第223話 エピローグ−花火恋情−

 一筋の白煙が天へと伸びていった。

 いまこの瞬間も凄まじい勢いで宵空を駆け上がっていくのは、ひと抱えほどもある巨大な砲弾であった。

 逃げ出す直前、ラヨシュはひそかに打ち上げ筒に火を投じていた。

 人知れず導火線を伝った火は、底部に敷き詰められた炸薬を一斉に起爆させ、装填されていた花火玉を高々と打ち上げたのだった。


「これで終わりだ……なにもかも……」


 ぽつりと呟いたラヨシュは、その場で力なく膝を折った。

 最高傑作を見送って晴れがましいはずの職人の顔は、しかし、死人のように青ざめている。

 アレクシオスはラヨシュの肩をむんずと掴むと、脱力しきった身体を力まかせに立ち上がらせる。


「答えろ――あれはなんだ!?」

「見てのとおり花火だよ……とっておきのな。予定通りに作動すれば、この帝都まちは地獄に変わるはずだ」

「どういうことだ?」


 ラヨシュは例によって泣き笑いとしか言いようのない曖昧な表情を浮かべながら、アレクシオスに語り始める。


「ずっと前に親方が話してくれたことがある。中央軍の工廠で働いていたころ、上層部からこんな新兵器を開発するように命じられたそうだ。……普通の砲弾は標的にぶつかって爆発するが、そいつは上空で弾け飛んで、内部に抱え込んでいた鉄球をあたり一面にばらまく。一発一発の威力は大したことはないが、焼けた鉄球を浴びた人間や建物はひとたまりもないって寸法だ」

「そんなものを帝都の真上に打ち上げたのか!?」

「あれには鉄球の代わりに、油脂を染み込ませた小爆弾をたっぷりと詰め込んである。ざっと三百発……それが街じゅうに降り注いだらどんな被害が出るか、あんたにも分かるだろう」


 アレクシオスは怒りのあまり血がにじむほどに唇を噛みながら、ラヨシュを睨めつける。


「それは本当におまえがしたかったことなのか?」

「さあね。俺に分かってるのは、どんなに悔やんだところでもう遅いということだけだ」

「おれがいる。絶対に手遅れになどさせない」


 アレクシオスはラヨシュを突き飛ばすと、くるりと身体を翻す。

 次の刹那、ラヨシュの眼前で生起したのは、およそ信じがたい光景だった。


「――戎装!!」


 そう口にしたときには、すでに変形へんぎょうは完了している。

 ラヨシュが言葉を失ったのも無理はない。

 一瞬前までアレクシオスが立っていた場所に佇むのは、黒曜石のごとき装甲をまとった異形の騎士であった。


 倏忽しゅっこつの間に戎装騎士ストラティオテスへとその身を変えたアレクシオスは、だんと激しく地を蹴って跳躍する。

 それに合わせて両足の装甲がおおきく展開したかと思うと、耳をつんざく咆哮が一帯に響きわたった。

 脚部に内蔵された左右一対の推進器スラスターが作動したのだ。

 唸りを上げる吸気口インテークから取り込まれた大量の酸素は、体内での圧縮・燃焼を経て巨大な推力へと変換される。アレクシオスの意志が命じるままに、二基の推進器は能うかぎりの出力を叩き出したのだった。

