第153話 神速の涯て

「さあて――どう料理してやろうか」


 気圧されたみたいに立ち尽くすアレクシオスを見据えて、カドライはいかにも愉快そうに言った。

 それまで発声を司っていた部位が失われたためだろう。装甲の共振によって生じる声は、その姿に違わず怪物めいている。


「……まずは、そうだな。さっき喰い損ねた左手からいただくとするか」


 アレクシオスが身構えるより早く、凄まじい衝撃が左腕から全身に突き抜けていった。

 衝撃に続いて沸き起こったのは、腕が炎に包まれたみたいな灼熱感。そして、耐えがたいほどの激痛だった。

 こみ上げてくる叫び声を必死に押し殺しながら、アレクシオスは左腕に視線を落とす。

 おもわず息を呑んだのは、信じがたい光景を目の当たりにしたためだ。

 掌から肘下まで、前腕部は縦に割られていた。

 装甲は薄紙を裂くように溶断され、切断面はいまも高熱を帯びている。プラズマ刃に特有の傷跡であった。

 どうやら伝達系を破壊されたらしい。自分の意志では指一本動かすこともままならず、装甲に繋ぎ止められた左腕はぶらぶらと吊り下がっているだけだ。

 ひと思いに左腕を切断しなかったのは、むろん温情などではない。こうしたほうがより大きな苦痛を与えられるからだ。

 生まれついての嗜虐趣味者サディストであるカドライにとって、獲物をいたぶる歓びは何物にも代えがたい。

 まして、自分にさんざん苦杯を嘗めさせた相手となればなおさらだった。

 能うかぎりの苦痛と屈辱を与えてからじわじわと死に追いやる。

 たとえば、そう――手足の機能を一つひとつ奪い、身動きを取れなくした上で、意識だけは残したまま身体を寸刻みにする。

 左腕を断ち割ってみせたのは、ほんの序の口にすぎないのだ。


「どうした? 俺の動きは見切ってたんじゃねェのか?」


 暗闇の奥から嘲るような声が投げられた。

 やはり姿は見えない。

 一瞬のうちにアレクシオスの視界外まで遠のいたのか。あるいは、視認出来ないほどの速度で出現と消失を繰り返しているのか。

 いずれにせよ、アレクシオスには、カドライの気配さえ感じ取ることは出来ない。


「せいぜい動けるうちに逃げ回れ。必死に足掻いてみせろ。さもないと――……」


 カドライの声色が変わった。

 道化じみた軽薄な嘲弄から、重々しく死を告げる処刑人のそれへと。


「死んじまうぜ」


 アレクシオスが気づいたときには、攻撃はすでに終わったあとだった。

 音も気配もなく襲いかかったプラズマ刃は、アレクシオスの背中を袈裟懸けに切り裂いていた。


「ぐああっ――――!!」


 膝を突きながら、アレクシオスはくぐもった悲鳴を漏らす。

 刃はとうに離れているにもかかわらず、熱量はなおも傷口を苛み、地獄の責め苦を味わわせているのだ。

 傷の面積がはるかに広いぶん、その痛みも左腕に数倍する。人間であればショック死は免れなかっただろう。


「まだだ!! こんなもんで終わりだと思うなよ!!」


 いつまにか姿を現したカドライは、背後からアレクシオスの頭を掴むと、そのまま地面に叩きつける。

 押し当てられた五指も、プラズマ刃と同様、焼けた鉄みたいに熱い。

 アレクシオスはなすすべもないまま、カドライになぶられるに任せている。


「いつまでも……好きにさせるか……!!」


 拘束がわずかに緩んだ隙を衝いて、アレクシオスは体勢を立て直す。

 振り向きざまに槍牙が銀光の尾を引いた。

 やはりと言うべきか、手応えはない。すでにカドライの姿はどこにも見当たらなかった。 

 必死に周囲に視線を巡らせるアレクシオスをあざ笑うように、カドライはわざと目と鼻の先に出現してみせる。


「よお、そろそろ助けを呼んだほうがいいんじゃねえか? ――テメェのお仲間の女どもをよ。ひゃはははは!!」

「貴様っ……!!」

「無駄だ、無駄だ。さっきまでの俺と同じだと思うなよ。いまの俺はオルフェウスより速えぇぜ!!」


 飛びかかるアレクシオスを軽くいなしながら、カドライは甲高い哄笑を上げる。

 オルフェウスより速いとうそぶくだけあって、もはやアレクシオスにもその挙動は読み切れなくなっている。

 従来に較べて速度域が格段に上がっているために、加速のタイミングから攻撃の始端を算出することが不可能になっているのだ。


「もっとも、奴らが助けに来たところで、全員片付けてやるまでだぜ。おっと、心配するな。テメェをバラすのは一番最後だ。大事な仲間が一人ずつ死んでいくのを特等席で見物させてやる」

