六章:乙女 恋に悩む

恋乙女 熱を出す

 疲労か、それとも一晩中唸っていたせいなのか。


 翌朝、シュナは熱を出してしまった。


 結局一睡もできなかった、ぼーっとする……なんてうつらうつら思いながらベッドから身体を起こす。


 動きがやけに鈍重で、普段なら目をこすりながら「あう!」とコレットに挨拶をするところを、億劫そうにうなだれていた。


 それでおや? と異変に気がついたらしいメイドが、自分と世話相手の額に手を当てて叫ぶことには――。


「お嬢様? もしや、お加減でも……こ、これは! えっ、発熱してますよね、これ!?」


 まあ、そういった経緯で不調が発覚したというわけだ。


「微熱かな? 慣れないことで疲れたのでしょう」


 慌ててバタバタ出て行ったコレットが腕を引っ張って連れてきたお医者さんは、例によって色々と調べた後、ま、大丈夫でしょ、と肩をすくめた。


「喉は腫れてないみたい、頭痛はないけど、ぼーっとしてだるい? 一応音も異常はなさそうですね……発熱だけかな、症状は。風邪というか、ストレス性の物かな。これぐらいの熱なら、薬で無理に下げるより、たっぷり休んだ方がいいですよ。色々ありましたから、身体が休みたがってるんでしょう。養生、養生!」


 老齢の女性が言ったのは、報告を受けて様子を見に来たらしい侯爵夫人に対してである。


 シシリアは頷き、ベッドの中でしょんぼりしょげている娘に顔を向けた。


「こんなこともあろうかと、本日は何も予定を入れていません。昨日はよく頑張りました。慣れないことだらけでしたからね。ゆっくり寝て疲れを癒すとよいでしょう」


 侯爵家の男達と違い、シシリアはあまり誉める時大袈裟にしない。だからうっかりすると聞き逃してしまいかける。


 今のはかなり心を込めて労っていた方だ。


 去りゆく夫人の颯爽とした後ろ姿に、


(しまったわ、反応し損ねた!)


 とただでさえ日頃のんびりしている方なのに輪を掛けて鈍間になっている現在、すっかり出遅れた娘は慌てるが、今更夫人を呼び止められるわけでもなし、また今度もう少しちゃんと考えられるときに行動しよう……とベッドの中に身体を倒す。


「さ、お嬢様! 張り切って看病させていただきますからね!」


 お医者さんも部屋を出て行くと後に残ったコレットが腕まくりしてそんなことを言っていたが、考えてみればまともに病気になったのはこれが初めてではないか? とちょっとわくわくしてきたシュナである。


 塔で暮らしていたときも、だるいような時や調子が悪いと感じる日はあったが、言ってしまえば病気らしい病気にかかったことはない。


 ――が、しかし、病人生活にすぐにシュナは飽きてしまった。


 何しろ寝るしかやることがないし、させてもらえない。


 コレットはせっせと細々必要な物を用意してくれ、汗の滲んだ服を変えてくれたりタオルで拭ってくれたりするが、終わると「悪くするといけませんからね!」と天蓋のカーテンを下ろしてしまうのだ。


 本も読めない。構ってくれる人もいない。運動はできない。かといってぐっすり寝るほど眠くもない。ならば色々考えることがあるはずだが、これはこれで思考が散漫としてまとまらない。


 結果として、どのぐらい時間が経ったのかもわからぬまま、シュナはずっと横たわったまま微睡んでいるのだが覚醒しているのだかも定かではない状態を続けている。


(でも、ここのところずーっと忙しかったもの。たまにはこういうのも、いいかしら……)


