パーティー13 鏡の怪物

 ユーゴが老人へ子供達について話した後、幾許かの時間が経った。


「ユーゴ様、そろそろ一度パーシル陛下がご退出されますので、皆さまも別室へお願いします」


「分かりました。庭園の方に子供達がいますので連れて行きます」


 パーティー会場に戻っていた彼のもとにダンが訪れ、ついに最後のメインイベントである、子供達とパーシルとの再会のための準備が出来たと告げられたのだ。


 ◆


「皆ー、準備出来たってー」


「にーにとあえるー!」


「いえーい」


 庭園に来たユーゴのその言葉に、クリスとコレットが手を繋いでスキップしながらやって来る。


「お兄ちゃんともお話するの久しぶりだなー」


「私は毎日会ってるからありがたみは無いけどね」


「でもお姉ちゃん楽しそうだよ?」


「気のせいよ気のせい」


 ソフィアが楽しみを口にすると、それに対してジェナは毎日会ってる兄弟なのだから、今更ありがたみは無いと言っていた。言っていたが、皆と一緒ならまた別だと内心で思っていた。


「とりあえず会ったらあのダボダボな服に突っ込みだな」

「服に着られてるってのは、ああいう事を言うんだろうな」

「威厳というより微笑ましさしか感じなかった」


 三人衆は……三人衆である。一国の国王陛下に対して、確かに客観的な事実とは言え、合っていない服を無理矢理着せられていたグレンを揶揄う気満々であった。


「はん? 婆さん何やってるんだ」


 そんな子供達をニコニコしながら見ていたユーゴであったが、ドロテアが庭園中央の石碑を腰に手を当てて眺めているのを見つけ、彼女に近寄っていく。


「ふん。この汚い字といい逃げ腰といいマルコの奴だね」


「なんで貶してるんだよ。どんなエルフだったんだ?」


 ユーゴが近寄ると丁度読み終えたようだが、ドロテアは不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。


「エルフじゃなくて神だよ。開戦当初の奇襲で大陸中央にいた神々が破れて、シディラが死んだことを悲観して態々書いてるような奴さ」


「でもこれエルフ文字って奴だろ?」


「戦争前、自分達の事を不滅の存在だって疑ってなかった神々は、何かに記したり遺したりするって考えがなかったんだよ。エルフが文字を作り出したのを真似したくらいさ」


「ははあん。それで神なのに悲観してたのか?」


「悲観論を持ってる奴はどこにでもいるもんさ。それが劣勢で戦闘向きじゃないとなると尚更ね」


「なるほどね。それでなんて書いてるんだ?」


「どうもこの国の湖を利用して、鏡面世界へ逃げ込もうとしてたみたいだ」


 ドロテアが呼んだ石碑の内容は、ここで子供達に話していた老人の訳と同じであった。敗色濃厚であった自分達の陣営に絶望した神が、この湖の国の湖を利用して鏡面世界に逃げ込もうとしている。と。


 ただし……


 続きがあった。


「そこへの行き方も書いてある」


「行き方も?」


 そう。老人は最後まで子供達に語っていなかったのだ。確かに読めていたにも関わらず……。


「ああ。当時は徹底抗戦あるのみだから話さなかったけど、いよいよ危なくなったらそこへ逃げ込めっていう、他の神々にあてた置手紙みたいなもんさ。だけど変だね……マルコは確かに戦争で戦死してる。ちょっと面倒な臭いがして来たね」


