第222話 夢の代償
立て続けに起こった爆発は、三度目でようやく終熄した。
それでも、騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬は、いまなお現場に蝟集し続けている。
ただでさえ混雑を極めていた街路は人であふれ、いったん帝都の市中に出たなら、もはや容易に身動きも取れないというありさまだった。
そんな下界の状況をよそに、屋根から屋根へと駆け抜けていく人影がある。
アレクシオスとオルフェウスだ。
すでに三件の現場を回り終えた二人は、犯人の行方を追って夜の帝都をひた走っている。
爆発が起こったのは、いずれも無人の空き家だった。
火災はせいぜいボヤ程度に留まり、いまのところ犠牲者が出ていないのは不幸中の幸いと言えたが、たんなるいたずらにしてはあまりにも手が込みすぎている。
それを裏付けるように、先刻アレクシオスが現場となった空き家を調べたところ、砂時計と金属線を組み合わせた奇妙な装置の残骸が見つかったのである。
爆発に巻き込まれてひどく破損しているものの、おそらく時限発火装置――それも、かなり精巧な仕組みを有するものであることはすぐに分かった。
そこから導き出される結論は、爆発は複数の犯人ではなく、高度な技術を持った同一犯によって引き起こされたということだ。
一連の爆発は人々の注意をそらし、官憲の捜査を欺くための目くらましであろうことは想像に難くない。
すべては本命の犯行を抜かりなく遂行するため。
犯人が元老院に犯行予告を送付した人物であるなら、それはアエスタス大祭の最終日にあたる当夜に起こるはずだった。
(いったん詰め所に戻るべきか……)
そう思いかけて、アレクシオスはその考えをすぐに打ち消す。
現在地から
そこから広大な帝都全域に散った騎士たちをふたたび召集し、あらためて捜査を開始するのは、寸秒を争うこの状況においてはとても得策とは言いがたい。
爆発の現場にそれらしい人間は見当たらなかったが、しかし、犯人はこの近辺にいるとみてまちがいない。
自分が仕掛けた爆弾が正常に作動したことを確認するためには、すくなくとも爆発音が聞こえるか、あるいは黒煙が目に入る範囲に留まっている必要がある。
いまアレクシオスとオルフェウスが向かっているのは、三件の爆発現場をひとつの円としたとき、ちょうど三つの円が重なる地域だった。
その一帯に身を置いていれば、どの地点で起こった爆発も等しく結果を観測することが出来る。
そして、奇しくもそこは帝都イストザントの中心地でもあった。
「そういえば、アレクシオス……」
背後からふいに声をかけられて、アレクシオスはその場で足を止めた。
オルフェウスは常と変わらぬ無表情のまま、じっとなにかを見つめている。
その視線を追っていくうちに、新緑の木々が生い茂る一角が目に入った。
どこもかしこも人工物に埋め尽くされた帝都にあってひときわ目を引くそこは、イストザントへの遷都五百年を記念して作られた大公園であった。
木立ちの向こう側に広がる庭園には、大砲のような物体がいくつも並べられている。
砲口を夜空に向けたそれらが、花火を打ち上げるための筒だということは、アレクシオスにもすぐに察せられた。
「今日はこれから花火があるんだよね」
「それがどうかしたか?」
「花火も爆弾と同じように火薬を使うな……と思って」
抑揚のない声で言ったオルフェウスに、アレクシオスはおもわず目を瞠っていた。
花火と爆弾――なぜいままで気づかなかったのだろう。
アエスタス大祭の最終日には、少なくとも百発以上の花火が打ち上げられるという。
夜空をあざやかに染める花火も、さまざまな着色料を含んでいることを除けば、その中身は爆薬そのものである。
そしていま、帝都の中心に位置する公園はにわか作りの火薬庫のごとき様相を呈している。
かりに周囲の火薬に連鎖的に誘爆したなら、市街地に壊滅的な被害をもたらすだろう。
たった一度の爆発で最大の効果が見込めるとあっては、本命の犯行の標的としてはまさしく申し分ない。
「……打ち上げが始まるまでもう時間がない。急ぐぞ!」
アレクシオスの言葉に、オルフェウスはこくりと頷く。
