第193話 磁界を統べる者

「冗談キツイわね……」


 イセリアは苦りきった声で呟く。

 すこし離れた場所に立つ琥珀色の騎士は、具合を確かめるみたいに手足の関節を動かしている。

 対消滅反応によって生じた爆炎に呑まれたにもかかわらず、テルクシオペーの身体にはわずかな損傷も見受けられない。

 透き通った装甲は、大広間に差し込んだ陽光を浴びて、残酷な輝きを放っている。


「まさかあれで終わりなんて言わないよねぇ?」


 テルクシオペーはいたずらっぽく言うと、右手を軽く掲げてみせる。

 攻撃の予備動作であることはあきらかだった。

 もはや猶予はない。次の瞬間には、三騎は揃って身動きが取れなくなっている可能性もあるのだ。

 イセリアはレヴィとラケルをちらと見やる。


「あんたたち――をやりなさい。早く!!」


 赤と緑の双騎士は、互いに顔を見合わせる。


「仕方がないな」


 声を重ねて答えた二騎は、そのまま身体をぴったりと寄り添わせた。

 奇怪な変化は、その瞬間から始まった。

 触れ合った部分が溶け出し、二色ふたいろの装甲は境界を失って混じり合う。接合面には複雑なまだら模様が浮かび、それは徐々に周囲へと広がっていく。

 二体の騎士は、文字通りの意味でひとつになろうとしているのだ。


 戎装巨兵ストラティオテス・ギガンティア――。

 レヴィとラケルが合体することによって完成する最大の騎士。

 二騎分の出力パワーを内包する鋼の巨人は、並の騎士を寄せつけない膂力と、遠近自在の高い戦闘能力を併せ持つ。

 その恐るべき強さは、かつて熾烈な戦いを繰り広げたイセリアが誰よりもよく理解している。

 オルフェウスを欠いたこの状況において、まさしく切り札と言うべき存在であった。


「……え?」


 ふとに違和感を覚えて、イセリアは足元に視線を落とす。

 次の瞬間、その身体は勢いよく後方に吹き飛ばされていた。

 があん――と、金属同士をぶつけあう甲高い音が大広間に響きわたる。

 イセリアは為す術もないまま、背中から合体途中のレヴィとラケルに突っ込んだのだ。

 

「これは何のつもりだ?」

「私たちの邪魔をするな。早くあっちに行け」


 で抗議した双騎士に、イセリアは負けじと言葉を返す。


「冗談じゃないわ!! あたしだって好きでやってる訳じゃないわよ!!」

「とにかく、そこにいられると合体が出来ない。すぐに私たちから離れろ」

「分かってるけど……!! な、なんで……!?」

 

 イセリアはじたばたと手足を動かすが、懸命の努力もむなしく、一向にレヴィとラケルから離れることは出来ない。

 三騎の装甲は、まるでにかわでも塗られたみたいに強力に接着されている。

 異物が紛れ込んだことで、戎装巨兵への合体過程シーケンスも中断されてしまったらしい。

 中途半端に融合したレヴィとラケルは、自力では一歩も動けないありさまだった。ならばと合体を解除しようにも、この状態ではそれすら思うに任せないのだ。

 もしいま攻撃を仕掛けられたなら、反撃も防御もままならない。

 

「おい、ふざけている場合では――」

「あたしは大真面目よ!! どうなってんのよ、これ!?」


 必死にもがくイセリアを指さして、テルクシオペーは心底から愉快そうに笑声を上げた。

 

「あっはっはっは!! いい格好!!」

「あんたの仕業ね……!!」

「ねえ、そんなブザマな姿で死んでくのはどんな気分? すぐには殺さないから、ゆっくり感想を聞かせてよ」


 テルクシオペーは両手の指をひらひらと宙に泳がせる。

 見えない琴を爪弾くような雅やかな仕草は、ただ敵を挑発している訳ではない。

 指先から伸びた不可視の鎖――磁力線を操っているのだ。

 自然界に存在するあらゆる磁気を自在に操り、任意の対象に思うままに磁性を付与する。

 それこそがテルクシオペーがもつ特異な能力ちから

 イセリアたちの足を床面に吸い付け、レヴィとラケルの合体を阻んだのも、テルクシオペーの操る磁力によって引き起こされた現象であった。


「ねえ、いいこと教えてあげよっか? あたしの力を使えば、あんたらの身体を手を触れずにバラバラにすることだって出来るんだよ。指を一本ずつ引きちぎっていけば、そう簡単には死ねないよねぇ?」


