竜騎士 モヤモヤする
気がつくと自室のドアノブを握っていた。どうにか部屋まで戻ってきたらしい。
そっと開けて中に入り、机の上の照明を一つだけぽつっとつけてそのまま椅子に座り込む。
(……順に、思い出してみよう。俺がトゥラについて、知っていること)
最初は森で見つけた。
笛の呼ぶ方に進んでいったら、彼女がいた。
嵐の中、裸で倒れていた。
(あの後、すぐにワズーリに絡まれた。偶然か?)
おそらくは違う。
けれど例えばザシャが元から彼女を知っていて、逃げ出されたところを慌てて回収しに来たとか、そういう風にも見えない。
たぶん彼らは純粋に初対面だ。ザシャの態度と、何より後で町に出た時のトゥラの態度からして。
あの男はあの男で、いつものように自分の閃きに従ってやってきた、それだけだろう。認めたくはないが、そもそもあの男は特級冒険者様なのだ。
宝器コレクターとも言われている、奴の迷宮の宝への嗅覚は並外れている。
(……それも、根拠の一つ。ワズーリは明らかにトゥラに執着している。ただ、俺への当てつけでやっている可能性も、一応考えられはする……)
あんな町のど真ん中で、しかもリーデレットがすぐ近くにいる時にわざわざ、くっきり歯型を残していったことを思い出すと、今でも腸が煮えくりかえりそうになる。
あの男の考えていることはさっぱりわからない。が、自分も彼女も目をつけられていることだけははっきりと理解できる。
(そのことはともかく……森。そう、迷宮の入り口を覆う森が発見した場所。だけどあそこには、トゥラ以外何もなかった。いや……)
彼女の身元を調査する一環で、何か他にも落ちているものだとか、たとえば足跡などの痕跡など、何か残っては行かないかと後で周りを調べに行った。
けれど嵐のせいもあってか、めぼしい成果は得られなかった。
いや。少々不審な点はあった。
迷宮の入り口が、内側から開きっぱなしになっていたというのだ。
まるで誰かが、慌てて飛び出していったかのように。
確かしばらく念のためということで迷宮の入り口の見張りに立たされていた騎士が、ああそういえば、という感じで報告を挙げてきたのだ。自分が来る前、扉が開いていたみたいですよ、と。
しかしその時の冒険者の迷宮探索申請書や、また本人達からの証言からして、あの夜扉を開けっぱなしにするほど急いで出て行った人間は、少なくともデュランの調べた範囲では引っかからなかった。
大体あんなことをするのは普通、迷宮慣れしていない初心者だろう。しかし該当時間、そんな初心者が冒険していたという記録もない。
……まあ、中には冒険者組合に登録や申請を出さず、“違法”に潜る輩も、いないわけではない。
そこで気になってくるのが天候だ。
あの夜は酷い嵐だった。たとえば迷宮で酷い目に遭ってとんぼ返りしてきたとして、そのまま勢いで飛び出していけるものだろうか?
迷宮と地上とは、トンネルで繋がっている。トンネルの中まで逃げ込めば魔物は追ってこられない。だからせめて雨風のしのげる入り口の建物の中にいればよかったのに、そうしなかったのはなぜだ。よっぽどの理由があって、迷宮から一刻も早く離れる必要があったのではないか。
(あとはそう……嵐のせいにも見えないわけではなかったけど、外の木に何かが暴れ回ったような痕が微かに残っていたことも気になる。しかもそういう観点で思い出して見れば、ちょうど入り口から飛び出してきた方向と一致するはずだ。……トゥラの発見場所は更にその先、それなりに近い)
――例えば、もし。
それがトゥラのたどった道なのだとする。
迷宮から慌てて飛び出してきて、外の嵐の中を逃げ惑って倒れた――。
その可能性はずっと頭の片隅にあった。それこそ最初に彼女を見つけた瞬間から。
けれど断定ができなかったのは、その前に彼女がどこから来たのかがわからなかったからだ。
迷宮の出入りは基本的に管理されている。非合法に立ち入ったにしては全裸という様子が解せない。
(たとえば、伝承の人間と同一人物だとか……? いや、やっぱり飛躍しすぎだ。あれは男で、トゥラは女の子だ。俺本人だってはっきり見ているし、先生の診断も受けさせた)
あらぬ絵が頭に浮かんできそうになって、慌ててデュランは首を振る。
本人はその時気絶中だったから知る由もないが、実は最初に看病をした時にトゥラの身体は一通り全部調べさせてもらっているのだ。
何しろ発見時の状況が状況だ。若い女が全裸――あまりしたくない想像ではあるが、一応念のためということでその辺りも確認する必要があった。
トゥラの名誉のために言っておくと、現場に立ち会ったのは老齢の女医のみ、デュランは後から報告を聞いただけである。
