第22話 邂逅

 帝都を東西に貫く目抜き通りは、行き交う人々であふれていた。

 今日に限ったことではない。

 百万になんなんとする大人口を抱えるこの都市において、人が蝟集する場所は一年を通してこのような有様だった。

 人間が多く居住する場所には自ずと富が集積し、顕在化した有形無形の富はさらに多くの人をこの街に呼び込む。

 『東』の中心であり続けるかぎり、帝都は終わりのない祝祭の最中にある。

 いずれこの街のすべてが烏有に帰する時が訪れるまで、昼夜を問わない狂宴が尽きることはない。

 もっとも、広大な市街のすべてが等しく殷賑している訳ではない。

 人でごった返す目抜き通りからすこし外れれば、ひっそりとした路地が幾筋も通っている。

 賽の目状に整然と並ぶ街区は帝都の都市設計の最大の特徴のひとつだが、目抜き通りと並行する大量の裏路地はいわばその副産物であった。

 いま、そんな路地のひとつをいそいそと歩いていく二つの人影がある。

 先行する黒髪の少年と、それに続く亜麻色の髪の少女。

 ありふれた東方人といった風情の少年はともかく、『帝国』の支配階層である西方人のなかでも際立って麗しい少女の風体は、寂れた路地にあってはいささか目立ちすぎるようだった。

 手を繋いでこそいないものの、二人の身体はつかず離れずの距離を保っている。

 「詳しいんだね、アレクシオス」

 前を歩く背中に向けて、オルフェウスが言った。

 例によって抑揚も感情も乏しい声色であった。

 「……まあな」

 アレクシオスは振り返らず、あくまでぶっきらぼうな調子で答える。

 「詰め所の周りの道はおおかた覚えたつもりだ。このくらいは把握しておかないと、もしもの時に困る」

 もしもの時――

 自分の意思で口にしたはずのその言葉に、アレクシオスは何とも言えないおかしみを感じる。

 (すこし大げさだったな……)

