若竜 騎士の仲間と会う

《シュナー。別にそんな、全力で警戒しなくても。俺の裸に怯える要素なんてある? まあ、古傷はちょっと確かに慣れないと驚くかもしれないけど、武装解除してるし、脅威に感じるような所はどこも……》


 爽やかに半裸の男に呼びかけられて、岩陰の向こうに半分隠れている空色の竜はシャーッと声を上げた。わかりやすく威嚇音である。彼女が人間なら鳥肌が、毛を持つ生き物なら間違いなく身体中の毛が逆立っていたことだろう。鱗なので変化の具合は不明だ。とりあえずカタカタ小刻みに走る震えは未だ止まっていない。


 すっかり身体を縮こまらせている竜の姿にデュランは肩をすくめ、作業を再開させる。上半身用の上着で身体を拭いた後水洗いし、今は絞って乾かしている所なのだ。一通りさっと水気は取ったが、それでもまだ全身からしっとり感が取れていない。

 若き騎士は今現在、下は鎧以外を穿いているが、上はがっつり真っ裸という状態である。

 シュナが岩陰に震えたまま張り付いて離れようとしない理由はここにある。全身ではなく半身しか隠していない辺りが、好奇心に勝てなかった結果を反映していた。


《悪かったよ。機嫌直して。ほら、可愛い顔が台無しだよ? いや、怒ってる君もそれはそれで魅力的だけど――》

《近寄らないで! 服を着てから話しかけて! 不審者!》


 少し前までは心地よくくすぐったかった甘やかな声が、今はなぜだろう、無性に神経を逆撫でる。

 シュナの(大して怖くはないが全力であることはわかる)威嚇に、さすがにデュランの笑顔が引きつった。


《ふし……それは傷つくな、うん。でも、ほら。まだ服乾いてないし、ね? 下はちゃんと穿いてるよ? セーフじゃない? ダメ?》

《ダメ! 水に入ったら濡れる、当たり前のことでしょう!? どうして始める前に想像できなかったの! それにセーフってなに、何がセーフなの!?》

《まあまあまあ。一応ここでのんびりしているのにも訳はあってね。たぶん、そろそろ来る頃だと思うんだよ》


 ピイピイ抗議の声を上げているシュナに対し、デュランはいたって落ち着いた雰囲気そのもの、むしろ何か余裕すら感じさせる。

 色々と冷静になれないでいたシュナだったが、騎士の言葉に少しだけ殺気立っていた勢いが削がれる。

 彼は今、来る、と言ったか? 一体誰が、何が――。


《……あ。ごめん》


 新たな疑問に興味を惹かれたおかげで険の取れたシュナに向かって、デュランがふと動きを止め声を上げる。思わずシュナは半眼で返してしまった。


《裸になったことが? 言葉も大事だけど、まずは行動で示すのが一番だと思うわ》

《違うよ? っていうか、どれだけ気にしてるの!? そうじゃなくて、この後たぶんうるさくなるから、先に言っておこうと思って――》


 彼女にとってはなかなかショッキングな出来事だったのだが、どうやらデュランは一連の裸騒動を些事認定しているらしい。

 これは認識を改めてもらう必要がある、と口を開いた彼女だったが、別の音に割って入られたせいで小言を言う機会を逸した。


「孤高の覇者様ー。ついに野垂れ死にましたかー。いたら返事してくださーい」

「噂をすれば――ここだ、ラングリース! 残念だったな、まだ死んでないぞ!」


 上から人の声が聞こえて、びくっとシュナは黙り込み、隠れるようにますます身体を小さくする。デュランの方は嬉しそうな顔になったかと思えば、大声を上げた。


 間もなく滝が流れる崖の上にひょっこり顔を覗かせた男は、デュランの姿を発見すると手を振ってくる。デュランも振り返していた。少なくとも知り合い、ということなのだろう。

 今度の男はあからさまな金属の甲冑は着込んでいないが、代わりに皮でできた防具を身につけているようだ。デュランより身軽そうだが、ベルトや肩などあちこちに荷袋を提げていた。年はデュランよりも……いやさらに上、シュナの父親よりも年上なのではなかろうか、という気がする。


「おお、閣下。今回は音信不通期間がかなり長かったので、よもやまさかとは思いましたが、さすが持っている男。ご無事で何より――」


 男の言葉が一度切れる。彼の視線は明らかに、デュランから少し離れた場所で翼を折りたたんで丸くなっている青色のシルエットに向けられていた。


 上の方から見下ろしたら、発見は簡単だったろう。シュナの明るい青色の身体は無骨な岩場で映えたし、彼女がどんなに縮こまっても元の身体が人間よりも大きいのだ。

 注目を受けてきゅう、と喉から音を出しつつさらに小さくなろうと頑張っているシュナの上で、新たな男はデュランに向かって笑顔とも真顔とも判断しがたい不思議な顔を向けた。


「ファフニルカ卿。血迷われたか。貴公の竜好きと片想い歴五年について周知の事実であるとは言え、よもやこのような――」

「急に他人行儀になるな! お前どうせ今ろくでもないこと考えているだろ!」

「ほう。では、神に誓って何もしていない、と?」

「するわけないだろ、逆に何を想像したんだ!?」

「えーと……あの、それじゃなぜ、閣下は裸で濡れていらっしゃるので?」

「見ればわかるだろ! わかれよ! 迷宮潜りっぱなしだからさっぱりしたくて水浴びしてたんだよ!」


 デュランの叫び声を何度も受け、軽装の男はぽんと両手を叩いた。


「あー……なーんだ、ハイ。すごく普通のことだったんですね」

「なんで少し残念そうなんだ? いいから早く降りてきて髪を乾かす物をくれ。あと火種。さすがにちょっと寒い」

「ポシェットすら見当たらないということは、あの、まさかとは思いますが、手荷物全部落っことしてきたんですか?」

「そのまさかだよ。俺がどれだけ困ってるかはわかっただろ、さあ早く」

「それでよく帰って来られますね、さすがは変態閣下……」

「ん? 今なんかさらっと貶し言葉が聞こえたような」

「さあ閣下、こちら温かいタオルでございます!」


 滝の上から降りてきた男は、呆れたように言いつつも数ある鞄を開けたり閉めたりしてデュランに色々物を渡している。


 デュランは受け取ったタオルを無造作に首に引っかけてから、黒い石と白い石を一つずつ手に持ち、打ちつける。すると黒い石の方から煙が上がり、彼はそれを地面に放り投げる。間もなく石は赤色の炎に包まれた。

