第221話 怨華

「あなたの作る花火、とても素敵だわ」


 朗らかに言って、美しい娘は、煤まみれの少年に微笑みかけた。

 少年がとっさに顔を背けたのは、目鼻がどこにあるかも分からないほど黒く汚れた顔を見られまいとしたのではない。

 玻璃ガラスをはめ込んだような青い瞳に見つめられると、どうしようもなく胸が高鳴る。

 言葉は喉に詰まり、火の近くにいる訳でもないのに汗が吹き出てくる。

 得体のしれない感情を抑え込むためには、心をかき乱すから遠ざかるに如くはない。

 そんな少年の心中を知ってか知らずか、娘は屈託のない笑顔で近づいてくる。


「ねえ、いつか私のために花火を作ってちょうだいな。それも、あなたの最高傑作を……」


 ふいに白磁のような手指に頬を撫ぜられて、少年はどぎまぎと言葉にならぬ呻き声を漏らすことしか出来なかった。

 

「それでね――アエスタス大祭で打ち上げてほしいの」


***


 ラヨシュが帝都随一の花火職人として知られるエルベルト親方の門戸を叩いたのは、いまから十年ほど前のこと。


 当時まだ十二歳になったばかりの東方人の少年は、しかし、花火工房に足を踏み入れることさえ許されなかった。

 どこの馬の骨ともしれないガキを弟子に取れるか――親方は冷たくそう言い放って、ぴしゃりと扉を閉ざしたのである。

 そうして一再ならず門前払いにされても、ラヨシュは諦めなかった。

 地方から家出をしてきた自分にはいまさら帰る家もなく、弟子入りを認めてくれないならここで野垂れ死んでやると、工房の前に居座り続けたのだ。

 最初は無視を決め込んでいた頑固親父も、八日目の晩にはとうとう根負けして、無鉄砲な少年を内弟子として迎え入れたのだった。


 それまでごく平凡な少年にすぎなかったラヨシュの人生は、弟子入りをきっかけにおおきな転機を迎えた。

 最初の五年は火薬に触ることは許されず、親方から命じられる仕事といえば、使いっぱしりや工房内の掃除といった雑用ばかり。

 これまで取った弟子の多くが一年と耐えきれずに逃げ出していった過酷な労働を、ラヨシュは文句も言わずに黙々とこなしていった。


 やがて下積み時代が終わるころには、親方に劣らず偏屈者ぞろいの職人たちも、新入りの小僧に一目置くようになっていた。

 そうしてようやくと認められたラヨシュは、職人見習いとして花火の製造に携わることを許されるようになった。


――花火作りは生命がけだ。遊びじゃねえ。


 エルベルト親方が折に触れて口にするその言葉を、ラヨシュはおのれの座右の銘としてきた。

 時には鉄拳制裁も辞さない親方の厳しい指導も、少年にはむしろ喜ばしかった。たとえ雑用であってもしくじれば殴られる。おなじ拳骨を喰らうのであれば、憧れだった仕事をしているほうがマシだ、と。

 まだ幼いころ、行商人だった父親に連れられて見たアエスタス大祭の打ち上げ花火。

 夜空に咲いたあざやかな光の華は、散りざま、少年の心に鮮烈な印象を焼きつけていった。


――俺もいつかあんな花火を作れるようになりたい。

――俺の作った花火で、誰かを感動させることが出来たなら……。


 それから幾歳月としつき……。

 長年の夢だった花火職人への道を踏み出したラヨシュは、先輩職人が舌を巻くほどの速さで技術を習得していった。

 花火の種類は多岐に渡るが、とりわけ打ち上げ花火は砲弾と大型の発射つつを用いることから、必然的に職人にも軍隊で大砲に関わっていた経験者が多い。筒の管理や整備の要領は軍で使用される攻城砲のそれとさほど変わらず、なにより系統だって火薬の取り扱いを習得出来る組織といえば軍隊のほかには存在しなかったのだ。

