第136話 忍び寄る殺意

「……で、あんたたちは釈放されたってわけ?」


 イセリアはテーブルに片肘をつきながら、わざと伝法な口調で言い放った。

 真向かいには、ラケルとレヴィが並んで座っている。

 髪の色以外は何から何まで瓜二つの二人が横並びになっていると、まるで騙し絵みたいにみえる。 


「はーあ……まったく、もうすこし閉じ込めといてもよかったのに」

「私たちが釈放されたことに何か異論でもあるのか」

「あるに決まってんでしょ!! あたし、もうちょっとであんたたちに殺されるところだったのよ。そりゃあのときは許したけど、まだちょっと複雑っていうか……腕だっておととい治ったばかりだし」


 テーブルに拳を叩きつけて叫んだイセリアのまえで、ラケルとレヴィは互いに顔を見合わせる。


「ラケル、謝ったらどうだ。責任はお前にある」

「君のせいだぞ、レヴィ。私は悪くない」


 全く同じ顔をした二人は、どちらも頑として譲ろうとしない。

 軽口を叩いているように見えたのもつかの間、いまにも掴み合いが始まりかねない険悪な空気が流れはじめた。


「長い付き合いだったが、いい加減これまでだな、レヴィ」

「奇遇だな、ラケル。お前とは二度と組まないからそのつもりでいろ」

「望むところだ。だいたい君は戦いでも足手まといだった」

「そちらこそ、斧を振り回すしか能がないくせに――」


 罵り合いを始めたラケルとレヴィを交互に見て、イセリアは呆れたようにため息をつく。


「ていうか、なに? あんたたち、わざわざ喧嘩しに詰め所ここまで来たわけ?」

「まさか――」


 二人の声が揃った。


「私たちが来たのは、今後のことについて話し合うためだ」

「つまり、どういうことよ?」

「私たちは一時的に君たちとおなじ部署――騎士庁ストラテギオンの指揮下に入ることになった」

「ちょ……ちょっと、それマジで言ってんの!? あんたたち、あたしたちと一緒に働くの!?」

「何か不満でも?」

「不満ありありよ。ただでさえ狭いところに二人も来られたら迷惑に決まってるじゃない。その上喧嘩までされたらたまんないっての」

「しかし、見たところ、今日は君一人しかいないようだが」

「それは……その……いろいろ事情があんのよ」


 言って、イセリアはがらんとした詰め所の内部を見渡す。

 アレクシオスはあれから姿を消したまま、今日に至るまで消息は知れない。

 ヴィサイリオンとエウフロシュネーは皇帝直々に帝城宮バシレイオンに呼び出され、イセリアは一人留守居を任されているのだった。


「……まあ、本当はもう一人いるんだけどさ」


 イセリアは二人から視線を外すと、だれにともなくひとりごちた。

 オルフェウスが買い物に出かけたのは、タレイアとともにラケルとレヴィが詰め所を訪れるすこし前のことだ。まだ破壊された片腕の再生が完了していないタレイアは、まるで厄介な荷物を押し付けるみたいにイセリアに二人を引き渡すと、そのままとんぼ返りしていった。

 二つ返事で承諾したのをいいことに、あれもこれもと頼みすぎた――イセリアは今更ながらに後悔しきりだった。

 亜麻色の髪の少女は、まだ当分戻ってこないはずだ。

 ヴィサイリオンとエウフロシュネーが予定より早く戻ってこないかぎり、この三人でしばらく過ごさなければならないということもである。


(ああもう!! こんなことだったら、あたしが買い物に行けばよかった!!)


 後悔したところで、もはや後の祭りだ。

 イセリアはふと窓の外に目をやる。曇りがちな帝都には珍しい好天だ。

 街には初夏の陽光が燦々と降り注ぎ、新緑の街路樹をきらめかせている。


「しかし、こうしてると、平和そのものって感じよね……」 


 各地の情勢が風雲急を告げていることは、イセリアの耳にも入っている。

 それでも、天然の要害とそびえたつ三重の城壁に守られた帝都は、この国が滅亡するその日まで平和を保ち続けるにちがいない。

 考えうる最悪の事態が現実のものとなったとき、自分たち騎士には何が出来るというのだろう。

 イセリアはしばらく神妙な面持ちで沈思していたが、やがてぶんぶんと顔を振った。

 考えても仕方がないことは考えない――それがイセリアの座右の銘であり、生きていく上での指針だった。

 

