帝都の夏/祭りの夜

第219話 夏と祝祭と…

 早朝の官庁街に乾いた音が響いた。

 硬質の物体同士を激しく打ち合わせる音だ。

 音の出どころを辿っていけば、中央軍総司令部の斜向いに建つ一軒のボロ屋に行き着く。


 騎士庁ストラテギオン――。

 帝都イストザントにひしめく数多くの官公庁のなかでも、最も規模が小さく、知名度も低い組織のひとつである。

 人知を超えた戦闘力を有する戎装騎士ストラティオテスを擁する唯一無二の部署であるとは、皇帝ルシウスを始めとするごくひと握りの人間だけが知り得ることであった。


 いま、粗末な板塀に囲まれた騎士庁の庭で対峙するのは、二人の少年だ。

 ひとりは黒髪黒瞳の東方人。

 そしてもうひとりは、輝くような金の髪を持った西方人である。こちらは黒髪の少年に較べるといくらか歳下らしく、その面立ちにはまだ幼さが残っている。

 どちらも手には白樫の木剣ぼっけんを携えている。

 この種の刀剣類はだが、それを承知の上であえて用いているのである。

 剣を使用する敵との戦いを想定した訓練は、実際に剣を用いるのが最も効果的なのだ。自分が扱いに習熟するためではなく、相手との間合いを掴み、戦闘における立ち回りを学ぶための道具であった。

 二人は数合も激しく打ち合ったのち、距離を取ってあらためて相対した。

 どちらも正眼に構えたまま微動だにしないのは、相手の出方を注意深く伺っているためだ。


「どこからでも来い、レオン」


 黒髪の少年――アレクシオスは、構えを右八相に移しながら、すり足で距離を詰めていく。

 レオンは答えず、わずかに木剣を寝かせただけだ。


「来ないなら、おれの方から行く」

「どこからでもどうぞ。僕の心配なら無用です」

「いい返事だ」


 言うが早いか、アレクシオスはだんと地を蹴っていた。

 じつに五メートルに及ぶ垂直方向への跳躍。

 それも、木剣を構えて直立した状態から、一切の予備動作もなしに膝のバネだけでやってのけたのだ。

 人間にはおよそ不可能な離れ業も、騎士の身体能力ならば造作もないことであった。

 