少年と少女は、まとわりつく夜気を引っ切って走り出していた。
***
「いよいよだなあ――」
そう言った同僚に、ラヨシュは「ああ」と短く答えただけだ。
花火の打ち上げが始まるまであとわずか。
職人たちにとっては、大一番を前にして最も緊張が高まる時間である。
打ち上げに用いる炸薬の量は適切か、筒の整備に手抜かりはないか……。
万全を期すためには、どんなちいさな手順もおろそかには出来ない。
さらには工房ごとに打ち上げる順番も厳密に定められているため、自分たちの番が無事に終わるまでは、一瞬たりとも気を抜くことは許されないのだ。
他の職人たちが神経を尖らせるなかで、ラヨシュだけはひとり泰然と構えている。
自分に限って失敗など万に一つもありえないという絶対的な自負と、工房として手掛けた仕事はしょせん他人事にすぎないという冷めきった心理が、ラヨシュをして緊張とはまるで無縁の境地に至らせたのだった。
それでも、気持ちが昂ぶっていないといえば嘘になる。
表面上は平静を装いながら、ラヨシュの精神はかつてないほどの高揚感に支配されていた。
爆弾は三つとも問題なく作動した。それも時限装置の仕組みが完璧だったからだ。
すべては計画通りに進んでいる
俺の一途な思いを裏切り、夢を踏みにじったあの父娘に思い知らせてやる……。
心の奥深くに根を張った怒りと絶望は、いまやどす黒い怨念の炎となって、青年をおそるべき凶行へと駆り立てようとしている。
庭園にひとりの男が駆け込んできたのはそのときだった。
花火職人とはあきらかに異なる服装から、どうやら祭りの運営に携わる役人らしい。
役人はぜいぜいと荒い息をつきながら、声も枯れよと叫ぶ。
「おおい! 打ち上げは中止だ! 全員作業を中止しろ!!」
職人たちがどよもしたのも無理はない。
すでに打ち上げの準備は始まっているのだ。
いまさら中止しろと言われても、そう簡単に納得出来るはずもない。
周囲では早くも不満の声が上がりはじめたなか、誰よりも動揺しているのは他ならぬラヨシュだった。
心臓が早鐘のように鼓動を打ち鳴らす。ごおごおと耳の奥で血潮が渦を巻く。
まさか――まさか、もう嗅ぎつけられたのか?
「おい、中止ってのはどういうことだ!?」
「ちゃんと納得が行くように説明してくれるんだろうな」
「事と次第によっちゃただじゃおかねえぞ!」
そのあいだにも、ただでさえ気が立っているところに水を差されて怒り心頭の職人たちは、食い殺さんばかりの勢いで役人に詰め寄っている。
と、役人の背後から気色ばんだ職人たちを押しのけるように進み出たのは、黒髪の少年だった。
「
しばらくきょとんとアレクシオスの顔を見つめていた職人たちだったが、その顔に怒りの色が戻るのにさほどの時間はかからなかった。
職人たちのなかでもひときわ図体のでかい男は、丸太みたいな二の腕を見せつけるように腕まくりをしたかと思うと、アレクシオスの襟首を乱暴に掴んでいた。
「このガキ、いきなり出てきてなにを勝手なことを抜かしやが――うおっ!?」
言い終わらぬうちに、力自慢の巨漢は芝生に横たわっていた。
ふわりと痛みもなく着地したのは、アレクシオスが手心を加えたからだ。
もし本気で投げていたなら、いまごろ全身の骨という骨は無残に砕け散っていたはずであった。
「おれたちは皇帝陛下と元老院から権限を与えられている。文句を言いたくなる気持ちも分かるが、帝都の全市民の安全がかかっているんだ。おとなしく従ってもらう」
アレクシオスはそれだけ言って、居並ぶ職人たちを見やる。
息巻いていた職人たちはすっかり顔色を失い、力なく肯んずるのが精一杯だった。
少年が巨漢をやすやすと制圧するさまを見せつけられたことで、さしもの荒くれ男たちも反抗する気力をすっかり削がれてしまったのだ。
「お、おい――ラヨシュ、どこへ行くんだ!?」
庭園の片隅で声が上がったのは次の瞬間だった。
こっそりと庭園を抜け出そうとした小男は、雷に打たれたみたいにその場に立ち尽くしている。
アレクシオスはラヨシュのもとへゆっくりと近づいていく。
「さっきの話が聞こえなかったのか。安全が確保出来るまで、勝手な真似をしてもらっては困る」
