姫 うとうとする

 ぽーっとした頭のまま、もうすぐもうすぐ、と言われ続けそれなりの距離を疲れ切った身体で飛び続け、目的地へは最終的にへとへとになりきった頃たどり着いた。

 エゼレクスがシュナを先導した先は、竜達の待機所だそうだった。


《人間にとって僕らを待っている場所は第一階層なんだろうけど、僕らが普段羽を休めに来るのはここだからね》


 彼はそう、簡潔な説明のみにとどめる。いや、もっと色々喋りたかったのかもしれないが、縦穴にシュナ達が入り込んだ瞬間周囲から上がった大歓声に消し飛ばされたのだ。


 怒濤のお帰りコールで眠気が吹き飛びかけたシュナは、一瞬飛行姿勢を乱す。彼女の下に入り込んで踏み台になってから、エゼレクスはきっと眼をつり上げた。


《うるさい! 今からシュナは寝るんだよ! 黙ってろ!》


 ブーイングが飛んでくるかと思ったら、喧噪がピタッと静まり返った。その代わり、降りていくとあちらこちらから控えめな声量で《頑張ったね》《お疲れ様》《ゆっくり休んでね》とささやき声が飛んでくる。これはこれでこそばゆい。


 不思議な場所だった。円筒型の建物は、円部分がくりぬかれた吹き抜けのようになっており、周囲の壁にもまたアーチ状の入り口がずらりと並んでいて、その奥がそれぞれの部屋になっているらしい。


 遙か下、円の中心には巨大な金色の噴水が薄ぼんやりと見えた。


(ここ……昔絵本で見た、闘技場に少し形が似ているのかも……コロシアムって言ったかしら? あれをもっとずっと縦に細長くしたような、そんな感じ……)


 エゼレクスの後を追いながら、どこかで見たような場所の気がする、と記憶をたぐっていたシュナはなんとなくの思い当たりを探し出すことができた。ちょうどほとんど同じタイミングで、エゼレクスは無数の部屋の一つに勝手知ったる様子で飛び込んでいく。


《……まあ!》


 シュナも続いて入っていって、思わず喜びの声を上げた。


 というのも、竜の彼女に広すぎず狭すぎずなその空間は、色とりどりの鮮やかで美しい布で彩られていたからだ。

 エゼレクスが恭しく道を譲るように下がってから顔で示した先には、ふかふかの寝床のようなものがあつらえられている。


《もしかして、今日はここで寝ていいの?》

《いいよ。君が来るって言ったらずっと何を置くかでまとまらなくてさ。とりあえず寝るのによさそうな物を集めてきたんだけど……》


 本当に片端から持ってきたのだろう。バリエーション豊かとも言えるが、一方で全くデザインに統一感がない。

 しかしこれはこれで見ていて楽しい物だ。加えてシュナは今日、疲れ切っている。竜の姿の時は岩場で寝ることが当たり前になっていたが、やっぱり柔らかな布類に埋もれて夜を過ごせる感覚は格別だ。


 いそいそと寝床の中心に上っていって丸くなると、追いかけてきたエゼレクスが周辺の布をいくつか引っ張ってシュナの身体を埋もれさせる。


(ふかふか……幸せ……)


 早速目を細め、早くもまどろんでいる彼女にお休みの言葉をかけ、緑色の竜は部屋を出て行く。

 少し遠くで彼が野次馬に来たらしい他の竜を散らしている音が聞こえてきたが、すぐに眠気の方が勝った。



 ***


 誰かが歌を歌っている。

 調子外れの下手くそな鼻歌は、どこか懐かしく、そして悲しい。


 今回の彼女は竜の姿、どこか見知らぬ暗がりの中にいた。

 どうも青色の身体だけがぼんやりと浮かんでいて、他の周囲の光景が見えない。


 尻尾をゆらゆら揺らしていた彼女が、ふと歌をぴたりと止めたかと思うと、首をかしげた。シュナにそっくりな仕草で、銀色の目を瞬かせている。


《だいじょうぶかしら。あのこは だいじょうぶかしら》

《問題ありませぬとも。今日は水中形態を習得したらしい。毎日成長している》


 どこか舌足らずな調子で喋る彼女に、暗闇の中から応じる声がある。

 彼の体躯はもともと真っ黒だから、辺りが闇に包まれている状態だと薄ぼんやりどこにいるか当たりをつけられる程度だ。アグアリクスの声は落ち着き、慈愛に満ちている。女神は目を丸くして呟き続けている。


《まだ、あかちゃんなのに。おなかのなかじゃなくても、へいきなのかしら?》

《平気だとも。そこから出て行くのが子供というものであるよ。成長というものはまぶしいな。我々にはない速度で、あの子は日々変わっていく》

《でも、しんぱいよ。しんぱいなの。しんぱいが つきないわ。ほんとうに、あのこはそとで いきていけるのかしら? あんなにかわいいこを もういちど ざんこくなせかいにはなつなんて。わたし、できそうにないわ》


 アグアリクスの応答はなかった。答えに窮したか、考えているのかもしれない。その間にシュリは長い首を伸ばし、ああ、と悩ましげな吐息を漏らした。


《だれか はやく ここに、ここに。おりてきてくれないかしら。わたしのなかから、あわれなあのこを つれだしてくれないかしら。わたしがこわれきるまえに。わたしがわたしでいられるうちに》

《――ああ、ああ。でも、そんなのだめよ。でていっては、いけないわ。ここがいちばん あんぜんなのですもの。あんなやばんな にんげんたちなんかに わたせないわ。わたし、しっているのよ。あのひとたちが わたしのむすめを どんなふうにあつかうつもりか……》

《ふつうに、たいせつに、してほしいだけなのに。どうしてそうならないのかしら。わたしがばけものだから? だからファリオンも、しななければならなかったの?》


 アグアリクスもまた、徒労感をにじませたため息を吐いている。

 彼女はブツブツ呟いていた。答える声があろうと、なかろうと。


《だいじょうぶかしら。あのこは、だいじょうぶかしら?》


 同じ言葉を繰り返している。その姿はなんとも痛々しい。


 大丈夫だ、と返したかったが、けれど言葉は出てこなかった。


《……わたしがいなくなっても、あのこはちゃんと いきていけるのかしら》


 だって、彼女がそんなことを言っているものだから。

 もし大丈夫と言って、本当にそう思われたら――この人をわずかにここにつなぎ止めている最後のか細い糸を、ブツリと断ち切ってしまうようで。


 耳を塞ぎ、目を閉じ、口をぎゅっと引き結んだ。



 ***


 目覚めたシュナは、夢のことを覚えていなかった。

 ただ、何か悲しい感情だけが胸の中に残っている。

 けれどそんな余韻もすぐに取り払われた。


 朝起きると待ちかねていたらしい竜達に次々にもみくちゃにされて散々世話を焼かれ、しかもその後、有言実行のスパルタ教官が、本当に新しいエリアにシュナを引きずっていったからである。


 目の前の課題に取り組んでいると、当面は嫌なことを忘れていられる。


 けれど、いつかは答えを出さなければいけない。

 それはそう、遠くない時間の話なのだと――予感ごと全て振り払うように、シュナは大きく身震いした。

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