 もしもと言えるほど差し迫った必要がある訳ではなかった。

 このあたりの地図を頭に入れたのも、昼食を買いに行く道すがら覚えたにすぎないのだ。

帝都は平和そのものだ。

山河襟帯が天然の要害を成し、常に十万の精鋭が駐屯する都市の防備は、まさしく盤石といってよい。

 いまだ先の見えない復興の途上にある辺境とは対照的に、この大都市は戦前と変わらぬ繁栄を謳歌している。

 あるいは、アレクシオスにとってもしもの時とは、オルフェウスを連れて出歩いている今この状況を指しているのかもしれなかった。

 すくなくとも、アレクシオスにとっては予期していない事態であった。

 いま、二人は昼食を買い求めるべく道を急いでいる。

 目的は、焼いた羊肉を包子パンに挟んだ帝都の定番料理だった。

 山がちなこの地方において羊はもっとも身近な家畜であり、羊肉を用いた料理も数多く存在している。

 なかでも甘辛く味付けした羊の焼肉を厚手の包子に包んだこの料理は、手早く食欲を満たせることから、今や帝都の労働階級にはおなじみの菜譜メニューとなっている。

 二人がたどり着いたのは、路上に簡便な天幕を張り巡らせただけの店だった。

 帝都にはこの種の露店が数多く存在している。法令により市街に新たに店舗を構えることは至難であり、それゆえいつでも撤去可能な露店が主流となっているのだ。

 こうした露店は厳密に法に照らせば処罰の対象となるが、市民の利便性の観点から野放しになっているのが実情だった。

 店はこの近辺でも評判がいいらしく、昼食を買い求める人々が長蛇の列を成している。

 二人が列の最後尾につくと、すかさず周囲からからかいの声がかかった。

 「へへ……昼間からべっぴん連れていいご身分だな、にいちゃんよ」

 「見せびらかしてくれるじゃねえか!」

 最初こそ下劣な野次を聞き流していたアレクシオスだったが、

 「しかし、よりによってあんな矮躯チビの東方人野郎を選ぶとは物好きな女だ。恥じらいてのを知らないのか?」

 吐き捨てるようなその言葉を耳にして、さすがに腹に据えかねたようであった。

 すかさず黒い瞳が声の主を睨めつける。

 それは西方人の若い男であった。

 アレクシオスたちよりは二回りほど歳上である。地味ながらも小ざっぱりとした服装から察するに、どこかの官庁に属する下級官吏らしい。

 「……おい」

 腹の底に響くようなドスの利いた声が自分に向けられたものだと理解して、男はたじろいだ。

 「な、なんだよ?」

 「何を勘違いしているか知らないが、言葉には気をつけるんだな」

 アレクシオスは男にむかって一歩にじり寄る。

 「お望みなら、しばらく硬いものを食えない身体にしてやろうか」

 「このガキ、俺を脅すつもりか? 調子にのるなよ、たかが東方人の分際で……」

 「たかが東方人になにを怯えている」

 アレクシオスは鼻で笑うと、あらためて鋭い眼差しで男を射すくめる。

 「おい、女! そのイカレ野郎をなんとかしろ! お前の恋人だろ!」

 「……なぜ?」

 オルフェウスはいかにも気のない返事をした。そもそも、いま声をかけられるまで、傍らで交わされていたアレクシオスと男との口論を認識していたかどうか。

 ふたたびぼんやりと空を仰いだ真紅の瞳には、流れる白い雲だけが映る。

 そうこうするうちに、いつの間にか周囲には人が集まり始めていた。

 もともと並んでいた客だけでなく、喧嘩を見物に来た野次馬たちも加わって、ちょっとした人だかりが形勢されつつある。

 特筆すべきは、群衆のほぼすべてが東方人であるということだ。

 「喧嘩か? やっちまえ!」

 「なまっちろい西方人なんぞぶん殴っちまえ!」

 『帝国』の人口構成において、東方人は圧倒的多数を占めている。

 皇帝のお膝元である帝都ではさすがに西方人が目立つが、それでも人口における東方人の優位はゆるがない。

 平素から支配階層として高慢に振る舞う西方人が窮地に立たされているのは、かれらにとってこの上なく溜飲の下がる光景でもあるのだ。

 行列のなかには数名の西方人の姿もあったが、危うい雰囲気を察してか、いずれも我関せずといった風で遠巻きに眺めるばかりであった。

 「き……貴様ら、こんなことをしてただで済むと……」

 「済まなければどうだと言うんだ?」

 アレクシオスはなおも挑発的に言い放つ。

 まさしく一触即発。どちらが先に手を出してもおかしくない状況であった。

 「――二人とも、そこまでだ」

 対峙する両者のあいだに、ふいに声が割って入った。

 まもなく並み居る野次馬を押しのけて、長身の男がずんずんと進み出てくる。

 年の頃は四十路の半ばといったところ。頭髪とおなじ赤茶色の豊かな髭を蓄えた大男であった。

 「なんだ、お前は! 西方人のくせにこのガキの味方をするつもりか?!」

 「西方人だからこそだよ。自分の血に誇りを持っているならば、慎みを持つことだ」

 そして、なおも不服そうな男を手で制しつつ、アレクシオスのほうへ顔を向ける。

 「そこの君もだ。正当な理由があろうとなかろうと、往来で喧嘩沙汰は感心できないな」

 「先に喧嘩を売ってきたのはそいつだ!」

 アレクシオスはぷい、と横を向く。

 「だいたいお前、横から出てきてどういうつもりだ! その東方人野郎の知り合いか!?」

 「いいや――わたしは仲裁に呼ばれただけだ。かき入れ時にこんな騒ぎを起こされては、店も迷惑というものだろう」

 髭面の男が露店のほうへ顔を向けると、店主と思しき老人が一礼を返す。

 「くそ――覚えていろよ!」

 捨て台詞を吐いて、若い男は足早にその場を立ち去った。

 どう足掻いても孤立無援であることを思えば、逃亡は妥当な判断だろう。

 「……すまん。世話をかけたな」

 駆け去っていく男を横目で見つつ、アレクシオスはすまなそうに言った。

 口論の最中はそちらに意識を傾けていたため気にならなかったが、言われてみれば、たしかに迷惑であることに違いない。

 「分かってくれればいいさ。君はあくまで喧嘩を売られた側のようだからね」

 言って、大男はにっと相好を崩してみせる。

 喧嘩が止められたことを知るや、人だかりを成していた野次馬の群れはたちまちほうぼうへ散っていった。

 「面倒をかけてすまなかった。おれはアレクシオス、そっちは……おい」

 「――オルフェウス」

 上空の雲を見つめたまま、オルフェウスは例によって平坦な声音で名乗る。

 それまで静かに微笑をたたえていた大男だったが、オルフェウスの尋常ならざる美貌に気付いてか、ほうと小さく声を漏らす。

 同時に、少女が帯びるかすかな違和感にも気づいたようだった。

 大男はにわかに降ってわいた好奇心の虫を抑えつつ、あらためて二人の騎士へ向き直る。

 「申し遅れてすまない――わたしはペトルス。このあたりで町医者をやっている者だ」

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