 ドロテアの記憶では、その神は竜と神々の戦いで間違いなく戦死していた。


 しかしそれならばおかしな事になる。悲観的で逃げ場所を確保していた神が、なぜ戦地にいたのかという事だ。


「単に失敗したとかは?」


「それならいいんだけどね。その鏡面世界で何かに出くわしたから、悲観してやけっぱちのまま戦死したとなると面倒だ」


 そう。例えばそこに、神でも手に負えないナニカがいた。とか。


「その行き方は?」


「ここに嵌められてた石板を湖に投げ込むだけさ」


「……それ何処?」


「無いね」


 ユーゴはそうれはもう嫌そうな顔をしている、


「無いねって。どうすんのさ。あの学者先生?」


「まあそうだろうね。神に中々物申した気だったからね」


「やっぱり……」


 2人の脳裏に思い浮かぶのは、パーティー会場で神に対して並々ならぬ怒りを抱いていた老人であった。


「俺見に行くから、婆さんは皆をお願い」


「はいよ」


 そうとなれば確認しなければならないだろう。神の遺したモノは何であれ、使い方によっては非常に危険なのだ。


「グレン君と子供達がこれから会うんだ。出来れば何事も無けりゃいいんだが……」


 そして怪物が動き出す。


 ◆


 ◆


「こんばんは学者様」


「……また会いましたな」


 湖の国中央、まさに国の名の元になっている巨大な湖の畔に老人はいた。


 ユーゴが何気なく挨拶をしてその顔を見ると、表情は変わらず疲れ切っていた。


「何か御用ですかな?」


「いえ、城の備品を返して頂こうと思って」


「ああそれですか……残念ですがつい先ほど投げ込むと消え去ってしまいましてな。いやはや何処へ行ったのか」


 お互い何をとは言わなかった。石板の用途を知っているなら、間違いなくこの湖に用があるからだ。


 しかし、石板が元の場所に戻ることはないだろう。老人の言う通り、石板は水に溶けるように無くなってしまっていたのだ。


「この湖の伝説は知っていますかな?」


「ええ。水面の先は戦争時の神の避難先とか」


「お子様から聞きましたか。その通りです。いや待てよ、ではなぜ石板と行き方を知っているのですかな? いや、もうそれも今となってはどうでもいいか」


 目の前のユーゴに、古代エルフの文字が読める教養があるとは思えなかった老人は、自分が教えた子供達に話を聞いたのだろうと推測したが、そうなるとここに自分がいる理由を何故知っているかという疑問が沸き起こる。しかし、それもどうでもいいと首を振っていた。


「ですが続きがありましてな。全く持って馬鹿らしい。その先は語られていないが、実は神は慌ててこちらに帰って来たのですよ。いや、これを知るためにずいぶん苦労した」


「ほほう。何か予想外なことが?」


「ええ、ええ。最初の神々がこの世を作ったときに広がった魔力、それがあちらには無かった、まあ当然ですな。鏡写しとはいえ似て非なる場所なのですから」


「となると、体を維持できなくなったのですな?」


「その通り」


 かつて存在した神、マルコは驚愕と恐怖を覚えた。鏡面世界に逃げ込み、魔法をかけた湖を破壊すれば、竜達はやってこれない。そう思って湖に飛び込んだマルコであったが、その世界は魔力というものが全く存在せず、高密度な魔力の塊である自分の体の維持で精一杯になってしまったのだ。


 そしてマルコは絶望した。自分が準備をしてやっと見つけた避難場所が、何の役にも立たなかったからだ。そのため彼は絶望に駆られたまま竜達との戦いで、殆ど自殺に近い形で戦死したのであった。


「まあ避難先としては失格ですな。避難先としては」


「だがあなたにとっては違う?」


「ええ、鬱陶しい神がいませんからな。まあ少し愚痴に付き合って下され。とにかく鬱陶しいのですよ。知っていますかな? ここ30年程技術は停滞しています。魔法が、神の加護があるから、新しい道具の必要性がないと言って、どこもそういったことに取り組まない。魔法学院ですらやっているのは過去の、神々の後追い、親への称賛、遺した遺物の模倣」


 そう言って老人は、秘めていた思いを吐露する最期の機会だとユーゴに漏らす。


「そして神は神で我々を独り立ちさせない。なるほど確かに魔物は脅威だ。しかし、魔法と加護が、中途半端な思いやりがあるから、我々は先に進めないのですよ。石と石を打ち付け火を起こす。これを突き詰めれば、恐らく大陸の端にいながら、端にいる魔物を攻撃できるはず。だが今の人種がやっているのは、指先に魔法の火を起こして満足しているだけだ。それに先はあるのか? 成長が止まった子に未来はあるのか?」


「ふむ……」


 ユーゴは知っている。使い方の良し悪しはある。だが老人の言う通り、人が独力で星すら飛び出させることを。


「そしてまあ、色々作ったわけですよ。魔法に頼らない切っ掛けになればと。ですがいつも同じことを言われる。流石は博士だ。これに魔法の機構を足せばもっとすごくなるぞ。とね。違う、そうじゃない。魔法も魔力も使うんじゃない。その魔法使いの技量で性能が違うだろう。そんなものは真の技術では、道具ではない。魔力が無い、そう、あの庭園にいた3人組の小僧達でも、同じ結果がいつも同じにならなければいかんのだ」