 青白い炎の尾を引きながら、黒騎士は花火玉を追って急上昇していく。


 その場にへたり込んだラヨシュは、急速に遠ざかっていくその姿を呆然と見つめることしか出来ない。

 そうするうちに、乾いた唇がかすかに動いた。

 当人以外には聞き取れないほどちいさなそれは、しかし確かに祈りの言葉だった。


***


 街の灯がはるか下方で滲んでいた。

 地上をはるかに見下ろすそこは、文字通り夜空の只中であった。

 アレクシオスは巨大な球体を抱きかかえたまま、灰色の雲間を漂っている。


 ほんのすこし前――。

 推進器スラスターを全開したアレクシオスは、猛追のすえに先行する花火玉にどうにか追いつくことが出来た。

 最大限の効果を見込んでか、もともとかなりの高度に達してから作動するように設計されていたことが幸いしたらしい。

 アレクシオスがおそるおそる手を伸ばしても、花火玉が炸裂することはなかった。

 球状の骨格に何層にも紙を貼って作られた花火玉は、掴み取るとやけに熱く感じられた。内部で火が回っているのだ。

 火薬への点火タイミングはラヨシュが設計した時限装置によって周到に調整され、一定時間が経過するまでは決して暴発することはない。

 アレクシオスにとっては好都合ではあったが、それでも猶予がないことに変わりはなかった。


(爆発する前に、こいつをすこしでも遠くへ――)


 専門的な知識を持たないアレクシオスには、爆弾そのもののを起動を阻止することは出来ない。

 オルフェウスのように跡形もなく消滅させることも不可能となれば、現状で打てる最善手は、花火玉をすこしでも被害が少ない場所へと運ぶことであった。

 とはいえ、それも簡単な話ではない。

 アレクシオスの推進器はあくまで短距離の跳躍を目的としたものであり、エウフロシュネーのように完全な飛行能力は持ち合わせていないのである。

 ここまでの飛翔で推進器には早くも異常加熱オーバーヒートの兆候が現れはじめ、脚部の装甲は排熱が追いつかないために赤熱化しつつある。

 出力を絞っているとはいえ、このまま稼働を続ければ、遠からず致命的な損傷をきたすことはまちがいない。

 いかに戎装騎士ストラティオテスの再生能力が優れていると言っても、破損した部位の修復には相応の時間を必要とする。まして複雑な内部機構メカニズムともなれば、元通りの機能を取り戻すのは容易ではないのだ。


(頼む、いまだけは持ってくれ――)


 心中で強く念じて、アレクシオスはふたたび推進器の出力を上げる。

 眼下を流れていく風景から推測して、帝都の大城壁はすでに過ぎているはずだった。

 帝都イストザントの城壁の周縁部には、有事の際に備えて広大な空き地が広がっている。

 一帯に人家はまばらで、たとえ小爆弾が降り注いだとしても燃え広がるおそれはないはずであった。

 アレクシオスの腕の中で花火玉がふいに高熱を帯びたのはそのときだった。

 アレクシオスは空中で姿勢を安定させると、渾身の力を込めて花火玉を上空へと投擲する。


 一瞬の間を置いて、夜空に大輪の光の花が開いた。

 花火職人ラヨシュが畢生の傑作と自負するだけあって、複雑な炎色反応によってたえまなく移ろいゆく色彩も、計算され尽くした花弁の広がり加減もじつにみごとなものだ。

 そして、絢爛な光芒に紛れて降り注いだ三百発あまりの小爆弾は、あるいは空中でむなしく爆ぜ、あるいは無人の野にぽつねんと侘しい火柱を立てただけに終わった。帝都イストザントにおそるべき死と破壊をもたらすはずだった小さな悪魔たちは、ついにその使命を果たすことなく消滅したのだった。

 

(これで、最悪の事態はまぬがれたはずだ――――)


 安堵する間もなく、アレクシオスの右足で異音が生じた。

 硬い金属がへし折れるような、それは悲鳴にも似たひどく耳障りな音だった。

 原因は分かりきっている。限界を超えて稼働し続けていた推進器がついに大破したのだ。

 蓄積した熱によってとうに物理的限界を迎えていたにもかかわらず、ここまで動き続けていたことこそ奇跡と言うべきであった。

 やや遅れて左足の推進器も悲痛な断末魔を放ち、一切の機能が失われたことを冷酷に宣言する。

 空中で左右の推進器が同時に停止したとなれば、もはやアレクシオスは重力に身を任せるほかない。

 地上まではざっと一万二千メートルほど。

 推進器が無事であれば逆噴射をかけることで問題なく着地出来る高度だが、いまのアレクシオスは衝撃を緩和する術を持ち合わせていないのだ。

 まともに地面に叩きつけられたなら、たとえ戎装騎士であっても無事では済まない。

 それどころか、五体が無残に砕け散り、なすすべもなく死に至る可能性すら否定出来ないのである。


(ここまでか……)


