第188話 銀牙閃く

「レオン、おまえ、なぜここに――」


 問いかけようとして、アレクシオスはそこで言葉を切った。

 昨日ラフィカの語ったところによれば、レオンもエルゼリウスの護衛として帝都にやってきたのである。

 エルゼリウスが皇帝に反旗を翻したのであれば、彼の指揮下にある戎装騎士ストラティオテスも、謀反に加わっている可能性は否定出来ない。

 現にアグライアはみずからの身体の一部を切り離し、騎士庁ストラテギオンに届けさせることで、王宮の変事を知らせたほどなのだ。

 皇帝直属の騎士であるタレイアとアグライアは、どちらも並の騎士を寄せつけない実力を持っている。

 まだ倒されたと決まった訳ではないとはいえ、その二騎を下すほどの騎士が敵方についているとすれば、事態は予想以上に深刻であるはずだった。

 アレクシオスがレオンに詰め寄ろうとしたそのとき、


「誰? こいつ?」


 緊張感に欠けた声で問うたのはイセリアだ。


「昨日話しただろう。おまえたちが留守にしているあいだに訪ねてきた騎士だ」

「それじゃ、こいつも敵ってこと!?」

「早とちりするな。まだそうと決まった訳じゃない。とにかく、おまえたちは余計なことをするなよ!!」


 そんなアレクシオスとイセリアの会話を耳にして、レオンはふっと相好を崩す。


「安心してください。僕は敵ではありません――アレクシオスさん以外の方々には、はじめてお目にかかります。僕の名はレオン。皆さんとおなじ戎装騎士ストラティオテスです」


 言って、少年騎士はぺこりと頭を下げる。


「じつは、帝城宮バシレイオンで起こった異変を皆さんに知らせに来たんです――」

「エルゼリウスが皇帝陛下にそむいたのだろう」

「もうご存知だったとは、さすがです」


 ほんの一瞬、レオンの面上を驚愕の色が渡っていった。

 ふたたび平静を取り戻した少年は、アレクシオスたちに真剣なまなざしを向ける。


「僕は持ち場を離れ、そのまま城を脱出しました。皆さんのところに行けば、きっと力になってくれると思って……」

「しかし、どうやって城を抜け出た? まさか強行突破してきたのか?」

「ある人が秘密の抜け道を教えてくれたんです。おかげで、なんとか城の外に出ることが出来ました」


 それだけ言うと、レオンはさっと踵を返していた。


「これから皆さんをご案内します。僕と一緒についてきていただけますか?」


 歩き出そうとしたその背中に、イセリアが棘のある声を投げた。


「ちょっと待ちなさいよ。あんた、そんなこと言ってあたしたちを罠に嵌めるつもりじゃないの?」

「いまの話では信じてもらえませんか……?」

「悪いけど、いきなり現れて信用しろなんてほうが無理よ。それに、あんたはエルゼリウスと一緒に帝都に来たんでしょ。敵の一味だと思うのが当然じゃない。違うって言うのなら、証拠を見せてみなさい」