「暴行の形跡ですが、特に見られませんでしたよ。身体のどこもかしこも綺麗なものです。もちろん妊娠の兆候もなし。というかそもそもたぶん未経験でしょうね、彼女」
その後メモをめくりながら根拠として具体的にどこがどう、と言い出しそうになったのはさすがに止めた。聞いてていたたまれなさすぎる。
なおデュランが地味に慌てた一方、同じ報告を受けた侯爵夫妻の方は二人とも眉一つ動かさず、「そうか」「そうですか」と短く答えただけで終わらせた。これが年齢と経験の差なのだろうかと震えた息子は、
「いやお前だって慣れてるだろう、何を今更恥じらいの気配を見せとるんだ」
と呆れ顔で言われ、
「そういう問題じゃなくない!?」
と絶叫した。その後、
「そうです。そういう問題ではありません。これはあくまで事件性と健康の確認。勝手に盛り上がって一体何を考えていたのです、不埒な。恥を知りなさい」
とばっさり夫人にとどめを刺され、ぐうの音も出なくなった侯爵子息はこの話題を早々に忘れることにした。
そして今思い出して一人勝手に撃沈している。
しかし同時にその後の夫妻のやりとりも思い出せたのは良かった。
「あの嵐の中でろくな装備も持たずにいたのに外傷もさほど見られないとは。足も綺麗だったのでしょう? 彼女は一体どこから来たのでしょう」
「まあ、考えられるとしたら転移しかない、かなあ……我が領の転移規定では、他国との転移は、特別なことがない限り相互禁じている――というか、そもそもやりたくても迷宮の不思議な力で不可能だわな。が、領域内部だったら転移は可能。んーでも本来あの森に転移するとなれば儂の許可必要なはずなんだけどなー、儂そんなの聞いてないけどなー」
「……港でしょうか。船の中にいた、とか。ギルディアでは人身売買は合法です。まあ正確に言えば違法でない、なのですが。しかしならば手か足、首の辺りに痕が残っていてもおかしくはない――いえむしろそうではないから逆に不自然なのですが」
「まあもし持ち主飼い主が存在するなら、そのうちちょっかいかけてくるんじゃないの? 商品なんだとしたら手放すとまずい方の部類でしょう、あの子。それはそれで話がわかりやすくなるから悪くはないと思ってるけどね、儂」
「さて。そんなに簡単には行かないような気がしますが――」
(――嫌な想像だけど。トゥラは痣のことを考えなければ綺麗な子だし、知識の偏り方がおかしいのは今日も家族会議で話題に出た通り、となればどこかの悪趣味な誰かの所有物、という可能性はどうしても考えざるを得ない。でもそれにしてはどうも無防備な辺りとか、化粧や服の事でぽかんとしていたのがイメージに合わない、普通そういう奴はお人形を着飾らせる。これも今日話していた通り……)
持ち主、という言葉に今度は注目してみる。
少しずつ表に顔を出させてみて、あらゆる方面から催促が来たのも今日会議で出た通り。逆に反応がありすぎてどこの国や人と関連があるのかわからなくなった部分もある。
(――そういえば。基本的にニコニコして人懐こい彼女だけど、珍しくすごく嫌がっていたことがあったな。あれは確か、父さんと母さんに最初に会わせた時――鎧だ。昔の鎧を見て、怯えていた)
デュランが宥めたら落ち着いて言うことを聞いてくれはしたが、あの時の彼女は思い出してみれば普通ではなかった。何か嫌な思い出でも――例えばああいった格好をした誰かに、酷いことをされたような経験があるのだろうか。
(普通ではないと言えば、学者先生の絵本を見て倒れたのも……あれはどう考えればいい? それこそ、知っている本だった?)
思えばトゥラの反応が一番良かったのは図書室関連だ。そして彼女が何を選ぶのか横で見ていたデュランは知っているが、辞書や図鑑、絵本の他に、古書――昔の本の方を好む傾向がある。
どうも最近の本の方が読みにくそうにしているような気がするのだ。
そういえば件の絵本だが、ちょうど机の上に置きっぱなしなのが目に入った。
回収したはいいものの、何しろその直後彼女がボロボロ涙を流していた現場に立ち会ったもので、それどころではなくすっかり渡しそびれた。
けれどまた見せた瞬間卒倒されるのも困る。反応は見たいが、無理はさせたくない。
(……というかこの本自体カルディに鑑定してもらった方がいいのかな。念のため)
本、伝承、と連想したところでまた最大の謎に引っかかり、竜騎士は机の上で頭を抱えて唸る。
(さて本と言えば一番の謎が……アグアリクス、君の言葉だ! あれはヒントだったのか、適当な事言って悩む俺を楽しんでいるだけじゃないのか? いや何かこう、関連しそうな情報はポコポコ出てきてるよ、でもそれがまとまらない。痣の男のことはなんとなくわかってきたよ、じゃあそれをどうやってトゥラに結びつければいいんだよ! 関連はしてると思うよ、その先が続かないんだよ!)