 テルクシオペーは三騎の傍らで足を止めると、品定めをするみたいに顔を近づける。

 反撃を試みようにも、身体の自由を奪われた状態ではどうすることも出来ない。

 生殺与奪の権を握った琥珀色の騎士は、勝ち誇ったようにイセリアの装甲を指でなぞる。

 

「あんた、こんなことしてただで済むと思わないことね……!!」

「悔しかったら動いてみればぁ? 動ければ、だけどねえ」


 レヴィとラケルがちくりと痛みを感じたのはそのときだった。

 イセリアが爪で装甲を刺している。

 四肢の動きは封じられても、指先だけはかろうじて動かすことが出来るのだろう。

 ものの、何かを伝えようとしていることはまちがいない。

 

(レヴィ、これは――おそらく――あまりにも危険だが――やってみる値打ちはある……)


 半ばまで共有された意識を通して、レヴィとラケルはひそかに言葉を交わす。

 テルクシオペーはむろん、身体を密着させているイセリアにさえ聞こえない。

 イセリアはそれを見越したうえで、二人がこの状況を打開してくれることに一縷の希望を託したのだった。


「さて、っと……いいかげん眺めてるのも飽きてきたし、そろそろバラしてあげる」


 テルクシオペーは右手を挙げようとして、はたと動きを止めた。

 戎装巨兵の緑色の半身――レヴィの腕に生じた変化を察知したためだ。

 長大な銃身は、わずかだが熱を帯び始めている。

 ふたたび発射態勢に入ったのだ。

 問題は、銃身は真下を向いたまま、わずかな仰角さえ取れないということだ。

 

