第124話 黄金の剣(後編)

――おねがい。間に合って。


 タレイアとヘラクレイオスの死闘を見守りながら、アグライアは祈るように同じ言葉を繰り返す。

 タレイアを信頼していない訳ではない。それどころか、三姉妹のなかでも最も強い絆で結ばれている二人なのだ。

 だからこそ、みずからの半身に等しい存在いもうとを失う恐怖も計り知れない。

 ヘラクレイオスとの戦いが始まって以来、一瞬一瞬に死の影がつきまとっている。

 アグライアとタレイアのどちらが先に殺されても不思議はない。二人がともに生き残れる可能性のほうがよほど低いはずだ。


 それでも――と、アグライアはあらためて強く念じる。

 どちらか一方が欠けてもならない。

 必ず二人でこの戦いに勝利する。たとえどんなに困難でも、それだけは譲れない。

 そのためには、危険な賭けに出る必要もあるのだ。

 タレイアはヘラクレイオスにたった一人で挑み、時間を稼いでくれている。

 文字通り薄氷を踏むような戦い。わずかでも油断すれば、その瞬間に勝敗は決する。

 みずからの意思で死地に身を投じた妹の思いに応えるために、アグライアは自分のなすべきことに全力を傾ける。

 灯りひとつない闇のなかで、黄金こがね色の装甲がにわかに輝きを増した。

 生き残った『子機』がアグライアの身体に再度装着され、その姿形を大きく変えていく。

 胸部と両肩の装甲が弾けるように展開し、内部から透明な結晶体がせり出してくる。

 水晶を彷彿させるそれは、体内で生成されたエネルギーを投射するための『器官』だ。可視・不可視を問わず、多種多様な光波スペクトルを自在に操るアグライアの能力の源泉でもある。

 装甲の合間から漏れるまばゆいばかりの輝きは、十分な蓄積チャージが完了した証であった。

 アグライアが顔を上げると同時に、全身に装着された『子機』が一斉に前方を向く。

 傍目には細長い板が身体中から突き出しているようにみえる。

 それぞれの『子機』が電界を維持し、正確な射撃を実現するための電磁誘導板ガイド・レールの役割を果たすとは、アグライア以外は知る由もない。

 いま、アグライアはみずからの身体を一個の粒子加速器コライダーと化し、亜光速にまで加速させた重イオン粒子をヘラクレイオスに叩きつけようとしている。


 ”黄金のグラディウス・アウレア”――アグライアの最大の武器にして、最強の切り札。


 粒子の衝突によって標的を構成する物質そのものを崩壊させ、瞬間的に核融合反応を引き起こすことで、致命的な破壊をもたらす。

 連続的に照射することで分子間結合を断ち切る光子フォトン加速砲とは異なり、こちらは命中と同時に致命的なダメージを与えることが出来る。

 いかに度外れた堅牢さを誇るヘラクレイオスでも、核融合反応がもたらす凄まじい熱量には耐えられるはずもない。

 直撃を受けたが最期、灰白色の巨体は跡形もなく消滅するはずであった。


 むろん、爆発に巻き込まれれば、タレイアも無事では済まない。

 敵を葬り、妹を救うためには、針の穴を通すような精確無比な射撃が求められる。おのれの双肩にのしかかった重圧に、さしものアグライアも平素の余裕は消え失せている。

 なおもためらうアグライアの目の前で、ふいにヘラクレイオスの動きが止まった。

 タレイアが能力を用いたことはすぐに分かった。

 大盾を掲げて攻撃を防ぎながら、退くことなく巨体を押さえつけるその姿は、


――撃て!!