今日、父が提示した可能性。
彼女が今と違う時代の人間で、迷宮の中にずっといて――けれどようやく女神の元にたどり着いて願いが叶えられ、外に放り出された。
その推測はなぜか奇妙なほどデュランの頭にしっくりと来る。
ああだから雰囲気がそれっぽいんだなとか、ではあの喋れない呪いとは女神の対価なのではないかとか。
――外の世界の人間ならば、我々には未知の存在だな。
(しかも今冷静に思い出したらあの竜、トゥラのことはっきり知らないとは一言も言ってなくないか? いや知ってるならそう言えよ、なんで伝承当たれなんてめんどくさい助言するんだよ。そもそもなんだっけ、ええと……)
――我と似ているのではない。我が似せられているのだよ。
ピタッと彼は唸るのをやめた。ピンと閃いた金色の目には希望の光が宿る。
(つまりやっぱり痣の男は実在していて――少なくとも実在していた過去があり、アグアリクスの容姿はそれを元に作られている……?)
しかし直後すぐにまた机に突っ伏し、苦しげな声を上げ始める。
(それをどうトゥラと関連させるんだ。同一人物はないとしても、血縁者はある気がする。というかそうなんじゃないか? 特にトゥラが迷宮からやってきたのだとすると……伝承の人物の娘? いやいや……そんな話あったか? ないぞ? 大体、だとしたら母親は誰なんだよ。そんな都合良くいるか? 迷宮の中に? それとも外? そもそも本当に可能なのか、この人間メイドイン迷宮説は……)
再び堂々巡りだ。トゥラのことを真面目に考えようとするとこれである。
結びつきそうな気配を見せている点なら既にかなりの数出てきている。問題は線の結び方がわからないことと、そこから導き出される全体像――結論が見えてこないところだろう。
でろーんと机の上に伸びていると、ふと視界の中に首から提げた青色の笛を見つける。
(……シュナ。シュナはトゥラのこと、知らないのかな)
考えてみればトゥラを見つけたのはシュナを見つけたのとほぼ同時期。やっぱりこれも偶然だろうと考える方が乱暴だろう。
竜達のあの感じ、特にアグアリクスの言葉に振り回されている現状を思えば、シュナもたとえデュランからの問いだとしてもまともに答えてくれることもないのかもしれないが。
あまり意識していなかったが、結構長い間会っていない気がする。
ぱちぱちと瞬く黒い瞳。満天の星空のような。
――トゥラのような。
(明日辺り、また潜りに行くかな。そろそろそれなりに時間経った頃だと思うし……)
逆にそれでまた会えないと言うのなら。
それはそれで、新たな可能性の手がかりになる。そんな予感もしていた。
竜騎士はそのまま瞼を下ろし、身体の力を抜く。頭をフル回転させたせいで怠くて仕方ない。身体が栄養補充か休息を求めている。今すぐにでも。
(あ、ヤバい。寝る準備……)
一瞬だけそう考えた気もするが、落ちる方が早かった。
見覚えのある花畑が広がっている。銀色の光が辺りを照らし、ゆっくりとどこかから流れ込む風に花が揺られていた。
見回すと、誰かが横に立っている。たなびく長い黒髪に、痣のある顔。
「君は誰?」
夢の中のデュランはそう言った。彼女は振り返り、風に煽られた髪を押さえるように首元に手を当てる。なんとなく心臓が跳ねた。青年を星空のような光を瞬かせる黒い瞳が見つめる。
彼女は。
微笑んだ。
「あなたはもう、知っているはずよ――デュラン」
聞いたことがない。
けれどどこかで聞いた。
そんな声が唇から漏れた。
青年は何か言おうとしたが、突風が吹いて邪魔をされた。
身体を庇ってから、風が止むのと同時に慌てて彼女に声をかけようとして、ひゅっと息を呑む。
一瞬の間に人が変わっていた。
女であることは変わらない。広がる長い髪は青色。鋭い瞳孔を持つ双眸は銀。下半身は蛇のような胴体、背中でミシミシ音を立てながら竜の翼を広げる。
「願いと対価。答えは出たの?」
女神は青年を――少年を見下しながら尋ねた。
柔らかに微笑む。そのどこかはにかんだような、悪戯っぽいような、少女でもあり、女でもある――そんな笑い方が、今し方そこにいたはずの娘と驚くほど似ている。
「――彼女はどこだ!?」
花と女神しかいない、その場所を見回して言った。再び立っていられないほどの風が吹く。足が取られて、身体が宙に投げ出された。
「知っているはず。わかっているはず。何を恐れることがある? 命を散らせ、定命の者。全て受け入れ、飲み込んであげる。
風に煽られて、竜巻の中に連れて行かれる。もみくちゃにされて、ばらばらになる。引き裂かれる痛みで叫んだ。女の笑い声がする――。
「――あなたは星空を見せてくれるの?」
歌うような声だけが、最後まで耳の奥に残っていた。
そこではっと目が覚めた。
けして寝心地いいとは言えない姿勢で寝たためか、夢でうなされたせいか、早めに起きることになったため、昨晩寝る前にできなかったことは朝の間に済ませた。
どうにもすっきりしない気分のまま、やっぱり今日は迷宮に行こうそうだこの不調はシュナ不足に違いない、なんて考え始めた男は、飛び込んできたメイドの言葉に頭が真っ白になるのを感じた。
「若様、若様――お嬢様がお部屋にいらっしゃいません! 服だけ残して、消えてしまったんです!」
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