第35話 二人の戦場

 暗渠に響いていた三つの足音が、ふいにやんだ。

 そのすこし先で、地底を走る河は唐突に終点を迎えていた。

 かすかな水の流れはぬかるんだ土に染み入り、もはや肉眼で追うことは出来なくなっている。

 「……行き止まりじゃない」

 がっくりと肩を落としたのはイセリアだ。

 戎装を解いた三人の騎士は、唐突に断ち切られた道を前に途方に暮れている。

 迷宮みたいな地下水路で何度も迷いながら、どうにかここまで辿り着いたのだ。苦労した分、落胆もまた大きいのは当然だった。

 「たしかに足跡はここに続いていたはずだが……」

 「さあ? ――もしかして魔法でも使ったのかもね」

 場違いな軽口を叩くイセリアを無視して、アレクシオスは行き止まりの壁に近づいていく。

 壁は隙間なく煉瓦で固められている。近ごろでは見かけない積み方から、かなり古い時代に作られたものと思われた。

 それでもところどころに施工当時のあざやかな朱色を残しているのは、地底にあって日差しから隔離されていたためだろう。

 アレクシオスは注意深く壁に触れ、続いて軽く叩いてみる。

 予想に反して、音の反響はにぶい。

 壁の向こう側に空間があるとは到底思えなかった。力任せに壁を破壊してみたところで、それを裏付けるだけだろう。

 (……やつはどこへ消えたんだ?)

