ムシケラと怪物の中の怪物
祈りの国 本殿
神々の警告があった日から、祈りの国の本殿にある通知のベルを安置している間には、常に複数の男達と今代の聖女が待機していた。
聖女は当然として、男達はどうしているのかというと、神々からの通知をひたすら待っていた。彼等はいずれも海の国の王都に行った経験のある者達で、もし通知のベルが起動した際は、そのまま内容を海の国のユーゴと総長ベルトルドに連絡する手筈になっているのだ。
この緊急事態のために、祈りの国と海の国の転移阻害は止められていた。
他にすることも無く、ただ待つだけの作業などは普通苦痛しか感じないが、神々に仕える彼等にとっては何の問題にならなかった。
そして警告から数日後、その時はやって来た。
『通達!通達!通達!』
起動した通知のベルから発せられる大きな思念。
その場に待機していた者達はすぐさまペンを集中する。
『海神の覚醒に成功!海神の銛が案内役を務める!銛を"来訪者"ユーゴに渡すのだ!』
最初意味が分からなかった者達だが、本殿に莫大な魔力が集まり始め、次第に形作られていく。
(これは"要"から!?)
役割上、地下深くに存在する"要"の存在を知っている聖女は、そこから魔力が流れ込んで来ていると推測できたが、見守る事しか出来なかった。
「お、おお!?まさかマザサ神の銛!?」 「なんてことだ!神話の武具が現代に!」 「おお神々よ!」
そこの存在していたのは、海神マザサが持っていたとされる、青い珊瑚で形作られた銛であった。
現代に現れた神話の武器を目の前にして呆然とする一同であったが、通知はまだ終わっていなかった。
『警告!警告!警告!判明した結界から"全てを食らうもの"の世界を"遠見"が偵察!生命反応無し!繰り返す!生命反応無し!原因は"全てを食らうもの"と推定!同様に星も枯死!"来訪者"に警告せよ!』
呆然としていた者達であったが、その言葉で我に返る。彼等の役目は、一刻も早くこの通知に従う事であった。
紙に書いた内容に誤りが無いかを確認し、最初に転移する役目を負った男が、震える手で銛を掴んで海の国へと転移した。
◆
海の国 王城 客室
「コレット…クリス…」
海の国に招かれて早数日。椅子に座っているユーゴがどうなっていたかというと、この男、完全に子供達欠乏症に罹っていた。
「もう首は座ってるかな…」
どこかの砂浜で、海魔相手にフラストレーションを発散出来たらまた違ったかもしれないが、すぐに連絡が取れる場所に居ないといけないため、ずっと王城に詰めていたのだ。しかも周囲の者は皆、神々も含めて出来る事を全力で取り組んでいるのに、自分はお客様として持て成される日々。
あらゆる要素が入り混じって、ユーゴは現在憂鬱状態にあった。
「ユーゴ殿!結界の位置が分かったようです!お力添えを!」
守護騎士団団員が、慌てて部屋に入って来てこう述べたが、そんな状態のユーゴの下に、こんな報が届いたのだ。
「しゃあ!お任せあれ!」
当然こうなる。
「さあ行きましょう!全ての人種のために!」
「は、はい!」
椅子を蹴飛ばしながら立ち上がったユーゴは、慌ただしくなり始めていた城内を移動し、団員に会議室へと案内された。
「遅れました」
ユーゴが会議室に着くと、既に主だった者達は集結していた。
「いや、情報を精査していた。おま、ユーゴ殿に連絡が行くのは最後の最後だったのです。お気になさらず」
祈りの国の本殿へ不法侵入した男への口調で話してしまいそうになったベルトルド総長であったが、海の国の目もあることを思い出して、神の使いへの言い方に変える。
「その銛は、んん?」
「おお!マザサ様の銛がユーゴ殿へ!」 「やはり神の使い!」 「どうか海の国をお守りください!」
神の残り香の様な、本当に僅かな力を纏った銛が、本来国王が座っていた一番奥に自然と立っていたのだ。しかもその国王は銛より一つ手前の席に座っている。
不思議に思ったユーゴが銛について聞こうとすると、その銛自身が動き始めてユーゴの手に収まり、周りは一気に興奮したように話し始める。
「それで通知のベルはなんと?」
「マザサ神の銛が結界に案内して下さると」
「なるほど」
周りが興奮する中、もう慣れたと言わんばかりにベルトルド総長が銛について話す。
ユーゴが押さえつけていたが、確かに銛はどこかへ移動しようとしていた。
「それと警告が。神々が"全てを食らうもの"の世界を偵察なされたが、生命反応が無く、星そのものも枯死しているようだ。神々はこいつが原因だと見られている」
「なんてことだ…」 「そんな存在が!?」 「神々よ…」
「分かりました」
(ごめん皆。今日中に帰るのは無理かも…)
周囲が青ざめる中、ユーゴも敵のスケールの大きさに悲嘆を感じていた。
「ユーゴ殿。どうかお頼み申し上げます」
「国王陛下。お任せください」
国王までもがユーゴの手を握ってお願いする程であった。
「既に近くの浜に連絡がいっています。魚人種達が護衛を」
「ああそれがですね」
総長の言葉を遮りながら、ユーゴは窓際に移動する。
「ちょっと銛が早くしろと。1人で行ってきます。では!」
「ああ…。分かりました。御武運を…」
窓から飛び降りたユーゴを見ながら、総長はため息をついた。
◆
(んん。楽だ)
浜から水中に潜ったユーゴであったが、勿論行き先が分からないので、腕の力を緩めて銛を握っているだけであった。
水中での銛は素晴らしい速度で、ユーゴをどんどんと深海まで連れていく。
(これが噂に聞く大海溝。確かに深い。境界はあれか?靄だな)
殆ど観光しているような気分で移動していたが、ついに結界と思わしき地点と、世界を隔たる境界を見つける。
(まだ持ちこたえている様だな)
普段から、自分が戦う事によって起きる余波を気にしているユーゴは、星が枯死していると聞いた時から、出来れば侵入される前に、向こうの世界で戦いと思っていた。そこでなら余波の事を気にしないで済む。
しかしである。
(んげ!?破られた!)
