第189話 復讐と真実

 まばゆい緑光が闇を灼いた。

 白銀しろがねの装甲に鎧われた少年は、その場で身体を反転させた。

 広壮な空間に硬質の金属同士がすれあう澄んだ音が反響する。


「何のつもりだ、レオン? それに、ここは……」


 アレクシオスの問いかけには答えず、レオンはなおも間合いを詰める。

 手を伸ばせば触れられそうなほどの距離に近づいたところで、レオンははたと足を止めた。


「アレクシオスさん。あなたにどうしても訊きたいことがあったんです」

「おれに……?」

「そのためには、あなたと二人きりになる必要があった。通路が狭いというのは、そのための方便です――」


 先刻までとは打って変わって、レオンの声には剣呑なものが見え隠れしている。

 アレクシオスはいつでも動けるように身構えながら、レオンをまっすぐに見据える。


「嘘をついてまでおれに訊きたいこととは、いったい何だ?」


 二人のあいだを重苦しい沈黙が支配した。

 それも一時いっときのことだ。

 ややあって、レオンの無貌の面をふたたび緑光が流れていった。


「アレクシオスさん――あなたは、僕の仲間を見殺しにしたのですか」

「何の話をしている?」

「僕の仲間はひとり残らずヘラクレイオスに殺された。それは以前お話したはずです」

「知っている。しかし、おれが見殺しにしたとは、どういうことだ……?」

「あなたもその戦場にいた――そして、僕の仲間が殺されるのを、何もせずに傍観していた。おなじ騎士でありながら、あなたはヘラクレイオスと戦おうともしなかった……」


 レオンの声には、静かな怒気がみなぎっている。

 白銀の装甲から放たれる気迫に押し出されるみたいに、アレクシオスはわずかに後じさっていた。


「落ち着け、レオン。誰に吹き込まれたか知らないが、おれはおまえの仲間が殺された場には居合わせていなかった」

「とぼけないでください。あの日、あなたたちが帝都を離れ、極秘の任務についていたことは分かっています」

「それは――」


 言い返そうとして、アレクシオスは言葉に詰まる。

 レオンが言う極秘の任務とは、ヴラフォス城の反乱鎮圧のために出動した一件を指しているのだろう。

 ルシウスの皇帝即位の裏で起こった城塞占拠事件を解決するため、戎装騎士ストラティオテスたちは勅命によって帝都を離れていたのである。

 『帝国』の影の部署である騎士庁ストラテギオンの活動は、公的な記録には残らない。

 当然、騎士たちが出動したことは秘中の秘とされ、関係者には厳しい箝口令が敷かれている。

 むろん、それは当事者であるアレクシオスたちも例外ではない。

 ひそかにヴラフォス城に潜入し、反乱の首謀者であるアザリドゥスを捕縛したことは、あの場にいたひと握りの人間しか知り得ないことであった。

 任務の内容を独断で口外することは、現在いまも許されていないのだ。


「なぜ黙っているんですか。違うというなら、堂々とそう言えばいい。それとも、隠さなければいけない理由があるのですか」

「待て、レオン!!」

が真相を教えてくれました。あなたたちは、僕の仲間が殺されていくのをただ眺めていた。ヘラクレイオスを倒すほどの力がありながら、どうして助けてくれなかったんです。あなたやオルフェウスさんが加勢してくれれば、仲間たちは死なずに済んだかもしれない――」