「ちょっと、あんたたち!! 何やってんのよ!?」


 テルクシオペーが何かを口にする前に、イセリアが金切り声を上げていた。


「もしかしてこのまま撃とうなんて思ってるんじゃないでしょうね!?」

「そうだとしたら、どうだというんだ」

「や、やだ……それだけは絶対やめなさいよ。あたしまで巻き込まれるじゃない!! 死ぬのならあんたたちだけで死になさい!!」


 テルクシオペーは呆気にとられたように立ち尽くしている。

 この状況で見苦しい仲間割れを始めたことがよほど意外だったらしい。

 やがてくっくと愉快げに肩を揺らすと、三騎のやり取りを興味深げに観察しはじめた。


「言っておくが、止めても無駄だ。奴を倒すには刺し違えるしかないと判断した」

「あんたたち、あたしの命令が聞けないの!? やめ――」

「やってみればいいじゃん?」


 横合いから意外な言葉を投げたのは、誰あろうテルクシオペーであった。


「あんたらはどうなるか知らないけど、


 すさまじい爆発が起こったのは次の瞬間だ。

 レヴィの銃身から発射された”無”の弾丸は、床面と触れた瞬間に対消滅反応を引き起こし、発生した膨大な熱量が周囲のあらゆるものを飲み込んでいく。

 高温高圧の爆風が建物をはげしく揺さぶる。客人の目を楽しませるための優婉な梁や、天窓のステンドグラスは、ことごとく吹き飛ばされて跡形もない。

 支持を失った天井と壁の一部はあっけなく崩落し、ぽっかりと開いた破孔からは、晴れた冬空が荒れ果てた室内を見下ろしている。


 もうもうたる煙に包まれた大広間の中心で、きらきらと輝くものがある。

 琥珀色の装甲――その断片だ。

 手首、足首、太腿、前腕、肩、腰、そして頭……。

 至近距離で爆風をまともに浴びたテルクシオペーの身体はあえなく四散し、周囲に散乱した。

 いかに戎装騎士ストラティオテスといえども、ここまで徹底的に破壊されては再生することはまず不可能である。

 あるいは奇跡的に中枢部が無事に残っていたとしても、そこから全身を復元するためには半年から一年もの時間を必要とする。

 と、大広間のそこかしこで乾いた音が生じた。

 見よ。

 散乱したテルクシオペーの五体がもぞもぞと蠢き、ある場所を目指して集結しつつある。

 何も知らない人間が目にしたなら、たちまちに発狂しかねない凄絶な光景であった。

 それぞれが一個の自立した生物みたいに動く各部位は、胴体に辿り着くと、互いに合着を開始する。

 手首は前腕。

 前腕は二の腕。

 二の腕は肩。

 そして、肩は胴体へと。

 引きちぎられたはずの五体は、おそるべき速さで再構成されていく。

 やがてゆらりと立ち上がった琥珀色の騎士は、仕上げとばかりに頭部を拾い上げる。

 がちり、と小気味よい音を立てて頭部と首が接続されると、顔面に刻まれた幾何学模様のスリットに青い光が流れた。

 確かめるように各部の関節を動かしていたテルクシオペーは、残念そうにため息をつく。

 

「あたしの言ったことを真に受けるとか、帝都の騎士ってホント馬鹿。マジでウケる。もうちょっと楽しめるかと思ったんだけど――」


 あの爆発では、イセリアもレヴィとラケルも無事では済まなかっただろう。

 テルクシオペーは、全身の部位を自在に切り離し、磁力によって思うがままに操ることが出来る。

 分離によって衝撃を受け流し、致命的な破壊を免れるといった使い方も可能なのだ。

 先ほどレヴィが最初に攻撃を仕掛けた際も、テルクシオペーはすばやく上半身と下半身を分離させ、間一髪で難を逃れたのである。

 

「さて――と、これであたしの仕事は終わり。ちょっと拍子抜けだけど、三人も片付けたならあのボンボンからご褒美もたっぷり……」


 テルクシオペーはそれきり沈黙した。

 背後に気配を感じたためだ。

 努めて冷静さを保ちながら、テルクシオペーはその場で身体を反転させる。

 視界を占めたのは、すさまじい破壊の痕跡だった。

 爆心地のあたりは床板がすり鉢状に陥没し、いまなお白煙を噴き上げている。

 地獄とは、このような情景を言うのだろう。

 人間は言うに及ばす、戎装騎士でもこれだけの破壊をもたらす爆発には耐えられない。

 テルクシオペーがほとんど無傷で生還出来たのは、押し寄せる爆風に抗うことなく、衝撃に見舞われる前に自分自身を解体したからだ。

 裏を返せば、そうしなければまず助からなかったということでもある。

 三体の騎士はみずからが引き起こした爆発に呑み込まれ、原型すら留めぬ塵と消えた――そのはずであった。

 爆心地から数メートルも離れた床が、ぼこりと音を立てて隆起したのはそのときだった。

 やがて床板を破って現れたのは、黄褐色の装甲だ。

 身体じゅう泥と煤にまみれ、分厚い装甲はところどころ炭化しかかっているが、イセリアはあの爆発をみごと生き延びたのである。

 ゆっくりと近づいてくるイセリアに、テルクシオペーはやれやれと言うように肩をすくめてみせる。

 

「へえ、まだ生きてたんだ?」

「おあいにくさま、あのくらいでくたばるほどヤワじゃないわよ」

「あの二人はダメだったみたいだねぇ? 可哀想――」


 悼むような言葉とは裏腹に、テルクシオペーの声色には隠すつもりもない嘲りが滲んでいる。

 

「でもさぁ、なんで出てきちゃったの? あのまま死んだふりしとけば、もしかしたら逃げられたかもしれないのに」

「決まってるでしょ。地面に潜ってたら、あんたをブッ飛ばすのに都合が悪いからよ」

「勝ち目もないのに強がんないほうがいいよ、

「なんとでも言いなさい。遺言だと思って聞いといてあげる」

「はあ? 意味分かんないんですけど?」

「あんたの口から出てくる言葉は、そのうち『助けて』と『許して』と『ごめんなさい』だけになるってこと――」


 言い終わると同時に、イセリアは烈しく地を蹴っていた。

 テルクシオペーは慌てる素振りもなく、あくまで悠然と両手を前に突きだす。

 揃えた指先から不可視の磁力線が放たれる。

 音も光もなく飛来した磁力の波は、またたくまにイセリアの全身を絡め取っていた。


 まともに向かってくるなんて、こいつ、本物のバカじゃない――。


 早くもおのれの勝利を確信したテルクシオペーは、心中で吐き捨てる。

 琥珀色の装甲を透かして、悪意に満ちた視線がイセリアを射る。

 少女の勝ち誇った笑みが凍りついたのは、次の刹那だった。

 

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