 一連の流れを思わず首を伸ばしてしげしげ眺めていたシュナだが、二人が会話を再開させるとぴゃっと鳴き声を上げて慌てて岩陰に戻ろうとする。


「いや、それにしても。また一つ孤高の覇者様伝説が更新されたのかと思って、こう、アラウンドフォーティーの心にいけないときめきが」

「止まってしまえ、そんな不整脈。お前ら皆して人を犯罪者予備軍にしたてあげようとしてくるけど、なんなの? なんでなの? 俺、そんなになんか悪いことしたかな?」

「いや、逆ですよ。閣下が若くて見目麗しくてお勉強できて体力もあって血筋が良くて性格良くて女性にモテておまけに宝器持ちなので、少しぐらい欠点があっても罰は当たらないというか、オチがついてくれないと面白くないというか――ん? 皆して?」

「エゼレクスと久しぶりに話した。あいつ、五年前と何にも変わってなかった。誰が浮気性のナンパ師だ、まったく」

「あー……エゼはまあ、人をおちょくるのが趣味ですからね。気軽に乗せてはくれるんですけど、代わりにこっちの気力を根こそぎ奪っていく奴ですからね。ご愁傷様です。まあナンパ師はあながち間違ってもないというか、そのものズバリな気がしますが」

「なんだと」

「隙あれば口説くじゃないですか貴方」

「いや、その認識はおかしい」


 会話の間中も二人は手を動かし、荷袋の中から物を取りだしては手慣れた動きで何かの準備を進めていく。

 燃え上がる黒い石の上に水の入れられた容器がとんと置かれて熱せられているのを見ると、料理を始めるのだろうか? とシュナはこっそり予測する。


 炊事に洗濯、掃除――外の世界の人々は毎日当たり前にこなしているらしい。本で知識だけは持っているが、十八年間塔の中にいた彼女にとってはほとんど未知の体験だ。掃除ならしたことがあるが、洗濯は必要最低限、料理に至っては黄金色の液体だけを飲んで育ち、完全に無縁の物だった。何から何まで興味深い。


 知らない間に岩陰から身体が全部出ているが、瞬きを忘れる勢いで観察している本人は全く気がついていない。出ているどころかじりじりにじりよって、すっかりぐつぐつ煮え立つ鍋の前に陣取っていた。

 何かの粉が入れられ、細長い先端に丸い何かがついた道具でかき混ぜられる様子を見守るうち、びたんびたんと尾が地面を叩いている。


《シュナ。見てるのはいいけど、ひっくり返さないでね》

《うん……ひゃっ!?》

《ほら、言わんこっちゃない。つっつくと火傷するかもよ》

《やけどって、何?》

《痛くなるってこと。それは嫌でしょ? 手は出さないで、見守っててね》

《ちょっとだけ……》

《だーめ》

《ちょっと!》

《めっ》


 すっかり鍋に夢中な竜は、デュランの言葉にも生返事だ。湯気に鼻先を突っ込んで驚いて逃げたかと思えば、また戻ってきてちょっかいをかける隙をうかがっている。

 その合間に人間と目が合うと、悪戯を見つけられた子どものように、ピイッと喉の奥で声を上げて慌ててドタドタ岩陰に逃げていく。かと思えば、未練がましく遠巻きにじーっと二人を見つめている。

 男二人は火を止めて器に即席スープをよそいつつ、おっかなびっくり人間達のしていることに興味津々、といった様子の竜に頬を緩ませている。顔を見合わせると互いのだらしない表情にはっとなり、双方咳払いした。

 スープに息を吹きかけているデュランに向かって、男は声を潜めて話しかける。


「しかし真面目な話。閣下は鎧を手に入れたせいで竜に乗れなくなったはずでは? 昔そういう呪いをかけられたとお伺いしていましたし、実際にここ五年の貴方にどの竜も寄りつこうとしなかった。それが一体、どうやってあんなにキュートな方をここまで連れ込んだのです。ほれほれ、吐きなさい。どんな口車に乗せたと言うんです」

「なんつー人聞きの悪い……まあ、いいや。なんかこう、色々あって、話せば長いんだ。本当、すごく疲れた……」

「わかりました。まあ、今回は確かにお帰りが遅かったですしね。軽く腹ごしらえが済んだら、一度城に戻りませんか? お疲れも溜まっていらっしゃるでしょう」

「ええと、それは……」


 スプーンを置いてデュランがシュナの方を向くと、耳をピクピクさせていた竜がいかにも悲しそうな声を上げる。


《デュラン、行っちゃうの?》

「……ちょっと、もう少し、離れられなさそうな事情がありまして」


 騎士が竜と自分を示して察しろ、というようなジェスチャーをすると、相手の男はニコニコとした表情を装った。


「ほほう。なるほど。完璧に理解しました。もげろ」

「うん、なんで今最後ストレートに罵倒した?」

「ハッ、しまったついうっかり、建前ではなく本音の方が」

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