迷宮の姫 二人きりになる 中編

 馬車は馬が引く車だ。

 馬が勝手に目的地まで向かって人を乗せてくれるわけではない。動かすには必ず御者が必要である。


 というわけで、ファフニルカ侯爵家からやってきた迎えの車にも、当然その人員は配置されている。


 二人で待っていると、見たことのある顔が馬を操ってやってきた。

 たぶん、前にも馬車を動かしていた男と同じなのだ。

 彼は台から降りてシュナに帽子を取って挨拶した後、二人を見比べて眉を顰めた。


「若様。おら、もう一人いらっしゃるど、聞いでだが……?」

「逃げられた」


 迷宮領には様々な種類の人間が生きている。

 一応三国共に統一の言葉を使ってはいるが、それでも訛りのようなものも存在はする。


 御者の男ののんびりしたダミ声は、聞き慣れないシュナには所々何を言っているのかわからなくなりそうだ。こうして比べてみると、デュランは普段本当に聞き取りやすい声と発音をしているのだなと実感する瞬間でもある。


「逃げられだ……どは?」

「そのままだよ。さっきまで一緒だったんだが、知的好奇心には勝てなかった。証言がほしいなら後日にしてくれ。今日はたぶんもう捕まらない」


 はあ、と間延びした返事をした男がまだ何か言いたそうにもぞもぞ帽子を弄っているのを見て、若き領主子息はピンと眉を跳ね上げる。


「何か言いたいことでも?」

「いんやあ、若様。そのう……そうなりますどな、お二人でいうこどになるんだがな……」

「……なるけど?」


 ピクッ、と身体が反応するのと共に、応じる声が若干低くなった。

 ここでようやく、横でのほほんとお城に戻るのね、と考えていた娘がこの状況の問題に気がついた。


(馬車の中で……デュランと二人きり!?)


 それって非常にまずいんじゃなかろうか。


 また間を置いた、兼他にも色々あったから軽く忘れていたが、そもそも遡れば前回シュナが大慌てで迷宮に駆け込むことになった原因は、他でもないデュランなのである。


 暗がりの中で近づく顔。

 重なる影。

 息苦しさと、何とも言えないふわふわした――。


 うっかり色々思い出しかけて、わああ! とシュナは慌てて首を振り、不埒な記憶をかき消した。


 そういえば自分達、割ととんでもないことをしでかした後だったじゃないか。

 なのになんで自分ときたら、ベッドに潜り込むような事をしたのだろう。

 おかしなデュランに釣られたとしか思えない。


 そうだ、再会がスピーディーだった事も、今の今まですっかりのんびりしていられた理由の一つかもしれない。前回はデュランと会うまでにそれなりの寄り道があったが、何しろ今回は部屋直通だった。たぶんこれが一番早いと思うルートだ。そのせいで、色々思慮遠望を働かせる余裕がなかったのだ。


 それに、寝ぼけていたときはちょっとどうしようかかなり迷ったが、起きた後はいつも通りの彼だった上、なんだか大層追い詰められていたのだ。


 自分よりパニックになっている人間が隣にいると、相乗効果で慌てることもあれば、こちら側はクールダウンすることもある。今朝のシュナは後者の方だった。だって驚きはともかく、怯えは何に対してそんな感情を抱かなければいけないのかさっぱりわからなったのだし。


 しかし、今、このようにして冷静に思い出してみれば、彼の反応もそこそこ納得、むしろ自分がこの瞬間までいささかのほほんとしすぎていたのではないか?


(お、思っていた以上に事態は深刻かもしれない……しかもあれほど言われたのに、今回の転移先はデュランの寝室でした、なんて言ったら……!)


 思い浮かぶ、某混沌の竜の反応。


 前回キスをしてあそこまで激怒させたのだ。

 一晩一緒にいました! と報告なんかしたら、彼は一体どうなってしまうのか?

 想像するだに恐ろしい。


(で、でも、今回のデュランはこう……だってあの時みたいな奇妙な圧で迫ってくるようなこともなかったし……)


 たぶんシュナ同様、ちょっと時間を置いて距離を取ったことで気持ちが落ち着いたのだ。

 寝ぼけていたときはさすがにおかしさ継続中だったが、あれはカウントしたら彼がかわいそうな気がする。


 そう期待を込めてちらっと隣を盗み見たシュナは、思わずヒッと息を飲み込んだ。


「……だから?」

「いえ、若様。巡回の騎士でも構いませんがらね、誰が呼ばないのがなあ、ど……」

「帰るだけだよ?」

「でもぉ……あんな、ご領主様がらな。『いいい、労働者諸君。デュランがね、あの子二人きりにさせろ、しばら部屋に入っるなっ言い出しらね。できる限りで構わないので、抵抗しいただける、パパとし頭痛の種を一増やさずに済むんだ』でな……」

「あのクソ親――コホン。別に部屋に入ってくるなとは一言も言ってないし、送迎するだけだよ?」

「んでも、その間二人きりになるのはなあ……いぐら軽薄と名高い若様でも、ご令嬢やご婦人相手ならまずしないこどでしょうが……」

「で?」

「で……」

「それで?」


(こ、これは……!)


 もごもごと、それでもそれなりに粘り強く渋っていた御者だったが、若者が満面の笑みで短く何か催促するように言葉を返せば、最終的に尻すぼみになっていき、とうとう帽子を深く被り直してしまった。


「知りませんよぉ、おら、言っだだからねぇ」


 最後にぼそっと呟いてから、いそいそと御者台に戻って行く。


(駄目な方のデュランなのだわ!)


 確信したシュナは震え上がるが、爽やかスマイルを継続させている男が慣れた手つきで扉を開き、


「さあ、トゥラ。おいで」


 と言うからには応じぬ訳にも行くまい。


 いや、応じていいのだろうか、これ。


《シュナ! 今だ! 急所を狙え! 行け! ヤられる前に殺るんだ!》

其方おまえね本当、やめろっつってるであります!》


 保護者がなんて言うだろう、と思い出したせいだろうか、頭の中に緑色の竜と銀色の竜がバタバタ取っ組み合う幻覚まで浮かんできた。思わずこめかみを軽く押さえてしまう。


「どうかした?」


 しかしいつまでも立ち尽くしたままではいられない。

 何度目かの「今ここで全てひっくり返して迷宮に逃げ帰るか、このまま平静を装うか」の決断を迫られた娘は、


(変なことされたら気絶させて迷宮――大丈夫、今のわたくしならできる!)


 と己を奮い立たせ、きっと眼を吊り上げて、「うう!」と威勢良く密室に踏み込んだのだった。



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