 無言のうちにそう叫んでいるようであった。


 いずれにせよ、このままではタレイアが力尽きるのも時間の問題だ。

 これ以上の逡巡は許されない。

 アグライアは決然と一歩を踏み出すと、ヘラクレイオスに狙いを定める。

 装甲を彩る黄金色はこれまでに増して光り輝いている。体内に蓄積されたエネルギーがいよいよ限界に達しようとしているのだ。


「タレイア!! 逃げて!!」


 アグライアが声を張り上げた直後、すさまじい光の奔流が夜闇を貫いた。

 音も衝撃もないまま、黄金色の剣はヘラクレイオスめがけてまっすぐに振り下ろされたのだった。

 またたくまに火球が膨れ上がり、爆轟が大気を千々にかき乱した。

 もうもうと立ち昇る白煙は、川の水が一瞬に蒸発した結果だ。河原の砂利は高熱と高圧に晒されたために見る影もなく溶解し、ヘラクレイオスが立っていた場所を中心に直径五メートルほどの陥没クレーターが生じている。


「タレイア、大丈夫――」


 駆け寄るアグライアの目の前で、白煙越しに何かが揺れ動いた。

 身構えたのも一瞬のことだ。タレイアはふらつきながら、一歩ずつ踏みしめるみたいにアグライアに近づいてくる。

 至近距離で爆発に巻き込まれたせいか、両腕は肘上からすっかり消え失せている。大盾はどちらも原型を留めぬほど損壊し、引きちぎれた副腕が痛々しい。

 辛うじて一命を取り留めたタレイアだが、これ以上の戦闘継続が不可能であることは明らかであった。


「大丈夫!? ごめんなさい。でも、私にはああするしか……」

「心配するな。この程度はかすり傷だ。それに、奴を倒せたなら、腕の二本くらい惜しくは――」


 タレイアはそこで言葉を切った。

 すぐ真後ろで奇妙な音が沸き起こったためだ。

 あらゆる生命体が死に絶えたはずの着弾点から聞こえてきたのは、紛れもない足音。

 とっさに振り返ると、白煙の向こう側で巨大な影が揺れた。

 長大な独角モノケロスを備えた異形の輪郭。よもや見間違えるはずもない。


「バカな……そんなはずは……」


 どちらともなく呟いたきり、タレイアとアグライアは気死したみたいに立ちつくしている。

 互いを支え合うみたいに寄り添った姉妹騎士を見下ろしながら、はゆっくりと姿を現した。

 ほとんど無意識に数歩後じさりながら、タレイアは魂消えた声を漏らす。


「ヘラクレイオス――――」


***


 鬼気迫る姿であった。


 灰白色グレーの装甲はひどく灼け溶けて、魁偉な容貌はほとんどに近づいている。

 身体のいたるところからたなびく白煙は、あの一瞬に駆け抜けていった熱波の名残りだ。装甲表面はいまなお四百度ちかい高熱を帯びている。

 タレイアの引力圏に挟まれていた右腕は原型を留めないほどに破壊され、ほとんど皮一枚で繋がっているようだった。


 まさしく満身創痍――外見を見るかぎり、そうとしか言いようがない。

 ”黄金の剣”の直撃を受けた以上、無事で済むはずはないのだ。幸運にも消滅を免れたても、致命傷を負っていることには違いないはずであった。

 それにもかかわらず、ヘラクレイオスの足取りは、常と変わらず力強い。


「……面白い技を使う」


 重々しい声でヘラクレイオスは呟いた。


「なぜ……生きているの……!?」


 呆然と問うたアグライアにそう言い放つと、ヘラクレイオスはタレイアを指差す。

 両腕を失った瑪瑙色の騎士は、愕然とその言葉を受け止めていた。


 命中の瞬間――。

 ヘラクレイオスは、左腕でタレイアの大盾を掴み取ると、身体ごと自分のほうに引き寄せたのだった。

 アグライアの計算は、あくまでタレイアがヘラクレイオスから距離を取ることを前提としている。真反対の動きを取れば、いきおい照準も狂わざるをえない。

 ”黄金の剣”が放たれる寸前、当のアグライアさえも意識しないうちに、タレイアを巻き込まないように照準を修正していた。

 単体での自衛能力に乏しいアグライアにとって、護衛を担う姉妹機の喪失は計り知れない痛手になる。戎装騎士ストラティオテス本能プログラムが、無意識のうちに妹を守ったのだ。