「分かりました――」


 レオンがやおら懐から取り出したのは、奇妙な物体だった。

 透き通った琥珀色アンバーの装甲がきらきらと陽光を照り返す。

 しなやかな五指を備えたそれは、まぎれもなく戎装騎士の右手首であった。

 おもわず息を呑んだ一同にむかって、レオンは坦々と語りかける。


「秘密の抜け道に入る直前、と戦闘になりました。これはそのとき切り落としたものです」

「その騎士はどうなった?」

「途中で逃げられてしまいました。とにかく、これで僕が敵でないという証は立てられたはずです。これでもまだ信用してもらえませんか?」


 なおも怪訝そうな視線を向けるイセリアに、アレクシオスはちらと目配せをする。


「イセリア、もう充分だろう。レオンはおれたちを騙すような奴じゃない。それは昨日手合わせをしたおれが一番よく分かっている」

「で、でも……」

「それに、ここでいつまでも押し問答をしていても埒が開かん。いまは一刻を争う状況だということを忘れるな」


 アレクシオスに諭され、イセリアもようやく納得したようだった。

 むろん、アレクシオスも罠である可能性は捨てきれないと思っている。

 いずれにせよ、遅疑逡巡していたずらに時を過ごすことは、この状況における最悪の選択なのだ。

 帝城宮バシレイオンで窮地にある皇帝ルシウスの下へと馳せ参じること。

 それこそが目下のところアレクシオスたちにとっての最優先事項であり、それ以外のあらゆることは些事にすぎないのだ。

 たとえ罠が仕掛けられているにせよ、何もせずに立ち止まっているよりはよほどいい。


「案内してくれるか、レオン」


 アレクシオスの言葉に、少年は力強く肯っていた。


***


 墨を塗り込んだような闇が視界を埋めていた。

 太陽の光から隔絶された、灯りひとつない真正の闇。

 その静寂を引き裂いて、複数の足音が響きわたる。

 七人の騎士は、いつ終わるともしれない長大な地下道を猛然と駆け抜けていく。

 彼らのすぐれた視覚器センサーは、闇中にあっていささかも機能を損なうことなく、昼日中と変わらない視界を提供している。


 すこし前――。

 レオンの先導に従って進むうちに、アレクシオスたちは官庁街の外れに足を踏み入れていた。

 無個性な建物がずらりと立ち並ぶ一角である。

 各省庁が日々生み出す膨大な量の公文書類を保管するために建設された倉庫街だ。

 しばらく歩き続けたところで、レオンはふと足を止めた。


――この内部なかです。


 そう言って少年が指さしたのは、ひときわ古ぼけた倉庫だった。

 怪訝そうに見つめる騎士たちの前で、軋りを立てながら扉が開け放たれた。

 その奥に隠されていたのは、だ。

 レオンは懐から鍵を取り出すと、慣れた手付きで扉を解錠してみせる。

 第二の扉を抜けた一行を待ち受けていたのは、地下へと降っていく階段であった。


「帝都の地下に下水道が張り巡らされているのは知っていたが、まさかこんな隠し通路があったとはな――」


 休みなく足を動かしながら、アレクシオスはぽつりと呟いた。

 先頭を行くレオンは振り返ることなく、声だけで応える。


「もともとは皇帝陛下やそのご家族が脱出するための通路として作られたそうです。今回は間に合いませんでしたが、おかげで僕は無事に城から抜け出すことが出来ました」

「しかし、おまえが脱出したことが敵に知られているなら、出口で待ち伏せされている可能性もあるな」

「それは実際に出てみなければ分かりません……。皆さん、充分に注意してください」


 駆け続けるうちに、凝縮されていた闇がふいに拡散した。

 通路は前触れもなく途切れ、周囲の空間は半球ドーム状に広がっている。

 

「この先で道は二手に別れています。一方は帝城宮バシレイオンの中庭、そして、もう一方は王宮内へと繋がっています」


 ぬばたまの闇の中で、レオンは二つの方向を指し示す。

 人間にはたんなる闇としか見えない空間を見透かして、騎士たちは二つの出口をはっきりと視認しているのだ。

 アレクシオスはしばらく腕を組んだまま思案に耽っていたが、やがて顔を上げると、仲間たちに視線を巡らせる。


「全員で固まって行動すれば、敵に気取られる恐れもある。ここから先は二手に分かれて動いたほうがいいだろう。一方が敵に見つかっても、残ったもう一方が皇帝陛下の元へ向かえばいい」

「僕もそれがいいと思います。ですが……」

「何だ、レオン?」

「僕が使った王宮側の通路はかなり狭く、一人ずつしか通れない箇所もあります。そこで、アレクシオスさんと僕が王宮、他の皆さんは中庭に出る通路を使うというのはどうでしょう? 二人なら、狭い通路も問題なく通り抜けられるはずです」


 首肯しかかったアレクシオスの前に、イセリアの手がぬっと伸びた。

 二人の前に立ちふさがるように仁王立ちになったイセリアは、語気強くレオンににじり寄る。


「待ちなさい。なんであんたとアレクシオスが一緒なのよ?」

「僕たちの使命は敵と戦うことではなく、皇帝陛下を無事に救出することです。この部隊の指揮官であるアレクシオスさんには、より玉座の間に近いほうに来てもらうのが最善と思いました」

「それはまあ、そうかもしれないけど……」


 おもわず言い淀んだイセリアに、アレクシオスが横合いから声をかける。


「おれもレオンの意見に賛成だ。ここからはおれたち二人で別行動を取るのが最善だろう」

「アレクシオスまで!! もし敵が待ち伏せしてたらどうするのよ!?」

「そのときはそのときだ。イセリア、おれの代わりに皆の指揮を執れ。頼んだぞ」

「頼んだぞって、いきなりそんなこと言われたって――」

「こんなことを頼めるのはおまえだけだ」


 言って、アレクシオスは一同をちらと見やる。

 オルフェウスとエウフロシュネー、レヴィとラケルは、無言で首を縦に振る。

 実際はオルフェウス以外の三人はイセリアに指揮権を委ねることに不安を抱いていたのだが、この逼迫した状況で本音をうかうかと口にすることは、いかにも場違いな行動に思われたのだった。

 統率力はともかく、イセリアが騎士として一流の実力を持っていることは三人とも認めているということもある。

 それに、良くも悪くもはっきりと物を言う性格は、なるほど指揮官向きではあるだろう。


「決まりだな。戦闘は出来るかぎり避け、つねに皇帝陛下の御身を最優先に動くことだ。分かったな、イセリア?」


 釘を刺すように言ったアレクシオスに、イセリアはいかにも不服そうに頷いてみせる。

 二手に分かれた騎士たちは、それぞれ闇の奥へと駆け出していった。


***


 レオンとともに通路を駆け続けていたアレクシオスは、しばらくして奇妙な空間に出た。

 天井こそ低いものの、室内はかなりの広さがある。

 この先の通路は狭くなっている――ほんのすこしまえ、確かにレオンはそう言ったはずであった。

 いま二人の前に現れた空間は、その真逆だ。

 それとも、どこかで進むべき道を間違えたとでもいうのか。


「レオン、ここは……?」


 アレクシオスは、無意識に伸ばした手を引っ込めていた。

 というよりは、見えざる結界によって弾かれたというべきだろう。

 刹那、二人の騎士のあいだに白い火花が激しく散った。


「――――!!」


 いまアレクシオスの前に立つのは、あどけなさを残した紅顔の少年騎士ではない。

 無骨な白銀しろがねの装甲をまとった戎装騎士ストラティオテスであった。

 その無貌の面を、冷たい緑色の閃光が駆け巡った。

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