竜姫 泣くことについて考える

 わんわん泣いている少女を前に、シュナは慌てふためいた。つい最近自分もなんだか似たようなことをしでかしたような気もするが――しかし困ったことに、では目の前の人物が同じような状況になったとして、今度こちらがどうしたらいいのかがわからない。頼みの相方は落ち着いたものだ、それがかえってこちらを焦らせる。


《ほ――放っておいて大丈夫なの? 何もしなくていいの?》

《声を出して泣けるなら平気さ。ちゃんと自分で進めて、発散できている証拠だから。泣き止むまで待つよ。こういうとき一番まずいのは、まず何も出てこないこと、それから本人以上に周りが騒ぎすぎること。見たくなる、構いたくなる気持ちはわかるけど、それが過ぎるとあっちも気になっちゃうから……そうだな、装備品の手入れでもしようか》


 話を聞いている間にちょっと思い出した。そういえば彼はトゥラに対しても、こんな態度だったかもしれない。側にいてくれるが、変にオーバーなリアクションは取らず、じっと待つ。こちらから話しかけるばかりが気の使い方ではないのか、とシュナは納得する。

 デュランはいったんニルヴァに「俺は向こうで作業しているから、何かあったら声をかけて」と言う。少女がタオルに顔を埋めたままでもこくこくと首を縦に振っているのを確認すると、宣言通り少し先の岩場の陰に回りこんだ。遠すぎず近すぎず、すぐ駆けつけられるが、お互いの姿は見えない。そんな位置関係までやってきて、荷物を取り出し、並べている。


 シュナも一緒に移動すると、釣られるように竜二匹がついてくる。


《大丈夫であります、姫様。此方達はここで大人しく待機しているであります》

《同意》


 シュナの何か言いたそうな――主に(余計な事をしないでね!)という視線を感じたせいだろうか、彼らはそう宣言すると、翼を畳んでじっとしている。

 警戒する対象がひとまずなくなったシュナは、道具を並べて順に手に取り、時折拭いたり中身を取り出して弄ったりしているデュランの手元に視線を降り注いでいた。


 恒例の好奇心がむくむく膨らみもするが、背後では相変わらず少女の泣き声が止まない。そういう状況で、それは何あれは何と矢継ぎ早に言うことも憚られて、彼女は色々な意味でそわそわと、デュランと岩陰の向こうの少女を見比べるように、落ち着きなく身体を動かしている。


 ふと、デュランの動きが変わった。手を止めたかと思うと、シュナの方を見つめている。


《……どうかしたの?》

《なんでもない……いや》


 デュランはパチン、と音をさせて、手の中のナイフを折りたたんでいる。言い出した時はそのまま道具の手入れに戻るかに思えたが、途中で考え直したのだろうか。次の装備品に手を伸ばす前に、シュナに顔を向けて問いかけてきた。


《シュナは……泣くことって、あるの?》


 改めてそう質問されると、どう答えたものかとシュナは密かに悩む。


 素直に「ある」と返してもいいが、それは竜として正しい答えなのだろうか。無理な追求はしないとは言っているが、おそらく彼は未だシュナに疑惑の目を向けている。彼女が他の竜と違うことだってわかっている。これも何か、彼なりの推測を確定させるための確認なのだろうか? それとも純粋に、気になっただけ? いずれにせよ、嘘を吐かず、それでいて不自然でない答え方とは、何だ?


 ちらっと二竜をうかがってみるが、ピンク色の竜は相変わらず黙ったままだ。銀色の竜の方はううむ、と唸った後、


《質問の意図によって若干回答も変わるのでありますが……基本的に我々は涙を流さない生き物であります。参考までに》


 なんてそっと小声で囁いてきた。たぶんまたデュランには聞こえないモードでの声なのだろうが……考えた末、シュナはようやく口を開けた。


《どうかしら……悲しい気持ちなら、知っているけれど》


 泣く、という行動を今の自分が取ることができるのか、できたとして適切なのかはともかく、感じる心は人でも竜でも全く同じだ。だから感情にフォーカスした答えを返した。

 金色の目を瞬かせ、騎士は呟いた。


《そっか……》

《竜は泣かない生き物なの?》

《――仲間の死を。悼んでいるような姿なら、見たことがある。だから悲しいと想う気持ちがあるのは、きっと確かなんだと思う。でも……涙を流している姿は、少なくとも俺は見かけなかったかもしれないな》


 今度はこちらから聞いてみると、彼はシュナではない、どことも言えない宙に視線をさまよわせてそんな風に語って聞かせてくれた。今までの竜達の姿を思い浮かべているのだろうか。悼む姿、という単語を出した時、ぎゅっと眉根が一瞬寄せられたが、すぐに普段のデュランに戻っていた。そのまま昔を懐かしむように黙り込んだ彼から自然と目を離したシュナは、ウィザルティクスに目を止めた。


