地上/市街地 絶望の手

「どっ、せえええええいっ!」


 金髪の女騎士、リーデレット=ミガは吠えた。トレードマークのサイドテールが翻り、目の前の魔物が強烈な横なぎで一閃される。


 あっという間に塵となって消えていく敵を睨み付けていた彼女は、続く気配がないことを確かめてからほーっと息を吐き出し、静かに剣を鞘に戻す。


「デレ姐さーん!」

「その姐さんはやめなさいって言ってんでしょうが!」


 パタパタと駆けつけてきた巡回の騎士クルトは、威勢のいい応答にぴゃっと息を呑んだが、女騎士が元気いっぱいである事を知ると、こちらもへにゃっと相好を崩す。


「お疲れ様っす。お怪我はないっすか? ポーションは?」

「ん、まだ大丈夫よ。ありがと」


 リーデレットはさっと自分の体を見下ろしてから、にっこり笑った。全くの無傷、というわけではないが、ちょっと強く打ち付けたとか、その程度だ。切り傷は作っていないし、刺されたり噛まれたりということもなかったはず。


 次いで彼女は顔を上げ、ぐるりと周囲を見回した。


 ここは迷宮領の中心地区――商店街や冒険者組合等、人の集まる施設が連なり、昼も夜も活気に溢れているような場所だった。前に竜騎士閣下が、預かりの少女を遊びに連れてきた場所でもある。本来であれば、リーデレットが魔物を全て片付けるまで奥に引っ込んでいた、巡回の騎士の管轄であるはずだ。


 しかし、華やかで最も笑顔に溢れていたはずのその場は、今やひっそり静まり、あちこちになぎ倒された看板や置物、割れた窓や倒壊した建物の壁の残骸が連なっていた。


 もしこれが昼間、買い物や娯楽、あるいは仕事のために歩き回る人々がいる間だったなら、更におびただしい数の死体が積み上がっていたに違いない。


 領主の迅速な指示もさながら、人々がおおむね協力的であったことも幸いした。


「他は? 特に、まだ残っていたらしい人達とか」

「あっちの方もちょうど、ちょっと前に片付いたところみたいっす。さすがに怪我人ゼロとはいかなかったみたいっすが――あっ、一般人は大丈夫です、守れてるっす。汚したのは戦闘してた方で数人みたいっすけど、それもちょっと切られちゃった程度なんで、すぐポーションで治せるっぽくて」

「そう……ひとまずは安心していいのかしら。あの人達、今度こそ、大人しく移動してくれるといいんだけどね」


 女騎士はため息を吐き出し、クルトが甲斐甲斐しく差し出したタオルを受け取ってごしごし自分の顔を拭う。


 リーデレット=ミガの世話係と化しているクルト=シェヴァンシュテインとて、騎士の一人だ。戦いの心得が皆無というわけではない。

 とは言え、巡回の騎士はもっぱら地上担当――つまり対人関係の方が業務内容なので、魔物相手となると大分色々心許ない。


 というわけで、逆鱗の竜騎士であり一級冒険者でもあるリーデレット=ミガは、積極的に最前線に出ていたのだ。


「穴の方は?」

「そっちも特に変化なしかなーって……行ってみるっすか?」

「そうね。次が送られてくるのもどうせそこからなのだもの」


 リーデレットと巡回の騎士は、ひときわ建物等の損壊が激しい方へと足を進めていく。


 まもなく、元は複合施設が連なっていた、中央市街地でも最も目立っていた建物の一つがあった場所にたどり着く。

 けれどかつて迷宮領の顔の一つだった五階建ての建物は、今や影も形もない。

 代わりに、出現と同時に辺りのあれこれをごっそり飲み込んだ直系10メートルほどの風穴が、今もそこに残っていた。


 ぽっかりと下に続くそれの先は、ある深さから染み出すような闇に包まれていて、全く先が見えない。


 二人が近づいていくと、先着者達が気がついて振り返り、声をかけてくる。


「やあ、リーデレねーさん。無傷? さすがっすわ」

「お疲れ様です、ミガ様」


 手を振った明るい頭髪でピアスをたくさん開けている男は商家の息子ペイテア。女好きでよく交際関係で問題を起こすが、一方で冒険者と騎士を兼任し、結構成果も出している男だったりする。槍を軽く握る手には、包帯のような物が巻かれていた。どうやらクルトが話題に出した怪我人の一人らしい。


 その横でぺこりと頭を下げたのは、普段冒険者組合で受付をしている女性だ。可愛らしく小柄な容姿をしているのだが、片手にひっさげているのは重たい鉄球から無数の棘が出ている打撃系凶器――いわゆるモーニングスター、と呼ばれるアレである。


 儚げな雌ゴリラのリーデレットしかり。全身武器庫な亜人冒険者のオルテハ=ヴァイザーしかり。


 なんで迷宮領の女子ってこうなんだろう、とそっと涙を拭く男性陣と、わかってないなそこがいいんじゃないか、と握りこぶしを作る男性陣の見解の相違は、未だ決着を迎えていない。