「おおッ!!」


 裂帛の気合とともにアレクシオスは木剣を振り下ろす。

 一瞬、風に乗ってあたりに流れた焦げ臭いにおいは、むろん錯覚などではない。

 大気との摩擦によって木剣の表面が一瞬に高熱を帯び、本当に焼け焦げているである。

 空を裂いて迫りくるアレクシオスの一撃を前に、レオンは逃げるでもなく、わずかに右肘を引いただけだ。

 刹那、レオンの右腕がふっと消失した。

 そう見えたのは、目にも留まらぬ速さで上方めがけて突きを繰り出したためであった。


 二振りの木剣が交差したのと、甲高い音が鳴り渡ったのは、ほとんど同時だった。

 朝日を浴びてきらめくのは、飛び散った木剣の破片だ。

 レオンが放った必殺の突きを、アレクシオスはすんでのところで受け止めた。

 戎装していない状態でも、騎士の膂力は常人をはるかに凌駕している。

 人間同士の模擬戦ではめったに折れることのない堅牢な白樫の木剣も、騎士が用いたなら、その強度は頼りない枯れ枝と大差ないのだ。


 衝撃を受け流しつつ、危なげなく着地したアレクシオスは、あらためて木剣を八相に構える。

 白茶けた木剣は、先端の三分の一ほどが飴色に変色している。

 まるで燃えさかる炎に翳したような色合いの変化。

 それは先ほど飛びかかった際、音速を超えた部分が超高熱に晒された結果だ。白樫の木剣はまさしく一瞬に灼かれたのである。

 さらに刀身の一部がいびつに薄くなっているのは、レオンの突きを受け流した際にためだ。

 恐ろしくも凄まじい、それは人間の常識外の戦いの痕跡にほかならなかった。

 アレクシオスはレオンをまっすぐに見据えると、努めて厳かな声で告げる。


「なかなか悪くない判断だ、レオン。しかし――」

「僕はなにかしくじりましたか、アレクシオスさん?」

「おれが人間ならいまの一撃で確実に死んでいる。相手を生け捕りにするつもりなら、突きはやめておくことだ」


 そう言われて、レオンははっとしたように手元を見る。

 アレクシオスのものと同様、レオンの木剣もまた先端が著しく変形している。

 もし相手が人間であったなら、まずもって避けることも受け止めることも出来ない。

 レオンのするどい刺突は、確実に標的を死に至らしめていただろう。

 倒してもかまわない敵ならそれで問題はない。だが、生きたまま捕縛する必要があったなら、まさしく致命的な失敗を犯していたところであった。


「僕としたことが、迂闊でした――」

「次からは気をつければいい。それより、そろそろ本気で行くか」

「いいんですか? アレクシオスさん」

「もちろんだ。こうしておまえの練習に付き合うのも久しぶりだからな。いつまでも手加減したままでは、お互い気分が晴れないだろう」


 アレクシオスの言葉に、レオンは力強く肯んじていた。

 対人戦を想定した訓練は重要だが、騎士にとってはつねに手加減をしなければならない以上、どうしても鬱憤は溜まる。

 その点、何の制約もない手合わせならば、気兼ねなく力を発揮することが出来るのだった。


「行きます――――」


 ひとりごちるみたいに呟いて、レオンは猛然と疾駆する。

 短く揃えられた金髪は風に流れ、少年の輪郭はほとんど溶け出している。常人の目には、もはや人間の姿として認識することさえ出来ないだろう。

 アレクシオスは迎え撃つでもなく、黙念とその場に佇立するばかりだった。

 転瞬、二人のあいだに咲いたのは、まばゆい閃光の華だ。

 レオンが繰り出した木剣は、大気との摩擦で発火し、激しい燐光を周囲に飛び散らせたのだった。

 アレクシオスは傍らで生じた爆発にたじろぐこともなく、わずかに上体を反らしただけだ。

 攻撃を躱しざま、アレクシオスはレオンの下顎めがけて逆流れに木剣を振るっていた。

 レオンはその場で足を踏ん張ると、顎を砕かんと迫りくる一撃を木剣で受け止める。

 ふたたび一帯を領した衝撃と音は、木剣で木剣を受け止めた際に生じたものだ。

 その姿勢を保ったまま、二人の少年騎士は、互いの息が触れ合うほどの距離で静止している。

 息も詰まるような緊張のなか、ふいに口を開いたのはレオンだった。


「ところで、アレクシオスさん、ひとつ訊いてもかまいませんか」

「いまは戦いの最中だぞ。言っておくが、おれの気を散らそうというなら無駄なことだ」

「分かっています。それでも、どうしても気になることがあって……」

「遠慮せず言ってみろ。おれに答えられることなら、どんなことでもかまわない」


 レオンは一瞬安堵したような表情を浮かべたあと、ためらいがちにアレクシオスを流し見る。


「その……アレクシオスさんは、オルフェウスさんとイセリアさんのどちらかとお付き合いされているんですか?」


 まったく想定外の問いに、アレクシオスはおもわず目を見開いていた。

 どちらも鍔迫り合いの態勢を保ったまま、気まずい沈黙が場を支配していく。

 ようやく問いかけの意味を理解したのか、アレクシオスは片眉をひくつかせながら、レオンに反問する。


「おまえ、いきなりなにを――――」

「どんなことでもかまわないと言われたので……」

「そんなことが知りたかったのか!?」

「すみません!! ……でも、前から気になっていたんです。アレクシオスさんが任務で帝都を留守にしているあいだ、お二人ともあなたの話ばかりしてましたから。たぶんどちらかと恋人同士なんだろうな……と」


 アレクシオスはようよう呼吸を整えながら、木剣を握る手に力を込める。

 

