葛藤

 迷宮の最奥。

 それは冒険者にとっての原点にして終着点だ。


 女神イシュリタスは、迷宮の出来事すべてを知覚し、掌握している。

 けれど彼女はただ与えるだけの神ではない。

 対価に従い、願いを叶える。


 ゆえに、彼女の前までたどり着くことのできた人間には、その対価を持ってなんでも望みを実現させる。


 無論、デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカとて冒険者の一人。しかも特級冒険者、だ。すなわち単独で最奥まで至ることも不可能ではない、という評価をされている。


 今まで野心がなかったのではない。

 難所とされる試練の間にも、足を踏み入れたことがある。


 けれどいつかは、と思い続けつつ、そのいつかは今ではない、と漠然と考えていたのも、事実だったのかもしれない。


 今、果たせ――。


 その言葉を受け、つかの間黙り込んでしまったデュランに、一瞬だけ領主としての威厳を見せたダナンがバリバリと頭をひっかいて補足する。


「あー。安心せい。お前は現時点で結構ボロボロだが、装備は時間内でできる限り整える。あと、ついでに今のお前さんには強力なアドバイザーもつく」


 アドバイザー? と首を捻った竜騎士は、父が苦虫を噛みつぶしたそうな顔で女神官に視線を送っているのを知ると、自分も似たような表情になる。


「……枢機卿が?」

「お供しましょう。盾ぐらいにはなってみせますよ」


 声に出すと、応じるように女は言った。

 息子が思わず父の顔を見ると、彼は相変わらず苦い顔である。


「わかる。儂もね、すごくね。色々言いたいことはあるんだけどね」


 枢機卿――ユディス=レフォリア=カルディもまた、冒険者資格を元々持っている。


 意外にも冒険者としての格は一級止まりだ。特級――最上級であるデュランとザシャよりは落ちる。


 しかし、それは彼女にとって冒険者稼業が本分でなく副業、という態度を本人が示し続け、またそのように自分を扱えと周りに主張していたがゆえ、である。

 法国序列第二位――格が低すぎて侮られるのも問題だが、あまりに冒険者としての名声が高いのもそれはそれで考えもの、ということだったのかもしれない。


 実力は特級相応であろうということは、前々からデュランもその他の人間も感じていた。というか、ついさっきボコボコにされて思い知った事である。


 しかもほとんど戦闘に集中していたデュランやザシャと違い、彼女はずっと神殿に結界を張り続け、また途中で戦闘不能になった弟子達も庇い続けていた。ずっとハンデを抱えながら、竜騎士と殺人狂を同時に相手していた、ということになる。


 さてこのように考えてみると、実力としては申し分なく、むしろ頼れる相手だ。

 が、さっきまで殺し合っていた仲の相手を頼りにしていいのかと言われると、即答はできない。


 これはどう判断したものか、と迷っているらしい親子の空気を肌で感じ取ったか、ユディス=レフォリア=カルディは声を上げる。


「先ほども申し上げた通り、事ここに至ってはもはや迷宮を攻略する他に人類生存の道はない。我々の利害は一致しているはずです」

「貴方の考える人類は、法国の人間だけだろう?」

「ええ。ですがこの危機を放置すれば、世界中の人間がことごとく死に絶えます」

「そもそも、その危機を招いたのも貴方では?」


 デュランの声は冷ややかで、不快の類いの感情が混じっていることがありありとにじみ出ている。

 領主は息子を窘めず、女神官を静観した。


 部屋の隅、ずっと白い顔のままでいた少年が声を上げようとするが、押しとどめるようにそこに手のひらを向け、枢機卿は唇を薄く開く。


「――帳消しになる、とは思っていません。ですが、わたくしが間違いであった、と断じられる時でもないと考えています。常にその時の最善を。最善が選べぬのなら、より良きを。それができずとも、最悪ではない道を。臣を恨むのは道理ですが、それのみを決断の理由にするのはいささか早計かと」

「なるほど。しかし確かに宅の息子も万全とは言えなさそうなナリだが、御身は御身で不都合を抱えているように見受けられる」


 ぐ、と奥歯を噛みしめた息子に変わって、領主は別観点からの同行への危惧を口にする。


 ユディス=レフォリア=カルディが実力者であることは先にも再度述べた通りだが、けれど今は負傷者でもある。しかも傷ついているのは、術士にとって大事な目だ。そもそも傷が癒やしきれていない、という事実そのものが、術士として完全な状態ではないことを如実に表している。


 けれど責を問われても堂々とした態度を崩さぬ女は、軽く首をすくめたのみだった。


「言ったでしょう、。ああ、足手まといを心配されているのでしたら、臣は竜騎士閣下に勝手についていくだけですから、気に入らなければいつでも捨て置いていかれるのがよろしいかと。犬死にしても恨みません」

「つまり同行者ではなく、目的地を同じくする道連れであると。なるほど、ならばこちらが危機になった折にも、そちらが危機になった折にも、。それでいいな?」

「はい。相違ありません」


 領主に顎で示されると、元から渋くなっているデュランの顔に更に皺が増えた。


 デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカは超一流の竜騎士だ。それは戦闘力のみならず、人々の規範たる行動を取らねばならない、という事をも意味している。加えて本人の性格も、根はお人好し寄りだ。


 つまり今の父の言葉は、神官に対しての確認ではなく、どちらかというと息子に対しての「何かあったら奴を見捨てて任務続行しろ」という意思なのである。


 元は憎からず――あくまで親愛の方だが、その高潔な在り方を敬愛していた相手であり、けれど現状亜人に次いで許しがたい事をした人物であり、しかし切実にリソースの足りない身では、協力の申し出を突っぱねる事もできない。


 ドラグノスは既に無双の鎧ではない。相変わらず、人ならざる膂力と外界からの防御は可能にしているが、以前ほど万能とはとても言えなくなった。本来、鎧を纏った状態の持ち主がシャンデリアに貫かれるなど、あり得ないはずの出来事である。


 自分の動揺のせいか、シュナや女神に異変が起こったためか。あるいは元から借り物の装備、今までうまくいっていた、と思っていたことが間違いだったのかもしれなかった。


 加えて最も厄介な問題は、一連の事件の首謀者とも言える男が既に一歩先を進んでしまっている、ということだ。


 放置どころか、こうして迷っている時間すら惜しい。危険の多い迷宮内とは言え、奴に野垂れ死にを期待するのはあまりに楽観に過ぎるだろう。


 もし万が一迷宮内部にたどり着いてしまったら、何を望むのか――想像するだけでおぞましい。


 総合すれば、ユディスの提案は受けるべき、むしろ受けるしかない、と頭ではわかっている。わかっている、のだが……。


 まともな相づちではなくうなり声で返答した息子に、やれやれと父親は首を振った。


「……ま、そのなんだ。こうしてじっとしていても状況は悪い方にしか進まん。一時間後に再集合! それまでに色々済ませてこい、息子や」

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