第151話 逆襲の雷鳴(前編)

 闇さえも重く淀んでいるような夜であった。


 いま、ガレキアの細い路地裏を音もなく駆けていく黒影がある。

 古い歴史を持つ都市の例に漏れず、ガレキアの市街地は大小さまざまの街路が複雑に入り組んだ構造をもつ。それでも太い通りを行く分には問題はないが、土地勘のない者がうっかりと脇道に足を踏み入れようものなら、街中で遭難するはめになる。

 かつてこの地に赴任した官吏が政庁に向かう途中で道を誤り、それから三日三晩のあいだ街じゅうをさまよい歩いたという故事も、あながち作り話とは言えないのだ。

 にもかかわらず、まるで通いなれた道であるかのように、黒影の足取りにはわずかな迷いもない。


 それもそのはずだ。

 黒影は建物の屋根から屋根へ軽やかに飛び移り、塀や柵を跳び超え、本来存在しないはずの一本道をひた走っているのだから。

 その行く手には、天にむかってそびえる巨大な岩塊がみえる。

 ”トゥリスの丘”であった。


(このまま進めば、じきに到着するはずだ――)


 すさまじい勢いで千切れ飛んでいく景色には目もくれず、アレクシオスはひたすらに先を急ぐ。

 ガレキアの市街地は火が消えたみたいに静まり返り、すれ違う人もない。

 普段であれば、この時間ともなればあちこちで夜市が開かれ、昼の熱暑から解放された人々によって賑わっているはずであった。

 今夜は沿道に屋台はなく、どの家も固く門扉を閉ざしている。住人は盛り場に繰り出すこともなく、灯りの絶えた部屋でひっそりと息を潜めている。

 反乱軍によって外出禁止令が敷かれているためだ。

 ”麗しの都”と謳われた大都市を包むのは、戦時下の緊張にほかならない。

 人々はいつ始まるともしれない戦いに備えて神経を研ぎ澄まし、心身を消耗させている。


 ガレキアの人口のほとんどは東方人によって占められているとはいえ、そのすべてが『帝国』に敵意を抱いている訳ではない。

 いつまでも変わらない日常が続くと信じていた彼らにとって、前触れもなく降って湧いた反乱軍の蜂起は、まさしく青天の霹靂だった。市街地のそこかしこで火の手が上がり、西方人の死体が大通りに並べられていく酸鼻な光景を目の当たりにして、ようやく自分たちの住む都市まちで何が起こったかを理解したのだった。

 内心では反乱軍の残虐さに恐れおののき、嫌悪しながら、それでも住民たちはあくまで恭順を装った。

 反乱軍のやり方にすこしでも異を唱えれば、今度は自分が排斥の対象となりかねない。同じ東方人であったとしても、『帝国』や西方人の肩を持つ者には容赦ない制裁が加えられるのだ。それを裏付けるように、辺境軍の駐屯地や市庁舎が襲撃された際には、少なくない東方人が巻き添えとなって殺されている。

 こうして裏路地を進んでいると、住民たちを苛む焦燥と疲労とがぬるい夜気を通してアレクシオスにも伝わってくるようだった。


 誰もが夜明けを待ち望んでいる。

 反乱軍も、ガレキアの住民たちも、都市を包囲する中央軍の兵士たちも、そして騎士ストラティオテスたちも――。

 だが、それぞれが望む朝焼けの色は、決して重なることはない。

 ある者にとっての希望は、別の者にとっての絶望となるはずだった。

 時刻は夜半を回ろうとしている。光は、まだ差さない。


***


 アレクシオスたちがガラキア市内に入ったのは、いまから十五分ほど前のことだ。

 エウフロシュネーによって空輸された三人の騎士たちは、それぞれ市街地の別の地点に降下していった。

 都市から離れた場所で上昇し、その後は推進器を切ったまま滑空機グライダーとなって風に乗れば、エウフロシュネーはほとんど無音で飛行することが出来る。他の騎士を抱えた状態では周囲の景色に溶け込んで姿を消すことは出来なくなるが、それでも見張りの兵士の目を欺く程度は造作もないことだ。

 上空数百メートルからの着地は、両脚に推進器を持つアレクシオスはむろん、イセリアやオルフェウスにとってもそう難しいことではない。人間ならまず即死は免れない高度だが、騎士の平衡感覚と頑丈な身体をもってすれば、そのまま問題なく次の行動に移ることが出来る。

 こうして夜陰に乗じた潜入作戦は成功し、四人の騎士はまんまと城壁の内側に入り込むことに成功したのだった。

 実際にはイセリアが着地に失敗し、民家を三軒ばかり盛大に壊したものの、どうやら反乱軍が現場に到着する前に上手く逃げおおせたらしい。

 先に降下していたアレクシオスは舌打ちをしつつ、好機とばかりに先を急いだのだった。

 ガレキアへの潜入が表沙汰になりさえしなければ、多少の騒動は他の三人にとってはむしろ効果的な陽動になる。なにより、多少の問題トラブルがあったとしても、順調に事が運べばいずれ顔を合わせることになるのだ。


