竜姫 挨拶する

 デュランが好意を向けてくれることならシュナも素直に嬉しいのだが、時折……いや結構な頻度で過剰なように感じられる。

 人の時だって心配性が過ぎて半ば監禁まで発展しかけたし、基本的には頼もしく頼りになる男なのだが、たまにこう著しく話の通じない相手と化すのは一体なぜなのか。もう少しこう、距離を保っていてくれないかな、周囲にも生温かい目を向けられるのだし、とシュナは思うことがある。


 なので今回も、目の前の少女に一体どんな目で見られるか、とヒヤヒヤしたのだったが――むしろ「閣下、そんなこと言って」なんてリアクションを期待してたような所もあったのだが、ニルヴァはデュランの盛大な惚気にもさほどたじろいだ様子はなかった。むしろキラキラと目を輝かせている。


「本当に綺麗な方ですね……お話で聞いていた通り……!」

「だろう? 自慢の相棒なんだ」

《!?》


 予想外の好反応にシュナは思わず淑女らしからず目を剥いた。リーデレットもラングリースも、あと人間の時に会った何人かの周囲の人達も、基本的にはデュランがボケ始めるとたしなめる側に回る役、あるいは性格の者達が多かったので……反撃どころか追撃が来るのは正直予想外だ。少女は目を輝かし、頬を紅潮させて竜騎士に応じている。


「私、こんなに近くで竜を見たの初めてで……」

「もっと近づいてみる? シュナが許可すれば、だけど」

「よろしいのですか!?」

「いいんだよ……竜好きどうるいを見抜くことには自信があるんだ。そしてもっと俺の竜の良さを噛みしめてくれ」

《ちょっと、デュラン!?》


 シュナが多少ピーピー言っても彼はだらしなく相好を崩したままだった。

 駄目だ。完全に鼻の下を伸ばしている時のデュランになっている。こういう時の彼は役に立たない、というか逆に全力で邪魔をしてくる。もうすっかり学習済の逆鱗である。


《そうであります! 姫様は可愛いのであります! 世界一可愛いであります!》


 人間達の盛り上がりの後にさりげなくガヤが混じった気がするが、すぐに殴打音が続いて鎮まった。そっとちらっと二竜を窺った感じ、ネドヴィクスは発言内容自体を撤回させようというより、「お前さっき自分が何したのか忘れたわけじゃないだろうな、反省してなさい」という意思表明の方が性格が強かったようだが。じっと見つめられるとウィザルティクスがしゅんと縮まったのが見えた。


「俺が前使ってた笛でいいかな。君の救命笛は通常版、竜笛は持ってなかったよな?」

「はい。一人前の冒険者用の装備ですから、見習いにはまだ早いと……」

「お父さんがそう言ってた?」

「はい……」

「まあ……気持ちはわかるけどね」


(なんだかただの知り合いというよりは、もっと詳しく家庭事情も知っているみたい……)


 シュナは二人を見比べながらそっと考えた。彼女が大人しく待っている間、デュランは持ち物の中から笛を取り出し、軽くぬぐってから少女に手渡す。それから自分が首から提げているシュナの鱗で作った笛を手に取った。


「竜笛を使ったことは?」

「な……ないです。最初に迷宮に潜ったときに、竜騎士の方にお手本を見せていただいたことはあるのですが、自分では……」

「ニルヴァは今十二歳――今年から中等部、カリキュラムは冒険者養成コース選択で間違いない?」

「はい」

「じゃあ特に竜と交流したことはなし、か」

「本で読んだことは……ただ、竜騎士養成コースには進めなかったので……」


 少女が笛を受け取って、ぎこちない手つきで構えようとしている間も質問を続けていたデュランが、なるほど、と一人納得するように頷いた。


「オーケー、大体わかった。大丈夫、乗るのは確かにコツがいるけど、お話しするだけならそう難しいことじゃない。普通なら呼び出す所から始めるけど、今はちゃんと目の前にいてくれているし。シュナはとびきり優しいから、意地悪はしないよ。怖がる必要はない」


 ピッ! と声を上げた竜の鼻を撫でながら、デュランは少女に見えやすいように笛を構える。


「いいかい? 息と一緒に、気持ちを吹き込む。……さあ、自己紹介してみて」


 促され、少女は大きく息を吸った。小刻みに震える手から、緊張がこちらにも伝わってきそうだ。


《こ、こんにちは……はじめまして、シュナ様。私はニルヴァ……ニルヴァ=ラングリース、です……》


 間もなく伝わってきた声に、シュナはおや? と思う。


(なんだったかしら……どこかで聞いたことがあるような)


