竜姫 震撼させる

 沈黙が落ちた。

 首を捻っているのはエゼレクスだけではない。アグアリクスもネドヴィクスも、何か言いたそうな、それでいて言葉がちょっと見つからないような、困った雰囲気を漂わせながら両者を見比べている。


(そんなにおかしなことを聞いたかしら?)


 わからない単語について尋ねただけなのに、と不思議に思っているシュナの前で、不意に緑の竜がちょっと不気味なほど爽やかな笑みを浮かべたかと思うと、かぱりと大きく口を開いた。


《交尾。繁殖行動。生殖行為。セックス。性交。床入り。共寝。同衾。愛の営み――この顔色はこれだけ並べてもどれも検索にヒットしてないってことっぽいぞぉ、おっかしーなー?》

《なるほど。そんなに我に噛まれたいのだな貴様。折角だからご要望にお応えしてフルコースでしばいてやろう。それとなぜそうも無駄に語彙が充実している、どこから仕入れてきた》


 早口でエゼレクスが唱えた言葉が聞き取れず、彼は一体何の呪文を急に始めたのだろうと思っているシュナの視界では、ネドヴィクスがすっと後ろに引いていき、アグアリクスがぶんぶんと尻尾を振り回しながらエゼレクスに迫る。他の竜より一回り大きい彼が圧を放つと、素直に言って怖かった。標準より一回り小さな竜はぴゃっと声を上げ、急いで後ずさる。標的にされているエゼレクスが同じく後退しながら必死さの伝わってくる引きつった声を上げた。


《ヘイ、ウェイト、タンマ、お待ち。違うんだアグちん。別にぼくだってね、卑猥な悪戯がしたいんじゃなくてね。ただ純粋に現実逃避がしたかったというか、この混沌と異端様にもね、キャパシティオーバーの概念は存在するんだよっていうか》

《言い訳か。いいだろう、聞くだけ聞いてやる》


 アグアリクスは足を止めたが、依然その尻尾はヒュンヒュン音を立てて回っており、いつでも先端を遠心力をつけてぶつける構えである。


《優しい。でも現状がちょっとまだ把握できてないね、ミスタトップオブコスモス。ねえ、あの子の顔見て? ほら、一点の曇りもないあのくりくりなお目々を見て? 何言ってるんだろうこの人って書いてあるの。この意味がおわかりでない? わかった上で蔑んでるならいいよ、何だこいつ不適切用語並べやがってってそういうあれならいいよ。でもね、君のその色んな物がよく見える高性能カメラを全開でかっぴらいてご覧になっていただけませんこと? 何もわかってない人の目だよあれは。アンダスタン? この危機的状況がご理解いただけませんこと?》

《う……む……》

《ちなみに参考までに語彙元は冒険者と竜騎士の主に男性陣の皆さんです、出来心で教えてって言ったら目を輝かせて色々と》

《真面目に考えようとしている時に雑念を滑り込ませるでないわ!》


 元々早口な彼が更に甲高い声でスピードを上げると、シュナには結構な部分が聞き取れていない。どうも自分が何かやらかした……ということになっている……? らしいことだけ把握する。

 アグアリクスもあまりの早口が聞き取れないなりに勢いに一瞬怯んだのかと思ったが、どうやら彼はちゃんと内容を精査した上で一度考え込もうとし、邪魔をされて再度イラッと来て手が出たようだった。


 痛そうな平手打ちを食らったエゼレクスはよろめいたが、なんとか枝からは落下せずに済む。よろめく彼はそのままシュナに振り返り、またなんだか背筋がぞわぞわする優しい声を出した。


《シュナさんや。ぼくらにはね、生殖器官が存在しないし、付随する恋愛感情も他人事だから、そういうことは人間に聞いてほしいというか、逆にどうしてお聞きでないのかなーというか》

《せいしょくきかん?》

《アグちん》

《ふざけるなよ。ここで我に投げるな。言ったはずだ、我にも答えられぬことは存在する。大体我を何だと思っているのだ、秩序と正統のアグアリクスぞ。人間の色恋沙汰や世代交代やそこに伴うあれこれの教授は専門外だ、どうにもできぬわ!》


 びたんびたんと秩序と正統の竜が尾で地を叩くと、大木の枝が大きく揺れて皆慌てて身を伏せた。いつもうるさいエゼレクスなら平常運転だが、基本的に落ち着いた厳格なイメージの強い彼がやると、どうやら異常事態らしいという緊迫感が増す。


《ガチ切れしながらパニクってるってレアなアグちんを見たぞ。しかしやべえな、答えにくい質問が飛んでくることぐらいは予想してたけど、いきなりこっち系とは思ってなかったし、この知識レベルって、ええ……? どうすんのこれ。しかも考えてみれば、シュナがまともにそういうの相談できる奴が誰もいねーわ》

《竜。無性。必要。皆無。メイティング》

《そうだよ迷宮生物ぼくらは必要ねーんだよ、皆水槽の中で生まれて成熟したら勝手にカプセルから出てくるから求愛行動とか雌取り戦いとか勝者のアハンタイムとかそんな生々しい過程いらねーんだよ、チクショーめ!》