「黙れ……!! 貴様の思う通りにはさせない……!!」

「目と耳は残しといてやる。だが、そのうるせえ口は今のうちに焼き潰しておくか」


 と、カドライの言葉を轟音が遮った。

 アレクシオスが推進器を作動させたのだ。

 地面を蹴った反動と推力に押し上げられ、黒騎士は一瞬に上空へ舞い上がる。

 いつ攻撃を受けるか知れない状況から脱出するために、それはアレクシオスが取りうる最短にして最善の手段であった。

 高度はすでに五十メートルを超えただろう。

 両脚の推進器はたえまなく噴射炎を吐き出し、アレクシオスを押し上げていく。その姿が夜空の点と化すまでに、さほどの時間はかからなかった。


***


「チッ、飛んだか――バカのひとつ覚えだぜ。何度も同じ手を食うと思うなよ」


 カドライは忌々しげに呟くと、上空を見据えて構えを取る。

 かつて空中に飛んだアレクシオスを追撃した結果、強烈な反撃を受け、もうすこしで落命するほどの深手を負ったカドライである。

 当然、そのときの苦い経験は忘れていない。

 どれほど速度が上がっても、推進器を持たない以上、空中での挙動は直線的なものになる。地上を離れては、持ち前の疾さを十全に活かすことは出来ないのだ。

 ここでうかうかとアレクシオスの誘いに乗れば、最初の戦いと同じ轍を踏むことになる。

 カドライは逸る心をなだめ、アレクシオスの一挙一動を見逃すまいと闇空に目を凝らす。

 完全な飛行能力を持つエウフロシュネーとは異なり、アレクシオスの推進器はあくまで跳躍のためのものである。

 どれほど高く跳び上がっても、いずれ必ず落下することになる。そのときこそ、カドライにとって最大の好機だった。

 着地の際にはアレクシオスにも相応の衝撃が加わるはずだ。

 いかに戎装騎士ストラティオテスでも、その一瞬は身動きが取れなくなるだろうことは想像に難くない。

 たとえそれがコンマ数秒以下の時間であったとしても、カドライの加速能力の前ではなんら問題にはならない。瞬時に間合いを詰め、痛打を与えることは、赤子の手をひねるよりもたやすい。

 そうするあいだに、アレクシオスは徐々に高度を落としつつある。

 落下の軌道はゆるやかな曲線を描き、カドライから三百メートルほど離れた場所に降り立つはずであった。


――見えた!!


 その一瞬を見逃さず、カドライはただちに加速に入る。

 装甲を脱ぎ捨てたことにより、加速能力は通常時に較べて格段に向上している。

 三百メートルの距離は、いまのカドライにとって数歩にも等しい。

 一気に接近したあと、プラズマ刃でアレクシオスの両脚を刈り取り、身動きを取れなくする算段であった。

 推進器ごと両脚を斬り落としさえすれば、もう上空に逃げられる心配もなくなる。跳躍力を失ったアレクシオスは、羽をもがれた蝶も同じなのだ。

 やがて加速が解除され、カドライの五感に光と音が戻る。

 が、視界のどこを探しても、両脚を失って呻吟しているはずのアレクシオスの姿はなかった。


「そんなはずはねえ!! ――奴はどこに行きやがったんだ!?」


 狼狽えながら周囲を見渡すカドライの頭上で、耳を聾する轟音が生じたのはそのときだった。

 とっさに上方を振り仰いだカドライの目に飛び込んできたのは、闇よりもなお濃い黒影であった。

 あの瞬間――アレクシオスは、実際には跳躍によって推進力を使い切ってはいなかった。わずかに余力を残したまま落下し、着地の寸前に推進器を作動させることで、本来の軌道を外れたのだ。

 実際にはほとんど誤差に近いが、カドライの目を欺くには十分だ。

 事実、カドライはアレクシオスの挙動を見誤ったまま加速に入り、見当違いの場所に攻撃を仕掛けたのだった。速度が上がれば、それだけ誤差も広がる。


「クソが……小賢しい真似しやがって!!」


 ふたたび加速に入ろうとして、カドライは身体の自由が利かないことに気づく。

 それだけではない。

 身体が焼けるように熱い。竈のなかに投げ込まれたようであった。

 各部の装甲が展開しはじめているのは、強制冷却に入った証だ。

 三百メートルもの距離を駆け抜けたことで、カドライの身体は凄まじい熱を帯びている。装甲を捨てたことで圧倒的な速力を得た反面、熱に対する耐久性も著しく低下したためだ。

 そこに夜通し高温が続くガレキアの気候が追い討ちをかける格好になった。

 大気と効率的に熱を交換することも出来ないとなれば、強制冷却によって力ずくで排熱を行うしかない。冷却が完了するまでのあいだ、戦闘能力が失われることは言うまでもない。


