第108話 虎穴へ

 同じ頃――

 辺境軍本営の帷幄テントの内には異様な雰囲気が充溢していた。

 軍服を着込んだ男が十五人ばかり、作戦指揮用のテーブル越しにむくつけき顔を突き合わせている。

 軍服を飾る肩章や佩剣から、男たちが高級将校であることはひと目で分かる。

 なにより、彼らは一人の例外もなく西方人であった。

 いずれの顔にも疲労の色が濃い。誰もが目の下にどす黒い隈をつくり、伸び放題の無精髭が頬といわず顎といわず生い茂っている。

 もう何日もろくに着替えていないためか、汗と体臭が入り混じった独特の臭気を放っている。それが十数人分も混じり合っているのだから、離れていても目が痛くなるほどだ。

 普通の人間なら、帷幄に一歩足を踏み入れた瞬間に逃げ出したくなるにちがいない。

 そんななかにあって、末席にこじんまりと座った青年は、将校たちに較べるとあきらかに浮いていた。

 一人だけ軍服を着用していないというだけではない。

 女と見紛うような色白の細面に、軍人のそれとは正反対の華奢な身体つき。

 洗いざらした衣服は質素だが、将校たちのような不潔さは微塵も感じられない。

 つまるところ、青年を形作る何もかもが、およそ戦場には似つかわしくないもので占められているのだった。

 いかにも繊弱な青年がぽつねんと屈強な軍人たちに混じっている図は、猛獣の檻に放り込まれた小動物を思わせた。

「……おい」

 将校の一人が苛立たしげに言った。

 射竦めるような鋭い視線を青年に向けている。

 おかしなことを口にしたら、その場で喰い殺してやるとでも言わんばかりであった。

「貴様が連れてきたあの連中――本当に役に立つんだろうな?」

「それは……」

 青年は一拍置いてから、ゆっくりと言葉を継いでいく。

「保証します。彼らは、何があろうと自らに課せられた務めを果たしてくれるでしょう」

「口ではどうとでも言える」

 侮蔑を隠そうともせず言ったのは、別の将校だった。

「貴様は知るまい。我々がこの一月ひとつき、帝都からの増援をどれほど待ちわびていたか。それがどうだ? 約束された三万の兵士と攻城兵器の代わりに送られてきたのが、あんな年端も行かないガキどもと、貴様みたいな生白なまっちろい文官崩れとは、笑わせてくれる!!」

 言うなり、将校は拳をテーブルに叩きつける。

 荒事に慣れている軍人にとってはどうということもないが、そうでない者は生命の危険さえ感じるはずだ。将校の狙いもそこにある。暴力で脅しあげ、優位に立とうというのだ。

 そんな将校の意図に反して、青年はわずかも物怖じしていないようだった。

 吹けば飛ぶような柔弱な風貌の割に、なかなかどうして胆は据わっているらしい。

「いま、帝都では新帝陛下の即位式典が挙行されている最中です。陛下の警護のためにも中央軍から三万の兵を割く訳にはいかないのです。その点は、先ほど皆さんにご説明したとおりです」

 青年は立ち上がると、居並ぶ将校たちにぐるりと視線を巡らせる。

「なにより、彼らは三万の兵士に匹敵する――いいえ、それ以上の力を持っています。どうか彼らを信じてあげて下さい。おそらく今日じゅうにも決着はつくはずです」

「そう言われては、なおさら信じられん」

「と、申されますと――」

「ヴラフォス城は我々が十万の兵力で二月ふたつき攻め続けても陥落おちなかったのだ。攻撃はことごとく失敗し、すでに我が方は三割ちかい兵を失っている。その城塞をたった四人で、しかも一日でどうこう出来るはずがなかろう!!」

「それが出来るからこそ、彼らはここに送られてきたのです」

 青年はあくまで落ち着き払った態度で応じる。

 文官風情と見下していた将校たちも、ここに至ってわずかに態度を変えたようであった。

「皇帝陛下は最も犠牲の少ない形での決着を望んでおられます」

「貴様らならばそれが出来ると?」

「はい――ヴラフォス城に立て篭もる兵士はおよそ二万三千あまり。正攻法で城を攻め落とそうとすれば、こちらも十万以上の兵力が必要となります。アザリドゥス将軍が籠城軍の指揮を執っている以上、たとえ攻略が成功するにせよ、こちらも相当の犠牲を覚悟せねばなりません。しかし……」

「言葉に気をつけろ。”元”将軍だ。奴はすでに一切の官職を剥奪されている」

「……裏を返せば、籠城軍がここまで善戦しているのも、アザリドゥス”元”将軍ひとりの手腕によるところが大きいということです。彼の卓越した指揮がなければ、いかにヴラフォス城が難攻不落でも、ここまでの長丁場に持ち込まれることはなかったはずです。そうですね?」