***


(これでいいかな――)


 オルフェウスは手にした買い物袋をちらと見やる。

 端切れを縫い合わせて作られた袋には、茶葉に菓子、その他にも詰め所で消費されるさまざまな日用品がぎっしりと詰まっている。

 大人の男でも音を上げそうな重さのそれを、細身の少女は苦もなく片手にひっさげている。

 騎士ストラティオテスのなかでは非力なオルフェウスだが、それでも人間を寄せ付けない膂力を備えているのだ。重い荷物を抱えたまま歩き回っても、美しい顔には汗の玉ひとつ浮かぶことはない。


 帝都まちは相変わらず活気に溢れ、往来は人でごった返している。

 ヘラクレイオスらによる帝都襲撃事件からいままで、大きな事件は起こっていない。

 帝都駐留の騎士はいつでも出動出来るように待機を命じられているものの、四六時中詰め所から動けないという訳でもなく、こうして近所に出かける程度の自由はあるのだ。

 アレクシオスの行方が知れないのは気がかりだが、そのことを気に病んでもどうなる訳でもない。待つ側としてはひたすらその無事を祈ることしか出来ないなら、じっとしているだけ無為な時間を過ごすことになる。


 今回の買い出しにしても、イセリアから半ば強引に押し付けられたような形ではあるものの、オルフェウスは頼まれるがままに承諾したのだった。

 小一時間ほどほうぼうの店をめぐり、必要なものはすべて買い揃えたはずだった。

 オルフェウスは詰め所の方角にむかって一歩を踏み出す。


「もし、お嬢さん――」


 背後からふいに声がかかったのはそのときだった。

 男の声であった。

 亜麻色の長い髪をなびかせ、オルフェウスはゆっくりと振り返る。


 とくに驚いた様子もないのは、見知らぬ人間に声をかけられることにすっかり慣れているためだ。

 街を歩けば男女の別なく視線を釘付けにし、しばしば往来の通行に支障をきたすほどの美貌を持つオルフェウスである。大部分の人間は声を掛けることも出来ずにただ見惚れるだけだが、なかには身のほどを弁えない者もいる。

 下心を持って美しい少女に近付こうと画策し、執拗に名前や住所を聞き出そうとする男たちがそれだ。

 もっとも、帝都に赴任してからというもの、そんな不埒者のあしらい方もだいぶ板についてきた。

 興味本位で声をかけてくる男の多くに対しては、すげなく無視するだけで事足りる。

 それでもなお食い下がろうとする往生際の悪い輩にも、オルフェウスは力でねじ伏せるような真似はしない。

 ただ、真夏の日差しさえ凍てつくような一瞥をくれてやるだけだ。

 およそ人間離れした美しさを持つ少女から、何の感情も篭もっていない視線を向けられた相手は、まるで自分が取るに足らない虫けらにでもなったような感覚に囚われるのだった。いたたまれなさに打ちひしがれながら逃げていった軟派ナンパ男の数は、両手足の指をすべて合わせてもまだ足りない。


 だが――たったいまオルフェウスの耳朶を打った声色は、これまで街で声をかけてきたどの男とも性質を異にしていた。


「……私になにか用?」


 オルフェウスの目の前には、一人の青年が佇んでいる。

 目深にかぶった笠のために顔はよく見えない。肩にかかった艷やかな黒髪と、旅装の襟元からのぞく肌の色から察するに、どうやら東方人であるらしい。


「じつは道に迷ってしまいまして――もしよろしければ、道案内をお願いできませんか」

「べつの人に頼んだほうがいいよ。私もあまり詳しくないから……」

「しかし、あちらに行こうとなさっていたのでしょう?」


 言って、青年はオルフェウスが向かおうとしていた方角を指差す。


「同じ方向なら、途中まででも構いません。むろん、どうしてもお嫌なら無理強いはしませんが――」


 オルフェウスは平素と変わらぬ無表情で青年を見つめている。

 やがて、わずかな沈黙が流れたあと、


「……それでもいいなら」


 美しい少女は、やはり抑揚に乏しい声で言ったのだった。


***


「我が術で最強の騎士オルフェウスを葬り去ってごらんにいれる」


 数時間前――。

 ゼーロータイの本拠地を訪れたアルサリールは、ナギドの前ではっきりとそう宣言したのだった。

 『帝国』側の切り札とも言うべきオルフェウスを葬ることは、ゼーロータイにとって最大の脅威を排除することにもなる。すでに序列第三位のラグナイオスはこの世になく、いまやヘラクレイオスを止められる可能性のある騎士はオルフェウスただひとりなのだ。