「……どちらとも付き合ってなどいない」

「そ、そうなんですか? 僕はてっきり――――」

「おれは『帝国』と皇帝陛下の戎装騎士ストラティオテスだ。女にうつつを抜かす暇などないっ!!」


 刹那、アレクシオスの視界がぐらりと揺らいだ。

 鍔迫り合いに押し勝とうと両腕に力を込めすぎたあまり、姿勢を崩したのだ。

 アレクシオスがそのことに気づいたのは、顔面から勢いよく地面に倒れ込んだあとだった。

 あわてて体勢を立て直そうとしても、すでに遅い。

 こつん、とアレクシオスは、自分の頭蓋に反響する軽い音を聞いた。

 レオンが振り下ろした木剣が後頭部を軽く叩いたのだ。

 

「あ、えっと……一本取りました!」


 虫も殺せない優しい一撃。

 戎装騎士にとっては痛痒ともしないはずの攻撃は、しかし、アレクシオスの精神には致命傷を与えたようだった。

 アレクシオスは取り落した木剣を拾うのも忘れたまま、魂が抜けたようにその場に仰向けに倒れたのだった。


***


 アレクシオスが南部辺境から戻って一週間あまり――。

 逃亡を図ったセイレーンの身柄は、もともと所属していた部隊に引き渡すのではなく、元老院が一時的に預かるということでひとまずの決着を見た。

 ゼーロータイの乱においてすでに無力化された民間人を殺戮した辺境軍上層部には後日然るべき処分が下され、セイレーンの罪が不問に付されたことは、あえて言うまでもない。

 そのうえでアレクシオスから石膚病せきふびょう患者が置かれている窮状に関する報告を受けた皇帝ルシウス・アエミリウスは、南部辺境の諸州に対して同病に関する速やかなる現状改善と、『帝国』として将来的な福祉の充実を確約したのだった。

 一方、大富豪ドロテアスの屋敷に護衛として赴いていたオルフェウスとイセリアの両名が帝都に戻ったのは、その数日前のことであった。

 各地に散っていた騎士たちが相次いで帰還したことで、騎士庁ストラテギオンはようやく通常の体制へと復帰した。

 いつもどおりの日常。

 騎士たちが経験した出来事を過去へと追いやるように、時間ときはたえまなく流れていく。

 帝都イストザントは、七月を迎えようとしていた。

 