「いえ、違うんです。俺はそんなつもりじゃ……」
「だったら、どこへ行こうとしていた?」
アレクシオスはラヨシュの肩に手を伸ばす。
その手が弾かれたのと、ラヨシュが甲高い声で絶叫したのは、ほとんど同時だった。
「それ以上近づくな!! 近づけば……」
言い終わるが早いか、ラヨシュは作業衣の前をはだける。
あらわになった服の裏地に吊るされているのは、陶製の細長い容器だ。
「なにをするつもりだ?」
「見て分からないか。この瓶のなかには爆薬が詰まってる。俺がその気になれば、一斉に起爆する仕組みだ……」
「バカな真似はよせ! そんなことをすれば、貴様も死ぬぞ」
「それ以上近づくなと言った!!」
一喝して、ラヨシュは唇を歪ませる。
奇妙な表情だった。
見ようによっては泣いているようでもあり、笑っているようでもある。
彼にとってはどちらでもあり、どちらでもないのかもしれなかった。
「俺の人生はもう終わりだ。これまで夢のために必死で努力してきたが、望んだものはなにも手に入らなかった。一生懸命やればいつかきっと報われると信じていたのに、結局このザマだ」
「だから無関係な人間まで道連れにしようというのか?」
「そうさ。どうせ死ぬなら、道連れにこの
アレクシオスの顔を見つめたまま、ラヨシュは甲走った笑い声を上げる。
表情と同じく、それは泣き笑いとでも言うべき悲痛な哄笑だった。
周囲の職人たちは蜘蛛の子を散らすみたいに逃げ出している。
直接爆発に巻き込まれる危険はないとはいえ、公園内に火薬が密集していることには変わりない。ラヨシュが自爆したなら、どのみち誰も助からないはずであった。
「俺には何も残っちゃいない。努力も信頼も、すべて裏切られた。いや、なにもかも最初から幻だったんだ。ありもしないものを信じていた俺がバカだった……」
アレクシオスは黒い瞳でラヨシュを見据えると、静かな声で語り始めた。
「貴様にどんな事情があるのかは知らない。だが、これまで努力してきたのは、代償になにかを手に入れるためだったのか?」
「なんだと?」
「技術を悪用したのは許せないが、あれだけ精巧な爆弾を作り上げるのは並大抵のことじゃない。貴様を突き動かしていたのは、欲得や打算などではなかったはずだ。たとえ形あるものはなにも得られなかったとしても、夢にかけた情熱はたしかに残ったはずだろう」
ラヨシュはアレクシオスに反論しようとして、それきり二の句が継げなくなった。
そうだ――自分の原動力は、目に見えるものなどではない。
幼いころに抱いた夢。
『帝国』一の花火職人となって、大勢の人に幸せな夢を見せること。
工房の跡取りの地位や、ペトラへの恋心は、後からついてきたものにすぎない。
たとえ恋に破れ、恩師に失望したとしても。
これまで積み重ねた努力と、血がにじむような修行の末に身につけた職人としての技術は、いまもラヨシュと共にある。
ふらふらと膝を折りそうになったラヨシュは、それでもかろうじて踏みとどまった。
「あんたの言うとおりかもしれないな。だが、そうだとしても、もう手遅れだ。俺にはこうするほかに道はないのさ――――」
涙まじりの声で告げて、ラヨシュは容器の口から伸びた導火線に点火する。
火花が迸った瞬間、アレクシオスの姿は鋼鉄の異形へと変わっていた。
戎装したのだ。
黒い颶風となってラヨシュに飛びかかったアレクシオスは、右手の
刹那、白い光がラヨシュの胸のあたりに走ったかと思うと、導火線は容器に触れるかというところで火ごと断ち切られていた。
そのままラヨシュを押し倒したアレクシオスは、ふたたび人間の姿に戻って宣言する。
「まだなにも終わってなどいない。貴様を逮捕する」
「好きにするがいいさ。時間稼ぎはもう充分だ……」
「なに?」
背後で爆発音が生じたのはまさにその瞬間だった。
とっさに振り向いたアレクシオスの視界に飛び込んできたのは、白煙を吐き出す打ち上げ筒と、天高く上昇していく花火玉だった。
「とびきりの花火を見せてやるよ。俺の最高傑作をな――――」
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