第133話 誰がための騎士(後編)
子供たちのあどけない瞳から逃れるように、アレクシオスは数歩後じさる。
「違う……違う……おれは……」
繰り言みたいに同じ言葉を呟くうちに、背中にふいに何かが当たった。
自分でも気づかないうちに壁際まで後退していたのだ。悪意の欠片も持ち合わせていない子供に追い立てられては、アレクシオスとしては為す術もない。
どれほど言葉を尽くして否定したところで、頑是ない子供相手に道理が通じるとは思えなかった。
「へんな騎士さま――」
懊悩するアレクシオスを見て、周囲の子供たちはくすくすと笑い声を立てる。
「でも、男の騎士さまのなかでは、いままで一番やさしそう」
「いちばん大きな騎士さまはすごく怖いもの」
「だけど、とっても強いんだって――」
とりとめもない話に興じながら、子供たちはふたたびアレクシオスの周りに集まってくる。
逃れようとして、アレクシオスは右腕にかすかな抵抗を感じた。
見れば、先ほどとは別の少女がぎゅっと右の袖を掴んでいる。
「ねえ、騎士さま。わたしの代わりにかたきを取ってくれる? 悪い皇帝を倒してくれる?」
「仇? いったい何のことだ」
「わたしのお父さんとお母さんの――――」
アレクシオスを見上げる少女の瞳はうるみ、いまにも大粒の涙がこぼれそうになっている。
涙のむこうには澄んだ瞳がある。見せかけのものではないことはあきらかだった。
力任せに振りほどくことも、少女の言葉に首肯することも出来ず、アレクシオスはただ困惑したように唇を結ぶばかりだった。
と、部屋の奥で手を叩く音が生じたのはそのときだった。
アレクシオスと子供たちは一斉にその方向に振り向く。
「さあさあ、みんな。騎士さまを困らせてはいけませんよ」
そこに佇んでいたのは、美しい声を裏切らず、秀麗な面立ちの青年であった。
肩にかかった濡羽色の黒髪と、切れ長の双眸。東方人の典型的美男子を絵に描いたような容貌は、
あれほど喧しかった子供たちがすっかり静まり返ったのは、青年の美貌の下に秘められた底知れぬなにかを感じ取ったためか。
「私はアルサリールと申します。重ね重ねのご無礼をお許しください、アレクシオス殿」
「貴様の名前など聞いていない。それより、ここはなんだ? この子供たちはいったい……?」
「それについては追々……ここでは話しづらいことでもありますので、ご同行願えますかな」
アルサリールに導かれるまま、アレクシオスは奥の扉へと進んでいく。
その背後で、一度は熄んだはずの幼い声がまたしても沸き起こった。
「騎士さま、またね!」
「きっとまた戻ってくるよね?」
アレクシオスは答えなかった。
拳を固く握りしめたまま、アルサリールが扉を閉じるのを待っている。実際には一分にも満たなかっただろうその時間は、しかし、アレクシオスには永遠にも等しく感じられたのだった。
やがて、扉が完全に閉ざされたのを確かめると、アレクシオスは静かな怒気を込めて言った。
「お前があの子たちにああするように仕向けたのか」
「……と、申されると?」
「とぼけるな!! おれを懐柔するために子供をけしかけるのが
「ふむ、どうやらあなたは誤解をなさっているようだ」
中庭に面した渡り廊下を歩きながら、アルサリールはあくまで落ち着き払った様子で語り始める。
「私は何も命じてなどいません」
「あの子たちは『帝国』は父と母の仇だと言っていた。それでも同じことが言えるのか!? お前たちがデタラメを吹き込んだのでなければなんだ!!」
「滅相もない。すべては紛れもない事実ですよ」
「なんだと?」
臆面もなく言い放ったアルサリールに、アレクシオスはほとんど反射的に問い返していた。
「ここにいるのは『帝国』によって両親を奪われ、天涯孤独の身の上となった子供たちばかりです。なかには目の前で親を殺された者もいます」
「それが本当だとして、自分の生まれ育った
「怒りを育てるのに虚偽は必要ない。真実こそが最良の糧である――我らが指導者ナギド・ミシュメレトはそのように仰せです。先ほども言ったように、私たちは何も強制などしない。彼らが成長してなお『帝国』への復讐を望むなら、その意志を尊重するだけです」
言って、アルサリールはふっと頬を緩める。
女ならずともぞくりとするような艶っぽい笑顔を向けられても、アレクシオスの表情は硬いままだ。
「あなたのほうこそ、あの子たちと接して何か感じるところがあったのではありませんか?」
「……何が言いたい」
「ここではあなたは必要とされている。あの子たちはあなたに憧れ、あなたを信頼している。漫然と『帝国』に与するより、ここで私たちとともに戦うほうがよほど人々の為になるとは思いませんか。あなたの力は人のために使われるべきです」
「何を言い出すかと思えば、バカげたことを――」
アレクシオスは吐き捨てるように言った。
「あまり見くびるなよ。おれは誰かに褒められたり、認めてもらうために戦っている訳じゃない。そんなことのために『帝国』と皇帝陛下を裏切るつもりはない」
