第148話 革命の胎動

 帝都盆地の玄関口である南嶺関を出たあと、南南西に進むこと二百キロあまり。

 西方辺境と南方辺境のちょうど境界線上に、その都市まちはある。


 ガレキア――。

 大河のほとりに佇む都市は、南と西の両辺境をむすぶ交易の拠点であると同時に、近隣の諸州を統括する行政の中心地としても知られている。

 西方辺境で産出される砂岩をふんだんに用いた城壁は、陽光を照り返してときに赤く、ときに白々と輝き、この地を訪れた人間を片時も飽きさせることはない。

 城壁の周囲には大河がゆるやかに巡り、大小の交易船が水面みなもをたえまなく行き交っている。桟橋にもやう船と水上の船とが静と動のコントラストをなし、水際の情景にえもいわれぬ興趣を添えるのだった。

 帝都イストザントやパラエスティウムといった他の大都市と較べても一頭地を抜く美観は、古帝国時代よりガレキアが「麗しの都」と称される所以でもある。


 石造りの城門をくぐり、ガレキアの街中に足を踏み入れたなら、市街地の中心にそびえる丘がまっさきに目に入るだろう。

 丘とはいうものの、実際はほとんど山にちかい。

 白茶けた岩肌には草木のわずかな緑も見当たらず、遠目には一個の岩塊みたいにみえる。

 奇怪といえばあまりに奇怪であった。大都市の中心に岩山がそびえているなどとは――。

 まるで城外の様子を監視する物見塔のように見えることから、そこはいつのころからか「トゥリスの丘」と呼ばれている。

 塔とはいうものの、むろん人間の手によって造成された訳ではない。

 その起源はいまから数千万年前、大陸がまだ海底にあった時代にまで遡る。

 ガレキアの一帯は地殻変動によって著しく隆起したあと、長い年月をかけて侵食がすすみ、現在ではその丘だけが古代の名残りをとどめているのだった。

 もっとも、丘の頂点がこの土地本来の高度を示しているとは、ガレキアに暮らす人々は知る由もない。

 彼らが知っているのは、塔の丘は自分たちの生まれるずっと以前まえから存在し、そして遠い未来の子孫こまごの代まで変わらずにそこにありつづけるだろうということだけだった。


 この宇宙の万物はいずれ滅びる。

 生物と無生物の区別なく、形而上の概念や物理法則にさえも、終わりは等しく訪れる。何物もその宿命からは逃れられない。

 それでも、山河を支配する悠久の時の流れに対して、人間の一生はあまりに短い。だからこそ、人は自然にかりそめの永遠を見るのだ。

 それに較べれば、人間の作り出したものは人間と同様にやはり儚く脆く、かりそめの永遠にさえ辿り着くことはかなわない。

 それはこの『帝国くに』にしても例外ではない。

 偉大な国家の終焉――革命へと向かう時代の潮流は、激しいうねりとなって、麗しの都に押し寄せつつあった。

  

***


 ひどく暑い日だった。

 日の出とともに気温は上昇を続け、苛烈な日差しがじりじりとガレキアの街を灼いている。

 正午を過ぎても酷暑は一向に弱まる気配をみせず、市街地はほとんど蒸し風呂のような様相を呈するようになった。

 降水量が少なく、乾燥がちな西方辺境では、熱暑のさなかでも我慢できないほどの不快感を感じることはめったにない。高温多湿な南方辺境では、一日とおかずに降りそそぐ激しい驟雨スコールが火照った大地を冷ましてくれる。

