秘密持ち 礼拝に参加する

 内向的とまでは行かないかもしれないが、元々シュナは人見知りする性格である。

 単純な話、今まで会った人間の数が他人より少ないから、慣れていない、という部分もあるだろう。好奇心は常にあるが、未知は常に一抹の不安をまとってもいる。とりあえずニコニコ笑みは浮かべてみるが、その後どうすればいいのかはよくわかっていない部分がまだ大きい。


 ユディス=レフォリア=カルディとは以前の面識がある上、その弟子であるルファタ=レフォリオ=プルシには前に怪我の治療をしてもらったことがある。だからこの二人のことは、一応既に見知っていると言える。

 カルディの方は未だ得体の知れない底知れなさのような物を感じてしまうところはあるが、弟子の方はかなりとっつきやすかった。なんというか……しっかりしてはいるのだが、初々しさを感じるところもあって。それにかなりの正直者らしく、考えていることが割とすぐに顔に出てくることも好印象だった。


(無表情のままの方って、何を考えているのかわからなくて。そこが少し、怖い……)


 感情の表現が激しければ良いというものではないし、あのデュランを度々困らせている亜人冒険者のように、笑みを浮かべていても何を考えているのかわからないような輩も世の中には存在する。だが、やはり機嫌の良し悪しぐらいはすぐ顔に出してくれる人の方が、なんとなく接しやすいように思えるシュナである。



 さてそんな彼女は、多数の見知らぬ人間達の視線を浴び、だらだら内心冷や汗を垂らしながらすっかりカチンコチンに硬直していた。

 若干苦手意識が強くなりつつあるカルディと二人きりという状況も既に緊張の元だったのだが、カルディが開けた扉の先、一斉に神官達の注目を集めると、頭の中がすっかり真っ白になってしまった。


(大きい建物だもの、見えないところにたくさん人がいるとは思っていたけれど……!)


 町中に出た時も大勢の人間を見て酔いかけたような人間には辛い。しかも朝浴は一人で済ませたし、食事だって昨晩と同じの極めて少人数での行いだから完全に油断していた。真っ青になったシュナはさっとカルディの後ろに姿を隠すが、高位神官はそれに気づいていないのか気にしていないのか、ぐるりと室内を見渡して良く通る声を張り上げた。


「お客様に失礼ですよ。いつも通りになさい」


 ざわめきはすぐに収まり、ひそひそと囁き交わし合っていた男女はぴしりと姿勢を正して前を向く。だがやはり、ちらちら好奇の目が飛んでくることまでは妨げられなかったようだ。


「さ、貴方はこちらに」


 手を引かれ、シュナはぎこちなく身を縮こまらせたまましゅんと従った。


 この場所は、道行きの最中に礼拝堂とか説明されていただろうか。入ってきた扉の真正面にはまっすぐ通路が伸び、その左右に規則正しく木製の長椅子が連なっている。奥――というか、座席が向いている方向からしてあちらこそ前と呼ぶべきなのだろうか。一段高くなっている場所には、大きな机のような、台のような物があり、あそこで誰かが話すのだろうとなんとなく察せられる。台の後ろには鮮やかな色合いの窓が鎮座していた。いや、そこだけではなかった。ぐるりと見渡したこの部屋の周りの壁の至る所に彩り豊かな模様の窓が規則正しく並んでいる。見上げた屋根からもまた何か描かれているようだが、あいにくうつむき気味のシュナには上の方をあまり熱心に観察できる余裕がない。


 ずらりと並ぶ席の中、まさか――と思っていたら嫌な予感は当たった。後ろの端の席、というか何なら居並ぶ神官達の端っこにこっそり立たせてくれればいいものを、カルディは真ん中の通路を抜けて、あろうことか一列目の席にシュナをエスコートしてしまう。


 唯一の救いと言えたのは、到着した先、隣の席がルファタだったことだろう。


「……大丈夫ですか?」


 喋ることができていたら何も取り繕わず「いえ、あまり」と答えていただろうシュナである。しかし、見知った人が気遣わしげな目を向けてくれると少し呼吸の仕方を思い出した。


「気分が優れないようでしたら外にお連れします」


 と言われるが、それはそれで更に一層人目を集める気がして、ぶんぶん首を横に振る。


(だ、大丈夫……話を聞くだけでいいって言っていたもの、きっと大丈夫なはず……!)


