第131話 光と闇のあいだで

「四つのうち三つまでが成功――初めてにしてはなかなか上出来じゃないか」


 いかにも満足げに言ったあと、ナギドはくっくと笑声を漏らした。

 屈託のない笑いは心からの歓喜を示しているようで、どこか皮肉のようでもある。あるいは、その両方であるのかもしれなかった。

 目深にかぶったフードに遮られ、どのような表情かおをしているかは杳として窺えない。

 指導者の座としてはあまりに質素な木の椅子に身体を預けたナギドは、ひとり合点がいったというように何度か頷いたあと、


「この調子で続けよう。一度や二度の襲撃では『帝国くに』の屋台骨は小揺るぎもしないだろうけど、それでいい。小さなヒビは、やがて大きな亀裂になる――」


 それだけ言って、周囲を見渡すように視線を巡らせる。

 四方を石壁に囲われた広壮な空間であった。

 そこかしこに残る荒々しい素掘りの痕跡から、もともと石切場か鉱山であったらしい。

 窓はどこにもなく、壁にかかった燭台の灯がうっすらと室内を照らしている。

 いま、ナギドの椅子を取り囲むように立つ影は六つ。

 目を凝らすまでもなく、六つの影が二つの集団に分かれていることはたやすく知れる。

 一方はヘラクレイオス、エリス、カドライ、アイリスの四騎士。

 そして、もう一方は、アルサリールとベイドウであった。

 ナギドはその両方を一瞥したあと、両手を大きく広げて全員に語りかける。


「さて……今後の計画はすでに君たちに伝えたとおりだ。それぞれの務めを果たしてくれることを期待しているよ」


 了解の言葉より早く返ってきたのは、敵意に満ちた舌打ちの音であった。

 ヘラクレイオスを除いた全員の視線が一点に集中する。金髪の青年は物怖じする素振りも見せず、それどころか、受けて立つとでも言うように大股で進み出る。


「そのまえにひとつ、テメェに聞きたいことがある」


 カドライはナギドに顎を向けると、いかにも苛立たしげな様子で言葉を重ねていく。


「あの野郎――アレクシオスをいつまで生かしておくつもりだ?」

「彼を生け捕りにしていることが不服かい?」

「当たり前だ。あのクソ野郎には借りがある。出来るならこの俺の手でいますぐブチ殺してやりたいくらいだぜ」

「おやおや……それはまた、ずいぶんと物騒だねえ」


 ナギドは飄々と言うと、カドライにむかって大げさに首を傾げてみせる。

 芝居がかった挙措は、どこか相手を小馬鹿にしているようでさえある。


「だけど、彼を助けたのは君たちの仲間だろう?」

「それがどうした。だいたい、奴がここに来てもう何日経ったと思ってるんだ。必要な情報を聞き出したなら生かしておく理由はないだろうが!」

「彼はああ見えてなかなか口が堅くてね。僕もほとほと手を焼いているんだよ」

「だったら、俺やエリスの姐御に奴を尋問させればいい。野郎のハラワタごと知ってることを洗いざらいぶちまけさせてやる。それとも、俺たちには任せられない理由でもあるのか?」


 言い終わるが早いか、カドライはナギドの胸ぐらを掴まんばかりににじり寄る。

 すかさず飛び出そうとしたベイドウとアルサリールを片手で制しながら、


「――だめだね」


 ナギドはとくに慌てた風もなく、あくまで平然と言い放ったのだった。


「なぜだ!? テメェ、まさか俺たちに何か隠しているんじゃねえだろうな!!」

「僕はなにも隠してなどいないさ。ただ、彼にはまだ使い道があるというだけだよ」

「なに?」

「殺してしまうのはいつでも出来る。それよりも、せっかく僕らの手元に彼という駒が転がり込んできたんだ。せいぜい有効に活用するほうが利口だと思わないかい?」


 カドライが何かを言うよりも早く、ナギドの身体は滑るように椅子を離れていた。

 そして、そのままカドライの傍らを通り抜けると、居並ぶ騎士たちのなかでも頭抜けて大柄な一人の前で立ち止まった。


「君もそう思うだろう? ヘラクレイオス――」


***


 闇と静寂とが岩窟を満たしていた。


 時おり、どこからか滴った水が岩を打つ音が響く。永遠に続くような単調な時間のなかで、それは変化と呼べる唯一のものであった。

 意識を取り戻してからというもの、アレクシオスは暗闇のなかでじっと息を潜めている。

 脱出しようにも、岩壁は四肢をくわえこんで離さず、アレクシオスの膂力ではどうすることも出来ない。戎装したところで状況が変わる訳でもない。

 アレクシオスを拘束から解き放つことが出来るのは、ヘラクレイオスを置いてほかにはないはずだった。


 もしこのままヘラクレイオスが姿を見せなければ、アレクシオスは世界の終わりまで岩窟の奥で過ごすことになる。

 人間のように飢えと渇きのために死ぬことも出来ず、発狂することも出来ないまま、ずっと。

 それを裏付けるように、孤独な闇の底においても、騎士ストラティオテスの体内時計は正確に時を刻み続けている。

 外の世界ではすこしまえに夜明けを迎えているはずだ。地上のあまねく存在に等しく降り注ぐ陽光は、しかし、アレクシオスを照らすことはない。この世のことわりの外に追いやられてしまったような錯覚に囚われるのも当然だった。


――イセリアとエウフロシュネー、それにオルフェウスは……。

――ヴィサリオンや皇帝陛下は……。

――『帝国』、は……。


 考えるほど、そのすべてが果てしなく遠ざかっていくようだった。

 もし天佑に恵まれてこの場を脱出出来たとしても、そのとき外の世界はどうなっているのか。

 愛する人々も、守るべき祖国くにも、なにもかもが失われているのではないか。

 あのとき、ナギド・ミシュメレトは、アレクシオスの面前で『帝国』を跡形もなく破壊すると宣言した。

 ヘラクレイオスがなぜそのような企てに力を貸しているのかは見当もつかない。

 理由はどうあれ、最強の騎士の力をもってすれば、人間が築き上げてきた世界を滅ぼすことは不可能ではないはずだ。

 かつて戎狄バルバロイから世界を救ったその拳が、人間の歴史に終止符を打つことになろうとは。

 ヘラクレイオスがそれを望んでいるなら、もはや他の何者にも止める術はない。最強の力を持つということは、世界を思いのままに変える権利を持つということでもあるのだ。たとえその先にあるのが破滅であったとしても。


 アレクシオスは残酷な想像から逃れるように瞼を閉ざす。

 むろん、いくら瞑目したところで、いったん精神こころを蝕んだ妄念はそう簡単に振り切れるものではない。

 それどころか、暗暗と広がる意識の海には、荒涼たる世界で茫然と立ち尽くす自分おのれの姿がはっきりと描き出されていく。

 身体の奥底からこみ上げる衝動に身を任せ、声を枯らして叫びたくなる。

 無理だと分かっていても、四肢の拘束を引きちぎり、ここから飛び出したくなる。

 それが出来たなら、アレクシオスは迷わずヘラクレイオスに戦いを挑むつもりだった。


 もちろん、勝ち目がないことなど最初から承知の上だ。

 アレクシオスが恐れているのは、戦いに敗れることでも、殺されることでもない。

 真に恐ろしいのは、戦うべきときに戦うことも出来ず、自分一人が生きながらえてしまうことだ。

 みずからの生命に代えてもこの世界と人間を守る――――。

 それこそが騎士ストラティオテスの使命であり、絶対の存在意義であるはずだった。

 その役目を全う出来なければ、自分は何のためにこの世に生を受けたのか。

 鉄の化け物と罵られながら、それでも人間のために戦ってきたこれまでの人生は、いったい何だったというのか。

 力尽きるその瞬間まで戦い抜き、誇りをもって死ぬこと――。

 騎士として悔いのない最期を迎えるためには、それ以外の道はないはずだった。

 