 タレイアを救ったことで、標的であるはずのヘラクレイオスも間一髪のところで難を逃れたのは皮肉であった。

 ヘラクレイオスの身体の中心を射抜くはずった”黄金の剣”は右肩に着弾し、右腕を完全に破壊するに留まった。全身に伝播した熱と衝撃波によって装甲と各部の関節は甚大なダメージを被ったが、即死には至っていない。


 最後の切り札でも仕留めきれなかった――。

 アグライアとタレイアが最も危惧していた事態は、いま現実となって二人の前にそびえ立っている。


 ヘラクレイオスが一歩進むごとに、背骨が少しずつ凍りついていくような感覚がこみ上げてくる。

 それは絶望だ。避けられない死を前にしたとき、騎士も人間も心に抱くものは変わらない。

 どう足掻いたところで、勝ち目はない。

 アグライアはすべてのエネルギーを使い果たし、もはや戎装を維持するだけで精一杯の有様だった。タレイアに至っては、戦う術をことごとく失い、死を待つほかに出来ることは何一つ残されていない。


 輝きを失った黄金色の騎士は、傍らの妹にちらと視線を送る。


「……タレイア」

「何も言うな。私たちは皇帝直属の騎士として、最後まで自分の役目を全うするだけだ」

「エウフロシュネーには悪いことをしてしまったわね――」


 悲壮な覚悟を確かめあった姉妹は、ちいさく頷きあう。

 力及ばなかった無念はある。それでも、ともに戦って果てることに何の迷いも未練もない。

 この上は生命あるかぎりヘラクレイオスの足止めをするまでだった。


 ふいにヘラクレイオスが歩みを止めた。

 それだけではない。灰白色の巨人は身を屈めると、その場に片膝を突いた。

 ありえないことであった。

 最強にして無敗。他の追随を許さない絶対的な強者であるはずのヘラクレイオスが、敵を前にしてこのような姿をさらけ出すなど。

 それを目の当たりにして最も驚き、動揺しているのは、敵であるタレイアとアグライアだ。攻撃を仕掛ける好機だが、どちらも攻撃の手段を失っているため、ただ遠巻きに見守ることしか出来ない。


「あれは――」


 タレイアが小さく呟いた。

 ヘラクレイオスの左脇腹のあたりに深々と突き立っているものがある。

 砕け散ったはずのタレイアの大盾の破片であった。

 おそらく破片の大部分は体内に陥入し、内部機構メカニズムに損傷を与えているだろう。

 いかに最強の騎士でも、体内が弱点であることには変わりない。装甲を思うがままに移動させ、必要に応じて各部位の防御力を高めることが出来るヘラクレイオスも、爆轟と同時に襲いかかった破片までは防げなかったのだ。


 それはヘラクレイオスがこの地上に生を受けてから、正真正銘初めて受けた重傷ふかでだった。

 無理に動き回れば、破片はさらに深く食い込み、内部機構へのダメージも増大する。

 ヘラクレイオスは脇腹に手を添えると、と破片を引き抜く。

 細長い破片が抜けると同時に、装甲の裂け目から赤黒い液体が滝みたいに噴き出した。

 突き刺さった破片は、ほとんど背中まで達していただろう。装甲の堅牢さゆえに貫通することもなく、ちょうど身体の内側で受け止める格好になった。


「……ふん」


 ヘラクレイオスの声には何の感情も篭っていない。

 無理に平静を装っている風もなく、意図せず負傷したことへの憤りもない。

 これほどの重傷を負いながら、灰白色の巨人は痛痒とも感じていないようであった。

 川面にむかって無造作に破片を放ると、


「……このあたりが潮時か」


 タレイアとアグライアにはもはや一瞥もくれず、その場で踵を返したのだった。


 二人が状況を認識するには、わずかな時間を必要とした。

 ようやく絶体絶命の窮地が去ったことを理解したとき、巨体は半ば崩壊したアーチ橋のほうへと向かっていた。

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