第187話 獅子ふたたび

「お、おば、おばけ……」


 尻餅をついたイセリアは、震える声で呟いた。

 半ばまで開いた玄関の扉から覗くのは、包帯に巻かれた手であった。

 ぎい、と軋りを立てて扉が全開する。

 はたして、まろび出るように玄関に入ってきたのは、全身を隙間なく包帯に覆われた奇怪な人物であった。


「来るなーっ!! 一歩でもあたしに近づいたらブッ殺すわよ!!」


 半狂乱になったイセリアは、恥も外聞もなく喚き立てる。

 動く死体リビング・デッドは、古くから伝わる定番の怪談話である。

 無念の死を遂げた男が、夜ごと墓地から這い出ては街を徘徊し、若い女を襲ってはその血肉をらう……。

 かつて帝都を震撼させた狂医師たちのおぞましい人体実験も、そんな怪談を隠れ蓑としていたのだ。

 しかし、その種の怪物が出没するのは真夜中と相場が決まっている。

 それが昼日向から姿を見せたとは、どういうことなのか。


「さっきからドタバタと、いったい何の騒ぎだ――」


 物音を聞きつけてやってきたアレクシオスは、その場で硬直した。

 包帯男のあまりに異様な風体を目の当たりにして、少年は無意識に後じさる。


「イセリア!! なんだ、こいつは!?」

「あたしに聞かないでよ!! 聞きたいのはこっちのほうなんだから――」


 アレクシオスは包帯男に顔を向けると、


「貴様、いったい何者だ?」


 きびしい声で誰何する。

 三人のあいだにわずかな沈黙が流れた。


「た、たぬ……!!」


 包帯男が発したのは、ひどく聞き取りにくい言葉だった。

 口元を覆った布に遮られて語尾はかすれ、ほとんど消えかけている。


「たぬ~?」

「たぬき……なじぇ……」

「タヌキ? 何を言ってるんだ、こいつ――」


 怪訝そうな視線を向けるアレクシオスとイセリアの前で、包帯男は顔を覆っていた包帯を外してみせる。

 はらりと白い布が床に落ちた。

 あらわになった顔を認めて、声にならぬ声を漏らしたのはイセリアだ。

 青アザと腫れでだいぶ人相が変わってはいるものの、その顔貌は昨日のいけ好かない青年貴族のそれとほぼ合致した。


「あんた、昨日のナンパ男じゃない!! スフォなんとかとかいう……」

「知っているのか、イセリア?」

「べつに知り合いってほどじゃないけど。あたしをタヌキに似てるとかどうとか言ったから、ちょっと痛い目に遭わせてやったの。まだしぶとく生きてたなんて悪運だけは強いみたいだけど、今度こそあの世に送ってほしいのかしら?」


 イセリアはスフォルツェスコ四世の前で拳を打ち合わせると、ボキボキと指を鳴らしてみせる。

 すっかり怯えきった様子のスフォルツェスコは、それでも必死に何かを訴えようとしているようであった。


「ち、ちが……ちがふ……!!」

「何が違うのよ!? こっちはあんたのせいであの店を出入り禁止になったのよ。だいたい相手にされなかったのにしつこく追いかけてくるなんて、ホント最低。あんたみたいなのは一度死んで反省するといいわ」