 と、アレクシオスはほとんど反射的に天井へと目を向ける。

 そのあたりで石と石が擦れる音が生じたためだ。騎士の聴覚でなければとても聞き取れない、ごくちいさな音であった。

 闇に閉ざされた岩窟に一条の光が差し込んだのは、次の瞬間だった。

 騎士にとって、暗闇はなんら視覚を妨げるものではない。視覚器がわずかな光量を増幅し、どんな状況でも鮮明な視界を確保するためだ。

 それでも、久しぶりに目に飛び込んできた自然の光が格別であることに変わりはない。

 一度は隅々まで照らし出されたかのようにみえた岩窟は、ふたたび暗闇に閉ざされていった。

 不審に思ったアレクシオスがめいっぱい首を伸ばしたのと、巨大な体躯が岩窟内に降り立ったのは、ほとんど同時だった。


「ヘラクレイオス――――」


 アレクシオスの声は不思議なほど落ち着いていた。

 あまりにも驚愕の度合いが大きいとき、人はかえって淡白な反応を示すものだ。

 今しがたまで岩窟を埋めていた闇とおなじ濃褐色の肌が近づいてくる。戎装していなくても、並外れた巨体が醸し出す威圧感と迫力はいささかも目減りしていない。


「……おれを殺しに来たのか?」


 ヘラクレイオスは答えなかった。

 アレクシオスは返答がないことなどお構いなしに、なおも一方的にまくしたてる。


「殺すつもりなら、好きにしろ。おれは命乞いをするつもりはない。貴様らに一矢報いないまま死ぬのは不本意だが、騎士としての誇りを捨てるくらいなら、殺されたほうがずっとマシだ!!」


 ヘラクレイオスはやはり無言のまま歩を進める。

 毛髪のない無骨な頭は、いまやアレクシオスの目と鼻の先にまで近づいている。

 アレクシオスの背筋を冷たいものが走り抜けていく。腹の底から耐えがたいほどの恐怖がこみ上げてくる。必死に抑え込もうにも、無意識の反応まではどうすることも出来ない。

 ヘラクレイオスの拳が肩の高さまで上がった。

 アレクシオスは唇を噛み締め、怖気を振るって眼前の巨漢を睨めつける。

 次の刹那、巨拳はアレクシオスの顔を素通りしていった。太くたくましい五指はふたたび大きく開かれ、背後の岩壁を力強く掴み取っている。


「なにを――」


 返答の代わりとでも言うように、ヘラクレイオスは腕を引いた。

 一瞬の間をおいて、アレクシオスがどれほどあがいてもびくともしなかった岩壁は、まるで熟れた果実の皮みたいにあっさりと剥がれ落ちていった。

 あっけにとられたように見つめるアレクシオスをよそに、ヘラクレイオスは淡々とおなじ動作を繰り返し、残る手足を解き放っていく。

 すべての拘束を解かれ、ほとんど転がるように地面に落ちたアレクシオスは、狐につままれたみたいな面持ちでヘラクレイオスを見上げる。

 つい先ほどまで胸を焦がしていた戦意はすっかり鳴りをひそめ、かわりに疑問が次から次へと浮かんでくる。

 それも当然だ。他ならぬ自分自身の手で拘束した相手を、今度は理由も明かさないまま解放するとは、あまりにも不可解な行動であった。


「なんのつもりだ? なぜおれを解放した!?」


 ヘラクレイオスはすでに背を向けて歩き出している。

 敵の前に無防備な背中を晒す。大胆と言えばあまりに大胆だ。

 アレクシオスがいままで見てきたどの騎士よりも大きな背中は、不意打ちなどまるで恐れていないようであった。

 やれるものならやってみろ――。

 傲慢なまでの自信はヘラクレイオスの全身に漲り、見えない鎧となって巨体を覆っている。

 無謀にも挑みかかったならば、文字通り鎧袖一触となることは明らかだった。


 身動きを取れずにいるアレクシオスにようやく気づいたのか。

 数歩ばかり進んだところで、ヘラクレイオスはふいに立ち止まった。

 ほとんど筋肉に埋没したような太く逞しい首をゆっくりと巡らせ、顔の半分だけをアレクシオスに向ける。


「……出ろ」


 言葉の端々に有無を言わさぬ気迫を込めて、地上最強の騎士はひとりごとみたいに呟いたのだった。

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