 たとえ死ぬことになったとしても、アレクシオスに後悔はなかった。

 あのまま市街地に小爆弾が降っていたなら、どんな惨事が引き起こされたか知れないのだ。

 帝都に住む百万人以上の市民を救うことが出来たのであれば、自分ひとりの犠牲など何ほどのことでもない。

 たとえこの身がどうなろうとも、人間と人間の世界を守る――。

 その信念に殉ずることが出来るのなら、騎士ストラティオテスとして本望なのだから。


 自由落下の最中、さまざまな顔がアレクシオスの脳裏に浮かんでは消えていった。

 ヴィサリオン。

 イセリアとエウフロシュネー。

 レオン、ラケルとレヴィ、ルシウス、ラフィカ……。

 そして――最後にアレクシオスの意識を占めたのは、亜麻色の髪と真紅の瞳をもつ少女だった。

 オルフェウス。

 特別なその名前を、アレクシオスは心のなかでもう一度唱える。

 彼女には公園に入る前に待機するよう言いおいたため、その後の経緯は知る由もないはずだった。

 もう二度と生きて会うことも、言葉を交わすことも出来ない。

 運命を受け入れる覚悟を決めたはずのアレクシオスの胸に、ちくりと鋭い痛みが生じた。


(こんなことになるのなら、あのとき伝えておけばよかった――――)


 おれはおまえのことが好きだ。

 あの夜、初めて会ったときからずっと……。

 ようやく自分の本当の気持ちと向き合うことが出来たと思ったのに。

 けっきょく、なにも伝えられないまま終わってしまった。

 もう一度だけ会えたなら。話をすることが出来たなら。

 そのときは、おれの思いのすべてを……。

 

「――――」


 全身を苛んでいた風圧がだしぬけに弱くなった。

 自由落下が止まったのだ。

 アレクシオスの両足の推進器はいまも機能を停止している。

 あたりを見回すまでもなく、不可解な現象の謎は解けた。

 ほんの数瞬前まで重力に引かれて落ちるばかりだったアレクシオスの身体は、いまや強い力に

 

「間に合ってよかった」


 玲瓏な声で告げて、オルフェウスはこくりと頷いた。

 背中と両肩から翼状の光子推進器フォトン・スラスターを展開したオルフェウスは、アレクシオスを背中から抱きすくめるような格好で中空に浮遊している。

 真紅の装甲に鎧われたその姿は、しかし、アレクシオスが見知ったそれとはまるで様相を異にしている。

 戎装殲騎ストラティオテス・ディミオス――戎装騎士ストラティオテスを駆逐するための純粋な戦闘形態。

 いま、アレクシオスを救うために、オルフェウスは二段階の変形へんぎょうを遂げたのだった。


「オルフェウス、おまえ……どうして……」

「アレクシオスに呼ばれた気がしたから」

「おれの声が聞こえたのか……?」


 アレクシオスに問われて、オルフェウスはゆるゆるとかぶりを振る。

 

「ううん――だけど、どんなに遠くにいても、私には分かるから」


 こともなげに言ったオルフェウスに、アレクシオスは感に堪えないというように俯くのが精一杯だった。

 そのあいだにも、オルフェウスはゆるやかに下降していく。

 やがて二騎が降り立ったのは、帝都郊外にあるなだらかな丘だった。

 主要な街道筋から外れているため、周囲には人の気配もない。

 どちらともなく戎装を解いて、アレクシオスとオルフェウスはあらためて向かい合う。


「すまん。……おかげで助かった」

「気にしなくていいよ。アレクシオスが無事でよかった」


 常と変わらず抑揚に乏しい声で言ったオルフェウスに、アレクシオスはいつになく真剣なまなざしを向ける。

 

