第190話 龍剣覚醒(前編)

 凄まじい戦気が空間を圧した。

 一時いっときは沈静化したかに思われた場の雰囲気は、ふたたび戦場のそれへと戻っている。

 白銀色しろがねいろの装甲を輝かせるのは、一瞬に咲いて散る雷火の花々。

 空気を灼く青白い閃光スパークは、数億ボルトにも達する超高圧電流の証だ。人間がうかつに触れたならば、たちまちに血肉が爆発し、苦しむゆとりもなく即死するはずであった。

 全身に火花の衣をまとったレオンは、アレクシオスにむかってゆっくりと一歩を踏み出す。


「やめろ、レオン!!」


 アレクシオスの必死の叫びは、少年の耳に届いたかどうか。

 黒と銀の騎士の間合いは徐々に狭まっていく。

 ひりつくような緊張は熄むどころか、近づくほどに刃の鋭さを帯びていくようであった。


「その男の話を信じるな。奴はおまえを騙し、おれたちと戦わせようとしているのが分からないのか!?」

「アレクシオスさん――あなたが本当のことを言っているという証拠がどこにあるんです」

「なにを言っている……!?」


 レオンの声には悲しげな響きがあった。

 無貌の面を緑色の光が渡っていく。その軌跡は、滂沱と流れる涙を思わせた。


「僕もあなたの話を信じたかった。けれど、あなたの話を裏付けるものは何もない。あの日ヴラフォス城にいたというのは、あなたがそう言っているだけかもしれない」

「それは……」

「僕はあの日の戦いに関する記録をこの目で見ました。そこには、あなたの名前がたしかにあった……」


 二人を見つめているジェルベールの口辺にかすかな笑みが浮かんだ。

 むろん、レオンが見たという記録は捏造されたものだ。

 辺境軍の高級指揮官として事務方に携わってきたジェルベールは、資料の改竄は言うに及ばず、存在しない戦闘記録をまったくの無から作り出すこともたやすくやってのける。

 そうして作り上げた虚偽の記録を用いてレオンを焚きつけ、意のままに使嗾しそうしたのは、ひとえにアレクシオスを葬り去るためだ。

 アレクシオスが騎士庁ストラテギオンに所属する戎装騎士ストラティオテスたちの中心であり、部隊の指揮統率を担っていることは、北方辺境を経つまえに調べがついている。

 先の戦役における戎狄バルバロイの撃破数が乏しいことで最下級の騎士と蔑まれていたのは、すでに過去の話だ。

 皇帝配下の騎士たちの要であり、ヘラクレイオスを倒した実力の持ち主。

 あくまで強敵と認識しているからこそ、ジェルベールは周到な策を弄してまでアレクシオスを陥れ、抹殺を目論んだのである。

 ここで首尾よくアレクシオスを殺すことが出来たならば、指揮官を失った残りの騎士たちはセラスとテルクシオペーが順当に始末するだろう。

 いまのところ、事態はジェルベールの思惑通りに進んでいる。

 

「もうあなたと話すことは何もありません。終わりです、アレクシオスさん……」


 言って、レオンは両手を背中に回す。

 レオンの手指は、ちょうどうなじのあたりに当てられている。

 何をしようというのか?

 不可解な行動の意味はすぐに知れた。

 小気味よい音を立てながら、首の装甲が左右に割れたのである。

 刹那、レオンの掌に飛び込んできたのは、であった。

 レオンが掌を力強く握り込むと同時に、背中の装甲がおおきく展開し、背骨は縛めから解き放たれていく。

 やがて白銀の騎士の掌中に現れたのは、一振りの剣だ。

 頸骨を柄、両肩を鍔、そして臀部までの背骨を刀身とする異形の剣であった。


 人間の脊椎とは異なり、戎装騎士にとって背骨はたんなる装甲材にすぎない。神経や造血細胞といった生命維持に不可欠な機能は備わっておらず、仮に背骨が折れたところで運動機能に影響はない。

 それでも、背骨が最も堅牢な部位であることには違いなく、剛性の多くを依存していることも事実である。

 言うなれば、船にとっての龍骨キールにも比すべき部位なのだ。

 レオンはみずからの背骨を取り外し、つるぎとして用いようというのか。

 

「よせ、レオン――」

「もう言葉は必要ないでしょう。僕は本気です。あなたもそのつもりで戦ってください」


 レオンはアレクシオスにむかって剣尖を突きつける。


「さもなくば、死ぬことになります」


 もともと背骨の一部だった剣は、細かい節状の構造を持っている。

 刀身は手首のスナップに合わせてしなり、節ごとに可動するさまは剣というより鞭に近い。

 剣の破壊力に資するのは、刃のするどさだけではない。金属の高剛性と重量があって、はじめて剣は十全の威力を発揮するのだ。

 いまレオンが手にしている剣を見れば、重量はともかく、剛性が決定的に不足している。

 このようなありさまでは、まともな威力など期待出来るはずもない。

 まして、地上のいかなる金属よりも頑強な戎装騎士の装甲を切り裂くなど、絶対に不可能であるはずだった。

 