「本当にそう思っているのですか?」
「くどい!!」
間近で怒声を浴びせられても、アルサリールは怯んだ様子もなく、相変わらず悠揚迫らぬ足取りで渡り廊下を進んでいく。
「『帝国』のために骨身を削り、どれほど忠義を尽くしても、あなたがた騎士は決して人間として扱われない。せいぜい都合のいい道具が関の山でしょう。そして、最後はあっさりと使い捨てられる……」
「知ったふうな口を利くな!! 貴様におれたちの何が分かる!?」
「分かりますとも――ヘラクレイオスたちを見ていればね」
アルサリールは立ち止まると、長身をかがめて、アレクシオスの顔を覗き込む。
「彼らは『帝国』を裏切ることで、初めて人間らしい生き方が出来るようになった。もう道具として扱われることもない。それは紛れもない事実だ」
「奴らが何を言おうと関係ない。おれはおれの生き方を曲げるつもりはない」
「それは本当に生き方と言えるほどのものですか。『帝国』に戻ったところで、あなたは誰からも必要とされず、人間には蔑まれるだけだ。天があなたに与えた素晴らしい力も、この国の大多数の人間を苦しめるためだけに使われるでしょう。西方人の皇帝に使役される惨めな
「貴様……!!」
アレクシオスは我知らぬうちにアルサリールの胸ぐらを掴んでいた。
抑えきれない怒りが身体を衝き動かしたのだ。拳は固く握り込まれ、巻き込まれた布地がぎりぎりと軋りを立てる。
おもわず理性を失うほどの激情が沸き起こる理由は、しかし、アレクシオス自身にも分かっていない。
理由が分からない怒りは、対処のしようがない怒りということでもある。
そんなアレクシオスと間近で向き合いながら、アルサリールは恐れるどころか、整った面貌に薄笑いを浮かべてさえいる。
「どうぞ――私を殺したければご自由になさるといい。あなたの力であれば造作もないはずだ」
「脅しだと思っているなら大間違いだぞ」
「もちろん承知している。これからも皇帝と『帝国』のために殺すがいい。何百人か何千人か、あるいはそれ以上……その生命が尽きる瞬間まで、あなたは人間を殺すために戦い続けることになるのだから」
「いい加減にその口を閉じろと言っている!!」
「そして、『帝国』の側について戦うかぎり、あなたはいずれあの子たちも手に掛けることになる」
アレクシオスは握りしめていた拳をほどき、わずかに後じさる。
蹌踉とした足取りは、ほとんど熱に浮かされた病人のようでもある。
アルサリールが放った言葉は、アレクシオスにそれほどの衝撃を与えたのだった。
いくら考えを巡らせたところで、反論のための言葉は、ただの一句も少年の喉を出なかった。
アルサリールは乱れた襟元を正すと、アレクシオスにむかって微笑みかける。
「おれをどうするつもりだ……?」
「もちろん、すぐに仲間になれと言うつもりはありません。ナギド様もそれは望んでおられない」
怪訝そうに見つめるアレクシオスに、アルサリールはなおも言葉を継いでいく。
「ここに来る途中、
「見た――この集落には大人の男がいないようだが、あれはどういうことだ」
「彼女らは父親や夫や息子を『帝国』に殺され、寄る辺を失ってここに辿り着いたのです。男もいない訳ではありませんが、一人で外を出歩ける身体の者はさほど多くないうえに、明るいうちは人前に姿を見せたがらない者も多いのでね」
「ここはいったい……」
「『帝国』にありながら『帝国』の支配の及ばない
ちいさくその言葉を繰り返したアレクシオスに、アルサリールはそっと耳打ちをする。
「アレクシオス殿もしばらくここに留まって行くといい。立ち去りたくなったときは挨拶は無用です。ナギド様も去る者は追うなと仰せになりました」
「……おれが『帝国』にこの場所を報せたらどうする」
「あなたにそれが出来ますか?」
アルサリールの言葉を受けて、アレクシオスの脳裏にひとつの情景がありありと描き出されていく。
それは、武器を手にした兵士たちに包囲され、火の手に包まれた集落の姿だ。
この集落の住人が等しく『帝国』に憎しみを抱いているなら、女や傷病人だろうと死をも厭わず戦うことは容易に想像がつく。
そうなれば、当然あの子供たちも巻き添えるになるはずだった。
直接手を下したかどうかは問題ではない。
もしその想像が現実になったなら、アレクシオスが殺したのと同じことだ。
「見たところ、あなたの心身は疲弊しきっている。争いや憎しみから解き放たれたこの場所でゆっくりと休んでいかれるといい。幸い子供たちもあなたのことを気に入っているようだ。ここに残ってくれると知れば、きっと喜ぶはずです」
穏やかな笑顔を浮かべながら、アルサリールはそっとアレクシオスの肩に手を置く。
数秒の沈黙ののち、手が離れても、アレクシオスは依然として押し黙ったままだ。
少年は俯いたまま、アルサリールの後ろ姿が回廊の果てに消えていくのをただ見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます