第179話 獅子来訪(後編)
凄絶な鬼気が廃墟を充たしていった。
その中心で対峙するのは、黒と銀の
アレクシオスは拳を胸の高さに構えたまま、じっとレオンの出方を伺っている。
戎装したことにより、いまや二人の身長はほとんど変わらない。
レオンの全身を覆った白銀の装甲は、廃墟に差し込むあるかなきかの陽光を浴びてまばゆいほどに輝いている。
アレクシオスの漆黒の装甲が闇だとするなら、その色彩はまさしく凝結した光そのものであった。
ふいに床を踏む硬い音が生じた。
レオンはアレクシオスに対して半身になったかと思うと、右手を前方に突き出す。
前腕部の装甲が
レオンの右腕から白光が迸ったのは次の瞬間だった。
のたうつ蛇のようにも見えるそれは、指向性を持ったアーク放電だ。
大気はもともと電流の伝導を阻害する性質、すなわち絶縁性をもっている。大気中への放電は、絶縁性を破壊するほどの超高圧電流があって初めて成立するのだ。
その瞬間的な最高出力は三億ボルト・十万アンペアにも達する。
膨大なエネルギーと熱の総量は、自然界における落雷のそれに匹敵する。
それが証拠に、電撃に打たれた床は焼け焦げ、もうもうたる黒煙を立ち上らせている。
いかに
たとえ装甲は無事でも、しばらくのあいだ行動不能に陥ることは避けられないはずだった。
アレクシオスは体勢を立て直しつつ、レオンを見据える。
右腕の装甲はすでに元に戻っている。再度の放電のために電力を
おもわず身構えたアレクシオスにむかって、レオンはいきなり頭を下げた。
「す、すみませんっ!!」
およそ戦いの場にあるまじき所作と言葉に、アレクシオスが目と耳を疑ったのも当然だ。
相手を油断させるための策略かとも思ったが、それにしては様子が妙であった。
「……なぜ謝る?」
「その、いきなり攻撃してしまって……驚かせてしまったんじゃないかと」
「おまえ、戦いをなんだと思っているんだ。攻撃を仕掛けていいかどうか、いちいち敵にお伺いを立てる奴がどこにいる!!」
アレクシオスは呆れたように言って、レオンに人差し指を突きつける。
「試合だからといって、余計な気遣いは無用だ。本気で来い」
「いいんですか……?」
「来ないというなら、おれのほうから行くぞ!!」
刹那、黒騎士はだんと床を蹴り、吹き抜けの天井にむかって高々と跳躍していた。
間髪をいれず、すさまじい轟音が廃墟を領した。
両足の装甲が展開し、内蔵された
大気を燃焼させることで生まれた爆発的な推力は、アレクシオスの身体をさらなる高みへと押し上げていく。
上昇のさなか、黒騎士の両手首の付け根から伸びたのは、獣の牙を彷彿させるふた振りの長槍だった。
アレクシオスの最大の武器であり、犀利な槍先は
十分な高度に達したことを確認したアレクシオスは、身体の前後をすばやく入れ替える。
急降下攻撃の体勢に入ったのだ。加速度を最大限に活かした一撃は、まさしく必殺の威力をもつ。
まともに当たれば、レオンも無事では済まない。
本気で戦うという言葉の重さを、少年はようやく理解したのだった。
「――――!!」
アレクシオスの目の前で、レオンの前腕部がふたたび様相を変えていく。
拳を覆うようにせり出した装甲は、獅子の
何をしようというのか?
猛然と迫りくるアレクシオスを前にして、レオンはあくまで泰然と構えている。
次の瞬間、レオンが両腕を突き上げると、円弧を描いて
放電攻撃を仕掛けようというのでない。
手首と前腕部の装甲に高圧電流を流し、両腕のあいだに実体のない盾を形成したのである。
凄まじい電流の渦に突っ込めば、ダメージを被るのはアレクシオスのほうだ。
「くっ!!」
アレクシオスはふたたび推進器を作動させ、方向転換を図る。
間に合うかどうかは五分五分というところ。
このタイミングで軌道をねじ曲げるのは、そう容易いことではないのだ。
電流が漆黒の装甲に触れるたび、痺れるような痛みが突き抜ける。
接触まであとわずかというところで、アレクシオスはレオンの盾から脱することに成功していた。
「それがおまえの
辛くも窮地を切り抜けたアレクシオスは、槍牙をレオンに向ける。
「今度は謝りませんよ」
「当たり前だ。それにしても、雷を操る能力を持った騎士がいたとは知らなかった」
「アレクシオスさんのほうこそ、あの距離で避けるなんて、正直驚きました」
ともすれば傲慢にも聞こえるレオンの言葉は、しかし、どこまでも素直な感動に満ちていた。
「僕はもっとあなたと戦いたい。ヘラクレイオスを倒した騎士の力を、この身体で知りたい」
「望むところだ――おれもまだ終わりにするつもりはない」
「ありがとうございます!!」
二人の戎装騎士は互いにうなずきあうと、どちらともなく構えを取っていた。
白銀の装甲が揺らいだ。
レオンは烈しく床を蹴り、アレクシオスにむかって飛びかかる。
「行きます!!」
叫ぶが早いか、装甲に覆われた左右の拳がアレクシオスに殺到する。
青白い電光をまとった拳は、かすっただけでも甚大なダメージを与える。