「し、しろ……こうていへいひゃ……」

「はぁ~?」


 問答無用と拳を振り上げたイセリアを、アレクシオスが制する。


「ちょっと待て。いま皇帝陛下と言わなかったか?」


 スフォルツェスコはぶんぶんと首を縦に振る。

 アレクシオスは肩を掴んで無理やり起立させると、容疑者を尋問するような口調で問いただす。


「詳しい話を聞かせろ。皇帝陛下が、何だ?」

「へいひゃ……むほん……」

「陛下……謀反? いま、謀反と言ったのか!?」


 ふたたび頷いたスフォルツェスコは、「む」と「う」が入り混じった呻き声を上げた。

 アレクシオスが両肩を激しく揺さぶったのだ。


「言え!! 帝城宮バシレイオンで何があった!? おまえ、たしかに謀反と言ったんだな!?」

「ひゃ、やめひえぇぇ……ころしゃないれええ……」

「もっとはっきりしゃべれ!! ……待て、こいつ、歯が全部折れてるのか。イセリア、なぜ手加減しなかった!! やりすぎだぞ」

「あたしに言わないでよ!!」


 イセリアとアレクシオスのあいだで、スフォルツェスコは糸の切れた人形みたいに宙ぶらりんになっている。

 と、廊下をぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえた。


「どうしたの?」


 声をかけたのはエウフロシュネーだ。


「さっきから騒いでるみたいだから、様子を見に来たんだよ。……ところで、その人だれ?」


 救いの神が現れたとばかりにエウフロシュネーに手を伸ばしたスフォルツェスコの背後で、ごとりと重い音が生じた。

 玄関の外で何かが倒れたのだ。

 スフォルツェスコの真横をすり抜け、すばやく扉の隙間に身をすべり込ませたエウフロシュネーは、


「お姉ちゃん――」


 心底からの驚きの声を上げた。

 扉の外で倒れていたのは、黄金色に輝く細長い物体であった。

 剣とも杖とも見えるそれを手に取ったエウフロシュネーは、信じがたいものを見るような面持ちで立ち尽くしている。


「どういうことだ、エウフロシュネー」

「これ、アグライアお姉ちゃんの身体の一部……」

「なんでそんなものがここにあんのよ?」

「そんなの私だって知らないけど、きっとお城で何かあったんだよ」


 イセリアは両目を閉じてしばらく考え込んだあと、薄く片目を開いた。


「つまり、アグライアは身体の一部を切り離して、こいつに騎士庁ここまで運ばせたってこと?」

「たぶん……」

「じゃあ、いまごろ本人は――」


 三人の騎士は示し合わせたみたいに顔を見合わせていた。


「アグライアとタレイアの身に何かあった。こんな方法で外部に知らせてきたほどだ。よほど差し迫った事態が起こったと考えるべきだろう」

「ど、どうしよう? お姉ちゃんたちが……」

「落ち着け、エウフロシュネー。まだ二人とも倒されたと決まった訳じゃない」


 アレクシオスはちらとスフォルツェスコを見やる。


「おまえはそのことを知らせに来たんだな?」


 コクコクと首が外れそうな勢いで肯んずるスフォルツェスコには目もくれず、アレクシオスはイセリアとエウフロシュネーを伴って建物の奥へと引き返していた。


「でも謀反って、いったい誰が……」

「エルゼリウスだろうな。そんなことをしでかしそうな人間は、奴しか考えられん」

「皇帝陛下のそばにはタレイアとアグライアがついてるはずでしょ。あの二人にかぎって、そう簡単にやられるとは思えないけど」

「おそらく奴が連れてきたという戎装騎士ストラティオテスの仕業だ。まだやられたと決まった訳じゃないが、おれたちに助けを求めるような状況に追い込まれたのはまちがいないだろう」


 アレクシオスは部屋に入るなり、全員にすばやく視線を巡らせた。

 オルフェウスとレヴィ、ラケル、そしてヴィサリオンも、ただならぬ事態が出来しゅったいしたことを察したようであった。


帝城宮バシレイオンで変事があった。詳しいことは分からないが、皇帝陛下の御身が危ない」

「本当ですか、アレクシオス!?」

「ヴィサリオン、出動を許可してくれるな。事態は一刻を争う」

「それはもちろん――」


 アレクシオスは無言で首肯すると、その場で身体を翻す。

 官庁街から帝城宮まではかなり離れているが、騎士の脚力なら十分とかからずに到着出来る。

 飛行能力を持つエウフロシュネーであれば、さらに短縮することが可能だ。

 部屋を出しな、アレクシオスは何かを思い出したみたいにヴィサリオンのほうを振り返った。

 

「ヴィサリオン、玄関に倒れている男を頼む」

「それは構いませんが……」

「皇帝陛下の危機を知らせてくれた奴だ。放っておくのも忍びないからな。医者に診せてやってくれ」


 言って、アレクシオスはまっすぐに裏口へと向かう。

 イセリアの「あんなヤツ、そのへんで野垂れ死にさせとけばいいのに」というぼやきには答えず、騎士たちは裏庭に出た。

 建物の陰に隠れた手狭な空間である。

 戎装したとしても、ここならば人目につく気遣いはまずない。

 

 ふいに草を踏む乾いた音が聞こえた。

 

「おまえは……」


 誰何しようとして、アレクシオスは息を呑んだ。

 数メートルと離れていない場所に立っているのは、見知った顔だ。

 昨日、前触れもなく騎士庁ストラテギオンを訪ね、アレクシオスとの手合わせを願い出た少年騎士――レオンであった。

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