 青年に問われて、将校たちは一様に口をつぐんだ。

 敵を褒めそやす屈辱には耐えられないが、かといって事実を否定することも出来ない。それゆえの沈黙であった。

 戦場におけるアザリドゥスの指揮は実にあざやかだった。

 籠城側には三倍の利があるとはいえ、それ以上の兵数で絶えまなく攻め上げてくる敵を各個撃破に追い込み、ことごとく退けたのは、アザリドゥスの才覚の賜物だ。

 もっとも、将校たちが口を閉ざしたのは、たんに敵であるというだけではない。

「城塞には豊富な物資が備蓄されているとはいえ、救援の見込めない籠城戦はゆるやかな自殺も同然です。兵士たちの戦意を鼓舞し、のは、アザリドゥス元将軍がいればこそ。もし彼を捕縛することが出来れば、籠城はそこで終わりです。城内の兵士たちは降伏し、敵味方ともに最も犠牲の少ないかたちで決着させることが出来るでしょう」

「本当に出来るのか? そんなことが?」

「普通の兵士にはまずもって不可能でしょう。城内に忍び込むにしても、危険が多すぎる。アザリドゥス元将軍のところまで辿り着ける可能性はかぎりなく低い。ですが……」

 将校たちは固唾をのんで青年を見つめている。

 その言葉を片言隻句も聞き逃すまいとしているのだ。

 つい先ほどまで彼らを覆っていた小馬鹿にしきった雰囲気はどこにもない。いまや座の中心は、末席の青年へと移っている。

「彼らは不可能を可能にする――それが戎装騎士ストラティオテスです」

 ヴィサリオンは将校たちを見据え、はっきりとそう断言した。


***


 ひんやりとした薄闇に美しい足音が混じった。

 亜麻色の髪の少女は、時おり周囲を見回しながら、注意深く前進する。

 オルフェウスは、ヴラフォス城の地下――正確には、山をくり抜いたその内部にいた。

 地下道の行き止まりで待ち構えていた三十人からの射手をたちまちに打ち倒したアレクシオスとオルフェウスは、二手に分かれて城内へと潜入を果たしたのだった。

 アレクシオスは城の上部、オルフェウスは城の地下へと、それぞれ単身向かっている。

 二人が別行動を取ったのにはむろん理由がある。

 アザリドゥスが城塞のどこにいるか判然としないためだ。

 ヴラフォス城には二つの指揮所が備えられている。

 すなわち、城の最上部に設けられた八重の楼閣と、地下の待避壕である。

 戦場全域を見渡すことが出来る楼閣と、城塞において最強の防備を誇る待避壕。

 常識的に考えれば、どこよりも安全な待避壕にいると考えるべきだろう。

 とはいえ、高所のため地上からの砲撃が届かず、狙撃を受ける心配もない以上、楼閣も安全性という面では大差ないのも事実だった。

 アザリドゥスがどちらに身を置いていたとしても不自然ではない。

 時間の猶予はさほどない。長引けばそれだけ敵に気づかれやすくなり、犠牲を最小限に留めるという当初の方針にも影響する。

 早々に決着をつけねばならない以上、どちらか一方は確実にアザリドゥスの下に辿り着く必要がある。

 オルフェウスが地下を受け持ったのは、より確実にアザリドゥスを捕らえるためだ。

 地下の分厚い岩盤も、オルフェウスの”破断の掌”の前ではなんの障害にもなりえない。

 アザリドゥスがどれほど堅牢な防御陣地を構築していたとしても、一切の防御を無に帰す紅騎士を止めることは不可能なのだ。

 別れ際、アレクシオスが口にした言葉をもう一度思い出す。

――もし危ないと思ったら無理はするな。

 そう言ったあと、少年はついとオルフェウスに背を向けて、

――かならずおれが助けに行く。だから、それまでは何とかしろ。

 まるで独り言みたいに呟き、そのまま走り去っていったのだった。

 オルフェウスも自分の能力の限界は知悉している。”破断の掌”も、神速の移動能力も、考えなく用いればみずからを窮地に陥れる諸刃の剣なのだ。

 だからこそ、いままでは誰かがつねにそばにいた。力を使い果たして倒れても、無防備な自分を守ってくれる誰かが。

 しかし、いまはアレクシオスもイセリアもいない。

 オルフェウスはただひとりで任務を遂行しなければならない。

――出来るだろうか。

 ふと考えて、美貌の少女は打ち消すように首を横にふる。

――きっと大丈夫。

 アレクシオスが信じてこの仕事を任せてくれたのだから。

 あの少年が信じてくれた自分なら、上手くやれる。自分自身のことは分からなくても、不思議とそう思えるのだった。

 薄闇に金の髪を流して、少女は闇の底へと進んでいった。


***


「ぐあ――」

 踏み潰されたカエルみたいな声を漏らして、兵士はがくりとうなだれた。

 死んではいない。ただ気絶しただけだ。

 数時間もすればふたたび意識を取り戻す。その頃にはすべてが終わっているだろう。

 アレクシオスは兵士を人目につかない場所に隠すと、そろそろと通路を進んでいく。

 大部分の兵士が戦闘配置に就いているためだろう。城塞内を巡回する歩哨はさほど多くはない。

 アレクシオスはその多くをやり過ごしてきたが、それでも強行突破しなければならない場面に出くわすこともある。

 そういった場合は、一撃を喰らわせて気絶させたあと、手足を縛り上げて物陰に押し込めていく。幸いと言うべきか、今のところまだ一人の兵士も殺めてはいない。

 反乱軍に与しているとはいえ、もともとは辺境軍の兵士だ。

 アレクシオスも傭兵やごろつきであれば容赦しないが、兵士には可能なかぎり手心を加えたいと思っていた。反乱軍の幹部はアザリドゥスに共鳴して『帝国』に反旗を翻したにせよ、末端の兵士まで反乱に積極的に参加したかは怪しいものだ。