***


「そういえば、今年はお祭りやるのかしら――――」


 イセリアは堅焼きの駄菓子を噛み砕きながら、誰にともなく呟いた。

 アレクシオスは書類仕事の手を止めると、ちらと横目で栗色の髪の少女を見やる。


「……なんの話だ?」

「帝都の夏祭りよ。去年はいろいろあって中止になっちゃったけど、今年はやるのかなあって」

「おれに訊くな。だいたい、祭りがあろうとなかろうと、おれたちには関係ない」

「関係ないってことないでしょ。夏祭りは恋人同士の大事な催事イベントだもん」


 言い終わるが早いか、イセリアはアレクシオスを強引に抱き寄せていた。

 振りほどいて逃げ出そうにも、力ではイセリアに圧倒的な分がある。

 好むと好まざるとにかかわらず押し付けられるやわらかな感触を意識すまいと努めながら、アレクシオスはじたばたと手足を動かすのが精一杯だった。


「やめろ! ベタベタくっつくな! だいたい、おれとおまえは恋人同士でもなんでもない!!」

「なによう。最近ずっと留守にしてたから寂しかったの! いいじゃない減るものじゃないんだし――――」


 なおも抵抗するアレクシオスに、イセリアは逃がすまいと腕に力を込める。

 身体の内側からみしみしと何かが軋む音が聞こえるのは、あながち思い過ごしでもあるまい。

 いっそ戎装して振りほどけば――と思いかけて、アレクシオスはすぐにその考えを打ち消す。

 イセリアが本気を出せばこんなものでは済まない。下手に刺激することは、事態をより悪化させるだけにちがいなかった。


「ふざけるな! こんなところ、人に見られたらどうするつもりだ!」

「べつにぃ――それに、ちょうどみんな外に出てて、いまここにいるのはあたしたちだけよ。つまり、誰に気兼ねする必要もないってこと!」

「そういう問題じゃない‼」


 アレクシオスが苦しげに叫んだのと、背後で扉が開いたのはほとんど同時だった。

 さしものイセリアも突然のことに肝を潰したのか、アレクシオスを抱きしめたまま椅子から転げ落ちた。

 もつれあいながら床に転がった二人を見下ろしたのは、赤と緑の髪の双子だった。

 

「ラケル、あいつらはなにをやっているんだ?」

「知らないのか、レヴィ。人間はああやって子供を作るらしい」

「なるほど――」


 聞こえよがしに語り合ったあと、納得したように頷き合ったラケルとレヴィに、アレクシオスはおもわず声を荒げる。

 

「やめろ‼ 妙な勘違いをするんじゃない‼」

「違うのか?」

「当たり前だ‼ そんなことより、見ていないでこいつを引き剥がすのを手伝……」


 言いさして、アレクシオスはふいに身体に加わっていた縛めが消えたのを知覚した。

 あやうく床に脳天から叩きつけられるというところですばやく受け身を取ったアレクシオスは、そのままイセリアに向き直る。


「イセリア、おまえ、どういうつもりだ⁉」

「だって、アレクシオスが放してほしそうだったから……」

 

 それだけ言って、イセリアはぷいと横を向く。

 先ほどまであれほどきつく束縛していた手を自分から解くとは、いったいどういう風の吹き回しなのか。

 どうにも解せないアレクシオスは、ラケルとレヴィの背後にあらたな人影を認めて、ようやくイセリアが唐突な行動に出た理由に得心が行ったのだった。

 

「二人とも、大丈夫?」


 床に倒れたままのアレクシオスとイセリアに投げかけられたのは、玲瓏な、しかし抑揚に乏しい声だった。

 窓から差し込んだ午後の日差しが、腰まである亜麻色の髪をまばゆいほどに輝かせる。

 オルフェウスは、アレクシオスとイセリアの傍らで立ち止まると、澄んだ真紅の瞳で二人を交互に見つめる。

 と、いたたまれなくなったように立ち上がったのはイセリアだ。

 服についた埃を払いながら、イセリアはばつが悪そうに顔を背ける。


「べつに平気よ。暇だからちょっとふざけてただけ……」

「そうなの?」

「そうなの‼」


 二人のやり取りが終わらぬうちに、室内に駆け込んできたのは、線の細い青年だった。

 ひとしきり呼吸を整えている青年に、アレクシオスは気遣わしげに声をかける。


「大丈夫か、ヴィサリオン」

「はい……。戻るのが遅れてすみません。じつは、夏の大祭のことで元老院から急遽呼び出しを受けてしまいまして……」


 『夏の大祭』という言葉に反応したのか、イセリアは掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出していた。


「ちょっと! まさか、今年も中止なんて言わないわよね?」

「いえ、祭り自体は予定通り催されます。ですが……」

「ですが、なによ?」


 ヴィサリオンは騎士たちを見回すと、居住まいを正して語り始める。


「じつは先日、大祭の執行に関わってる元老院議員の屋敷に一通の脅迫状が投げ込まれました。そこには、こんなことが書かれていたそうです。『大祭を中止しなければ、帝都はこの世の地獄と化すだろう』……と」

「どうせタチの悪いイタズラじゃないの? そんなのいちいち真に受けてたら、なにも出来なくなっちゃうじゃない」

「そうであればいいのですが、問題は脅迫状の差出人です」


 ヴィサリオンの声は、いつになく深刻な響きを帯びていた。

 片言隻句も聞き逃すまいと耳をそばだてる騎士たちに、騎士庁の長である青年は、苦々しげな声色で告げたのだった。


「犯人はこう名乗っています。――『ゼーロータイの志を継ぐもの』、と」




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