迷宮の眠り姫は竜騎士の呪いを解く
鳴田るな
序章:眠り姫 迷宮に迎えられる
不運な騎士は竜と出会う
「……これはダサいぞ、俺」
漆黒の鎧をまとい、一目で騎士とわかる男が穴の底で呻いていた。
土煙の中で身を起こし、土埃だらけの身体を払う。
「一応外傷はなし。さすが特級宝器。しかし現在地は不明、帰路は絶望的、持ち物も紛失……これは久々に、盛大にやらかしたな」
彼はぼやきつつ、恨めしげに真上を見上げた。
天井は全く見えない。かなりの高さであろうということだけが推測できた。
きっかけは人命救助。魔物に襲われている冒険者を助けるべく、自分が囮になった。
助けた相手は、身の程を越えた層に挑んでしまった初心者と言うところ。
ヘルハウンド、たかがちょっと大きめの犬一体ならと欲を掻き、結果三体に囲まれて瀕死、絶体絶命の中必死に
よくある話だし、彼もそういった輩のフォローには慣れていた。だからこそ、油断と慢心があったのだろうか。
危なっかしい初心者から適当に犬っころ共を引き離し、さて邪魔の入らなくなった所で片付けてやりますかと振り返ったとき、ヘルハウンドは三体から五体に増え、しかもおまけにケルベロスがパーティーに加わっていた。
ヘルハウンドは少し大きめの犬という程度の大きさだが、ケルベロスは小部屋ほどもある。しかも頭が三つある。
同じ犬でも頭が増えて身体がでかくなった方が面倒くさいのは言うまでもないが、何と言ってもこの魔物は猛毒のブレスが凶悪だ。毒対策ができていなければまともに応戦することは不可能、逃げることすら許されない。しかも迷宮の多頭動物は、全ての頭を落とさないと活動停止にならない。一頭でも残っている限り動き続ける。
惹きつけていたつもりが、相手の狩り場まで追い込まれていたという状況。
もうこの時点でダサい。ミイラ取りがミイラとはこのことだ。
(ほれみい、お前のええ格好しいはいつか自滅の元になるとわかっておったわ!)
なんて父がこちらを指差して鼻で笑う幻聴が一瞬聞こえた。強敵を前に、ご婦人ご令嬢を惑わす魅惑の微笑みも凍り付き、すぐに
ケルベロスを前に顔、というか皮膚を露出していたら死ぬ。
しかし多少ダサい状況になろうが、一応腐っても孤高の覇者、特級宝器
犬たちの猛攻をかいくぐり、どこからともなく供給される雑魚を千切っては投げ切っては捨て、瞬く間にケルベロスの首も全て落として見せた。
これで無事に汚名返上、面目躍如となるかと思ったが、そう簡単には終わらせてくれないのが迷宮である。
戦っているうちにあれよあれよと見知らぬエリア、迷宮のより深層部に追い立てられ、気がつけば迷子。
まあ迷宮で迷子になるのは初めてじゃないし、基本的に下がれば深層に、上がれば地上に近づく世界だ。どこか上に上がる場所さえ発見できればなんとかなる、と楽天的にてくてく歩いていたら、底の見えない崖にたどり着いた。
そこで一度立ち止まり、さて下がる道ではなく上がる道がほしいのだよ、なんて独りごちていたところ、今度は虫型モンスターのワーミーに背中からどつかれ落下。
ワーミーはただ大きいだけの芋虫、人間を捕食する性質はない。
逆に攻撃なら殺気を感じて反応できたのかもしれないが、ただの移動に巻き込まれる形で完全に不意を突かれた。
これはどう頑張って言い訳しても間違いなくダサい。ポジティブがモットーの彼もさすがにちょっと自分の迂闊さにへこんだ。
「なんというか、酷い偶然の連鎖だ……」
男は苦笑を浮かべ、ガシガシと頭を引っ掻いた。
彼のまとう鎧は頑健、いかなる外部の危険からも主を守り抜く。
けれど、中の人間は多少訓練し鍛えてると言っても所詮生身の人間。
ケルベロスやその他との戦闘、ダメ押しのワーミーのどつきのおかげで非常食を入れた袋もどこかに落としてきてしまっていた。
ぴちゃん、と近くに水滴の落ちる音を聞いて顔を上げれば、崖の壁を黄金の水が伝っている。
具体的にどうなるのかというと、一口飲めばたちどころに全身の穴から血を吹き出して死ぬ。……厳密にはもうちょっと続きがあるのだが、まともな人間生活を続けたいなら原液摂取は厳禁、という部分はいずれにせよ変わらない。
それはなかなかぞっとしない、下手すると魔物にやられるよりナイ、と周囲から気取りや呼ばわりされている男はぶるっと身を震わせる。できれば御免被りたい最期だ。
彼は少しでも前向きな結論にたどり着くべく、とぼとぼと歩き出す。
迷子になった時は最初の場所から動かないというのが地上の鉄則だが、迷宮では必ずしもそうとは限らない。
基本的に浅い層から深い層に潜るほど危険がます傾向にはあるが、今回のようにいきなり浅い層で強敵に遭遇することもある。
それに迷宮では度々物理法則、人間の理が無視される。
要するに用心しつくしても迷うときは迷うし、適当に歩いていたら全く無傷で生還できる可能性も逆にあるのだ。
(まずはどこか、少しでも上れそうな所)
つるつるしてとっかかりのない崖を掌でなぞり、見えない上部を睨みつけながら男は歩みを進める。
しかしすぐに終点に当たってしまった。
どうも少し大きめのぽっかり空いた縦穴にちょうど落ちてしまったらしい。