 たとえ内心でどう思っていても、兵士はそうそう上官の命令に逆らえるものではない。

 それをよく知るからこそ、アレクシオスも可能なかぎり穏便な手段を用いているのだ。むろん、前触れもなく鳩尾に拳を叩き込まれる兵士たちの苦しみは言語を絶するだろうが、生命を失うよりはずっとましだ。

 ずうん――と地鳴りみたいな音が響いた。

 大砲が発射されたのだ。

 胸壁に設置された大口径砲の衝撃は、遠く離れても伝わってくる。

 床が軋み、ぱらぱらと壁や天井から漆喰の粉が降る。それを手で払い除けながら、

「あの二人もしっかり囮役をやっているようだな」

 アレクシオスは当然だというように呟いた。

 イセリアとエウフロシュネーが外で敵の目を引きつけ、そのあいだにアザリドゥスを捕縛する――それが作戦の手筈だった。

 待ち伏せに遭ったことは想定外だったが、ここまですんなり侵入出来たことを考えれば、いまのところ作戦は順調に進行していると言ってよかろう。

――あまり派手にやりすぎていなければいいが。

 アレクシオスの懸念はそこだった。

 イセリアの膂力を以ってすれば、城門を破壊して城塞内に攻め込むことも出来る。

 飛行能力をもつエウフロシュネーなら、城壁を飛び越えることも容易だろう。

 数千数万の兵士を相手取ったとしても、二人の騎士ストラティオテスは赤子の手をひねるように圧勝するにちがいない。

 それでは駄目なのだ。

 犠牲を最小限に留めてヴラフォス城を解放するという目的を達成するためには、派手な戦闘は極力避けねばならない。敵との大立ち回りを演じるなど言語道断だった。

 囮役は暴れてくれればいい。

 隠密に長けたエウフロシュネーをあえて囮に回したのは、イセリアを抑え込んでくれることを期待したからだ。出撃する直前、ヴィサリオンにそのように勧めたのはアレクシオスである。当然イセリアは猛反発したが、もう決まったことと押し切ったのだった。

 どうやらイセリアとエウフロシュネーを組ませたのは正解だったらしい。

 アレクシオスは安堵しつつ、楼閣へと急ぐ。

 ヴラフォス城の地上施設は、ほとんどが兵士の待機所か物資倉庫、あるいは望楼といった監視設備によって占められている。

 食料庫や弾薬庫、兵舎といった重要施設はことごとく地下に格納されているためだ。たとえ全山を包囲され、攻城兵器の激越な攻撃に晒されたとしても、城塞そのものの機能は無傷のまま残っている。

 全滅を覚悟で戦えば、その状態でも数カ月は持ちこたえられるはずであった。

 巡回する兵士の目を盗み、アレクシオスは建物から建物へと音もなく移動する。

 そうして用心深く進み続けること十分あまり。ようやく楼閣の基部がみえてきた。

 アレクシオスは通用口らしき扉を見つけると、息を潜めて近づく。

 ほんのわずかに開いた隙間から、ちらと内部を伺う。

 案に相違せず、武器を携えた兵士たちの姿が目に入った。

 建物内を巡回する兵士の数も、ここまでの道中に較べると格段に多い。

 とはいえ、城塞の指揮所にしては護衛がいささか少ないようにもみえる。

――まさか、か?

 いずれにせよ、実際に確かめてみないことにはなんとも判断しかねる。

 アレクシオスはいったん楼閣を離れ、やや離れた場所にぽつねんと佇む小屋に忍び足で近づいていく。

 厠だ。ちょうど兵士が一人入っていくところであった。

 用を足し終わった兵士は、背後から脇腹を突かれ、そのまま失神した。

「借りるぞ」

 むろん、気絶した兵士から返答があるはずもない。

 アレクシオスはすばやく兵士の衣服と鎧を脱がせると、奪い取ったそれらを手早く身に着ける。

 兵士は例によって目立たぬ場所に押しやり、変装を終えたアレクシオスは何食わぬ顔で配置に戻っていく。

 どちらも東方人。肌の色も背格好もおなじだ。兜を目深に被れば、そうそう見分けはつかないはずであった。

(――待っていろ、アザリドゥス)

 八層の大楼閣を見上げ、アレクシオスは心のなかで独りごちる。

 背後でふいに叫び声が上がったのはそのときだった。

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