姫 お外に行けそう
結局シュナは心配性のデュランのせいでしばらく城内に籠もりきりになった。しかし退屈だとか暇だなんてことは全く言えない状況だった。
何しろシュナも(たぶんデュランも)すっかり忘れかけていたが、ファフニルカ侯爵夫人は転がり込んできた娘にビシバシ教育を施すことを宣言していたし、実際その通りに行動したからだ。
シュナの体調が回復すると、早速マナーに言語に歴史に数学に、刺繍や音楽、それぞれ教師が派遣されてきて、お勉強の時間と場所ががっちり確保されていた。何もかもわからないことだらけ、知ってみれば試してみたくなることだらけなのだ。
質問ができないのがもどかしいが、シュナがとても熱心な生徒だったので、どの教師達も好意的だった。
空き時間は図書室がお気に入りの場所で、中でもシュナが一番必要としたのは地図だった。
町の地図、国の地図、世界の地図……勉強の時間にせっせと持ち込んでこれはどういう場所なのかと指差すと、教師は快く広い世界のことを教えてくれた。
(なんてこと……このお城だけでも目が回るほど広いのに、外には町が広がっていて、さらにその外までが迷宮領という一つの国で、そしてその外に、もっと大きな国が三つもあるの? それだけたくさんの人がいるの?)
小さな一部屋で慎ましく暮らしていた娘は、途方もない話にくらくらした。迷宮領という場所が結構複雑な人間のしがらみの中にあり、デュランはとんでもなく忙しく気苦労の絶えない立場であることも改めて認識した。
同時に、その割には領主も跡継ぎもちょっとのほほんとしているような……? と思わないでもなかったが、根を詰めすぎても辛く、案外緩い方が務まる役割なのかもしれなかった。
大まかに、百年前に広がっていた帝国が分裂して今の国ができあがっているという歴史も講義を受けてようやく知った。しかしその次の重要部分、では自分はどこの時代、どの場所に所属する人間なのかは依然として不明だ。
何しろ迷宮は時間、空間共に人間達の世界とは隔絶され、異なった理の元にある。もしかしたら迷宮に戻って竜達に聞いてもわからないかもしれない。シュナと外界との繋がりの手がかりがあるとしたら、鍵になってくるのは父だろう。
外見の特徴、甲冑姿の男達とのやりとり、塔で過ごした日々の記憶から断片的に得られる情報は多々ある。今はまだ具体的にどう形にすればいいかはっきりとしなくても、きっと父は自分を助けてくれるだろうとシュナは思った。
だって、彼がそう言ったのだから。目に見えずとも、ずっと側にいると。たとえ一番でなくとも、大事ではあったはずなのだ……。
しかし外見という点について注目するなら、シュナの現在の姿は父に酷似している――というか、父の姿を借りているようなものだ。
彼を知っている人間がいれば何かしらの反応があってもいいと思うのだが、たとえばシュナの顔を見てファリオンの名を出す者は今までいなかった。せいぜい顔の痣を痛ましそうに見つめるぐらいだ。
まあ、これからまだ大勢の人間と接することもあるだろう。いずれ機会は向こうからやってくるのかもしれない。危険な賭になるのかもしれないが。
――何にせよ迷宮だ。色々考えてみても、やっぱり迷宮という結論に戻ってくるしかない。だって人間のシュナは喋れないし、自分の正体を明かせないのだ。こういう作戦だって、本当は誰かに相談してああでもないこうでもないとやりたいのに、結局自分の頭を抱えてうんうん唸るしかないのが辛い。
少しでも城内から迷宮に近づくため、シュナが一番必要性を感じたのは地図だ。
説得して連れて行ってもらうという一番温厚な方法、武力行使という一番手っ取り早い方法、両方不可能なら、後はもう誰にも気がつかれずにこっそり隠れて決行するしか手段がない。事前準備、特に脱走ルートの確保は必須事項だ。
ここでまずネックになったのが城内地図の存在だった。
町の地図はあるが、城内の地図は欠けている。
騎士達が訓練をしていた所のような、皆で利用する公共施設部分には案内図があるが、シュナが過ごすことを許されている領主達のプライベートエリアには地図の類がなかったのだ。
「あー。もしかしてお嬢様、迷うからお部屋周りの図がほしいとか、思っていらっしゃいます? 表の部分やゲストルームの方は案内図が色んな所にありますものね」
図書室で片っ端から地図を広げ、特に町中や城内の様子を記載している本を並べていたシュナの様子から察したのか、休憩のお茶を持ってきたコレットがそんな風にぽつっと漏らした。
もっと詳しく! というシュナの念に応じ、彼女はぺらぺらと続ける。
「裏の方というか、領主一家の使用するプライベートルームの方はですね。見取り図、ある所にはあるらしいんですけど、詳細は非公開なんですよ。我々使用人も、頭で覚えるように特訓されるんですよ。もう最初はほんっと迷いに迷って、何度も恥をかきました。ま、私的な空間ですから大々的に開放するのはちょっと、ってことでしょうから、仕方ないですね。それにほら、一応ここ、お城ですし? 万が一迷宮に何かあったとき最初に対応する場所兼踏ん張るところですから、軍事機密的にもあまりそういうことは外部に公表したくないとかなんとか……」
後半いかにも誰かから聞きかじったことをうろ覚えで喋ってますという状態だったが、大事なのは話し方ではなく内容の方である。
言われてみればなるほどその通りだ。ならば我が頭で覚えるしかない。
しかしここで思わぬ壁が立ち塞がった。デュランだ。
デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカの過保護は思いもよらぬ強敵だった。
シュナは城内、領主のプライベートエリアをうろうろしている間は比較的自由に過ごすことができたが(それもそれでどうかと思うが)、例えばそこから公共施設に移動しようとしたりすると途端に渋い顔をされた。
領主夫妻なんかは「自由時間は好きにおやり、お供はつけるから」というスタンスのようなのだが、どうもデュランはシュナ(というかトゥラ)が自分のエスコートなしに知らないところに行ってしまうのを嫌がる。
彼は自分のことを幼児か何かと思い込んでいるのだ、と憤慨したシュナだが、実際人生経験としてはほぼ零歳児同然、なのでその意味ではあながち間違ってもいないどころか彼の方が正しい。
正しいが、シュナの目的にはデュランの優しさが――もうはっきり言ってしまうが邪魔だ。言葉の話せない状態では、改善案を提案するようなこともできない。頑張ってジェスチャーしてるのだが、可愛いね可愛いねだけで周囲に流されてしまうもどかしさ。
しかし救いの手は差し伸べられた。大体シュナが室内でじりじりしながら過ごして数日後のこと。朝食を終えるとリーデレットがやってきて微笑んだのだ。
「さて、トゥラ様。本日は外出許可をもらってきましたから、あたしとデュランと一緒にお外に行きますよ! ずっと室内にいると息が詰まっちゃいますよね? ってことで、申請させていただきましたから」
ウインクした女騎士にシュナが感激の意を示す(つまりぎゅっと抱きつく)と、ぽんぽんと頭を軽く撫でながらリーデレットは大きなため息を吐き出した。
「そうよねえ、いくら心配だったり大事だったりって事情を抱えてるにせよ、こんな軟禁一歩前の状態はさすがにね。どうかと思うわよね」
心を込めてシュナは同意の方向に首を振った。
(ようやくお外に出られる……!)
はしゃいで飛び回りそうな勢いの淑女だったが、着付けができないとコレットに怒られると大人しく鏡の前に戻った。
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