 何しろここ一週間強詰め込み教育週間だった上、トドメに昨晩怒濤のあれこれである。


 ……思い出したらまた熱が上がりそうだから深く考えないようにしようと決めた。


 ぽーっとしていると、けして広いとは言えないはずの天蓋の内側の空間がやけにぽっかり空いて感じられる。


 一人で静かにしているせいだろうか。

 なんとなく無性に、目覚めると色とりどりの鱗の群れが周りで重なり合っている(何ならいつの間にか一体ぐらい枕になっている)光景が懐かしくなった。


(迷宮、また戻らないと……エゼレクス、アグアリクス、ネドヴィクス……相談……せっかくもらったのだもの、手帳も確認して、次はいつ……ああ、竜達の重みがなんだか恋しいわ……埋もれたいの……何も考えず……)


 故郷――と言っていいのかはかなり疑問だが――に思いを馳せていると、コレットが戻ってきた。


 どうやらお昼になったとかで、食事を持ってきてくれたらしい。


 そういえば今朝はスープとパンのみ口にしたのだった。

 おそらく朝食メニューの中から今の彼女が食べられそうな物だけ急いで持ってきてくれたのだろう、ベッドの中で促されるままもそもそ済ませたのだ。


 小娘に人並みの筋肉をつけよう計画のおかげか多少は肉にも興味が出てきたが、基本的に食欲の薄い彼女である、うっかり一食ぐらい飛ばしても全く騒がない所か本人も「ああそういえば」とのほほんと忘れている勢いだ。


 けれどぼんやりしているうちに少しずつ調子を取り戻してきたのか、


「お嬢様、ベッドから出られそうですか? 起き上がれない程酷い熱なら駄目ですけど、多少歩ける程度でしたらずっと横たわっているのも逆に滅入りますよね」


 と手際よくカーテンを開け、テーブルの上に昼食を用意したメイドが言うと、応じるように腹の虫がきゅうう、と鳴った。


 調子の悪い彼女が食べやすい物をという配慮なのだろう、柔らかくゆでられた野菜の入った卵スープがメインで、他に果物……は、わかるが、ニンニクとショウガがその隣にででんと置いてあったのは、思わず一度気のせいかなと通り過ぎてからがっつり二度見してしまった。


「いや、その、統一感なくてすみませんねえ……スープだけだと飽きるとか、風邪っぴきにはこれ! とか、皆して好き勝手盆に載せるものですから……」


(スープと果物はなんとなくわかるけど、なぜニンニクとショウガをそのまま!?)


 たぶん顔にそのまま疑問が出ていたのだろう。メイドは苦笑しながらそう説明し、


「全部無理して食べる必要はないですからね! お好きな物をどうぞ! あ、あとついでに、厨房では意見が割れたままだったので両方持ってきたんですけど、どちらがいいですか?」


 と、小型ナイフを取り出してニンニクとショウガを指さす。


 参考までに、と小さな欠片を試食として出されたシュナは、順番に口に入れてなんとも言えない表情になった後、「この二つで選ばなければいけないのなら……」とショウガを選んだ。


 他の料理に混ざっているのなら大丈夫だったのだが、ニンニクの独特の癖が生だとかなり響いたのだ。消去法による消極的な選択である。


 コレットは手際よくショウガの方の皮を剥いて刻み、なんと蜂蜜と一緒に紅茶の中に落とすではないか。


 薬だから生で囓れと言われるのかと思って少々ドキドキしていたシュナだが、予想よりは食べやすそうな形に落ち着いてほっと胸をなで下ろした。


「さ、お嬢様! 本当はこれ、喉風邪に一番効くそうなんですけどね。まあ身体を温めてくれるらしいですし、お嬢様はたぶん冷えやすい体質ですから、どうぞどうぞ」


(ショウガ味のする紅茶……)


 辛いのだろうか、なんて首を傾げつつそっと口元に運んだシュナは、ふうふうと息を吹きかけている間に誰かが部屋の扉をノックする音を聞く。


「トゥラ、大丈夫そう? 入っていい?」


 と言いながら既に部屋に入ってきていた人物の顔を見て、シュナは思わずショウガ茶を吹き出しかけた。なんとか堪えるも、結果として結構盛大にむせることになった。

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