 エルベルト親方からして、かつては中央軍の砲熕ほうこう製造工廠に技師として勤務していたのである。

 そんななかで、なんの軍歴も持たないラヨシュが頭角を現したのはまさしく異例といえた。

 生まれ持った天性の稟質ひんしつ以上に、それはたゆまぬ努力の賜物であった。


 やがて二十歳を迎えるころには、ラヨシュは帝都でも知られた花火職人として名を馳せるようになっていた。

 同業者からもエルベルト親方に次ぐ技量の持ち主と認められ、花火製作の依頼は一年じゅう引きも切らなかった。

 広大無辺な『帝国』の領土では、毎月のようにどこかしらで祭りが催されている。打ち上げ花火はそうした祭りの花形であり、腕利きの職人は文字通り休む暇もなく仕事をこなさねばならないのである。

 言うまでもなく工房での労働は過酷であり、数日のあいだぶっつづけで製作に打ち込むことも珍しくはない。

 若いラヨシュはともかく、当時すでに五十歳をいくらか過ぎていた親方は、傍目にも肉体の衰えがあきらかだった。

 

――親方もそろそろ潮時だろう。そのうちラヨシュのやつに家業を継がせるつもりじゃねえか……。


 職人たちはそう口々に囁きあっては、ラヨシュに嫉妬と羨望の入り混じった眼差しを向けたのだった。

 ここで言う家業を継ぐとは、たんに工房の経営を引き継ぐというだけではない。

 エルベルト親方にはペトラという一人娘がいる。

 ラヨシュと同い年の彼女は、街でも評判の美人として知られていた。

 これまで同業者から縁談を持ちかけられたことはあったが、そのたびに親方は丁重に固辞してきたのである。

 なにも娘かわいさから意固地になっていた訳ではない。


――義理の息子として自分の跡目を継がせるからには、たしかな腕を持った職人でなければ……。


 そんな職人としての矜持プライドが、工房の名声欲しさに縁談を申し込んできた生半な職人たちを寄せつけなかったのだ。

 その点、エルベルト親方も認める技術を持つラヨシュであれば、ペトラの相手として何の不足もない。

 とはいえ、まったく問題がない訳ではなかった。

 生粋の西方人であるエルベルトとペトラに対して、ラヨシュは絵に描いたような東方人だった。

 そのうえで痩せっぽっち、おまけに顔面は花火作りの際に負った火傷のせいで蜜柑の表皮みたいにでこぼこというありさまだ。


――いくら花火作りの腕が確かでも、あんな汚らしい奴とお嬢さんは不釣り合いだ。


 口さがない同業者のなかには、聞こえよがしにラヨシュをこき下ろす者も少なくなかった。 

 当のラヨシュはといえば、そんな誹謗中傷の声さえも心地よく感じていた。

 職人として勝ち目がないから容姿を貶しているのだと思えば、聞くに堪えない悪口もしょせん負け犬の遠吠えでしかない。


 ラヨシュは初めて会ったときからペトラに惚れていた。

 まだ職人見習いだった時分から、他の女には目もくれずに彼女だけを思慕し続けたのである。

 尊敬してやまない親方なら、部外者がなんと言おうと、自分と娘さんを夫婦めおとにしてくれる。

 純朴な若者は、そう信じてひたむきに仕事に打ち込んできた。

 その甲斐あって、いまやラヨシュは職人として名を馳せ、恋い焦がれていた相手とも結ばれようとしている。


 努力すればきっと願いは叶う。

 どんな目標でも、最後まで諦めなければ現実になる。

 それが儚い幻想に過ぎないとは、このときのラヨシュは夢にも思わなかった。

 

***


「ペトラはよそに嫁に出すことにした」


 ある日の仕事終わり、エルベルト親方はぽつりと言った。

 その言葉をたしかに耳にしても、ラヨシュは自分の聞き間違いだと信じた。


――お嬢さんをよそに嫁に出すだって?

――バカな。そんなはずはない。

――待ってくれ。じゃあ、この工房はどうなるんだ?