 考えを巡らせるうちに、アレクシオスは何かに気づいたようだった。

 「おまえたちのどっちでもいい。そこの壁を壊してみろ」

 そう言って、アレクシオスは側面の壁を指差す。

 一見すると何の変哲もない、そこには古びた壁があるだけだ。

 「あんたに譲ったげる。ほら、さっさと行きなさい」

 「……わかった」

 イセリアに小突かれ、オルフェウスはゆっくりと壁に近づいていく。

 少女の身体が真紅の騎士へと変わる。

 そのまま壁面に手をかざしたかと思うと、両の掌が触れた部分は音もなく消え失せていた。

 オルフェウスが力を込めるまでもなく、不可視の鋸刃が壁を分解し、消滅させたのだ。

 「――やはりな。思っていたとおりだ」

 破孔の先には、アレクシオスたちがいる場所とは別個の空間が広がっている。

 暗渠と壁一枚を隔てたその空間は、さらに奥へと続いているように見えた。

 「……なぜ分かったの?」

 「このあたりは地下にしては妙に空気が澄んでいる。どこかに風の通り道があると踏んで探ってみれば、大当たりというわけだ」

 アレクシオスは得意気に言うと、二人に先んじて壁の穴に飛び込む。戎装を解いたオルフェウスとイセリアも遅れまいとその背を追う。

 「行くぞ、奴はこの先にいる。今ならまだ追いつけるはずだ」

 地下道はどこまでもまっすぐに伸びていた。

 足元の地面が均されているのは、今なお使われている証左だ。人が踏み固めなければこうはならない。

 やがて、彼方にちいさな光が現れた。

 最初は点のようだった光は徐々に大きく、明度を増していく。

 三人の視界に光が溢れたところで、通路はぶっつりと途切れていた。

 「……なんだ? ここは?」

 足を止めると同時に、アレクシオスは我知らず驚嘆の声を漏らしていた。

 これまでの狭隘な地下道とは打って変わって、眼前には巨大な空間が広がっている。

 外界から隔絶されたその場所は、地下空洞とでもいうべきものだ。

 高さは三十メートル、奥行きはざっと二百メートルはあろう。

 もともとこの地に存在していた天然自然の産物か、あるいは人為的に地下を掘削して造成されたものかは判然としない。

 いずれにせよ、今では地上の人々からすっかり忘れ去られた空間であることには違いない。

 注意深くあたりを見渡せば、空洞の中ほどに奇妙な施設がある。

 行き止まりの壁と同様、かなり古い時代に建設されたのだろう。いかにも年季の入った外観は、この場所で施設が過ごしてきた歲月を物語っている。

 「……奴はあそこか」

 三人は手近な岩陰に身を隠しつつ、施設の様子をうかがう。

 「どうする? 一気に突っ込んでやっつけちゃう?」

 「そうしたいのはやまやまだがな……」

 アレクシオスは言葉を濁す。

 いまかれらが身を置く場所が敵地である以上、どんな罠が仕掛けられていても不思議ではない。

 先ほどもケイルルゴスをあと一歩というところまで追い詰めておきながら、不意打ちを食らって取り逃がしたのだ。二度までも同じ轍を踏む訳にはいかなかった。

 「おれは横手に回って退路を断つ。イセリア、オルフェウス、おまえたちは正面から突入しろ」

 「……行こう、イセリア」

 「行こう、じゃないわよ! だいたいなんであたしがこの娘と組まされるわけ!?」

 「声が大きいぞ。奴らに気づかれたらどうする」

 「だ、だって……」

 アレクシオスに咎められ、イセリアはしぶしぶ声のトーンを落とす。

 「この娘は一人で行かせればいいでしょ? 強いんだから心配いらないわよ」

 「だめだ。身を隠すにはおれひとりの方が都合がいいからな」

 それだけ言うと、アレクシオスはイセリアに背を向ける。

 異論は一切受け付けない――言外にそう宣言しているのはあきらかだった。

 「文句はあとでいくらでも聞いてやる。今はおれの言うとおりにしろ」

 イセリアとしてもこれ以上駄々をこねるつもりはなかった。

 不承不承ながらも、アレクシオスの指示に従う素振りを見せている。

 それでも心中ではまだ腑に落ちないのか、オルフェウスを横目で睨みつける。

 「先に言っとくけど、あたしの足を引っ張るんじゃないわよ」

 「わかった――気をつける」

 「素直で結構ね。あんたのそういうところ、本当に気に入らないわ」

 イセリアはここぞとばかりに毒づいてみせるが、オルフェウスは何とも思っていないようだった。

 と、アレクシオスが二人を手招きする。

 「おれの姿が見えなくなったら突入だ。犯人はかならず生け捕りにしろ」

 「助けてやるの? 相手は人さらいしてたような悪党じゃない」

 「奴らにはなにか裏があるはずだ。それを聞き出すまで、死んでもらっては困る。……そろそろ行くぞ」

 アレクシオスはそれだけ言うと、音もなく岩陰を飛び出した。

 戎装はしていない。隠密行動には人間の姿のほうが適しているためだ。

 地形を巧みに利用して身を隠しながら、アレクシオスはすばやく施設の横合いに回る。

 遠ざかりつつあるその背を見送りながら、

 「さて――あたしたちも行くわよ」

 まるで独り言みたいに言うと、イセリアはため息をつく。

 「あんた、いつもみたいにボーッとしてんじゃないわよ。言っとくけど、もし危なくなってもあたしは絶対助けてやんないから!!」

 「……いいよ。私もイセリアに迷惑かけたくない」

 オルフェウスの返事を待たずに、イセリアは目の前の施設へと走り出していた。

 (あんたなんかに先を越されてたまるもんですか!!)

 一番乗りは譲れない――それは、勝ち気な

 イセリアの接近に気づいたのか、建物の内部から歪な人影がわらわらと湧き出てくる。

 全身に汚れたボロ布をまとい、およそ生気の感じられない足取りで進んでいく。

 屍徒――

 つい先ほど騎士たちが地上で対峙したばかりの奇怪な敵は、ふたたび彼女らの前に立ちふさがろうとしている。

 問題はその数だ。

 少なく見積もっても五十体は下らないだろう。

 いずれも鉄棒や鉄槌ハンマー、柄つきの鉄球を携えている。すべて原始的な鈍器であった。

 剣や槍を操るのに不可欠な手先の鋭敏な感覚が失われているためだ。屍徒たちは重量物を力任せに振り回すことしかできないのだった。

 地上に現れた屍徒はいずれも男だったが、あらたに出現した集団のなかには女らしき個体も混じっている。

 「げっ……あんなにいっぱい、どこから出てきたのよ」

 イセリアはその場で足を止めると、屍徒の群れと正対する格好になった。

 と、それまで背後にいたオルフェウスが声をかける。

 「イセリア――大丈夫?」

 「あんたの方こそ、もしかしてビビってんの? ……こんな奴ら、何体来たってあたしたちの敵じゃないわ」

 先ほどにくらべると心なしか険の取れたその言葉に、オルフェウスは黙ってうなずく。

 屍徒の軍勢を前に、いま二人の騎士が並び立つ。

 「……待っていたぞ、怪物ども」

 どこからか声が湧いた。

 姿は見えないが、ケイルルゴスの声であることはあきらかだ。

 「隠れてないで姿を見せたらどう? その悪趣味な仮面、今度こそ引っ剥がしてやるわ!!」

 「黙れ。これだけの数の屍徒を相手に勝てると思っているのか? 地に頭をすりつけて命乞いをするなら今のうちだぞ」

 「それはこっちの台詞よ――数で押せばどうにかなると思ってるなんて、どうやらオツムの方も鳥並らしいわね」

 イセリアはこれでもかと侮蔑を込めて言い放つ。

 依然として姿は見せないものの、いいように嘲弄されてケイルルゴスも冷静さを保てなくなったらしい。

 「やれ! 屍徒ども!! 奴らを殺せ!!」

 怒声が轟くが早いか、五十体あまりの屍徒は一斉に前進を開始していた。

 獣みたいな唸り声と地響きが地下空洞を震わせる。

 生ける屍の群れは、巨大な凶器となって二人の騎士に殺到していく。

 すさまじい殺気の波に晒されているにもかかわらず、イセリアとオルフェウスはあくまで落ち着いたものだ。怯懦するでもなく、奮い立つでもなく、泰然と敵の接近を待ち構えている。

 「まとめてかかってきなさい――そうじゃないと物足りないわ」

 イセリアは今にも飛びかからんとしている屍徒たちにむかって傲然と言い放つ。

 二人はほとんど同時に戎装を果たしていた。

 荒れ狂う殺気の渦の中心に、まばゆい輝きとともに真紅と黄の戎装騎士ストラティオテスが降り立つ。

 二騎はどちらともなく動き出していた。

 圧倒的多数の敵を前に、二人の騎士はそれぞれの戦端を開く。

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