 ナギドが言葉を発するより早く、場違いな笑い声が響きわたった。

 ヘラクレイオスらとともに同席していたカドライが発したものであった。


「やめとけ。テメェに倒せるような相手じゃねえ」

「なぜそう言い切れる?」

「俺とエリスの姐御が二人がかりでも奴を倒せなかったんだ。たかが人間のテメェにどうこう出来るはずがねえ。なあ、姐御もそう思うだろう!?」


 予期せず水を向けられたエリスは、苦々しげに柳眉を逆立てる。

 いかにも迷惑そうな表情は、私を巻き込むなと無言の抗議をしているようでもある。

 それでも、オルフェウスを倒すという荒唐無稽な言葉は聞き捨てならなかったのだろう。


「残念だけど、カドライの言うとおりだ。あいつは普通じゃない。下手に挑んでも死ぬだけだよ」


 アルサリールを横目に見つつ、はっきりと断言したのだった。

 ナギドは指を組み、しばし思案に耽ったあとで、ようやく口を開いた。


「……二人はこう言っているけれど、勝算はあるのかい? アルサリール」

「もちろん、真正面から武力によってあの者を倒そうなどとは思っておりません。戦うからには策がございます」

「へえ?」

「我が秘術は人の心を支配し、夢うつつの心地のまま死に至らしめることが可能です。たとえ息の根は止められなくとも、生ける屍と化したならば、それは死んだも同じこと……」

「だけど、君の術は騎士にも通じるのかな? 彼らは人間とはまるで違うことは君もよく知っているだろう」

「騎士がならば、我が術はかならず効果を発揮するはずです」


 満腔の自負とともに言い切ったアルサリールに対して、ナギドはそれ以上問おうとはしなかった。

 カドライはというと、なおも胡乱げな目をアルサリールに向けている。

 人間にそのような芸当が可能だとはてんから信じていないようであった。

 

「おい、本当に騎士に通じるかどうか試していかなくていいのか?」

「私の術は極限まで精神を研ぎ澄ます必要がある。一度ひとたび使えば、しばらく十全の威力は望めなくなる。ここで無駄に使うつもりはない」

「そういうことなら勝手にしてくれ。しくじっても骨は拾わねえからな」


 あくまで挑発的なカドライに、アルサリールはそれ以上取り合おうとはしなかった。

 『帝国』全土でゼーロータイが蜂起するまで、もはや猶予は残されていない。寸暇を惜しんで行動しなければならないときに、仲間内で言い争うなど愚の骨頂だ。

 アルサリールはヘラクレイオスの隣にちんまりと佇む少女に目を向ける。


「アイリス殿、帝都までお送り願えますか。あなたに協力していただけるなら、今日じゅうには標的オルフェウスに接触出来るはずです」

「私……役に立てるなら……」


 丁重に申し出たアルサリールに、アイリスはこくりと頷く。

 アイリスの空間跳躍能力を用いれば、誰にも知られることなく帝都に潜入することも出来る。

 いままでその能力を積極的に攻撃に用いてこなかったのは、単純に無意味だからだ。

 即位してまだ日も浅い皇帝を暗殺したところで、『帝国』にはさしたる打撃も与えられない。往々にして、生きている皇帝の重要性は、死した偉大な皇帝の足元にも及ばないのだ。

 さらには、先の襲撃において、真正面から帝都を守る戎装騎士ストラティオテスを突破出来なかったこともある。ヘラクレイオスが重傷を負い、ラケルとレヴィの二名を失った痛手は決して軽視出来るものではない。

 いたずらに帝都に攻め入ることは、かえってゼーロータイの戦力を失うことにも繋がりかねない。


 一方、アルサリールの作戦には敵の切り札を葬るという明確な目的がある。

 仮に失敗したとしても、ゼーロータイの被害は最小限に留まる。一人の犠牲と最大限の戦果を天秤にかけたなら、実行を躊躇う理由はどこにもない。

 

「君の成功を祈るよ、アルサリール。神のご加護があるように――」


 アルサリールは深々と頭を垂れると、そのまま音もなく後じさる。

 それから数秒と経たないうちに、黒髪の青年の姿は、闇に溶けるように消えうせていた。

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