大木の枝の一つに、ちょこんと緑色の竜が居座ってこちらをじっと見ている。笛の音が聞こえていないということはないだろうし、きらりと光る目は確かに二つともこちらに向いている。

 それなのに、そこから動く様子もデュランの笛に答える様子もない。


 シュナは飛びながら辺りの様子を軽くうかがおうとして、さらにぎょっとした。


 一匹どころではない。大木のあちらこちら、枝に、幹に、そして時には空を優雅にとびながら、あらゆる場所から何匹もの竜がこちらを見据えている。


 ぞっと、身体の内側に寒気が走った。


 嫌な想像を始めそうになった思考を打ち切ったのは、背に乗る男の苦笑だ。


《仕方ないな》


 騎士は呟きながら優しくシュナの首を叩き、それから彼女の背の上で構え直した。すると彼女も何か気合いが入ったようで、空中でばさりと大きく羽ばたく。


《大丈夫、シュナ。俺が全力で支える。俺の竜だ、君なら絶対できる……初陣だ》


 シュナの喉が、また微かで確かな熱を灯した。

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