こんばんは
(ふむ。あそこはテイラー伯爵の屋敷だな)
剣の国において穏健派で知られる人物の屋敷を建物の上からじっと見ているダークエルフ。後を追って来た男は気配を消して観察する。
遮蔽魔法以外は周囲に魔法は感じられない。他の者の気配もだ。
(さて…。話でも聞くか)
「こんばんはお嬢さん」
ダークエルフゆえ自分よりずっと年上であろうがそう声を掛ける。女性に年齢の話は古今東西タブーなのは変わらない。例えそれが異世界であっても。
(ルー。待っていてくれ)
女はひどく焦っていた。妹に残された時間を考えると猶予はほとんどなく、近いうちに何としてでも伯爵の命を奪う必要があった。
幸い伯爵邸の警備は自分にとって有って無いようなものだ。しかし今まで踏ん切りが付かなかったのは、全く関係のない者を殺すことと、それが出来たところで連中が本当に約束を守るのかと疑っていたのだ。
だが、もうやるしかない。
(行くぞ)
覚悟を決めたその瞬間。
「こんばんはお嬢さん」
!?
女は一瞬その言葉の意味が分からなかった。遮蔽魔法を掛けて気配を消した自分を認識できる者がいるとは思わなかったのだ。
急いで振り向くとそこには男が立っていた。この大陸ではあまり見かけない黒髪黒目で東方風の人間種の男、だが他に特に目立った所はないように見えた。
いつの間に!
目が合った!?
ばかな!?
明らかに自分を認識している!
混乱の極致であった。暗殺術を極めたと言っていい自分の背後を取り、姿をはっきり見られているのだ。
(連中の監視か!)
忌々しき
「何者だ!?」
誰何の声に不思議なことだが、少し迷ったような表情を受かべこう答えた。
「お節介焼き、かな」
ふざけた答えに男を制圧することを決断する。殺すのは連中を刺激してまずいが、なぜ自分を監視していたか問いただす必要がある。向こうも自分を信用していないだろうとは思ったが、こうも直接来るとは。
すぐさま短剣を抜き、術を編みながら肉薄する。相手は無反応に突っ立っている。構うものか、そのまま抑え込もうとするが。
「ぐっ!?」
そんな!
何が!?
またもや混乱の極致であった。一瞬も目を離さなかったはずなのに、気が付けば自分が組み伏せられているのだ。しかも逃げようとするがびくともしない。どうする!
「すまんね。ちょと話を聞かせてくれないかい?」
「離せ!」
「話を聞かせてくれたらな。お嬢さん、伯爵邸になんの用だい?」
「言わん!」
「ふーむ。盗人にしちゃ殺気立ってるし、殺し屋にしちゃああんな表情はせんだろう」
「何の話だ!?」
「いや、街中を走ってるあんたを見てね。その顔があんまりにも悲しそうだったんだよ」
「それがお前に何の関係がある!」
街中で見られていたことに不覚を感じるも、思っていた会話とはずいぶん違う。杯の一員ではないのか?
「言ったろ、お節介焼きだって。さて、話してくれそうにないし久々にやってみるか…コツはまだ覚えてるはずなんだが…」
なにやらブツブツ言いながら顔を覗き込んでくる。
「あんたは伯爵を暗殺しに来た……これは当たり」
なに?
「自分の意志で……うん?妙な反応だな。ああ、そうか誰かに言われて…。当たり」
こいつまさか!?
「貴様何をやっている!?」
「ちょっとした反応見てるだけさ。ということはだ、誰かに脅されてやらされてる…やっぱりね」
心を読めるのか!?そんな術聞いたことがない!
「やめろ!」
「あんまり趣味のいいことじゃないのは自覚してる。人質……家族…そんなところだろうと」
「やめろと言っている!」
「事情を話してもらえないかい?なにか力になれるかもしれん」
その言葉に女は切れた。この男が自分たちを救ってくれるとでもいうのか。
「"杯"の邪教徒共が妹に呪いを掛け、解く代わりに私は殺し屋だ!さあ、言ったぞお前に何が出来る!?」
出来るはずがない。奴らを相手に、しかも約束を守る保証はないのだ。
("杯"とは久しぶりに聞いたな。まだ生き残りがいたのか)
男はここ数年聞かなくなった闇組織の名を聞いて、思わず懐かしさを感じた。まだそこそこ若いと言えた頃に、奴等の企みをご破算にしてやって以来関わらなくなったのだ。
(確か最後に聞いたのは、海の国で特級達にボコボコにされた話だったかな)
海の国にて最上位の海魔を呼び出し、それによって起こった破壊と死のエネルギーを利用し自分達の存在の位階を上げようと企んだらしい。まあ、事前に察知した海の国がなりふり構わず金を出して、特級冒険者達を雇い"杯"を強襲、ほとんど殲滅されたようだが。それ以前に起こったとある事件にて、高位の者たちが数多く命を落としていたのが不意打ちを受け殲滅された原因の一つでもあろう。
(伯爵を殺した後、国の過激派を焚きつけるつもりかね。だが、約束なんざ守らんだろうなあ)
最盛期に比べ随分と地味なことをしているが、相手は闇組織なのだ。恐らく女もそれを分かっていてもどうしようもないのだろう。
(さてと、転移魔具よし、触媒よし、もう片方の触媒よし、呪いが肉体と一致している場合の回復薬よし、やる気よし!)
自分の中の物置にある在庫を一通り確認し、女に告げる。
「まあ、なんとかやってみよう」
とある事件
"杯"渾身の計画で、北方の山脈グゴ山に眠る火竜グゴを目覚めさせ、そのエネルギーを利用しようとした。
火竜グゴが眠っているから山の名前が付いたなどと信じているものはいなかったが、魔法の国の研究者達が全く別の案件でグゴ山を調査したしたところ、正体不明の何かが存在していることを感知。極秘裏に研究をしていた。
調査書を入手し自分達独自のルートで、山に眠っているものがかつて存在していた火竜グゴだと断定した"杯"はこの竜を利用することを決定。繊細さと膨大な魔力を儀式に必要とするため、高位の魔法使いや幹部、果ては盟主までもがグゴ山に集結し準備に取り掛かった。目覚めさせることに成功すれば付近の国家は炎に燃え、自分達は人の殻を間違いなく脱却出来るはずであったのだ。
とある男が、なんかやばいからこっちへ来たほうがいい気がするなんて思わなけれ
ば…。
結果を述べると火竜グゴの目覚めには成功するものの、グゴと何者かとの戦闘の余波により、盟主及び最高幹部が蒸発、たまたま遠くにいた数人の高弟達が帰還するのみであった。
「今こそ我らが宿願を果たすとき!」"杯"盟主リュドヴィック
モンスター図鑑
火竜グゴ:太古の神と竜の戦いにおいて、震える炎、燃える牙などの異名をとった火竜。形状こそ竜ではあったが首が異様に長く、グゴ山火口から首だけ出ても10mはあろうかという長さであった。神々との戦いが痛み分けに終わった後、グゴ山にて休眠状態になり、以後は名前以外歴史に忘れられていた。
"杯"の儀式により目覚めた後はある程度コントロールされた状態で、山の国へ移動しようとするも、火口でとある男と対峙。闘争本能がコントロールを振り切り、単なる戦闘態勢に入っただけでグゴ山一帯を炎の地獄とかすも、その長い首を捩じ切られた。遺骸は燃え尽きることなくグゴ山のマグマの底に沈んでいる。
ー燃えてゆく 神の使徒がその眷属が 聞けあの悲鳴を 見よ炎が震えているー
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