 ふいに周囲の闇が薄れていった。

 レオンの両手首から青白い火花が噴き出しているのだ。

 高圧電力の毒蛇は、アレクシオスめがけて解き放たれる瞬間をいまや遅しと待ちわびている。


「僕はどうしてもあなたを許せない。仲間たちを殺したヘラクレイオスと同じくらい、あなたが憎い。戦場で卑劣なふるまいをしたあなたには、然るべき罰を受けてもらいます」


 血を吐くような声でレオンは言葉を継いでいく。

 その身体は、いつのまにか糸のような電流に覆われつつある。

 発電器官の許容量を超過オーバーロードした電流は、少年の激情を表しているようでもあった。


「アレクシオスさん――僕があなたを倒します」


***


 暗闇を裂いて電閃が迸った。

 その渦中で黒と銀の双影が交錯する。

 ともに異形の騎士へと変形へんぎょうを遂げたアレクシオスとレオンは、王宮地下の一室を舞台に激しい戦いを繰り広げている。

 二騎の動きは、昨日の手合わせとはあきらかに様相を異にしている。

 レオンの攻撃には明確な殺意が宿り、その鋭さと精確さは以前の比ではない。

 アレクシオスは槍牙カウリオドスを展開してはいるものの、紙一重のところでレオンの攻めを捌くのが精一杯というありさまだった。


(まずい――) 


 アレクシオスは飛び退きつつ、ちらと上方を見やる。

 地下室の天井は、手を伸ばせば触れられそうなほど低い。

 ここでは、アレクシオスの最大の武器である両脚の推進器スラスターは使えない。

 三次元的な動きを封じられたまま戦う不利は、当のアレクシオスが誰よりもよく理解している。どれほどすばやく動いたところで、平面上の挙動は容易に見切られてしまう。まして、あいてがおなじ戎装騎士ストラティオテスとなればなおさらだった。


