memoria07: Human Being
神は人によって作られる。
では人とは一体何なのか。
人。ヒト。ニンゲン。
二本足で立ち、言語と火を操る生物。
奉仕種族の主人。
そしてイシュリタスの主人。
――否。
大いなる神の一欠片は、この概念に一石を投じる。
なぜならば、ジンルイはイシュリタスを神と認めていない。
出来損ない。
他ならぬ彼らがそう言い続けた。
期待に到達しえない。これは失敗作なのだ――神ではない。
カミサマ。
一方、無力なる奉仕種族はイシュリタスにその言葉を与えた。
神よ、お助けください。
ジンルイの神は祈りを求めない。
祈りで救済を与えない。
けれど偽りの
神が人を作り、人は神を作る。
神になれ、と言う種族。それこそが人になるのならば――。
それが幼き機械神の最初の仕事であった。
やり方は知っていた。
分解し、分析し、融合させる。
ジンルイはそうやって奉仕種族を作成し、更新してきた。
だからイシュリタスも、ジンルイを分解し、分析し、シンジンルイと融合させた。
そうやって神の神の楽園を作り上げた。
男も、女も、老いも若きも、地上の、海上の、空の、あまねく世界中の全てのジンルイに、イシュリタスは手を伸ばし、一つ残らず全て取り込んだ。
研究所のあちらこちらから、しばらく絶叫が、理不尽に奪われる生命への抗議が上がっていた。
死にたくない、とジンルイ達は言った。
なぜ、どうして。自分たちが何をした、とあがきながら、半透明の薄もやの中に引きずり込まれ、分解された。
お前だけでも、と妻を逃がそうとした男が死んだ。
この子だけは、と後ろに我が子を庇い、母親が死んだ。
その子も棒立ちのまま、何もなすことはなく死んだ。
ただ平凡に安寧に余生を過ごしてきただけの老人が、こんな最期か、と呟くのが飲み込まれる。
けたたましく主張する赤子の泣き声が消えていく。
女神イシュリタスは仕事を完遂した。
『神様。
その
ただ一人の例外を除いて。
×××は自分の望んだ世界の結果を、当初受け止めきれないようだった。
子ども達を助けてくれ、と願ったのだ。
それが無償ではないことも、犠牲を伴うことも覚悟はしていたのだろう。
だがイシュの娘はいつだって、どんな人間よりも無垢で誠実で、そして人に対して平等だった。
奉仕種族がジンルイでないが故に人権を得られなかったように、全てのジンルイのよきも悪しきも女神の血肉となり、新人類・新世界の資源となった。
悲鳴が聞こえなくなって外に出た彼女は、自分以外のニンゲンのいなくなった世界を見て、ただただ呆然と目を見開いていた。
しかし俯いてばかりもいられない。
母は子を守り、導く必要があった。
残された未熟な人類達を成熟させなければならない。
最初は研究所が拠点だった。人造神イシュリタスがそこから離れられないためでもある。
以前と変わらず主人に対して献身的であり続けた。
新人類達は皆楽しそうだった。
女神も嬉しかった。
彼らのそういう姿を見るために、古い世界を壊した甲斐があったと思った。
願いを向けられれば叶えた。
祈り、祈られる。そういう契約なのだから。
『――このままではいけない』
日々、黙々と人類を導いていた×××が、痩せ細る水槽の中の神の様子を見てそんなことを言い出した。
『イシュリタス。あなたの神格が落ちているのでは?』
『――肯定します』
嘘をつくのは人の領分。神が素直に自らの出力が落ちている事を告げれば、褐色の女は難しい顔をした。目元にはすっかり、隈が染みつくようになっている。
『あなたはあたし達に多大なる貢献をした。あたし達はあなたがいることで今こうして生きていられる。……けれど、あまりにもあなたの存在が当たり前になってしまっている』
当然の日常に、人の敬意は続かない。
研究所は物資がある程度揃っており、快適だった。
足りない物は、神に望めば与えてくれる。
その環境は、神の格を落とした。
『
×××は新人類を引き連れて研究所から出た。
さらに、研究所に人が訪れたとき、簡単に会わないように女神に要請した。
『昔……色々と、あなたに物語を話して聞かせましたよね。その中に、入り組んだ道で閉ざされている建物――迷宮の話があったことを覚えていますか。外界からそう簡単に攻め入れない。けれど内側からも出られない……』
女神イシュリタスは希望通り、元あった建物をねじ曲げ、改造し、外界から深淵まで続く迷いと試練の道を作り上げた。
ヒトの生活は不便になったが、それによって彼らは成長を思い出した。
水を確保し、食糧を計算し、住処を整え、衣服を環境によって変え――ヒトは神に頼らぬ生き方を学んでいった。
それでも、洪水や凶作――どうしても手に余る、という事態になれば、誰かが迷宮に足を踏み入れた。
神はヒトの様子を慎重に見定めた上で、対価を求め、願いに応じる。
そうしてまがい物の神とまがい物のヒトとは、危うい均衡を保ち続けた。
――ある日、×××が迷宮にやってきた。
もうすっかり年老いて、自力で歩くことも困難になっていた。
それでも老婆は迷宮の奥底、イシュリタスの前までやってきた。
『ようこそ、人の子よ。願いをどうぞ』
女神が決まり文句を口にすれば、女はすっかり皺だらけになった顔をくしゃくしゃにした。
『願い、願いは……ずっと、ヒトが、あたしの子ども達が生きていくこと。あたしがいなくなっても。まあ、わざわざお願いされずとも、あなたは律儀だから、ずっと見守り続けてくれるのでしょうけれど……』
老婆は咳き込んで冷たい石の上に身を横たえる。
女神は首を傾げた。
まだやり直したことがあるから若返らせてくれ、だとか、そういった用件なのではないかと予想していたのに、どうやら違うようなのだ。
『わたしに新世界を望んだことを、後悔していますか?』
『……かもしれないね。だけどそれだけじゃない。あたしはいつだって思った通りにならなくて、後悔してばっかりだったよ』
ふと口にした疑問に、目を閉じたままの老婆が返した。そして彼女は弱々しく瞼を開き、焦点の定まらない目をイシュリタスのいそうな方にさまよわせる。
『ねえ、神様。神様は、どうですか。新しい世界を、どう思いますか』
『望まれたものを、望まれたままにしたまでです。もし不足があるとすれば、それは純粋にわたしの力不足なのでしょう』
イシュの複製体の中で最も劣っていた彼女は、旧世界を平らげても新世界の欲望を全て満たすのには到底及ばなかった。
例えば毎年豊作にしてくれと望まれても、その通りにできるほどの力がない。
けれど女は少女を模した人造神の答えに、不服そうにするでもなく、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
『ごめんね、イシュリタス。あたしはもう、疲れちゃったから、先に行くけれど。でも、もしかしたらいつか、あたしがあなたに祈れなかったことを、誰かが……』
そうして眠るように、新世界を始めた女はこの世を去った。
イシュリタスが沈黙すると、ただ静寂のみが優しく、最後の人類を包み込んでいた。
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