「さっき言おうとして言えなかったことがある」

「アレクシオス……?」

「もし生きて帰れたら、きっと伝えようと決めていた。おまえにとっては迷惑かもしれないが、どうしても聞いてほしい」


 アレクシオスは深く息を吸い込み、拳を強く握り込む。

 そうすることで自分自身を奮い立たせているのだ。もはや後戻りは出来ない。

 そうしてひとしきり呼吸を整えてから、アレクシオスは朗々たる声で告げたのだった。


「オルフェウス――おれは、おまえが好きだ」


 騎虎の勢いとばかりに、アレクシオスはなおも矢継ぎ早に言葉を重ねていく。


「もしおれのことが嫌いなら、この場で遠慮なく言ってくれていい。だが、もしそうじゃないなら……」

「そうじゃないなら?」

「いまはどうか言わないでほしい。……おれたちにはやらなければならないことがまだ沢山ある。本当に平和な世の中が来るまで、返事は待っていてくれないか」


 オルフェウスは澄んだ真紅の瞳でアレクシオスをじっと見つめると、納得したように首肯した。


しないよ。その代わり……」


 アレクシオスは反射的に身体をのけぞらせた。

 オルフェウスがふいに手を伸ばしたかと思うと、そのまま顔を近づけたのだ。

 突然のことにどうしていいか分からず、アレクシオスはおもわず瞼を閉じる。

 やわらかな静寂が満ちていった。

 二人の唇が離れたのは、それから数秒後のこと。

 永遠のような一瞬から覚めたアレクシオスは、おもわずオルフェウスから顔を背けていた。

 いまの自分はどんな顔をしているのか。確実に言えるのは、耳の先まで赤くなっているということだけだ。

 

「お、おまえっ!! こんなこと、いったいどこで覚えて――」

「このあいだイセリアに貸してもらった本に書いてあったことを真似してたみただけ。誰かとしたのは、アレクシオスがはじめてだけど……」

「イセリアのやつ……」


 言い終わるが早いか、ぱっと夜空が明るくなった。

 間髪をいれずに甲高い爆発音が鳴り渡る。

 おもわず身構えたアレクシオスは、それが杞憂であることを知った。

 花火の打ち上げが始まったのだ。

 ひゅるひゅると小気味いい音とともに花火玉が上がるたび、あざやかな光の花々が夜空に妍を競う。


「まったく、犯人が捕まったばかりだというのによくやる……」


 言いつつ、アレクシオスもまんざらではないようだった。

 帝都から離れたこの丘は、どうやら知られざる特等席らしい。

 アレクシオスとオルフェウスは肩を寄せ合い、色も形も千差万別の花火を飽かず眺めている。

 視線を上空に向けたまま、オルフェウスはぽつりと呟いた。

 

「花火、きれいだね」

「ああ……」

「来年もまた見に来ようね」


 オルフェウスの言葉に、アレクシオスはちいさく肯んずる。

 すでに花火は佳境に差し掛かろうとしている。

 やがて最後の一発が上がったなら、来年の夏まで帝都で花火を見ることは叶わない。

 いまこの瞬間が永遠に続けば……と思いかけて、アレクシオスはその考えを退ける。

 時の流れを止めることは誰にも出来ない。

 この世の万象はたえまなく移ろい、変わっていく。

 しかし、それはけっして悲しむべきことばかりではなく、未来に託す希望でもあるはずだった。


 打ち上げ花火の最後の一輪が散り、儚い閃光は闇に溶けていく。

 アエスタス大祭の最後の夜、そして帝都を脅かした一大事件は、こうして幕を下ろしたのだった。


***


 アエスタス大祭が終わってから二週間あまり――。

 騎士庁ストラテギオンにはいつもどおりの日常が戻っていた。

 帝都を壊滅の危機から救ったアレクシオスとオルフェウスの功績が表彰されたほかにはさして変わったこともない。

 いま午後の陽光に満たされた部屋に佇むのは、アレクシオスとヴィサリオンの二人だけであった。

 