「……覚悟してください、アレクシオスさん」


 言い終わるが早いか、レオンの両腕がにわかに光を放ちはじめた。

 発電器官ジェネレーターが作動したのだ。

 またたくまに肘下を覆いつくした電流は、手指から大剣へと淀みなく伝導していく。

 大剣に変化が生じたのと、アレクシオスが無意識に飛び退いたのは、ほとんど同時だった。

 切っ先まで電流を帯びた大剣は、数秒前までとは全く異なる形状を取っていた。

 いまや全長はレオンの身の丈よりも伸長し、剣そのものが二回りも巨大化したようにみえる。

 刀身を覆うようにプラズマ刃が形成され、地下室の空気を容赦なく焼灼している。柄から噴き出す炎は、桁外れの熱量を持て余しているのだ。

 まばゆい光を放つ大剣を前にして、アレクシオスは金縛りに遭ったみたいに身動きが取れなくなっていた。


 龍脊剣パズガノン――。

 これこそ戎装騎士レオンがもつ最大にして最強の武器。

 ふだんは背骨の一部と同化している剣は、外部から電力を供給されることで起動し、戦闘形態へと変形へんぎょうする。

 レオンの両腕に備わる発電器官は、もともとこの武器を駆動ドライブするための電源にほかならない。

 龍脊剣は、ひとたび起動すれば、本体のエネルギーが払底するまで停止することはない。

 柄から流し込まれた大電流は、剣が生み出す力場フィールドによってプラズマ刃へと再形成される。そうして凝縮された刃の温度は最大一億度にも達し、触れただけであらゆる物質を破壊する。もし力場によるプラズマの封じ込めが行われなければ、地下室にいるジェルベールや中央軍の兵士たちは龍脊剣が起動した瞬間に焼死していたはずであった。

 いかに戎装騎士といえども、その刃を受ければひとたまりもない。装甲は瞬時に蒸発し、かすめただけで四肢はたやすく溶断されるだろう。

 オルフェウスの”破断の掌”に匹敵する破壊力を秘めたおそるべき武装。

 殺意に充ちたその剣尖は、アレクシオスただひとりに向けられている。


「おおっ!!」


 裂帛の雄叫びとともに、レオンは烈しく床を蹴っていた。

 青から赤へとめまぐるしく色彩いろを変えるプラズマが、白銀の装甲をあざやかに染めていく。

 アレクシオスめがけて繰り出されたのは、大上段からの唐竹割りだ。

 まともに受ければ為す術もなく両断される。 

 すべてを破壊する刃を前にしては、一切の防御は自殺行為と同義だった。

 アレクシオスはわずかに身体を右に傾がせ、刃の軌道から逃れようとする。

 はたして、プラズマの刃は虚空を斬った。

 アレクシオスの装甲表面は巨大な熱量によって炭化しているものの、致命傷にはほど遠い。

 まさしく一髪の差。

 わずかでも計算が狂っていたならば、黒騎士の身体は二つに断ち割られていたはずであった。


 騎士ストラティオテス同士の戦いは、寸秒の停滞もなく展開する。

 九死に一生を得たことを喜べば、その瞬間に明暗が分かれるのだ。

 アレクシオスは転倒するような格好で床に手を突くと、レオンめがけてするどい蹴撃を見舞う。

 一瞬の隙を逃さぬ巧みな技は、幾多の強敵との戦いを経験してきたアレクシオスならではのものだ。

 プラズマ刃に触れるかどうかのきわを狙った一撃は、しかし、レオンにダメージを与えるには至らなかった。

 レオンは振り下ろしたプラズマ刃をそのまま床に叩きつけ、爆発を生じさせたのだ。

 あくまで小規模な爆発に留まったとはいえ、押し寄せた爆風と破片は、戦いの仕切り直しを強いるには充分だった。

 

 もうもうと立ち込める白煙のなかで、黒と銀の騎士はふたたび真っ向から対峙する。


 アレクシオスは両腕の槍牙カウリオドスを。

 レオンは龍脊剣パズガノンを。


 それぞれ相手に向けたまま、どちらも身じろぎもしない。

 敵の出方を窺っているのだ。

 先手の有利を取るか、あるいはあえて後の先を狙うか。

 互いの生命をかけた死闘の只中にあって、ひとつの選択が生死を左右する。

 みずからの選択が誤りであったことを理解するのは、決着がついた後なのだ。


 わずかな沈黙のあと、先に動いたのはレオンだ。

 まとわりつく白煙を引っ切って白銀の騎士が疾駆する。

 自分の身体を龍脊剣よりも前に押し出しているのは、刃の間合いを悟らせないため。

 踏み込みの瞬間、アレクシオスめがけて横薙ぎの一閃を叩き込もうというのだ。

 地下室の天井は低く、上方に逃げ場はない。

 水平方向から襲いくる斬撃を躱す手立てはないはずだった。

 

 レオンにわずかに遅れて、アレクシオスも動き出していた。

 二人の騎士を隔てていたわずかな距離は、一秒と経たぬうちに消滅した。

 レオンとアレクシオスの踏み込みはほとんど同時だった。

 次の瞬間、耳を聾する轟音が地下室を領した。

 熱と衝撃が水面の波紋のように周囲に広がっていく。


 おもわず床に伏せたジェルベールと部下たちは、おそるおそる顔を上げる。

 やがて白煙が晴れたとき、彼らの目に映ったのは、信じがたい光景だった。

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