 他方、二つの気候帯のちょうど端境に位置するガレキアでは、時おりこんな日に見舞われる。

 すなわち――気温も湿度も異様に高く、恵みの雨は一向に降らず、都市まちごと熱した鍋に放り込まれたような日だ。


 ふだんは人でごった返しているガレキアの目抜き通りも、今日に限っては閑散としている。

 誰も外に出たがらないのだ。

 残酷に照りつける太陽に抗う術はない。むやみに出歩けば、生命を落とす危険さえある。

 それゆえ、人々はそれぞれの家に閉じこもり、じっと息を潜めて夜の訪れを待っている。それは先祖から受け継がれた酷暑を切り抜けるための知恵でもあった。


 野良犬でさえも先を競って日陰に逃げ込む灼熱の市街地を、いま、幽鬼のごとくさまよう一団がある。

 人数は百人ちかい。ゆるい縦列を組み、すっかり人気ひとけの失せた昼下がりの通りをのろのろと進んでいく。

 辺境軍の兵士たちであった。

 みずからの意思で休業出来る民間人とは異なり、軍人である彼らに勝手な休息は許されない。上官に命じられるまま、市街地の巡回パトロールに当たっているのだった。

 熱せられた鉄板のような路上を進むたび、はるか彼方で逃げ水がゆらぐ。沿道の家々の白い壁は陽光を反射し、兵士たちの眼を容赦なく痛めつける。

 軽装とはいえ、この暑気のなかを鎧兜をまとったまま動き回るのが耐えがたい苦痛であることに違いはない。

 誰もが渇きと疲労に顎を出しそうになりながら、ようよう足を動かしている。

 それでも、足を止める者は一人もいない。

 いったん足を止めれば、そこで動けなくなるからだ。炎天下で立ち往生することは死と同義だった。

 倒れた仲間を助けようと手を貸せば、さらに犠牲者が増える。顔なじみの間柄だろうと、そうなれば見捨てていくしかないのだ。


 なぜ、自分たちがこんな思いをしてまで巡回パトロールを行わなければいけないのか――。

 理由ははっきりしている。

 ここのところ、ガレキア駐屯の部隊では、昼夜を分かたずに市街地の見回りが徹底されるようになっている。言うまでもなく、辺境で頻発する東方人の反乱に備えてのことだ。

 そして、街中から人が消えた今日も、その方針に変更はなかった。

 現在の天候を鑑みれば、広大な市域をくまなく巡回することは、ほとんど自殺行為と言っていい。

 古参の兵士が危険性を指摘しても、西方人の上官は一向に聞き入れようとはしなかった。

 それどころか、


――何をしている? さっさと行かんか、怠惰な愚図グズどもめ!!


 追い立てるように兵士たちに出動を命じたのだった。


 無謀な命令を下した西方人の上官は、いまごろ執務室でのんびりと部下の帰りを待っているのだろう。この暑さではさすがに快適とまではいかないだろうが、それでも、両者のあいだには文字通り天国と地獄ほどの差がある。

 たとえ任務中に彼らが生命を落としたとしても、上官は痛痒とも感じないはずだ。ただ事務的に欠員が出たことを報告し、あらたな兵士が補充されるのを待つだけだろう。


 この『帝国くに』では、東方人の生命が顧みられることはない――すべては最初から分かりきっていたことだった。

 よしんば不穏な動きを掴んだとしても、その先に待っているのは東方人同士の殺し合いなのだ。

 軍人になったのは、自分が生まれ育った国を守るためだ。

 西方人に命じられるまま、おなじ東方人に刃を向けるためではない。

 何のための軍人なのか? 誰のために殺すのか?

 堂々巡りの問いが兵士たちの思考を蝕み、見知ったはずの道のりを途方もなく遠く感じさせた。


 市街地の中心に差し掛かろうとしたときだった。

 前方に揺らめく白い影を認めたとき、兵士たちはそれを幻だと思った。

 心身ともに追い込まれた状況で幻を見るのは、けっして珍しいことではない。

 愛しい家族の姿、涼しげな水場、我が家の軒先……口にこそ出さないが、それぞれ異なる幻を見ているはずだ。

 決して触れられないはずの幻は、しかし、ゆっくりと近づいてきているようだった。

 おぼろに霞む視界のなかで、白い影はすこしずつ輪郭を浮かび上がらせていく。

 幻などではないと理解したとき、白い影は小柄な人間の姿を取っていた。

 呆然と足を止めた兵士たちの目の前で、純白のローブがはためく。

 その瞬間、吹くはずのない一陣の涼風が、たしかに兵士たちのあいだを吹き抜けていったのだった。


「疲れたもの、重荷を背負うものよ――」


 ナギド・ミシュメレトは両手を大きく広げると、兵士たちを誘うように手招きをする。


「――私のところに来なさい。休ませてあげよう」

 