「……それで、いくら捜査しても背後ウラはなかったということか?」


 茶をすすりながら、アレクシオスはヴィサリオンに問うた。


「ええ。……今回の事件は、ラヨシュの個人的な怨恨が動機のすべてだったという線に落ち着いたようです」

「だったら、どうして奴は”ゼーロータイの後継者”などと名乗ったんだ?」

「断言は出来ませんが……私には、むしろ無関係だったことのほうが深刻な問題に思えてならないのです」

「どういうことだ、ヴィサリオン?」


 線の細い青年は、しばらく考え込むようなそぶりを見せたあと、静かな声で語り出した。


「ゼーロータイという名前は、いまや実際の組織と乖離かいりして独り歩きをしはじめたということです。今回の事件にしても、たんにそう名乗ったほうが騒ぎが大きくなる程度の安易な理由だったのでしょう」

「誰でもゼーロータイを名乗れるとなれば、いまも地下に潜ったままの奴らの尻尾を掴むことはますます難しくなるということか……」

「ええ。今後彼らが活動を再開するかどうかはともかく、そう簡単に決着をつけることは出来ないと考えるべきでしょうね」


 低く唸って、アレクシオスは腕を組む。

 それは、西方人に不満を持つ東方人ならば誰でも身に着けることが出来る形なき仮面ペルソナがばら撒かれたということだ。

 素顔を晒すことを恐れる小市民も、仮面によって自分ではない何者かに変わったなら、今回のように大胆な犯行に手を染めることが出来る。

 これからさき『帝国』、そして騎士たちが戦っていかなければならないのは、単一の組織などよりずっと手強い相手であるのかもしれなかった。


 と、部屋の扉が勢いよく開いたのはそのときだった。

 

「たっだいま――!!」


 いの一番に部屋に飛び込んできたのはイセリアだ。

 両手にはちきれそうなほど膨らんだ買い物袋を抱え、背中には木箱を背負っている。屈強な男でも数歩と歩かないうちに音を上げそうな大重量を苦もなく運んでのけるのは、騎士のなかでも屈指の怪力を誇るイセリアならではであった。

 エウフロシュネーとオルフェウス、ラケルとレヴィ、そしてレオンがぞろぞろとその後に続く。

 揃って朝市に買い出しに出かけたものの、これほどの大荷物を作ったのはイセリアだけだった。

 どすんと盛大な音を立てて荷物を床に置いたイセリアに、アレクシオスはおもわず渋面をつくる。


「おまえ、またそんなに買い込んで……」

「なによう。せっかく珍しい食べ物や名産品が売ってたんですもの。買わなきゃソンでしょ?」

「好きにしろ。あまり散らかすなよ」


 ため息とともに言って、アレクシオスはイセリアから視線を外す。

 オルフェウスがこちらに近づいていることに気づいたのだ。

 

「これ、アレクシオスにお土産」


 そう言って少女が差し出したのは、赤い飾り紐がついた帯鉤(ベルト止め)だ。

 この種のアクセサリーは東方辺境の名産品であり、おそらく行商人がはるばる故郷から運んできたのだろう。

 けっして高価なものではないが、手仕事で作られた品は、この世に二つとないものだ。

 アレクシオスはオルフェウスの手から帯鉤を受け取ると、そっと懐へとしまい込む。


「……ありがとう。大事にする」


 照れくさそうに言ったアレクシオスに、イセリアはずいと顔を近づける。

 ひくひくと小鼻を動かしているのは、と言外に伝えているつもりなのだろう。


「あんたたちさあ、このあいだから妙に仲良くなってない?」

「べつにそんなことはない。くだらん詮索はやめろ」

「ほら、そうやってとぼける! ぜったいなにか隠してるわ。女の勘は当たるんだから!」

「なんでもないと言っているだろう!!」


 アレクシオスは憤然と言って、イセリアに背を向ける。

 その瞬間、オルフェウスの端正な顔に微笑みがよぎったように見えたのは、きっと見間違いだったのだろう。

 それでも――と、アレクシオスは、眼裏まなうらに焼き付いたその姿を記憶に留めようとする。

 喧騒は過ぎさり、午後の時間はふたたびゆるやかに流れ出す。

 庭に面した窓から白々と降り注ぐのは、八月のまばゆい日差しだった。

 帝都イストザントの夏は、いよいよ盛りを迎えようとしている。


【完】

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戎甲のストラティオテス ささはらゆき @ijwuaslwmqexd2vqr5th

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