 さまざまな言葉が頭のなかを駆け巡り、思考は千々にかき乱れる。

 呆然と立ち尽くしたままのラヨシュから、親方はいかにもすまなげに目を逸らした。

 そして、わずかな沈黙のあと、訥々と語り始めたのだった。


「どうしても結婚したい相手がいるんだとよ。前々から付き合っていた中央軍の将校だそうだ。まったく、女の子ってのはこれだから……」


 親方の言葉の意味は理解出来る。

 それでも、ラヨシュは、どうしても受け入れることが出来なかった。

 だが、いくら拒んだところで、現実が変わる訳ではない。


「まあ、とにかく、そういうことだ。……ラヨシュ、悪く思わんでくれよ。俺だって、お前さんが本当の息子だったらどんなにいいかと思ってたんだから……」


 滔々と語るエルベルト親方の声には、言葉とは裏腹に、父親としての隠しようもない喜びと安堵とが滲んでいる。

 それも当然だった。

 中央軍の将校ともなれば、よほどのことがないかぎり将来は安泰だ。

 もはや親方が老体に鞭打って働く必要もない。

 火薬の暴発で大怪我を負う危険もなく、孫と戯れながら安穏と余生を送ることが出来る。

 いまラヨシュの目に映っているのは、彼が心底から尊敬してやまなかった職人とは似ても似つかない堕落しきった老人だった。


「この工房を畳むのは名残惜しいがな、娘にどうしてもと頼み込まれちゃ仕方がない。看板を譲ってやることが出来なかったのはすまんと思っているが、お前さんくらい腕がよければ独り立ちしても立派にやっていけるだろう」


 親方の言葉は、もはやラヨシュの耳には届いていなかった。

 ラヨシュはいつものように仕事道具を片付けながら、

 

「さようで――――」


 と、死人のような声で応じるのが精一杯だった。

 

 それから半年の年月が流れた。

 ペトラとの結婚が潰えたあとも、ラヨシュはこれまでどおり仕事に励み続けた。

 工房は先が見えているからといって、けっして手を抜くような真似はしない――。

 同僚の職人たちにそう語った彼の顔は、恋破れた男とは思えぬほど溌剌としていた。

 七月が近づくにつれて、工房はにわかに慌ただしくなった。

 今年は二年ぶりのアエスタス大祭が開催される。

 夏の大祭は帝都じゅうの花火職人が腕前を競い、工夫に工夫を重ねた自慢の花火を大群衆に披露する晴れ舞台でもある。

 ラヨシュは親方と同僚たちが帰ったあともひとり工房に残り、寝食を忘れて製作に没頭した。

 とはいうものの、実際のところ、工房として表に出す花火はとっくに完成している。

 彼が心血を注いだのは、アエスタス大祭の終焉を飾るにふさわしいであった。

 

***


「おい、二つ隣の街区で爆発があったんだとよ。どこかの工房がしくじりやがったのかなあ?」


 背後から話しかけてきた同僚に、ラヨシュは顔だけで振り返る。

 でこぼこつらの職人は、とくに驚いた風もなく、


「そうかもしれないね」


 そう短く答えただけだ。

 二人がいるのは、帝都の中心部に設けられた公園である。

 アエスタス大祭の最終日には、ここから上空へと百発以上の花火が打ち上げられる。

 いま、帝都じゅうから集まった花火職人たちは、祭りの最高潮クライマックスを盛り上げるための最終調整を進めている最中だった。

 彼らに遅れまいと、ふたたび自分の打ち上げ筒の調整にかかったラヨシュに、同僚は訝しげな表情を浮かべる。


「なんだ、驚かねえのかい?」

「いいや……驚いてるよ。みんなが楽しみにしてる二年ぶりの祭りを台無しにされちゃたまらないからね」

 

 いまさら驚くはずもない。

 目星をつけておいた空き家に爆薬を仕掛け、この時間に作動するようにあらかじめ調整しておいたのはほかならぬラヨシュ自身なのだから。

 打ち上げ花火のなかには時間差でいくつもの玉が連続して炸裂するものもある。

 花火職人として技術を極めたラヨシュにとって、精巧な時限装置を作る程度は造作もないことだ。

 事実、砂時計と連動して発火するように設計した時限爆弾は、目論見どおりに起爆した。

 今ごろは騒ぎを聞きつけて大勢の人が通りに出ているはずだ。

 いいや――


「もうじき花火の打ち上げの時間だ。お嬢さんは来てくれているかな」

「ああ、さっき亭主と一緒に親方のところに顔を出していたぜ」

「それはよかった」


 ラヨシュの顔に兆したのは、ひどく穏やかな、それでいて見る者をぞっとさせずにおかない微笑みだった。

 おもわず後じさった同僚には目もくれず、ラヨシュは誰にともなく語りかける。

 

「今度のは俺の最高傑作なんだ。ぜひペトラお嬢さんにも見てもらいたいからね――――」

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