 最早老人はユーゴの反応を気にしていない。ただただ、そう、ただただ愚痴を吐き出していた。


「だから私は、儂は神が大っ嫌いじゃ。いずれ、いずれ人はこの丸い大地からすら飛び立てるはずなのに! どうして甘やかしてそれを邪魔する! 我々は一人で立てるのに! 先に進めるのに!」


 老人の絶叫にユーゴは心が痛んだ。それはまさに自分が戒めなければならない事だから……。


「……ただまあ、貴方と話せて親には親の言い分があると知れたのは、最後によかったとは思いますぞ。それを受け入れるには少々歳を取り過ぎていましたがね。儂も子供が出来たらもう少し頭が柔らかかったかな?」


 何処までも疲れ切った表情の、神を、人種の親の手を振り払おうとした男にユーゴは何も言えなかった。


「まあとにかく、老い先短いですからな。お迎えがいつになるか分かりませんが、最後は鬱陶しいのがいない所でと思いまして。いや、タイミングが良かった。色々調べていると、どうも鏡面世界への鍵の一つが湖の国の石碑にあることが分かりましたのでな。割と魔法の国で権限があるので潜り込めたのですよ。この国の者には悪いとは思っておるのですが。おっと、ようやく扉が開いた」


 老人が目的を告げた丁度のタイミングで、湖に小さな光り輝く円が出来た。これが向こうに、鏡面世界に、神が、親のいない世界に入るための入り口なのだろう。


「惜しいですな……いえ、向こうでの健康をお祈り申し上げます」


「ふふ、まあせいぜい長生きしてやりますよ。ではこれで」


「はい」


 死に場所に行く老人に敢えての言葉をユーゴは送り、その言葉に老人も笑いながら湖に足を踏み入れ……そして消えていった。


(時代が違えば……それこそ詮無き事、か)


 ユーゴは疲れた様に近くにあった倒木に腰を下ろすと、先程までいた老人に思いを馳せる。だが結局は老人が庭園から去る時にぽつりと呟いていた、詮無き事、であった。


(城に戻るか……あの子たちはまだ子供なんだ。親がいてやらないと。ん?)


 親として子供たちの元に戻ろうとしたユーゴであったが異変を感じた。


(どうして閉じない? いや、広がっていないか?)


 老人が消え去った光の円。それが消え去るどころか、徐々に徐々に広がっていたのだ。


(何か御老人や婆さんも知らないナニカが向こうに? 婆さん特性の転移触媒はあるから、何かあっても大陸には戻ってこれる……ええいままよ!)


 異変もそうだが、ついさっきまで話していた老人の事がどうしても気になってしまい、ユーゴはその光輝く円に飛び込んだ。


「ご老人!」


「これは、一体何がどうなっているんじゃ……?」


 その光の先、先程までいた場所と全く同じ場所で、困惑したように老人が辺りを見回していた。


「まさか!? いかんぞ聖女の夫殿! 鏡面世界が表の世界に流れ込もうとしておる!」


「すいませんが家族に少し遅れるかもと言っておいてください」


「なぬ!? ぬおおおおおおおお!?」


 老人が何かに気が付き声を荒げるが、ユーゴはユーゴで少し取り込み中だったので、老人をこちらでも光っている円の中に投げ込み、改めてその存在と対峙した。


「はあ……さっきから殴ってくるんじゃねえ」


「よう俺。初めましてだな」


「悪いが偽物に一回、マジモンに一回会ってるから、初めましてじゃねえんだわ」


 心底、心底面倒だと溜息を吐いたユーゴの前には


 全く同じ姿、全く同じ声のユーゴ。


 かつて異常進化を遂げた個体、鏡の精霊がユーゴの姿を真似して対峙したが、所詮それは紛い物であった。


 しかし今回は違った点がある。


「グレン君とあんまり話せないかもなあ……」


「じゃあ死ね」


「そいつは勘弁」


 明らかに、星一つを内に秘めた己と同じ拳がユーゴに放たれた。


 そう、薄っぺらい鏡ではない。


 大陸という世界そのものの鏡がユーゴの姿となっていたのだ。

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