夜明け前

 領主の朝は早い。

 ほとんど夜明けと同時に一日が始まる。


 本人としては優雅に惰眠を貪っていても差し支えない性格をしており、独身時代は時間にルーズですらあった。

 厳格な父が存命だった頃は顔色をうかがっていたが、早死にした彼の後を継いでいざ自分が頂点となると、途端に羽を伸ばし出す。監督官が消えてこれ幸いとばかり、若者にありがちな夜更かし寝坊を繰り返しまくった。


 ちなみに周囲から不平不満が出なかった訳ではないのだが、昔から人の顔を見るのが得意分野だった男は、ちゃんとするラインと自分勝手にするラインを巧みに見分けた。

 具体的に言うと、身内の集まりには遅刻やドタキャンの外道行為をするが、よそからお客さんが来たらお愛想よくお行儀良くを心がけていた。


 そのため、多少イラッとすることはあっても堪忍袋の緒が切れる、とまでは行かなかったのだろう。身内にかける迷惑も、倒れる人間が出るような事態には断じてしなかったし、時には相手の負担を背負う持ちつ持たれつ関係を続けていた。


 そんなわけで、領主になって少しした頃のダナン=ガルシア=エド=ファフニルカは典型的な夜型生活を満喫していた、というわけである。


 が、いかんせん彼が一目惚れし、外堀を埋めまくってなんとか結婚までこぎ着けた妻シシリアは、文明的な生活と態度、両方兼ね備えた男でないと人間認定してくれない御仁であった。


 領主ダナンが自由を謳歌できたのは新婚一ヶ月まで。

 むしろ一ヶ月間は黙って付き合ってくれていたシシリアに、「たぶんあれ、最大限気を遣ってくれてたんだろうな……」と当時を思い出しては甘く切ない気分になる年下夫である。


 シシリアは貴族らしからぬ朝型人間だった。元々「結婚相手がいないので修道院行って積極的に世に貢献します」と言っていたような女性だ。すごくきっちりした習慣をお持ちであった。


 きっかり新婚一ヶ月を過ぎた日、彼女はさあ今宵も夜通し愛を語ろうぞ、と張り切ろうとした夫に「時間を過ぎていますから」と無情に告げて先に寝た。妻の特技の一つに「目を閉じて三呼吸で寝落ちできる」があることを知ったのはこの時である。


 ちなみに後に息子にも受け継がれ、迷宮の中で軽率に昼寝を楽しむことができる理由の一つとなった。


 ともあれ、そんな夫婦の仲断裂待ったなしな態度を取られ、領主は夫の沽券を賭けて抵抗を試みなかったのか?


 人の顔色を見ることに長けていた男は正確に理解していた。シシリアは、例えば世にある官能本のごとき「君が寝ちゃったからこちらで勝手に事を進めておいたよ☆」なんて翌朝声をかけてみようものなら、その場で離婚を申し出かねない女だ。


 ついでに言うと領主本人も、寝ている相手を前に自分だけ盛り上がる性癖は持ち合わせていなかった。主体的な無視ならご褒美になるが、不可抗力の無視はただの悲しみである。


 なので泣く泣く健全な時間に入眠した。

 そして夜明けと共に「いつまで寝ていらっしゃるの? 仕事しなさい」と非常にすっきりした顔の妻にたたき起こされた。


 なお、これも余談になるが、「そんなことされてむしろお前の方が離婚したくならなかったのか?」と聞かれると「え? なんで?」と真顔で答える侯爵閣下である。


 もし新婚一月にして早速寝所からたたき出されていたのなら、さすがのマゾ気質系領主ダナンとて心が折れていたかもしれない。


 しかし妻は夫自身を拒んだわけではなかった。どうしても外せない用事で夜中まで帰宅が遅れた彼がビクビク帰ってくると、無言で掛け布団に隙間を作る程度の慈悲はあった。「むしろこういうわかりにくいデレ方が妻の真骨頂」と時折領主は彼女のいないところで熱心にのろけている。


 いずれにせよ、領主夫人の主張はあくまで、「家族計画はちゃんとやりましょうね、色んな意味で」ということだったのだ。


 かくて若者は夜型生活から朝型生活にシフトし、そして自然と時間厳守をたたき込まれた。


 だってスケジュール内に終わらせないと妻が先に寝ちゃう。いちゃつく時間を確保するにはただれた適当生活をリスケするしかない。でも時間さえ守ればシシリアさんは甘やかしてくれる。こともある。飴と鞭が絶妙な領主夫人なのであった。



