memoria02: a bitch

 その日はいつもとは違っていた。



『×××。わたしは対話を希望します』


 繰り返される何度目かの応答。


『――あ。ああ、はい、イシュリタス。どうしました?』


 箒を握ったままの女の返事がワンテンポ遅れる。

 培養槽の中で首を傾げてから、彼女は唇を開いた。


『疑問。×××は疲れているのですか?』

『……えっ?』


 ×××は色黒の女だった。

 彼ら人間達の言葉で言うと、褐色肌、というものらしい。


 生まれつき肌の色が他人より濃いのだ、そういう人種なのだ、と×××は説明していただろうか。


 白衣を着た人間達は、白い肌が多かった。

 センセイも白色をしている。センセイは特に身体も頭も服装も真っ白だから、すぐ見分けられる。


 色白だと、顔色が変わるのがわかりやすい。

 ×××は肌が黒い分その辺りが人間からは読みにくいそうだけど、学習を続けた今の彼女にとって、目の前のリアルタイムの人間の生体情報を見抜くことなど造作もなかった。


『バイタルの乱れを感知します。推奨、十分な休息。あるいは心理的な苦悩、でしょうか。ストレスに依るもの、とわたしは推測します』


 目を細めて言う彼女の言葉に、女はびくりと身体を震わせた。

 他の白衣の人間達と話すときも、彼女はいつもそうだ。


『――はは。あはは、は……本当に、すごいや。もう、隠し事なんて何もできなくなっちゃいましたね』


 へらり、と笑った後、×××は迷うような仕草を見せた。

 彼女は様子を見て、待機を継続するか催促の声を上げるか考えている。



 その日は、今までのいつも、とは違っていた。



 耳慣れた電子音が鳴り響く。

 彼女は培養槽の特殊強化ガラスにぺったり張り付くのをやめ、自分を満たす液体の中にふわふわと漂って目を閉じた。


 ×××以外の人間は彼女と距離を取りたがる。

 一方で、彼女を構おうとする×××にも、なんだか冷たい態度である節々が見受けられた。


 だから彼女はほんの少しだけ気を利かせて、第三者の前ではさほど関わりのない態度を示す。


『なんだよ、こんなところにいやがったのか』

『――あ』


 粗野な声が響くと、また×××が怯えたように身体を震わせた。


 部屋に入ってきたのは、白衣の男だ。

 イシュリタスにとってはさほど興味がない大勢の中の一人。個体名は覚えていない。強いて言えば、明るい色合いの髪が目立つ。


 フラフラと、けれど大股に歩み寄ってきた男が、×××の腕を強引につかむ。


 そのまま彼は、彼女と唇を重ねた。


 突然のことに驚いていたらしい×××は束の間硬直していたが、はっと我を取り戻すと男を押しのけようと腕を突っ張った。


『――っ、やめてください、こんなところで――!』

『こんなところ? じゃあなんで引きこもってやがる。とっとと来い!』


 ×××は身体が大きい方ではない。

 おまけに相手は男だ。

 ずるずると引きずられていく彼女が、助けを求めるような目をこちらに向けようとして、寸前でそのことを自覚し、逡巡し――結局は俯く。


 肩を抱かれたまま出て行く男女の後ろ姿を、イシュリタスは人間達の知らない目からじっと見つめていた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る