 最大限努力して空気を読んでいるのか、今までの迂闊なのが気を抜いていただけで本来彼はこれぐらいのことができるのか、ともかく銀色の竜は話の流れやシュナの顔色から、彼女が今何を話してほしがったいるか理解できたらしい。


《涙を流すという行動については――から我々のモデルがデザインされた時、パージされたのだと思われるのであります。

(でも……お母様は、確かに泣いていらっしゃった)


 またも出てきた彼ら特有の言語にも疑問は覚えたが、真っ先にシュナが心の中で思い浮かべたのは花畑で出会った母親の姿だ。

 けれど口に出すのは控えた。側に竜騎士がいる。竜達は彼に聞こえない声を使いこなせているらしいが、シュナはまだ特定の誰かにだけ話す、という行為に慣れていないし、今この場でぶっつけで試すぐらいなら黙っていた方が遙かに賢明だろう。

 ウィザルティクスはまたもシュナの言わんとしていることを正確にくみ取れたらしい。


此方達われわれの神が涙を流せるのは。彼女がそうなりたいと願い、努力し、そして変化を受け入れたからでありますよ、姫様》

《それじゃ、わたくしが涙を流すことは……いいこと?》

《善悪について問いたいのでありますか? それは回答が困難なのであります。いえ、むしろ問い自体無意味かと。ただ、姫様が今、涙を流せるのなら、それは姫様にとって必要なことなのだと思うのであります。……此方個人の見解は、ではありますが。回答にはなったのでありますか?》


 シュナがぴー、と小さな鳴き声を上げると、秘密の会話が気になってきたらしいデュランが声をかけてきた。


《何を話しているの?》

《……わたくしにはまだ、難しいこと》


 シュナはゆるゆると首を振る。


(本当に、難しいわ……きっと正解のない答えを、自分で決める、というのは)


 でも、こうやって考えて、悩んで、決断して……そういうことは、これからも続いていくのだろう、いや、続けなければならないことなのだろう。


 眠り続けるのは嫌だと、産声を上げたのだから。




 辺りがしんと静まりかえっている。それはつまり、少女の泣き声も止んでいる、ということだ。


 装備品の点検も一段落したらしいデュランが、腰を上げ、岩陰の向こうに戻っていく。そろりそろりとシュナも後をついていくと、ぼーっとした顔で座り込んでいたニルヴァが慌てた様子で立ち上がる。


「閣下……申し訳、ございません」


 目は――というか顔全体が真っ赤、腫れていて痛々しい。シュナは思わず悲しい声を漏らしたが、デュランの方は特に態度を変えることもなく、普段と変わらない優しい笑顔を作ってみせる。


「謝ることはないさ。少しはすっきりできた?」

「はい……あの、タオル……」

「いいよ、持ってって。顔、洗ってきたいんじゃない? そのまま使って」


 ぐす、とニルヴァの鼻が鳴った。


「すみません……後日、洗ってお返ししますから……」

「いいからいいから。気にしないで」

「本当に。お見苦しいところを……」

「泣くのは見苦しいことなんかじゃないよ」


 恐縮しきりの少女を、デュランは自分も砂まみれになった装備品を洗いたいから、なんて言って水場に誘う。そんな彼らを見送りながら、銀色の竜が軽率に口を開いた。


《そうであります。安心するのであります。迷宮の冒険者達の醜態には見慣れているのであります。ビービー喚くのはうるさくはありますが、まあ普通の範囲なので、此方達われわれもそんなに気にしてな》

《ウィザルティクス! いくら聞こえてないからって、デリカシーがないわ! 反省して!》


 思わずシュナはぴしゃんと途中で台詞を切ってしまった。

 ようやくわかってきた。この竜が気遣いや空気読みの類を発揮するのは極めて限定的、というかシュナ単体のみが対象であり、こと人間相手となると本当にその辺の思いやりが抜け落ちるのだ、と。


 人間達は言葉の内容を知らないせいか、顔を洗うのが一段落すると、この後どうすか、ということについて平和に話し合っているようだ。しかし相手に伝わらないからと、好き勝手裏で言いたい放題の態度を見逃すわけにはいかない。


 叱りつけられた方はショックを受けた顔で、ピンク色の竜にがばっと振り返る。


《デリカシーって何!?》

《ウィザルティクス。浅慮》

《うるさいであります! そもそも喋らないお前にはなんかこう……言われたくないのでありま――》


 ギャーギャーやり合っていた竜達だったが、急にピタッと黙り込み、首を上げて緊張する。


 一拍遅れて、シュナも彼らの感覚に同調――あるいは、本能的に存在を感じ取った。


《――デュラン!》


 少女と今日泊まる場所について相談していた彼が、鋭い呼びかけに不思議そうにこちらへ首を向け、すぐにさっと顔を強張らせる。


 立っているとよろめいてしまいそうなほど、大きな地面の揺れ。何度か経験し、そして以前より知識を得て感度も上がっているシュナには、これから何が起こるか容易に理解することができる。


 それは間違いようもない――迷宮の主が起き上がり、襲撃を開始する予兆の振動だった。

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