穴の下が魔物の巣じゃなかっただけまだマシか、とがっくり肩を落とした瞬間、ふと胸元で揺れた物に意識が向く。
特に竜騎士と呼ばれる者達の
人間の可聴域と重なりつつもずれている音は、竜の使う声の音域なのだそうだ。わかりやすく言えば、竜の鱗で作った
しかし、今の彼には気休めのお守り程度の物でしかない。
彼は
(野良が応じてくれないことはわかってる。誰かが近くにいて、気づいてくれれば……)
注意深く周囲の気配をうかがってから、彼は武装を半分ほど解除する。
胸元の紐で垂らした笛を吹くと、それだけで何か一つの絵のようだ。
竜の鱗の囁きが、空を伝い、余韻を残して消えていく。
やっぱり駄目か、まあ駄目元だし、と首をすくめて次の手を考えようとした彼が、びくっと身体を硬直させた。金色の目を見張り、崖に恐る恐る耳を当てる。
(――聞き間違いじゃ、ない)
彼の吹く
いや、経験則からして、おそらくアレは人ではない。竜だ。竜の鳴き声だ。仲間に呼ばれたと思った竜が、今行くよ、という合図でこういう音を立てる。かつては毎日聞いていた音だ。
けれど、鎧を得て呪われた彼にはけして聞こえぬはずの音である。
疲れから来る幻聴ではないかと自分を疑った。
何しろ、応じる音は微かに聞こえど、一行に本人が近づいてくる様子もなければ姿も見えない。
どこか遠くで、答え続けているだけなのだ。
怪訝な顔をしてこれはどういうことだろうと考え込んでいた騎士が、ふと一つの仮説にたどり着く。
助けを求めるつもりで吹いた笛に、別の誰かが助けを求めている、という可能性だ。
そう思うと、相手がいつまで経っても移動する気配がない代わりに応答をやめることもない理由にも多少は納得がいく。
(あるいは罠。あるいはやはり幻聴。あるいは……まあ、せっかく進展があったんだし。これで向こうが黙っても振り出しに戻るだけ、今はこの変化を追おう)
笛に息を吹き込みながら、騎士は耳を澄ませる。
相手の音を探してうろうろ彷徨い、最終的にたぶんこちらだろうと崖のある一点に手を置いた。
するとまるで扉が開くように、そこに道が現れる。
何の前触れもなく、崖にぽっかりと穴が空いた。
しかも穴の中にあるのは下り道だ。迷宮の更に奥へと誘っている。
いきなり目前に現れた怪しすぎる選択肢に、さすがに騎士は躊躇を示した。
大体彼が行きたがっているのは上だ。また下か! と辟易してしまうのも仕方ないだろう。笛を吹く音も、なんだか気の抜けたような調子になる。
けれど、道の向こうから変わらぬ声が返ってきた。
弱々しくて、今にも消えそうで、それなのにこちらが吹けば必ず向こうも鳴く。
律儀なのか、必死なのか――。
好奇心。騎士としてのプライド。何に最終的に背中を押されたのかはともかく、黄金色の目が彷徨っていたのはほんのわずかの間だった。
フラフラと騎士は、導かれるように、誘われるように、暗く狭い道をたった一人で降りていく。
時折吹く
足音がうるさい。呼吸がうるさい。心臓の音がうるさい。水音が、せせらぎが――せせらぎ?
そこでふと足下を見て、彼はぎょっとした。
いつの間にか、そこは黄金色の液体で満たされている。
本能が警戒を促している。呼吸が乱れ、心拍数が上がる。
近づいていくと、逃げる様子もない。
彼が足を動かすと、今やざぶざぶ音が鳴る。水の抵抗がもどかしい。いつの間にか、くるぶしほどだった水位がすっかり膝まで上がってきている。倒れたら溺れる深さだ。
急いで、でも気をつけて、
そして彼は終点にたどり着いた。自分を呼んでいたものの所にやってきた。
それは
球体は楕円形で、見上げるほど大きい。ほんのりと温かくて、触ると奇妙な柔らかさ。まるで人肌のようだ、と思いついた騎士がうえっと顔をしかめて手を引っ込めようとした瞬間、変化は訪れた。
騎士の胸に下げられている
球体がそれに呼応するように揺れた。脈動にも、呼吸にも似た動きに、騎士は思わず後ずさる。
ざぶざぶと水音が鳴る上で、ぴしりと球体にヒビが入った。
びしびし音を立てながらどこまでも広がっていき、縦に入った幾重もの線が完全に球体を覆ったとき、弾けるようにそれは割れた。
球体の中から何かがこぼれ落ちる。
騎士は反射的に武装していた。
喉の奥から漏れる音は聞き間違えようもない、
呆然と騎士は立ち尽くし、球体から這い出て
なめらかな鱗は黄金色の液体で濡れているが、身体の色は青色系統だろう。首がやや長くシルエットは細長い。今はまだ不格好だが、ちゃんと姿勢を取れば優美な線を描くことが想像できる。
何度も瞬きながら次第に焦点を得て光を増していくきらきらと輝く黒い瞳は、満天の星空にどこか似ている。
その双眸にしっかり自分が映っているのを見て、騎士は思わず鎧の下でうっと首を絞められたような音を立てた。
ぷるぷるとずぶ濡れの頭を振って少しさっぱりしてから、生まれたばかりの竜はくるるるる、と喉の奥で音を鳴らした。
それは竜特有の甘え声であると知りつつ、騎士はしばらく何もできずにその場にただ突っ立っていた。
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