 カルディはルファタの隣にシュナが座ったのを確認すると、そのまま前の台まで歩いて行く。彼女が台に立つと、神官達が立ち上がった。少々遅れ、慌ててシュナも同じようにする。大勢の人間がほとんど同じタイミングで礼をする様は、なんとも迫力があった。一人だけあたふたしているシュナを、ルファタが優しく横から手を出して礼をさせたり座らせたりしてくれる。


 朝の礼拝とはそうして始まった。

 まず一番前の席でカルディが今日の日付を知らせると、すぐに人が交代する。どうやらあの台に仕掛けが施されているようで、台上の人間は普通に喋っているようだが、大勢の人間が集まる広い空間には何倍も大きい声がどこからか届けられているようだった。やはり高位の神官なのだろう、年かさの男が、手元に用意した紙に視線を落としたまま、本日の予定を読み上げていく。それが終わるとまた人が変わり、今度は本日の星句、とやらの話を始める。


(……不思議な時間だわ)


 どうやら分厚い書物の一節を引用した後、その内容について個人の意見を述べているようだった。一人目が終わると、二人目がまた別の意見を喋る。それにずらりと座った他の神官達が、真面目な顔で耳を澄ませている。

 しかし正直シュナには少々内容が難しいようだった。そして前で喋る人間が誰も彼もこれまた抑揚の薄い小さな声で話をするもので、短時間ですぐ意識が朦朧としかける。


 けれど船を漕ぐには至らなかった。再び立ち上がらせられたかと思うと、合唱が始まったからである。


「立っているだけでいいですから」


 とこっそり耳打ちしたルファタは、まだ男になりきっていない高い声で美しく旋律を奏でていた。カルディの声もよく聞こえる。彼女は本当に――なんというか、こう、目立つ声の質をしているのだ。


 しかし最初は驚きつつも歌を楽しんでいたシュナだが、そのうち表情が強ばり、体がまた緊張して縮こまってくる。

 星の神をたたえる歌の一節に、欲を律せよ、悪しき物を滅せよ、この世全て自然となれ――というようなフレーズが盛り込まれていた。


 さすがにきっぱりはっきりと名指しはしていないが、昨晩のカルディと弟子のやりとりでも彼らの価値観は感じ取れる。


 欲を駆り立てる悪しき物。それは迷宮だ。どんな望みも見合う対価さえ差し出せば叶えられる――そう言われているあの場所は、間違いなくこの信徒達にとっていずれ倒されるべき悪の一つ、なのである。


(やっぱり、ここは居心地が悪い。わたくしは、ここにいるべき者ではないから)


 元々あまりよくないように思えていた気分がさらに悪化したような心持ちだ。ぎゅっと父のローブを握りしめ、目を伏せてこの時間が早く過ぎることを願う。


(早く、帰りたい……)


 心細さの中でふっと最初に思い浮かべたのは、花畑でも、闘技場のような竜達の寝所でもなかった。

 赤毛の男が、幻影の中で微笑み、手を広げる。


 ――そう。あの場所に行きたいと、思ったから。危険を承知で、無理を言っても、出てきたのだ――。


 歌が止む。どうやらこれで礼拝は終わりらしく、カルディが終了の挨拶を告げていた。

 ほっとシュナが息を漏らしたその瞬間、カルディの声のみ響き渡るしんとした空間に異音が紛れ込んだ。


 バタン、と勢いよく扉が開かれた音に、皆が何事かと振り返る。


「いえ、困りますって、もうすぐ終わりますって言ってるのに――」


 礼拝堂の入り口で、門番だろうか? 地味な色合いの神官服の男が喚いているのに構わず、青年はつかつかとまっすぐ、真ん中の通路を歩いてくる。

 振り返ったシュナがはっと息を呑むと、ちょうど何か探すように彷徨っていた視線がこちらにカチリと噛み合った。


「――トゥラ。おいで!」


 大きく手を広げ、彼が呼ぶ。

 立ち上がった娘はぱっと顔を輝かせると、迷いなく求めていた居場所に飛び込んでいった。


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