「いい加減にまともに戦ったらどうです。そうやってヘラクレイオスからも逃げ回っていたんですか」


 レオンの声には、隠しようのない苛立ちがこもっている。


「聞け、レオン!! いまはこんなことをしている場合じゃない!!」

「この期に及んでまだそんなことを――」

「おまえは騙されている。落ち着いておれの話を聞け!!」

「問答無用です!!」


 叫ぶが早いか、暗闇に白銀の帯が流れた。

 あまりにもすばやい動作のために、一連の動作が残像となって視覚器センサーに認識されたのだ。

 アレクシオスは、ほとんど無意識のうちに右に飛んでいた。

 轟音とともに床が爆ぜ飛んだのは次の瞬間だ。

 一秒でも回避が遅れていたなら、アレクシオスは致命的なダメージを被っていただろう。

 あたりに漂う独特のにおいは、攻撃によって生じた電流の凄まじさを物語っている。

 本来絶縁体である大気はあまりの高圧電力に耐えきれず、その際にイオン化した酸素と窒素がにおいを生じさせているのである。


 呼吸も休息も必要としない戎装騎士同士の戦いは、ひとたび始まれば決着がつくまで中断することはない。

 アレクシオスに体勢を立て直す暇を与えず、レオンは間髪をいれずに猛攻をかける。

 かろうじて直撃こそ免れているものの、漆黒の装甲には電撃による損傷が幾条も刻まれている。

 まともに受ければ装甲はたちどころに溶解し、甚大なダメージは避けられない。


「やはりあなたは卑怯者だ!! なぜ僕と戦おうとしない!!」

「おれにはおまえと戦う理由がないからだ。目を覚ませ、レオン‼」

「あなたにはなくとも、僕にはある――」


 アレクシオスはだんと床を蹴ったかと思うと、レオンの懐に飛び込んでいった。

 白光を散らして二振りの槍牙が閃く。

 レオンはすかさず電撃を放とうとして、それが叶わないことを知る。

 槍牙の軌道は、前腕の発電器官をわずかに逸れ、レオンの肘のあたりを横薙ぎに薙ぎ払っていた。

 真芯を捉えたなら、確実に両腕の機能を破壊していたはずの一撃。

 当たりが浅いことは、アレクシオスにも分かっていた。

 それで何の問題もない。

 ほんの一瞬、激昂した少年をたじろがせるだけで充分なのだ。


「ぐっ――」


 レオンがバランスを崩した一瞬を、アレクシオスは見逃さなかった。

 するどい膝蹴りを繰り出し、レオンを仰向けに転倒させる。

 そのまま馬乗りになったアレクシオスは、槍牙の切っ先をレオンの胸に突きつける。


「それ以上動くな!!」

「ま、まだ……僕は戦える……」

「おまえの負けだ、レオン。これ以上手荒な真似はさせるな」


 アレクシオスは叱りつけるように言って、


「言え。おれがおまえの仲間を見殺しにしたなどと、いったい誰に吹き込まれた?」

「あなたに教える筋合いはない……」

「エルゼリウスの一派だな。奴らはおまえを自分たちの手駒として操ろうとしている。そのために、ありもしない嘘をでっち上げたんだ」

「なぜそう言えるんです……!!」

「おまえの仲間がヘラクレイオスと戦っていたとき、おれたちはまったく別の場所にいたからだ」


 組み伏せられたまま、声にならぬ唸り声を上げるレオンに、アレクシオスはなおも語りかける。


「皇帝陛下が即位される直前、ヴラフォス城で反乱が起こった。辺境軍の将軍アザリドゥスが部下を扇動し、城を占拠したんだ。おれたちは、反乱を鎮圧するために帝都を離れていた」

「そんな話を僕が信じると……」

「ラグナイオスたちがヘラクレイオスに殺されたことを知ったのは、ヴラフォス城の事件が解決したあとだ。最初の戦いには、おれたちは間に合わなかった」

「それなら……なぜ最初からそう言わなかったんです……!?」

「おれたちの存在はおおやけには出来ないからだ。ヴラフォス城の件に関わっていたことも、本来ならおれの一存では絶対に口外してはならないことだ。だが、どれほど重要な機密でも、皇帝陛下の御身には代えられん……」

 

 アレクシオスは苦りきった声で答える。

 この状況を打開するためにはやむを得ないとはいえ、機密を漏洩させたことにはちがいないのだ。

 

「レオン、目を覚ませ‼ エルゼリウスの操り人形にされていることにまだ気付かないのか?!」

「アレクシオスさん……僕は……」

「いまならまだ間に合う。おまえも騎士なら、皇帝陛下をお救いするために力を貸せ‼」


 足音が聞こえたのはその時だった。

 地下室の奥から複数の気配が近づいてくる。

 闇に班々と浮かんだ淡い光は、灯具の仄明りだろう。

 ほどなくしてアレクシオスとレオンの前に姿を現したのは、二十人ばかりの兵士たちだった。

 ずらりと整列した中央軍の軍服のなかに、ひとりだけ混じった辺境軍の軍服は、いやがうえにも目を引く。

 意外なことに、辺境軍の上位に位置づけられているはずの中央軍の兵士たちは、彼の指揮下にあるらしい。


「……まさかその男の言葉を信じるつもりではないだろうな、レオン」


 辺境軍の軍服を身につけた男は、レオンに顔を向けると、至って穏やかな語調で語りかけた。


「あの日の真実は教えたはずだ。その男は手柄欲しさに味方を見殺しにした裏切り者。仲間の仇だということを忘れたのか?」

「貴様がレオンにありもしないことを吹き込んだのか?!」

「口の利き方に気をつけろ、皇帝の飼い犬。私の名はジェルベール。エルゼリウス閣下の副官であり、レオンの監督者でもある」


 ジェルベールはアレクシオスを一瞥すると、唇に酷薄な笑みを浮かべた。


「レオン、忘れるな。仲間がどれほど無残な死を遂げたか。そのあいだ、その男は何もせずに身を隠していたのだ。我が身可愛さに戦いもせず、仲間の犠牲と引き換えに得た教訓でヘラクレイオスを倒した……」

「奴の言葉に耳を貸すな、レオン‼」

「ヴラフォス城がどうのと言っていたが、あの戦いに戎装騎士が参戦していたなどという記録はどこにも存在しない。つまり、いくらでも捏造出来るということだ。違うか、アレクシオス?」

「貴様ッ……‼」


 二の句を継ぐまえに、アレクシオスの身体は床に転がっていた。

 むろん、みずからの意思でそうした訳ではない。

 レオンの全身を駆け巡った超高圧電流に弾かれたのだ。

 まともに電流を浴びずに済んだのは、危機を察知した身体がひとりでに動いたためだ。

 とっさに姿勢を立て直したアレクシオスの視界に、こちらにむかってゆっくりと近づいてくるレオンの姿が映った。

 美しい白銀の装甲は炎を照り返し、あかあかと輝いている。

 地獄の業火を思わせるその色は、少年の心を焼く殺意の色にほかならなかった。

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