ユーゴが到着した直後に、何かガラスが割れた様な耳障りな音が発生し、境界を隔てていた結界が破られ、向こう側の世界と繋がってしまったのだ。
そして…
もし蟲の王に不幸があったとするならば
(殺す)
その自身の強さ故に"怪物"が本気の戦闘態勢に入ってしまった事だろう。
結界が破壊されたことで、蟲の王の戦闘力を推し量れたユーゴは、すぐさま境界に飛び込むと、無理やり空間を掴んで境界の隙間を閉じるという、世の魔法使いが見れば卒倒する行いをし、この星に本当に生命が無いことを確認し、大陸に影響を与えないことを確信すると…
全て
何もかも
一切合切を
解き放った
枯れ死んだ星が、人の重みで軋みを上げる。
突如発生した極大の重力に、母なる海は吸い込まれ押しのけられ、辺り一面の歪んだ空間から紫電が噴き出す。
ところでこのユーゴという男。己に二つ禁じていた事があった。
一つは大陸のある世界で全力を出さない。
そしてもう一つは…
「こぉのムシケラ風情がああああああ!テメエのせいで子供の成長記録が途絶えたんだぞ!死ねやああああああ!」
絶対に、己の足に全力を込めないという事であった。
その二つの禁を解き、全ての
深海にも関わらず海は蒸発し、ムシケラの外殻どころか星の外殻すらも踏み砕き歪ませたその一撃を、ただのムシケラが耐えられるはずが無く、海溝からすら飛び出ていた巨体は、ユーゴの足が直撃する寸前に、既に圧に耐え切れず消し飛んでいた。
「こっちに来る前で良かった」
周囲の激変してしまった環境を見回しながら、ユーゴは安堵のため息をつく。もしユーゴの世界に侵入を果たしていれば、ムシケラを倒すことが出来ても、その余波でとんでもない事になっていただろう。
「何もない星、か。…帰るか」
生きる者無き星に寂寥感を感じながら、ユーゴはかなり特殊な転移の触媒を用い、元の世界への帰還を果たした。
◆
リガの街
「帰ってこれた…」
こちらの世界に帰って来たユーゴはその後、ベルトルド総長が倒れないように説明しながら銛を返却し、どうか祝賀会をという海の国の引き留めを振り切って、我が家への帰宅を果たしたのであった。
「ただいま!」
「あなたお帰りなさい」
「旦那様お帰りなさい!」
愛する彼の妻達が出迎えてくれたが…
「ああう」
「あー!」
「ぬああ!?首が座ってるうう!?見逃したああ!」
その妻達の腕に抱かれている、自分の子供達の首が座っていることに致命的なダメージを受けて、床に蹲ってしまう。
「ご主人様大丈夫です!その時はちゃんと写真に撮ってます!」
「ルー!ありがとううう!」
すぐに復活したが。
「クリスー。コレットー。パパ頑張って来たよー」
今日もまた平和な一日であった。
◆
魔物辞典
"全てを食らうもの"、"蟲の王"、"寄星虫"
大陸とは別世界に存在していた魔物。
最初は単なる節足動物であったが、魔力溜まりを独占した事により、異常個体として成長し始める。
実は重大な欠陥を持っており、通常位階が上がると起こる無駄な代謝の抑制が一切起こらず、ただひたすら成長し続けてしまったため、その体を維持するために魔力の大部分を消費し、ひたすら周囲の生物と魔力を貪り続ける事になった。
最終的には星の魔力すら吸い付くし、別の世界へと狩場を移そうとするも、世界を滅ぼしうる一撃を受けて消滅した。
ー虫の最期は千差万別だろうが、ムシケラの最期は決まっている。踏み潰されるのさー
神辞典
海神マザサ
海神に属する神の中でも、最も力強いとされる存在。
かつて神々と竜の戦争後に、竜の捜索に大海溝へ赴くも、そこで別の世界につながる境界を発見。
観測中に"全てを食らうもの"がこちらに侵入を試みようとしたため、来れば大陸の脅威になると判断し救援を要請するも"全てを食らうもの"の魔力に阻まれ失敗。もはや一刻の猶予も無いと単身で討伐を試みるも敗北し、残った力の全てを用いて結界を張る。実際マザサの考えは正しく、戦争後の疲弊した神々では、仮に"全てを食らうもの"が侵入した場合、止める術がなかった。
その後、なんとか世界樹に帰還する事に成功するも、"全てを食らうもの"の存在を伝えたところで休眠状態に陥り、結界の位置を知らせる事が出来なかった。
何度かマザサと混同される双子の弟神などが大海溝に調査に赴くも、神々も次第に大陸から消え去り、結界の存在も忘れられていった。
最近、記憶が消えるのはまず間違いないと、結界の位置を失う事を恐れて出来なかったかなり無茶な方法で覚醒したが、神々はなんとか賭けに成功し、銛でユーゴを案内した。
『必ずやこちらの世界の災いになる!なんとしてもここで仕留めなければ!』
ー海神マザサー
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