拳を繰り出すたびに青白い火花がまたたく。一瞬に咲いては散る、それは恐ろしくも美しい刹那の華であった。
息もつかせぬ連撃を巧みに捌きながら、アレクシオスはわずかに後じさる。
レオンの拳を槍牙で受け止めることは出来ない。
もしまともに受けたなら、たちまちに電流を流し込まれ、身動きが取れなくなる。
とはいえ、いつまでも躱しきれるものではない。
戦いの主導権はレオンが握っているのだ。
反撃の糸口を掴めなければ、このままじりじりと追い詰められていくだろう。
もはや猶予が残されていないことは、他ならぬアレクシオス自身が誰よりもよく分かっている。
(あれを使うしかない……)
アレクシオスはぐっと腰を落としたかと思うと、そのまま突進する。
自暴自棄とも見えるその行動に、レオンもだいぶ面食らったようであった。
白銀の騎士は知る由もない。アレクシオスの脳裏には、自分がこれから取る動きのことごとくが鮮明に描き出されていることを。
ヘラクレイオスとの戦いの最中に覚醒したあらたな異能――超演算能力。
その能力を用いれば、敵の動きをほぼ完璧に予測することが出来る。
いまのアレクシオスには、レオンの拳の動きが手に取るように分かる。
「くっ――!!」
レオンの判断は迅速だった。
ほとんど無意識に数メートルも飛び退り、間合いを取る。
同時に両腕の装甲が展開したかと思うと、目も眩むほどの閃光が迸った。
アレクシオスめがけて放たれたのは、両手合わせて八条もの電撃であった。
最大出力で放たれたためだろう。いずれも先ほどのものより太く、電圧もさらに上がっている。
いかに反射神経に優れた騎士でも、光の速さで迫りくる電撃を避けることは出来ない。――そのはずであった。
転瞬、レオンの
アレクシオスは電撃と電撃のわずかな隙間を巧みにかいくぐり、一気に間合いを詰めたのだ。
目で見て避けているのではなく、事前に命中地点を予測しているとは、むろんレオンは知る由もない。
あまりに常識外れの挙動を目の当たりにして、レオンは愕然と立ち尽くすことしか出来ない。
迫りくる黒騎士の拳を前にして、レオンははたと我に返る。
電撃を中断し、飛び退ろうとしたその肩を、漆黒の装甲に鎧われた指が力強く掴み取っていた。
アレクシオスは勢いもそのままにレオンを組み敷く。
「勝負あったな――」
喉元に突きつけられた槍牙を目にして、さしものレオンも抵抗を諦めたようだった。
実戦であれば、とうに生命を絶たれている。
黒と銀の騎士のあいだを重い沈黙が充たしていく。
「……僕の負けです、アレクシオスさん」
レオンはみずからの敗北を宣言する。
すばやく身体を離した二人の騎士は、どちらともなく戎装を解いていた。
「やはりあなたは強い……」
「意外だったか?」
「いいえ――こうして実際に戦ってみれば、ヘラクレイオスを倒したというのも納得出来ます。悔しいですが、いまの僕ではとてもあなたに勝てそうにありません……」
衣服の埃を払ったレオンは、アレクシオスにぺこりと頭を下げる。
「無理なお願いを聞いてくれて、本当にありがとうございました!!」
「べつに礼を言われるほどのことはしていない。おれも久々に本気を出せたからな」
「それで、その、もうひとつだけ」
上目がちにアレクシオスの表情を伺いながら、レオンはおずおずと言った。
「……もしよかったら、また手合わせをお願いしてもいいですか?」
アレクシオスは思案顔で顎に手を当てながら、ちらとレオンの顔を見やる。
「いいだろう――」
「ほ、本当ですか!?」
「また帝都に来たときは、おれのところを訪ねてくるといい。よほど緊急の用件がないかぎり、手合わせくらいならいつでも付き合ってやる」
飛び上がらんばかりに喜ぶレオンに、アレクシオスは照れくさそうに頬をかく。
考えてもみれば、周りの騎士は女ばかり。同性の後輩と接するのは、アレクシオスにとってもこれが初めてだった。
「あのう――……そろそろ出ていっても大丈夫ですか?」
声のしたほうに目を向ければ、ヴィサリオンが柱の陰からわずかに顔を出している。
「ああ。手合わせは終わった。何も心配はないぞ」
「二人とも、怪我はありませんか。かなり激しく戦っていたようですが……」
「おれがそんなヘマをすると思うか?」
得意げに言ったアレクシオスに、ヴィサリオンは苦笑いを浮かべるだけだった。
レオンは何かに気づいたみたいに顔をあげると、
「日暮れまでに戻らないといけないので、僕はこれで――」
二人にむかって深々と頭を垂れ、足早に廃墟を後にしたのだった。
「素直ないい子じゃないですか」
「実力もある。
「騎士をどこに配置するかは皇帝陛下と元老院が決めることですから……」
アレクシオスはふっとため息をつくと、何気なく上方に目を向ける。
冬の高い空は、早くも黄昏の色に染まりはじめていた。
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