 ともあれ、この有事に当たって、冒険組合の関係者が騎士達同様前線に出てくるのは自然な事だ。


 ペイテアと受付嬢以外にも巨大な穴を取り囲んでちらほら人影が見えるが、冒険者と騎士達と、半々ぐらい、というところだろうか。


「何か異常は?」

「ナシ。なんでしょうね? これで打ち止めって事はないと思うんだけどなあ。小休止的な奴なのかね。理不尽かと思いきやたまにびっくりするほど親切なのが迷宮だからなあ」

「そう……侵入は? 先に行ったらしいデュラン達は追えない?」

「それも相変わらず。ここ、縁までは全然余裕で来られるじゃない? でもね、いざ飛び込もうとしてみると――」


 ペイテアは気楽に両膝を曲げた。うわわ、と慌ててクルトが止めに飛び出したが、それ以前に彼の膝は曲がったまま伸びて地を蹴るまで至らない。


「――ね。こんな感じ。明確に飛び込む意思の動きをすると、ロック。うっかり物を投げ込んだりとか、戦いの時魔物に押されて、って時も、なんか突風みたいのが吹いて戻される」


 冒険者騎士は、巡回の騎士をそっと押しのけて肩をすくめて見せた。

 クルトは釈然としない顔でそっとリーデレットの横に戻り、女騎士は険しい顔で俯く。


「そう……デュランは特級冒険者、一人で深層まで行って帰ってこられる人だけど、援護どころか様子見も連絡もできないか……」

「うまいこと、穴の入り口の辺りに誰か配置できればね。なんとか連絡も飛ばせたかもしれないけど……どのみち同じエリアじゃなきゃ、無線も通じないんだっけ?」

「あたしがうまいこと潜れたら、ネドを呼ぼうかと思ってたの」

「ああ。竜同士なら、なんか特殊な連絡方法でつながってるらしいからね」


 リーデレットは胸元を押さえて笑ったが、その笑みには陰りがあった。


 ――地上から迷宮に呼びかけたところで、お互いに届かない。

 それは知っていたが、どうにも胸に下げた桃色の笛の感触が今までと違う気がして、落ち着かない。

 そもそもこの明らかな緊急事態において、相棒の無事を確かめたいと思うのは当然の衝動ではないか。


(何かが……何かが、今までと違う。嫌な感じが……)


「皆様、いいお知らせですよ」


 弾んだ声に、周囲の注目が受付嬢に集まった。


 彼女は少し前から耳元に手のひらを当て、何かに聞き入るようにじっと目を閉じていた。どこか別の場所からの連絡を受け取っていたらしい。


「先ほど、北西の穴の封印に成功したとのことです。仮の措置ではありますが、ひとまず強度に問題はなく――竜騎士部隊が早速こちらに向かっているとのことです」

「隊長達が!?」

「それは心強いっす!」

「でかした、その分楽ができる!」


 ペイテアの本音に、クルトは半眼を、受付嬢は苦笑を向けた。

 しかし彼の腕の包帯に目を留めたリーデレットは、ただの笑い事で済ませられないと心を引き締める。


(一体一体は問題のない、さほど強くない魔物達だったけど。倒壊した市街地で戦うのに加えて、この一段落を迎えるまで、いつ終わるのかわからない戦いを続けさせられた。迷宮なら安息ポイントに逃げ込めばいい。けれど、地上にはそれもなさそう。この状況は、あたし達の思っている以上に、あたし達を追い詰めている――四六時中気を張り続けろというのは、人にとって酷すぎるもの)


「それにどうやら南の方も、まもなく封印が完了しそうだとか。神殿神官達と、ハリファリエ先生が大活躍だったそうですよ?」

「へえ、学者先生が?」

「えー……神官さん達はともかく、先生……?」

「じゃあ、あっちに行っていた冒険者達も戻せる?」

「ええ、そうみたいです――」


 和やかな談笑の時間は、突如強制的に打ち切られた。


 ぐら、と大きく地面が揺れる。


「――っ、なにが、」

「伏せろ!」

「クルト、こっち!」

「うわわっ――」


 混乱の中で、ペイテアが受付嬢に、リーデレットがクルトに手を伸ばし、庇いながら地面に伏せる。


 穴の周りに集まっていた他の騎士や冒険者達も、揺れで各々慌てている様子が伝わってきた。


 ぶわっ、とリーデレットは自分の首筋が粟立ったのを感じた。


「ペイテア、来る! いったん下がって!」

「ちっくしょう、良い知らせが来た直後にこれかよっ――」


 悪態を吐きながら後ずさる彼らの目の前、穴の中から、何かが飛び出してくる。


 それは急速に成長する植物にわずか似ていて、みるみるうちに高さを増し、天に向かって花開くように広がる。


 目をこらし、群れるその一つ一つがどんな形をしているか気がついた冒険者達は、一斉に驚愕あるいは不快に表情を歪める。


 ――だが、リーデレットはより正確に、地中から天に伸びるそれが何者であるのかを悟った。そしてその絶望を感じた。


「そんな……」


 呆然と天を振り仰ぐ。


 穴の中から溢れた無数の女性の手は、星に届こうとでもするかのようにぴんと突っ張って――次の瞬間、地上の命ある者達の上に、雨のごとく降り注いだ。

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