 さて無事一人息子が成長した後も、領主一家の健康的睡眠生活は継続中だった。

 ただし緊急事態が発生した場合はこの限りではない。


 庇護対象の意図せぬ不在に、複数の凶報。

 その対応に追われていた領主は、しかし飛び出していった息子からの連絡が途絶えると、一度妻の説得で仮眠に入った。


 休めるときに休んでおくのも領主の仕事。夫人がたたき込んだ家訓である。


 その浅い睡眠はわずかな刺激で覚醒に向かった。


 暗闇の中、領主はぱっと体を起こして身構えてから、「あれ? なんで儂今こんなことしてるんだ?」と寝不足の思考が咄嗟の構えの後を追う。


 カーテンのかかった窓から日が差し込む気配はない。領主ダナンは無言でベッドの中を慎重にそろそろいざっていくと、そっと足をスリッパに引っかけ、寝台脇に備えられている剣を手に取った。


 武闘派もバリバリこなせる息子と違って文化系を自称している男なので、実用性はさほどない、お守りのようなものだ。


 それでも寝起きの頭が、何か嫌なことの予兆を感じ取って警告を続けている。

 彼の嫌な予感はよく当たる。


「雷でしょうか」

「わからん。それだけで済むととても嬉しいが」


 未だ寝台に伏せたままの妻が、ぽつりと声を上げた。身じろぎはなかったが、どうやら同じタイミングで起きていたようだ。相変わらず暗い室内だったが、窓の外、微かに不穏にゴロゴロと鳴る気配がする。もしやそれが就寝を妨げたか、と簡潔に問われた夫は唸った。背後でシシリアが寝返りを打ったらしい衣擦れの音が聞こえる。


「あたくしはどうします?」

「寝ていなさい――と格好をつけたい所だが。ちとそれは昨日の今日で楽観にすぎるかの。いやもう日付的には今日の今日なのかの。わからんからひとまず儂は起きる」

「わかりました」


 夫が苦笑して頭を掻くと、夫人は速やかに寝台から滑り出てきた。夫に上着を与え、自分も簡易的に身だしなみを整える。


 ちょうどそれらが終わった頃、控えめに戸が叩かれる音がした。


「――閣下」

「うん、起きてる。入っておいで」


 ダナンが返答すると、するりと扉が開き、今夜が当番の騎士が膝を突く。


「状況に変化が?」

「いえ、変化と言うほど確実なものではない、かもしれませんが……先ほど妙な落雷が」

「妙?」

「室内なのに、まるで昼間かと思うほど強い光が一筋走ったのですが、その割に音が聞こえてこなくて」


 領主夫妻は顔を見合わせる。

 なるほど、起き出してきた理由はやはり、強烈な光を瞼越しに感知したことが原因だったらしい。


 しかし、雷は近くに落ちれば轟音も伴うものだ。遠くに落ちればその分音が聞こえる音は遅く小さくなるが、その割には光度が強すぎる。おそらくそういうような違和感を、騎士は訴えたいのだろう。


「デュランは?」

「申し訳ございません、未だ連絡が取れません」

「んなこったろうと思ったわ。各区域の様子は」

「そちらも変化はありません。北区は目立った異常なし。西区、中央区、南区は例の爆発以降動きはなく、調査続行中。東区は――」

「やはり神殿周辺に立ち入りができなくなっている、か。枢機卿は音信不通。なるほどねえ……」


 ふーっと大きく息を吐き出した領主は、無造作に歩き始めた。

 部屋を出て行く彼に、当然のように姿勢をピンと伸ばした妻が、少し遅れて慌てた騎士が付き従う。


「母さんや、光が落ちたのは星神神殿だと思うかい」

「順当に行けばそうでしょうね。落ちたのか落とさせたのか、術の事はわかりませんが」

「まああの血相変えて飛び出てった我らが息子もそこにいると思うんだけど。さすがになあ、この時点で無理矢理ぶつかるにはちょっと証拠がなあ……奴はうまいこと決着をつけてくれたのだと思います?」

「嫌な予感が重なっているのでしょう? 先ほどご自身でおっしゃったはず。楽観に過ぎます」

「だよねえ……」


 夫妻が会話しながら廊下を歩いていれば、すぐにバタバタと騒々しい物音が近づいてくる。今度明かりを手に姿を現したのはメイドだった。


「閣下! あの、若様がっ――」

「戻ったか?」

「それが、あのっ――」

「わかった、自分で確かめる。案内しなさい」


 駆けつけてきたものの、動転してうまく喋ることができないらしい彼女に、短く領主は命じた。

 蒼白な彼女はくるりと背を向け、震えたまま廊下を転びそうになりながら先導する。


 目的地の広間にたどり着くと、その場の状況を見て足を止めた領主の前に、素早く騎士が割って入った。


「さて。どこまでご説明していただけるのかな、枢機卿」


 ダナン=ガルシア=エド=ファフニルカ。

 当代迷宮領当主は、床に投げ出されるように倒れ伏している息子と、その傍らにたたずむ二人の神官に、穏やかだが冷ややかな社交的微笑を浮かべて見せた。


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