 カドライは、自分に向かって落ちてくる銀の流星をみた。

 アレクシオスの槍牙カウリオドスだ。鋭い槍先が突き出される。頭では避けねばならないと分かっていても、身体は鉛と化したようだ。

 銀閃が横に流れた。

 衝撃にのけぞりながら、カドライは視力が失われたことを悟った。頭部を横薙ぎに薙ぎ払った槍牙の一閃は、カドライの視覚器を完膚なきまでに破壊したのだった。


「ぐっうぅ……ッ!!」 


 傷ついた面の下から、獣じみた呻き声が漏れる。

 戎装騎士ストラティオテスにとって頭部へのダメージは致命傷にはなりえないとはいえ、視力を失うことが痛手であることにはちがいない。

 まして、戦闘中となればなおさらだ。

 騎士の再生能力を以ってしても、完全な機能を取り戻すには三日を要する。

 カドライは見えぬ目でアレクシオスを睨めつけながら、なおも意気盛んに吠える。


「テメェ……なぜ俺を殺さなかった……!!」

「殺してほしかったのか?」

「おおよ!! テメェに情けをかけられるくらいなら、死んだほうがどれだけマシか知れねえ!!」


 カドライの怒声に切々としたものが混じった。

 それは、一度は勝利を確信しながら、敗北の事実を突きつけられた者の悲痛な叫びであった。


「まだだ……!! まだ勝負は終わってねえ!! 俺は負けちゃいねぇ!!」

「もう諦めろ。その身体で戦えないことはおまえが一番よく分かっているはずだ」

「勝手なことをほざくんじゃねェ!!」


 カドライは蹌踉とした足取りで立ち上がると、ゆっくりとアレクシオスに近づく。

 視覚は失われたが、装甲を振動させて反響定位エコーロケーションを行うことで、おおまかな位置を把握することは出来るのだ。


「テメェは俺が倒す……!! そうでなけりゃ……」


 声も枯れよとカドライは絶叫する。


「そうでなけりゃ、ヘラクレイオスの兄貴に顔向けが出来ねえだろうが――――」


 カドライのただならぬ気迫に、アレクシオスもおもわず後じさっていた。

 全身から立ち上る高温の排気は鬼火みたいに揺らぎ、朱と橙色オレンジの装甲に凄絶な輝きを与えている。

 カドライがしようとしていることを理解したとき、アレクシオスは我知らず叫んでいた。


「バカな真似はよせ!!」

「そこを動くなよ……テメェは黙って俺に殺されりゃいいんだ……」

「次に能力ちからを使えば、今度こそ死ぬぞ。貴様にも分かっているはずだ」

「それがどうした? いまさら生命なんぞ惜しくはねえ――」


 カドライはアレクシオスの位置を把握すると、カドライはわずかに姿勢を低くする。

 加速の体勢に入ったことはひと目で分かる。

 強制冷却はまだ終わっていない。高熱を帯びた状態で加速に入るということは、この上さらに熱を加えるということだ。

 いかに戎装騎士ストラティオテスでも、限界を超えた高熱に晒されれば無事では済まない。

 カドライが行おうとしているのは、文字通り捨て身の攻撃であった。


「――――――!!」


 カドライの姿が消え失せたのと、強烈な衝撃と熱とがアレクシオスの身体を突き抜けていったのは、ほとんど同時だった。

 アレクシオスの左肩の装甲はごっそりと消失していた。

 装甲下の駆動機構メカニズムが露出し、その先では縦に割られた前腕部が頼りなく揺れている。

 左腕がもはや腕としての機能をなさないことはあきらかだった。皮一枚で繋がった肩から先は、すこし力を込めれば、たやすく千切れてしまうにちがいない。

 傷ついた左腕を庇いつつ、アレクシオスはゆっくりと振り返る。


 二十メートルほど離れた斜面――。

 カドライは、そこにぽつねんと佇んでいた。

 朱と橙色オレンジに彩られていた装甲は、ほとんど白一色に変じている。

 あまりの高熱に内側から炭化したのだ。

 かろうじて原型を留めているのは、まさしく奇跡と言うべきだろう。

 加速中に分解し、そのまま燃え尽きていても不思議ではなかったのだから。

 奇跡はそれだけではなかった。


「ヘラクレイオスの……兄貴……」


 それははたして現実だったのか。

 それでも、アレクシオスは、たしかにその声を聞いた。


「見てて……くれたか……俺の……勝つ……」


 言い終わらぬうちに、カドライの身体が崩れはじめた。

 アレクシオスの視線の先で、ほんの数秒前まで騎士ストラティオテスだったものは、またたくまに白色の山と化していく。砂とも灰ともつかないそれは、儚くも美しい輝きを帯びていた。


 カドライの最期を見届けた直後、アレクシオスはがっくりと膝を折った。

 身体が重い。立ち上がろうとしても、四肢に力が入らない。

 それも道理だった。

 間一髪のところで致命傷は免れたとはいえ、重傷を負っていることには違いない。

 ふたたび戦える状態まで回復するには、多少の時間を必要とする。手負いのまま前に進んだとしても、オルフェウスやイセリア、エウフロシュネーの足手まといになるだけなのだ。


 戎装を解いたアレクシオスは、かろうじて動く首を動かし、前方の闇に目を向ける。

 ”トゥリスの丘”の頂きははるかに遠く、闇はいっそう濃く垂れ込めている。

 この丘のどこかで、いまこの瞬間にも次の戦いが始まろうとしている。

 少女たちの戦いを思いながら、少年は意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る