第152話 逆襲の雷鳴(後編)

「何を突っ立ってやがるんだ? さっさと戎装しやがれ!!」


 カドライは苛立ちを隠そうともせず、アレクシオスにむかって言い放つ。


「テメェにはでけえ借りがある。この手でバラさなけりゃ気が済まねえ」

「それほどおれを殺したいなら、戎装する前に襲えばいいだろう。先に攻撃を仕掛ける機会はいくらでもあったはずだ」

「あァ?」


 アレクシオスの口から出た予想外の問いに、カドライは勢いよく両の拳を打ち合わせる。

 硬質の装甲同士がかち合う鋭い音がぬるい闇に反響し、すぐに溶けた。


「あまり図に乗るんじゃねえぞ。テメェごとき雑魚を始末するのに、この俺が不意打ちをする必要なんざねえんだ。それにな、真正面からテメェをブチ殺さなけりゃ、俺の悔しさは消えねえ――」

「つまり、互角の条件で戦いたい……ということか?」

「だったらなんだ?」

「いや――貴様が正々堂々の勝負を挑んでくるとは思わなかっただけだ」

「さっきからゴチャゴチャうるせえんだよ! いいから俺の言うとおりにしろ!!」


 カドライが怒声を飛ばしたのと、アレクシオスが一歩を踏み出したのは、ほとんど同時だった。

 足底がふたたび地面に触れたとき、黒髪の少年の肉体は、すでに人ならぬ異形へと変わっていた。

 皮膚は黒曜石を彷彿させる透き通った装甲に置き換えられ、無貌の面にまばゆい赤光が迸る。

 漆黒と橙色オレンジの装甲をまとった二体の戎装騎士ストラティオテスは、ほんの数メートルの距離を隔てて対峙する格好になった。


「やっと戎装しやがったな――さあ、さっさと始めようぜ」


 言い終わるが早いか、カドライの身体は忽然と消え失せていた。

 加速に入ったのだ。

 いったん加速に入れば、騎士のすぐれた視覚を以ってしてもその姿を捕捉することは不可能になる。

 そして、それは加速状態にある当人も例外ではない。身体の速度が感覚器の処理限界を超えた瞬間、あらゆる光と音から隔絶されるためだ。加速に突入した騎士は、あらかじめみずからの身体に入力した挙動パターンに従って動く。

 アレクシオスは防御の構えを取ったまま、わずかに後じさる。


 左腕にすさまじい熱を感じたのはその瞬間だった。

 カドライの四肢に内蔵された超高温のプラズマ・ジェネレーターが接触したのだ。

 プラズマの刃に触れた装甲はまたたくまに溶解し、白煙とともに蒸発していく。

 ややあって、白煙の下から現れたのは、数条のなまなましい爪痕であった。

 カドライの四肢を覆うプラズマ刃に触れれば、戎装騎士ストラティオテスの装甲といえどもひとたまりもない。まともに入っていたなら、アレクシオスの左腕はあっけなく斬り落とされていたはずだ。

 それが装甲の表層を削り取る程度に留まったのは、むろん偶然ではない。


「チッ……避けやがったか。運のいい野郎だ」


 カドライは素早く飛び退りながら、口惜しげに吐き捨てる。


「だが、二度目はねえ。次はその首を落としてやる」

「……やってみろ。おれは逃げも隠れもしない」

「ろくに戎狄バルバロイも倒せなかったクズ騎士が!! あの世で吠え面かくんじゃねェぞ!!」


 怒りと侮蔑に満ちた声だけを残して、カドライの姿はまたしても霧散した。

 アレクシオスはすかさず防御を解き、身体の前面で十字を描くように両腕を交差させる。

 新たな構えが完成するのと同時に、左右の手首の付け根から槍牙カウリオドスが伸長する。アレクシオスがその場で駒みたいに身体を回転させるのに合わせて、白く鋭利な槍先もまた優雅な弧を夜闇に描いたのだった。

 そして、槍先が完全な円を描くまえに回転は止まった。――

 カドライがふたたび現れたのは、アレクシオスからすこし離れた場所だった。

 橙色オレンジの騎士に尋常ならざる事態が出来しゅったいしたことは、ひと目見れば分かる。

 左肩を覆うように添えた手は、抉られた傷の深さを確かめているのだ。

 内部機構メカニズムへの致命的なダメージこそ免れたとはいえ、決して浅い傷ではない。傷口からは赤黒い液体がたえまなく漏出し、乾いた大地を濡らしていく。

 直撃ではない。すれ違いざま、槍牙カウリオドスの先端が左肩を掠めただけだ。

 通常空間であればかすり傷で済むが、加速状態ではみずからの速度が威力を何倍にも増幅する。カドライの装甲が大破したのも道理だった。


 むろん、カドライもアレクシオスが自分の行動を読んだ上で反撃カウンターを仕掛けてくることは分かっていた。その裏をかくために、あえて無駄の多い軌道コースを取り、防御の間隙を衝くように動いたつもりであった。

