第191話 龍剣覚醒(後編)

「バカな――」


 ジェルベールの口をついて出たのは、純粋な驚嘆の言葉だった。

 黒と銀の騎士は、ぴったりと身体を密着させたまま、石像と化したように微動だにしない。

 龍脊剣パズガノンのプラズマ刃は、アレクシオスの装甲を灼きながら空中に静止している。

 あと数センチでも刀身を押し込んだならば、その瞬間に黒騎士は焼けただれた残骸に成り果てるはずであった。


「レオン、何をしている!! その男を殺せ!!」


 ジェルベールは苛立ったように叫ぶ。

 周囲の兵士たちを竦ませた怒声も、二人の騎士には届かない。

 重い沈黙が地下室を満たした。


「なぜ……」


 ぽつりと呟いたのはレオンだ。


「なぜ、こんなことをするんです――」


 先ほどまでとは打って変わって、消え入りそうな声であった。

 相変わらず一言も発しないアレクシオスにむかって、レオンはなおも切々と語りかける。


「その気になれば、あなたは僕を殺すことも出来た。なのに、なぜ、自分から生命を投げ出すような真似をするんです」


 あの瞬間――。

 アレクシオスは超演算能力によってレオンの挙動を予知し、攻撃に先んじて龍脊剣の柄をすばやく掴み取っていた。

 どれほど強力な武装でも、動作の始点を制すれば恐るるに足らない。

 レオンの攻撃を封じたアレクシオスは、そのまま槍牙カウリオドスの切っ先を急所に打ち込むことも出来たはずであった。

 だが、アレクシオスはあえてそれをせず、攻撃を受け止めるに留めたのだった。

 互いに生命をかけた真剣勝負の最中であるにもかかわらず、みすみす勝機を捨てる。

 不可解といえば、それはあまりに不可解な行動だった。


「答えてください、アレクシオスさん――」


 レオンの再三の求めに応じるように、アレクシオスは顔を上げた。

 無貌の面に音もなく赤光が流れる。


「おれを殺したいなら、好きにするがいい。誰を信じるのもおまえの自由だ」


 レオンは無意識に後じさろうとして、わずかに背中を反らしていた。

 アレクシオスが坦々と口にした言葉は、それほどの衝撃を与えたのだ。


「だが、そのまえに、これだけは言っておく」


 しゅうしゅうと白煙を上げる装甲を気にかける素振りもなく、アレクシオスはなおも続ける。


「おれは――おれたちは、何があろうと仲間を見捨てるような真似はしない。たとえ勝ち目のない相手だろうと、この生命が尽きるまで戦うのが騎士だ。誰かを見殺しにしてまで生きながらえたいと思ったことなど、一度もない」


 語りながら、アレクシオスは戎装を解いていた。

 いかに戎装騎士ストラティオテスといえども、人間の姿では防御力はおおきく低下する。

 すでに少年の手指は焼けただれ、顔や首筋は黒く変色している。

 どこまでも精巧に再現された皮膚は、人間と同じように損傷し、痛みを生じさせるのだ。

 耐えがたいほどの激痛に苛まれているにもかかわらず、まっすぐにレオンを見据えるアレクシオスの顔には苦悶の表情ひとつ浮かんでいない。


「それが戎装騎士として生まれたおれたちの誇りだ。仲間の仇を討ちたいというなら、このままおれを殺せ、レオン」


 レオンはもだしたまま、じっとアレクシオスを見つめている。

 すでに復讐は成ったも同然だ。

 ほんのわずかに力を込めれば、それですべては終わる。

 龍脊剣パズガノンの刀身を覆っていたプラズマ刃がふいに消失したのは次の瞬間だった。

 レオンは蹌踉とした足取りでアレクシオスから離れると、そのままがっくりと膝を折った。


「おなじです……」


 龍脊剣を取り落としたレオンは、いまにも泣き出しそうな声で言った。


「あなたは、僕の仲間たちと同じをしています……」

「レオン……」

「あなたがあの人たちを見殺しにしたはずはない。みんな、自分の生命よりも仲間を守ろうとする人たちだった。あなたと同じだったんです、アレクシオスさん――」


 レオンは床にへたり込んだまま、ぽつりぽつりと言葉を継いでいく。

 その姿は許しを請うているようでもあった。

 戦意を失った二人の騎士の横合いから、甲走った怒号が飛んだ。

 ふだんの冷静さを失ったジェルベールは、感情のままにレオンを怒鳴りつける。


「レオン、何をやっている? 仲間の無念を晴らしたくないのか!?」

「僕はもう戦えません。この人は、僕の敵なんかじゃない」

「戦闘記録は見せたはずだ。その男は貴様の仲間を見殺しにした卑怯者だということを忘れた訳ではあるまいな」


 責め立てるようなジェルベールの言葉に、レオンはかぶりを振る。


「僕は記録ではなく、アレクシオスさんの言葉を信じます」

「そいつは口から出まかせを言って丸め込もうとしているにすぎん。何の証拠もない言葉を信じるなど……」

「証拠なら、あります」


 レオンは龍脊剣を掴むと、するどい剣尖をジェルベールに向ける。


「アレクシオスさんは、自分の生命を危険に晒してまで僕と向き合おうとしてくれた。勝てる戦いをみすみす捨ててまで、僕に真実を伝えようとしてくれた。その覚悟がなによりの証拠です。この人を信じる理由には、それだけで十分だ」