 三竜が皆大なり小なり小刻みに身体を震わせているものだから、シュナの足場まで揺れが伝わってくる。


《水槽の中……?》


 絶叫するエゼレクスの言葉の中にまた聞き逃せない言葉を見つけたシュナだったが、今度は彼女の疑問に応じる者がいない。皆どうやらその前の問題に忙しいらしい。シュナからちょっと距離を取ったところであつまり、顔をくっつけてひそひそとやりとりを交わしている。


《いやでもこれ、真面目な話、まずくない? この人竜体はともかく、人間体の方はもう成熟してるよね? この状況……たとえばまた外出したらさ、ぼくらの知らないところで自覚ないままメイキング次世代とかいう大事故が起こるんじゃねーの?》

《ぬっ……わ、我もそこまで人の生態に明るいわけではないが、今までの知識を総括して推測するに……》

《するに?》

《……シュナは現在中途覚醒状態につき機能制限がかかっているのみ、完全覚醒すればシュリと同等程度の能力を保有すると見込んでいる。つまりシュリと同じ事ができると仮定し、なおかつ現在の人間体はおそらく過去のシュリとほぼ同等の条件とみなせるからして……》

《結論。肯定。現状。既。次世代生産可能》

《ぐ、ぐぬぬ、やはりそう考えざるを得ぬよな……!》

《畜生これこそシュリ案件だろ……ぼくらには荷が重すぎるってこれ……だってついてないんだもん……》


 彼らは一体何にそんなに怯えたような態度を見せているのか、自分が聞いたのはそんなに悪いことだったのか。しかし迷宮の禁忌に触れるのだとしたらアグアリクスが例の「禁則事項だ」のフレーズでさらっとばっさり回答拒否をするだけだと思うし、はて……? と遠巻きに会議が落ち着くのを見守っていたシュナは、くるっとエゼレクスが振り返った顔がまた妙に表情が平坦なのでちょっと身を引く。


《よし。ぼくは混沌の頂点。雰囲気ブレイカー担当。切り込み隊長。自分の役割を正しく心得て、いざ。……アグちん噛むなよ。今からやるのは確認作業だから》


 アグアリクスは特に答えなかったが、むっつり黙り込んでいるのが彼なりの肯定というか妥協というかを示しているような感じもあった。

 三竜の輪からすすすっと抜け出てきたエゼレクスは、いかにも頑張って作ってますという笑顔を浮かべた。


《おシュナ、念のため確認したいんだけどね。赤ちゃんってどこから生まれてくるか、知ってる?》

《お空からでしょう? 最初は皆、お空のお星様なんですって。その後、お母さんのお腹から生まれてくるのよ》

《アッ……ンンッ!》


 汚い喘ぎ声を上げたエゼレクスだったが、アグアリクスからの突っ込みは飛んでこない。シュナがそれぐらい知っているわよ! と胸を張って答えると、固唾を飲んで見守っていた三竜はほぼ同時に、まるで強く殴られたか押されたかでもしたようによろめいた。


《大丈夫。まだ大丈夫。僕は異端の竜、混沌の頂点、女神様の想定外の申し子、うんそのはず、自分を信じて。ええとその、シュナさん? 出産はかろうじて把握していらっしゃるようですが、お星様がお母さんのお腹にやってくるまでの間の過程については、ご存知でない……?》

《……? お父様とお母様が一緒にいたら、赤ちゃんは生まれてくるのでしょう?》

《うんその一緒にいるって表現をね、もうちょっとこう、具体的にね……あのほら、たとえばね、こう、服をね、脱ぐとかね……》

《…………》

《その蔑むような眼差しはあれだな、服をお脱ぎになるのはアウトだと思ってるね、君?》

《お父様がそう仰っていたもの。脱ぐのも脱がせるのも駄目だよって。特に男の人は駄目だよ、ケダモノだからって》


 質問者が完全に表情を失った。ざざざざざっと音を立てて引いていき、三竜の中に戻る。


《確定だ。絶望だ。終焉だ。いやかすってはいる、結構いい線まで行った形跡はあるけど、一番大事なところが何一つ伝達されてねーじゃんか!》

《落ち着け。まだ何も始まっておらぬ。だが事ここに至っては我も口にせざるを得ぬ――おのれ、ファリオン。どうしてこうなるまで放置した!》

《本当だよ。あの澄まし顔、なんてことしてくれたんだよ。絶対これ機能と知識が釣り合ってないって、頼みのシュリさんは今状態異常真っ盛りなんだって、ふざけんなよあの野郎、マジ勝手に死んでんじゃねーぞ、せめて引き継ぎをね、ちゃんと人間の引き継ぎをね……!》

《恐怖……》


 色とりどり、大きさや形も少しずつ違う竜がピンと背筋を伸ばし、横並びに震えている様子は、当人達は大変なのだろうが、眺めているとちょっぴり面白い。


 それにしてもアグアリクスまで絶叫するって、一体父は何をしでかしたのだろう? 自分ではシュナに駄目だよと言っておいて、記憶の中では母にちょっかいをかけていた、あの辺の事情が絡んできたりするのだろうか? いやしかし竜達の父に対する反応はいちいち過剰な気もする。それともシュナの知らないだけで、そんなに恐ろしがられるような父も存在したのだろうか。しかし謎なのは、なぜ今エゼレクスが赤ちゃん云々を言い出したかだ。これらに何かつながりなんて存在するのだろうか?


 シュナは右に左に首を傾げているが、自力で答えを導くことは困難なようであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る