***


 ぬるい風が吹いていた。

 透明なはずの風は、こころなしか黒く色づいているようだった。


 ナギドはトゥリスの丘の頂きに立ち、ガレキアの市街地を見下ろしている。

 その背後にひっそりと佇むのは、苔むした石造りの建物だ。

 古代の神殿――正確には、その廃墟であった。

 祀られていた神の名はすっかり忘れ去られ、参拝する者が絶えてからすでに数百年の歳月が流れている。丘の上にあるために行政府による取り壊しを免れ、今日まで放置されていたのだった。

 ナギドは石段に腰掛けると、ちらと周囲に視線を走らせる。

 崩れかかった列柱はしらの陰で巨大な物体が動いたのはそのときだった。


「やあ――ヘラクレイオス」


 ナギドは世間話をするみたいな調子で言うと、ふたたび視線を下方に向ける。


「いよいよ革命が始まるよ。このガレキアから新しい時代が始まるんだ。愉しみだねえ――」

「貴様の言う革命とやらに興味はない。何度も同じことを言わせるな」

「つれないなあ、君は」


 あくまでそっけないヘラクレイオスの言葉に、ナギドはけらけらと笑い声を立てる。


「でもね、そう焦ることはないよ。彼らはきっと来るさ」

「なぜそう言い切れる」

「さあ? だけど、僕には分かる。


 ナギドは冗談とも真剣ともつかない調子で言うと、市街地の一角を指さす。


「あれを見れば、皇帝も黙ってはいられないはずさ」


 雲ひとつない空にむかって、二条の黒煙がもうもうと立ち上っている。

 その真下にはガレキアの行政庁舎と辺境軍の駐屯地がある。どちらも建物に火を放たれ、いまも激しく炎上しているのだった。

 隊商キャラバンを装ってガレキアの市街地に潜伏していたゼーロータイの一派が破壊活動を開始してから、すでに三時間あまりが経過している。


 これほど早く重要な拠点を破壊出来たのは、辺境軍の兵士たちを抱き込むことに成功したためだ。巡回中の部隊がゼーロータイに合流したのを皮切りに、辺境軍の各隊は次々に『帝国』を裏切っていった。

 すべてはナギドの弁舌の賜物であった。

 もともと兵士たちのあいだにくすぶっていた西方人への不満につけいり、巧みに扇動することによって、ゼーロータイの兵力をまたたくまに何倍にも膨れ上がらせたのだ。

 本来都市を守るべき兵士たちが揃って敵に回っては、ガレキアはもはや陥落したも同然だ。

 西方人の将校と彼らに率いられたわずかな兵士たちが抵抗したものの、衆寡敵せず、一時間と経たないうちに全滅に追い込まれた。


 返す刀でゼーロータイの手の者が城外へと通じる門をすべて閉鎖し、ガレキアは完全に外部から孤立する格好になった。

 城門を封鎖する直前、行政府の高官が都市を脱出したのを把握していながら、ナギドはあえて追跡を命じなかった。

 隠したところで、遅かれ早かれガレキアに異変が生じたことは発覚する。

 なにより、帝都にいる皇帝にゼーロータイの蜂起を報せてくれるなら、かえって好都合というものだった。


「ここからは遠くまでよく見える――『帝国』が燃え落ちる様子を見物するには最高だと思わないかい?」


 ナギドの問いに、ヘラクレイオスは黙って背を向ける。


「五日後の夜明けだ。君たちはそれまで僕を守ってくれればいい。


 遠ざかっていくヘラクレイオスの周囲には、いつのまにか三つの影が付き従っている。

 カドライとエリス、そしてアイリス――。

 神殿の奥へと消えていく四騎士を見送ったあと、ナギドはふたたび市街地に視線を向ける。

 まだその横顔にあどけなさを残す指導者は、石段に腰掛けたまま、夏空を焦がす黒煙を飽くことなく見つめていた。

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