 レオンの叫びに合わせて、ジェルベールと兵士たちを睨めつけるみたいに緑色の閃光が迸る。

 ジェルベールが目を見開いたのもつかの間のことだ。

 怒りに歪んだ唇から漏れたのは、心底からの失望が込められた嘆息であった。

 

「しょせんバケモノはバケモノ――ということか」

「何を……?」

「貴様などに期待した私が愚かだった。肝心の場面でつまらん感情に流されるとは、使えないクズめ。おかげで計画を修正しなければならなくなった」


 ジェルベールが右手を掲げるのと、地下室に兵士たちがなだれ込んできたのは、ほとんど同時だった。

 重装備に身を固めた五十人あまりの兵士たちは、全員が鉄火箭を携えている。

 なかには数人がかりで運搬する対要塞用の大口径砲も見える。

 もっとも、仮に砲弾が至近距離で直撃したところで、戎装騎士には痛痒もない。彼らの装甲に有効打を与えうる火器は、この時代どこにも存在しないのだ。

 

「そんなものでおれたちを倒せると思っているのか?」


 呆れたように言ったアレクシオスに、ジェルベールは酷薄な微笑を向ける。


「もちろん、これしきの飛び道具で騎士を倒せるとは思っていない。貴様らには、ここで休んでもらうまでだよ」

「何をするつもりだ?」

「言ったとおりの意味だとも。誤解が解けたところで、仲良く土の下で眠るがいい――やれ‼」

 

 ジェルベールが合図するが早いか、轟音が立て続けに響きわたった。

 兵士たちが一斉に鉄火箭を発射したのだ。

 狙点が結ばれたのは、アレクシオスとレオンの身体ではない。

 対要塞砲を含むすべての照準は彼らの直上――地下室の天井に向けられている。

 火薬の炸裂によって天井を破壊し、アレクシオスとレオンを生き埋めにしようというのだ。

 たとえ生き埋めになったとしても、騎士が死に至ることはない。

 ジェルベールはそれも承知のうえで、二人の騎士をここで足止めしようというのである。

 はたして、猛烈な砲火を浴びた天井は、あっけなく崩れ去った。

 おびただしい量の土砂が地下室へと降り注ぎ、アレクシオスとレオンの姿を一瞬のうちに覆い隠す。

 いかに戎装騎士といえども、大質量の土砂に圧し潰されては、容易に脱出することは出来ないはずだった。

 

「最悪の事態に備えて兵を待機させておいて正解だったな。まったく、余計な手間をかけさせてくれる……」


 くるりと踵を返したジェルベールは、そのままの姿勢で硬直した。

 いかに冷静沈着な軍人でも、聴こえるはずのない声を耳にすれば、自分の意志とは無関係にそうならざるをえない。

 ジェルベールの耳朶を打ったのは、まぎれもなくアレクシオスの声であった。


「最悪の事態とは、こういう事態のことか?」


 ジェルベールの目の前に立っているのは、たったいま土砂に呑み込まれたはずの黒と銀の騎士であった。

 灯火を照り返して輝く装甲には、土埃ひとつ付着していない。


「な、なぜだ……貴様らは確かに土砂の下敷きに……」

「さっきの戦いを見ていなかったのか?」

「なんだと――」


 言いさして、ジェルベールは愕然と目を見開いた。

 レオンの龍脊剣は、超高温のプラズマ刃によってあらゆる物体を焼灼する。

 むろん、流体である土砂も例外ではない。

 土砂に呑まれる瞬間、レオンは龍脊剣を振るって活路を開き、アレクシオスとともに辛くも難を逃れたのだった。

 

「アレクシオスさん、僕は……僕は……」

「何も言うな、レオン」


 心底からすまなげに呟いたレオンに、アレクシオスはあくまでそっけなく答える。

 突き放すようなその声色には、隠しようのない温かさと信頼が宿っている。


「話はこいつらを片付けてからだ。おまえも皇帝陛下の騎士なら、いまやるべきことは分かっているはずだ」

「はい‼ よろしくお願いします、アレクシオスさん‼」

「いい返事だ」


 二人の戎装騎士とは対照的に、ジェルベールはすっかり血の気を失っている。

 冷酷な参謀の頭脳からは、あらゆる策が尻に帆をかけて逃げ去っていったようだった。

 怖気を払い、精一杯の威厳を込めたつもりの声は、滑稽なほどに震えていた。


「な、何をしている……‼ 撃ち方はじめ‼」


 上官の命令に、兵士たちは戸惑いながら鉄火箭を構える。

 自分たちを照準した無数の銃口を前にしても、アレクシオスとレオンは悠然と佇立したままだ。

 

「撃てっ‼ バケモノどもを殺せ‼」

「さっきから聞いていれば、ずいぶんと好き勝手なことを言ってくれる。なあ、レオン?」

「黙れっ‼ 忌まわしい鉄のバケモノめ、それ以上近づくな‼」

「そんなちんけな武器で怪物おれたちを殺せるかどうか……」


 黒と銀の騎士は、どちらともなく攻撃の態勢に移っていた。

 前方に突き出した槍と剣から放たれるのは、刃を思わせる凄絶な鬼気だ。

 戦いを前に早くも気死したようなジェルベールと兵士たちの目交で、あざやかな赤と緑の光芒がまたたいた。


「――――試してみるか、人間」

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