 四人が向かうのは、ガレキアの中心部――”トゥリスの丘”であった。

 エウフロシュネーがもたらした情報から、ヘラクレイオスらはそこにいると判断したためだ。

 反乱軍の側でも『帝国』がいずれ戎装騎士ストラティオテスを差し向けてくることは想定しているはずであった。であれば、ガレキアの各所に分散させておくより、目立ちやすい場所に配置しておくほうが賢明というものだ。最強の騎士であるヘラクレイオスは身を隠す必要はなく、対する『帝国』側の騎士は、最大の脅威であるヘラクレイオスに全戦力を集中せざるをえない。

 さらに付け加えるなら、戦闘によってもたらされるであろう甚大な被害を勘案し、周囲への影響が極力少ない場所が好ましい。

 ”塔の丘”は、騎士と騎士の戦いの舞台としてこの上ない条件を備えている。

 ヘラクレイオスと三人の騎士は古代神殿の廃墟に陣取り、アレクシオスたちを待ち構えているはずであった。


(あそこで奴らが待っているというなら、望むところだ――) 


 虎穴に飛び込むとは、まさにこのことだ。

 全員が生き残る可能性はきわめて低く、たとえ一人でも生還出来れば奇跡と言うべきだろう。

 それでも、アレクシオスにはもはや躊躇いも迷いもなかった。

 こちらには、最後の切り札であるオルフェウスがいる。

 最強の騎士であるヘラクレイオスと真っ向から戦い、勝利する可能性を秘めている唯一の騎士。

 そのオルフェウスを、ヘラクレイオスのもとに送り届ける――それが今回の作戦の骨幹だ。

 アレクシオスたちに課せられた使命は、決着がつくまでヘラクレイオス以外の三騎を食い止めることだった。

 必ずしも勝利する必要はなく、オルフェウスが戦っているあいだ時間を稼ぎさえすれば、それぞれの役目は果たせるのだ。

 それでも、エリスやカドライ、そしてアイリスの実力を鑑みれば、かなりの危険が伴う行為であることは間違いない。足止めに成功しても、相打ち……あるいは敗死という結末を迎える可能性はきわめて高い。

 見方を変えれば、それはアレクシオスとイセリア、エウフロシュネーが、オルフェウスただひとりのために捨て石になるということを意味している。

 そのような作戦をイセリアが一も二もなく承服したのは、アレクシオスにとって意外でもあった。

 たとえ倒れることになろうとも、ヘラクレイオスだけは絶対に倒す――。

 そう心に誓っていたのは、イセリアも同じだったのだ。


――勘違いしないでちょうだい。今回は特別よ。あんたに花を持たせてやるんだから、ありがたく思いなさい!!


 いつものように悪態をつく少女の横顔には、仲間に対する信頼が溢れていた。


 とはいえ、どのような場合でも最悪の想定はしておかなければならない。 

 騎士庁ストラテギオンの貴重な戦力であるラケルとレヴィを帝都に残してきたのは、言うなれば今回の作戦が失敗したときの保険だ。

 一人ひとりの戦闘能力はオルフェウスに及ばなくとも、タレイアやアグライアと協力することで、ヘラクレイオスに対抗することが可能となるはずだった。

 だが、最強の盾と矛をもつ姉妹騎士、そしてあらゆる性能が規格外の戎装巨兵ストラティオテス・ギガンティアを以ってしても、勝算はやはり薄い。

 すべてはオルフェウスの、そして彼女を支えるアレクシオスたちの戦いの成否にかかっているのだった。


***


 アレクシオスの視界を埋めるように、前方の黒塊はいっそう巨大さを増したようだった。

 オルフェウスは、エウフロシュネーとともに別の経路ルートで”塔の丘”に向かっているはずだった。

 気づけば、周囲の家並みはふっつりと途切れ、道はゆるやかな上り坂に差し掛かっている。いよいよ”塔の丘”の入り口に足を踏み入れたのだ。


 と、百メートルほど上方で黄金色の光芒がきらめいたのはその瞬間だった。

 金糸のような放電スパークを身体中にまとわりつかせながら、人影がゆっくりと闇に浮かび上がってくる。

 西方人の若い男。見覚えのある顔だ。アレクシオスにとっては、忘れようと思っても忘れられるはずもない。

 が、だん――と地を蹴った。

 夜空に高々と飛び上がったのと同時に、すさまじい閃光が一帯を領した。

 戎装したのだ。全身から放たれた光は、それまで体内に溜め込まれていた余剰エネルギーの放散であった。


「来やがったな――待ちかねたぜ」 


 アレクシオスの前に降り立ったのは、全身に電光をまとった橙色オレンジの騎士だ。


「カドライ――」

「テメェに呼び捨てにされる筋合いはねえ。もっとも、どうせじきに死ぬなら関係ねえか」


 とっさに身構えるアレクシオスにむかって、カドライはくいくいと手招きをする。

 どこからでもかかってこい――それは、この上なくあけすけな挑発であった。


「さあ、とっとと始めようぜ!!」

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