「よし、ニルヴァ。今度は手を出して。掌を見せるように」


 考えている間に段階が進んでいた。少女がいかにもおっかなびっくり手を突き出してきたので、シュナはそちらに意識を取られた。


(これは覚えているわ。そういえばデュランも最初にこんなことをしていたの)


《シュナ。よかったら返してあげて》


 デュランがそっと耳打ちしてくる。返す……と一瞬硬直した彼女だが、彼と最初に出会った時にしたことを繰り返すのなら、たぶん首を下げることがそれに当たることなのだろう、となんとなく思い至った。


(あの時は勝手に身体が反応したようだったけど……)


 今度は自分の意思で、お辞儀するような格好になる。そのままだとニルヴァにぶつかってしまう気がしたため、数歩後退してから行った。


《初めまして。わたくしはシュナ》


 顔を上げてから試しに言ってみると、目を丸くしていた彼女がぽろっと口から笛を落とした。


「か、閣下……! 今、声が……聞こえました、声が……!」

「わかる……わかるぞ、その気持ち……すごくよくわかる。あれはいいものだよな……」


 互いに目を潤ませて通じ合っている二人を、「挨拶を返しただけでそんなに感動されると困る……」と若干置いてけぼりになっているシュナがそっと見守っていると、また外部からのブーイングが聞こえてきた。


《姫様をあんな小娘の入門教育に使うなんて、なんて罰当たりな野郎なのでありますか! やっぱりあいつが逆鱗ってなんかおかしいのであります、此方納得できないのであります!》

《贅沢》


 どうしよう、この空間いたたまれない、と思っているシュナに、ようやく多少落ち着いてきたらしいデュランが向き直った。


《シュナ、遅くなってごめん。改めて紹介するね。この子はニルヴァ=ラングリース。冒険者の見習い。前に会ったジャグ=ラングリースは覚えている? あの人の娘さんだよ》

《……ああ!》


 合点がいってシュナは声を上げた。そうだ、既視感があると思っていたら、まさに以前出会った冒険者第一号がそうではないか。なるほど親子だったのか、としげしげ顔を見つめようとするシュナに、少女はほぐれた緊張が多少持ち直してしまったらしい。


「それで、ニルヴァ。無理をしてここまで来たわけと、どうして一人でいたことについては、話してくれる気になったかな」


 頃合いを見計らったようにデュランが声を上げた。優しい雰囲気は保っているが、幾分真面目だ。少女もシュナもはっとなる。


(さっきの続き……もしかして、この子が話しやすくするために、わたくしを巻き込んだのかしら)


 ……単に竜騎士が自竜自慢をしたかっただけという可能性もあるが、少なくとも多少少女の警戒心を解く効果はあっただようだった。びくっと一度肩を跳ねさせた後、どこか諦めたような顔になってニルヴァは話し出す。


「あの……閣下、違うんです。冒険者の皆さんは悪くないんです。無理を言った私に、これも経験だと同行を許可して下さいました。ただ、今日は珍しく、途中で魔物に遭遇することもなく、すぐに次の階層への入り口に着いてしまって……さすがにこれ以上は駄目だから、これで帰りなさいと……帰りのエスケーパーを渡していただいたんですけれど……」

「出し惜しみしたの? 無料でもらえるエスケーパーには限りがあるし、大地の間さえ抜けてしまえば後は砂の間、歩くことさえ我慢すればなんとかなる、と?」

「……はい」

「それで、結果は帰り道で襲われた上に、装備品をなくしたと。初心者あるあるのミスだな。エスケーパーを渡したところまではよかったが、転移するところまで見守らなかったチームもちょっと詰めが甘い」


 少女がしゅんとなっているとシュナまでしょんぼり俯く。細かい部分はわからずとも、自分なりに頑張ってみた結果が逆効果、というのは、ものすごく辛いことだし、シュナにだって心当たりがあり共感できる。


 しかし、淡々と言っていた竜騎士の雰囲気がそこでふっと和らいだ。


「……とは言え。よく頑張ったな。行動不能になり、装備一式を失った所で君が笛を吹くことも諦めていたら、誰も君の危機に気がつかず、間に合わなかった。そういう、最後の最後まで足掻こうとする気持ちは、迷宮では何よりも大事だ。それに、助かる運もね」


 ぽん、と頭を撫でられて、少女は大きく目を見開いた。それからほっと息を吐き出したのにつられるように、シュナも少しだけ緊張から解き放たれたような気がしたのだった。

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