 だが、そんな目論見はあっけなく打ち破られた。

 後の先を取られるだけでなく、先の先まで読まれたことは、カドライにとって傷の痛み以上に深刻な問題だった。

 最速を自負していた加速能力はもはやアレクシオスに対して何の効果もなく、それどころか、かえって自分自身を害するものでしかないのだから。


「テメェ……ッ!!」

「あの夜の戦いで分かっていたはずだ。貴様の動きは読めている。おれにその能力ちからは通用しない」

「クソったれが……ざけんじゃねえ……!! こんなことがあってたまるか……!!」


 カドライはゆらりと立ち上がると、アレクシオスに向かって吠え立てる。

 傷口からの液体の漏出はすでに止まっている。

 いかに超常の回復能力を持つ騎士ストラティオテスといえども、これほど早く傷を治癒することは出来ない。

 プラズマ刃で装甲を溶接し、強引に傷を塞いだのだ。文字通りの荒療治であった。凄まじい激痛が伴うことは言うまでもない。


「俺は負けられねえ……テメェに負けるなんざ冗談じゃねえ……」

「もう勝負はついている。つまらん意地を張るのはそこまでにしておけ」

「俺のことはどうでもいい!!」


 カドライの絶叫が夜気を震わせた。

 これまでの愚にもつかない悪態とは桁違いの迫力に、アレクシオスもおもわず数歩後じさる。


「俺はここを守るようにヘラクレイオスの兄貴に言われたんだ。相手がテメェだろうとオルフェウスだろうと関係ねェ。誰だろうとここを通す訳にはいかねえんだ!!」


 アレクシオスを睨めつけたまま、カドライはゆっくりと前進する。


「癪だが、テメェの言うとおりだ……俺は頭が悪いし、イラつくと自分でも抑えがきかねえ性分だ。おかげで周りの奴らにはずっと見下されてきた。速さだけが取り柄の大馬鹿野郎だってな――」

「貴様、何を言って……」

「ヘラクレイオスの兄貴だけだったぜ。俺を馬鹿にしなかったのはよ。兄貴は俺みたいな奴でもそばに置いてくれた。俺に居場所をくれたんだ」


 橙色オレンジの装甲が茫と輝きはじめた。

 装甲の内側から光が漏れているのだ。炎みたいに揺らめき、次第にまばゆさを増しながら、光は胴体から四肢へと伝播していく。


「俺は『帝国』にも皇帝にも恨みはねえ。テメェらにもな。だが、それがどうした? ヘラクレイオスの兄貴がると決めたなら、俺はついていくだけだ。相手が誰だろうと関係ねえ。兄貴の敵なら、神だろうが悪魔だろうがブチ殺す」


 そうするあいだにも、カドライの身体はいっそう輝きを増している。

 すでに時刻は夜更けだというのに、周囲はあかあかと照らし出され、”トゥリスの丘”の斜面だけが時ならぬ夜明けを迎えたようであった。


「だから、俺の生命に代えてもここは通さねえ。テメェは絶対に殺す。それだけだ!!」

「言ったはずだ。何度やったところでおれには勝てない」

「俺の本気はあんなもんじゃねえ――それをいまから見せてやる!!」


 その瞬間、カドライの装甲に微細な亀裂が生じたのを、アレクシオスは見逃さなかった。

 亀裂は互いに結びつき、薄皮を剥くみたいにぼろぼろと装甲片が脱落していく。

 遮光材の役目を果たしていた装甲が取り払われたことで、カドライの体内から溢れる光は、肉眼では耐えられないほどに輝度を増している。


「おおッ――!!」


 カドライは両手を天に突き上げ、凄絶な雄叫びを上げる。

 それが合図であったみたいに、最後まで身体にまとわりついていたわずかな装甲が剥がれ落ちていく。

 そして、身体の内側から生じた光は一瞬激しく膨れ上がったかと思うと、急速に収斂していった。

 ほとんど反射的に飛び退った直後、アレクシオスはおもわず目を見開いていた。


 いま目の前に立つのは、カドライであってカドライではない。

 橙色オレンジの装甲はところどころ朱に変色し、二色が綾なす複雑な濃淡グラデーションは燃えさかる炎を彷彿させた。

 それだけではない。装甲の大部分が剥離したことによって、ただでさえ細身だったカドライの身体は、研ぎ澄まされた刃の鋭さを帯びている。

 およそ人間とは似ても似つかない姿は、まさしく異形の怪物そのものだ。上半身と下半身は細長い脊柱だけで接続され、その特異な輪郭シルエットは、直立した竜のようでもある。

 装甲に覆われていたプラズマ・ジェネレーターは体表に露出し、大ぶりな弯刀シミターを思わせる形状と相まって、周囲に禍々しい鬼気を発散させている。

 新たな姿へと変形へんぎょうを遂げたカドライは、ゆっくりとアレクシオスに近づいていく。


「驚くのはまだ早ええぜ――――お楽しみはこれからなんだからよ!!」

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